富士の清流を問う2

このページは、先の神奈川教区僧侶によって出された、「正信会破折」に対しての正信会一僧侶の反論である。如何に、現在の阿部宗門の事実関係の捏造、すり替えに苦労したかじっくりと比較しながら読んでいただきたい。

(継命新聞そのまま転載。)

富士の清流を問う   ―宗門の「正信会破折」を糾す―

 正信会 神奈川教区有志

 前号に予告したように、今回の「富士の清流を問う」(第5弾)では、阿部宗門こそが富士の法門を混乱せしめているということを論証します。すでに論じてはおりますが、宗門側からの「正信会破折」と称する文書に沿って、まずは阿部師の相承の疑惑を述べて相承と血脈とを混同している宗門の過ちを指摘し、そのうえで正信会の求道の姿勢を確認しました。ついで富士日興門流本来の僧宝観を示しつつ阿部宗門の誤れる血脈観を破折しました。さらには法義混乱の元凶、初学者なみの妄説ともいうべき宗門の仏宝観・本仏観を俎上に乗せました。

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宗門が呈している正信会への疑問「正信会破折」

 四、相承を否定・三宝を破壊・戒壇の大御本尊を蔑如の大謗法、そして異流義へ

  1、「日達上人から日顕上人への継承には疑義がある。日顕上人は正当な六十七世御法主ではない」

 【破折】

 これは彼らが、御法主日顕上人猊下から受けた懲戒処分を無効にしようとして持ち出した疑難です。まったく無節操な保身のための言い掛かり、妄説にすぎません。

 日達上人から日顕上人へのご継承は、昭和五十三年四月当時すでに、日達上人より「次期御法主を日顕上人に決めておられる旨」を、直々に伺った側近僧侶もおり、何ら疑う余地はありません。

 実際、現在の正信会メンバーたちも、日顕上人猊下のご登座に際しては、日顕上人を六十七世御法主と仰ぎ、認めておりました。当時、彼らに従う某檀徒が、週刊誌上で日顕上人の継承を疑う発言をしたことに対し、彼らは、

 「最近、某週刊誌に某檀徒の発言といたしまして、血脈相承の問題、また恐れ多くも御法主上人猊下に及び奉ることがらを得意になって云々している記事が目につきました。私ども指導教師といたしまして、顔から火が出るほど恥ずかしく、また、大変情けない想いをいたしました。これは、もはや檀徒でもなければ、信徒でもありません。(中略)御戒壇様、大聖人様の人法一箇の御法体を血脈相承あそばす御法主、代々の上人を悉く大聖人と拝し奉り、その御内証・御法体を御書写あそばされたる御本尊に南無し奉るのでございます。

 これに異をはさんで、なんで信徒と申せましょう。またなんで成仏がありましょう。師敵対、大謗法の者でございます。」(昭和五十四年八月二十五日・第三回檀徒大会)

 とまで断定しているのであります。

 しかるに、その後一年数ヶ月が経過し、宗門から懲戒処分を受けるに及ぶや彼らはにわかに一転して、それまで自分たちも「ある」と認めていた日達上人から日顕上人への血脈相承を、「なかった」ことにしてしまいました。

 これは明らかに、御法主日顕上人猊下による懲戒処分を無効にしようとの狙いによるものであり、自己の保身のためには白も黒にしてしまう、無節操な妄説であります。これは信心でもなければ仏法でもない、汚れた謗法者の感覚そのものです。かかる妄説をもって、僧宝の座に連なる御法主上人を否定せんとした正信会は、まさしく、彼ら自身の言う師敵対・大謗法の者と成り果てたのであります。

 さて、日蓮大聖人は、

 「譬へば人に皆五臓あり。一臓も損ずれば其の臓より病出来して余の臓を破り、終に命を失ふが如し」(新池御書・新編一四五六) と仰せられ、謗法罪を改めなければ、次第に罪が拡散してさらに多くの謗法を誘発する、と戒められていますが、その後の正信会は、本宗の伝統法義に次々と異義を差し挟み、ついに、本宗で立てる三宝の悉くを破るに至りました。

 2、「法主から法主へと伝えられる血脈相承は形式的なものであって、真実の血脈相承というのは、信の一字により、大聖人から正信の僧俗大衆に与えられるものである。したがって、代々の法主の血脈相承が断絶したときには、正信の大衆の中に血脈が保持されるのであり、今日においては、正信会にのみ血脈が受け継がれている」

 【破折】

 彼らは、日顕上人猊下の継承を否定し、その延長として、御法主上人猊下以外の僧俗にも血脈相承が流れ伝わる、などという陳腐な説を主張しだしたのです。

 そもそも本宗では、大聖人より血脈相承された二祖日興上人、さらにそれを順次継承される、三祖日目上人以来ご歴代上人方を僧宝と仰ぐわけですから、この正信会の主張は、結局のところ日興上人以下ご歴代上人を形式的な僧宝と下し、僧俗大衆(なかんずく今日では正信会)こそが真実の僧宝である、とするものです。

 このような説は、創価学会の言っている「今日における僧宝としては創価学会がある」という妄説と軌を一にするもので、本宗における僧宝の立て方を破失する邪義に他なりません。

 次に彼らは、何としても猊座の尊厳を失わしめんがため、血脈相承の本源である日蓮大聖人にまで遡って、

 「鎌倉時代に生まれた人間日蓮は本仏ではない。人間日蓮を本仏と立てるから、弘安五年には本仏がお隠れになって、現在は本仏がおられないことになる。そこで今日蓮が必要となって、法主が本仏のごとく崇められることになるのである。これは根本が間違っており、本来の当家法門では、生身の大聖人ではなく、大聖人の永遠不滅の魂魄をもって本仏とするのである」

 等の説を構えました。

 しかしながら、これは、まったく法華経の教えすら弁えぬ、初学者並みの妄説です。大聖人は、

 「我等が色心の二法を無常と説くは権教なり、常住と説くは法華経なり」(御義口伝・新編一七四五)

 「凡夫の血肉の色心を本有と談ずるが故に本門と云ふなり」(御義口伝・新編一八一一)  すなわち、生身の他に永遠の魂魄を考えることは誤った見解であり、法華経では、生身そのものが生・死を繰り返しながら常住する永遠の存在である、と説くのである、と仰せられています。

 したがって本宗で立てる宗祖本仏義も、こうした法華経の深理を踏まえ、生身のほかに永遠不滅の魂魄なるものを求めるのではなく、生身の日蓮大聖人をそのままご本仏と仰ぎ奉るのであります。このことは、また二十六世日寛上人の『末法相応抄』にも明確にお示しであり、これこそが本来の当家法門です。

 正信会はひとえに、猊座の尊厳を損ねよう、との邪心をもって法門を展開したが故に、前のごとき初学者並みの妄説に堕し、本宗における仏宝の立て方を破失してしまったのです。


正信会よりの破折
  

正信の僧俗に法水は流れる

我ら根本の師は日蓮大聖人

 仏法を私する“貫首”こそ師敵対の謗法

 貫首は大衆と共に仏道精進する立場


 下段の「破折文」の通り、我々正信会は前号までに既述した理由によって阿部師への相承に疑義を呈した。しかし、富士日興門流の血脈相承そのものを否定したのではなく、阿部師への相承に疑義を呈したのである。あからさまなすり替えを平然と行なう阿部宗門は、ここでも阿部師への疑義を、血脈相承そのものの否定へとすり替えてしまう。紙面を費やすのはもったいないが、若干の反論はしておかねばならない。

 「破折文」では、まず正信会から阿部師への継承疑義は懲戒処分を無効として持ち出されたと一方的に決めつけながら、阿部師への相承を認める論拠としては「日達上人より『次期御法主を日顕上人に決めておられる旨』を、直々に伺った側近僧侶もおり、何ら疑う余地はありません」とあまりに素っ気ない。いやしくも宗内の教師僧侶を三分の一も処分した責任者の、その立場は正当なものであったのかどうかを語るには、あまりにもお粗末である。また、言い分を認めたとしても「決めておられる旨」とは「相承した」ということと明らかに違い、とうてい納得できるものではない。

 さらにそのような物言いであれば、日達上人が遷化された直後の、細井琢道師(東京都足立区実修寺)の信憑性の高い発言として、「身内や関係者による枕経が終わり、遺族等が話をしているところへ阿部師が入ってきた。身内等の顔を見るや『あと(相承)のことはどうなっているのか?』と尋ねた。そのとき菅野慈雲師が『総監さん(阿部師)じゃないんですか?』と聞き返すと、阿部師は『あぁ、そうかぁ』と呟いて複雑な表情をした」(趣意)という経緯があって、阿部師が登座したと伝えられている。自ら証明すれば事足りるものを、それができぬところに、阿部師の強権発動の原因がある。

 彼らは正信会も阿部師の登座を認めていたではないかというが、我々は登座の当初から疑念を抱いていた。ために阿部師の発言に左右されることなく、宗開両祖の仰せのままに、一貫して覚醒運動を進めてきたのである。しかし、阿部師が君子豹変し、それまでの姿勢を改めて富士の法門を求め、正法護持・謗法厳戒の道を歩んで池田学会を教導するのではという一縷の望みを持っていたことも事実である。また、近年創価学会によって醸し出されていた法主絶対的な信仰観に翻弄されたという面もあって、不覚をとったのも事実であった。

 その不覚の一つが「破折文」に取り上げられた第三回全国檀徒大会での発言である。ここに示された発言は、第三回大会を大石寺で開催するにあたり、準備のため三日前に面談に及んだ藤枝市応身寺住職・荻原昭謙師に対し、阿部師が突きつけた大会開催の条件であった。荻原師は大会を妨害し運動の混乱を謀る阿部師の真意を読みとり、やむなく発言に及んだ次第。その発言内容については不本意なものがあるが、また、その当時我々正信会の中にもそのような誤った信仰観が存在していたことも否定できない事実であった。すなわち、宗開両祖の御法門、御先師の御教示よりも法主上人と称する当代貫首の言動が重用されるという、現在の阿部宗門の信仰と軌を一にするが如き法主絶対的な感覚が我々にも存在していたのである。

 しかし、富士日興門流の法門再興を念願する運動が進展するにつれ、阿部師の邪義・非道ぶりが顕著となり、我々は御開山上人の遺誡置文「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」に従ったため、誤った法主絶対観はこの運動から姿を消すことになったのである。誤りは糾されるべきであり、まさに「誤りを正すに憚る事なかれ」の実践であった。変節と皮肉る向きもあろうが、我々はごく自然に道理ある道を歩んだにすぎない。

 「破折文」では「しかるに、その後一年数ヶ月が経過し、宗門から懲戒処分を受けるに及ぶや彼らはにわかに一転して、それまで自分たちも『ある』と認めていた日達上人から日顕上人への血脈相承を、『なかった』ことにしてしまいました」というが、我々は阿部師の相承に対する疑義については数々の質問状を出した。正当な相承であれば阿部師は明快に応じることができたはずである。しかし何らの証明もできず、ただただ権威権力を振り回すだけであったことは周知の事実である。

 阿部師への疑義を提示したこと自体が「僧宝の座に連なる法主を否定」というが、当代貫首は仏法僧の三宝に深く帰依し、その護持にあたるべき立場である。自ら三宝の内に這い上がり、一方的に崇拝される立場に居座ってしまうなど、とうてい許されるものではない。富士門流において当代貫首は弟子の位置の首めに座し、大衆と共に仏道修行に精進する立場である。また「破折文」では「師敵対の大謗法」と妄言を吐いているが、我らの根本の師は日蓮大聖人である。日蓮大聖人の仏法を私する貫首など、道理に照らして破すべきであり、邪義に迎合して恥じない阿部宗門こそ師敵対の大謗法といわざるを得ない。

本来は宗開両祖の法門、富士の立義そのものが“血脈”

 血脈観に絶対的権威を付与

 相承の有無と血脈の存否を混同 阿部宗門

【誤れる血脈観】

 「破折文」に提示された正信会の血脈観は、日有上人の「信と云ひ血脈と云ひ法水と云ふ事は同じ事なり(中略)高祖已来の信心を違へざる時は我等が色心妙法蓮華経の色心なり」との仰せに沿う富士伝燈の法門であり、何ら非難を受けるものではない。「今日蓮」を気取る阿部師や池田氏、浅井氏の我見己義の指南・指導を絶対視する宗門・学会・顕正会とは異なり、ひたすら宗開両祖の御法門を求めてやまぬ正信の僧俗にこそ、富士の血脈法水が流れていることは紛れもない事実である。

 元来、仏教の目的は一切衆生の成仏にある。ただ法主一人の権威のために仏法があるのではない。血脈もしかり。正法正義を求め正信に住する者にこそ日蓮大聖人の血脈法水は流れ通うのである。

 それにしても、「血脈の貫首を否定するのは異流義」とする阿部宗門の血脈とは一体何を意味しているのであろうか。阿部師は自身の相承の疑惑に対し、「もしも日達上人が相承をなさらなかったとすれば、どうなりますか、仏法は絶えたことになるではありませんか。日達上人がもしもそのことをなさらないで御遷化になったならば本当に仏法はなくなっているわけです」(昭和57年3月31日、第3回非教師指導会)と反論している。どうやら相承の有無を血脈の存否と考えているようである。さらに「もしもなくなったならば、大聖人は仏様ではないということであり、末法の一切衆生を成仏させることはできないことになる」(同)と、何とも珍妙な発言をしている。

 富士門流では上代より「血脈の宗旨」と称してきたが、このような阿部師の発言を聞くと、その内容がかなり変化してしまったことが分かる。本来は宗開両祖の御法門、富士の立義そのものを血脈と称していたのであり、阿部宗門のように仏法の全体を握る一人の絶対者の存在を血脈としているのではない。

 彼らは誤った血脈観に絶対的権威を与え、富士の法門を混乱させている。彼らは日蓮大聖人の魂が歴代上人により現貫首に至っているという。その上で貫首を信ずることこそ大聖人を信ずることになると主張するのである。しかし、これこそ本末転倒というものである。

 また血脈を「法水写瓶」とも表現するが、これは現実の上で一器の水を一器に移し、現貫首のみが法水の所持者であるという単純な意味合いではない。法水写瓶とは御本仏の慈悲が永遠に閻浮提に流れ、一切衆生を潤すことを示す法門上の比喩である。成仏のための血脈も、その意味を取り違えるならば、かえって仏法を破り、成仏への妨げとなることを我々は知らなければならない。

混乱する僧宝観

 三宝破壊者は誰か

正信会は僧宝を厳格に尊崇

【富士門流の僧宝】

 「破折文」では「そもそも本宗では、大聖人より血脈相承された二祖日興上人、さらにそれを順次継承される、三祖日目上人以来ご歴代上人方を僧宝と仰ぐ」とあるが、この定義はそのままでよいのであろうか。

 富士日興門流の三宝は、仏宝を本仏日蓮大聖人、法宝を本仏証得の南無妙法蓮華経、僧宝を第二祖日興上人と立てる。さらにこの仏法僧の三宝を尊崇護持し、お給仕申し上げ、一切衆生成仏の有り様を身をもって示される三祖日目上人を御座主と拝するのである。我々は法主詐称の阿部師を歴代とは認めていないが、御歴代は日達上人の仰せの通り、三宝の中に座って大衆に臨むというよりは、三宝を護持し、お給仕申し上げる大衆の側に在ると考えるべきである。これは何が何でも貫首を僧宝の中に入れないという意味ではない。貫首は三宝と大衆の中間に在るともいわれるので、一分その意義を与えることもあるであろうが、基本としての在り方は大衆弟子分に位置することを確認しておかないと、宗開両祖に等しくなったり、両祖を凌いでしまう阿部師のような「貫首」が出現してしまうのである。

 彼らは我々の主張をねじ曲げて「結局のところ日興上人以下ご歴代上人を形式的な僧宝と下し、僧俗大衆(なかんずく今日では正信会)こそが真実の僧宝である」とし、それは「創価学会の言っている『今日における僧宝としては創価学会がある』という妄説と軌を一にするもので、本宗における僧宝の立て方は破失する邪義」と非難している。しかし、我々は血脈法水が富士の法門を求めてやまぬ正信僧俗に流れていると自負してはいるが、学会のように自身を僧宝等とはいっていない。そのような慢心も、師弟の筋目を違える思いも、まったく持っていない。従って「僧宝の立て方を破失する邪義」など犯してはいない。我々は御開山日興上人を唯一の僧宝として厳格に尊崇しており、弟子分としての在りように迷うことはない。

 むしろ師弟の筋目を違えて、「戒壇の本尊と不二の尊体」などと弟子に語らせ、宗開両祖に比肩しようとする阿部師こそ僧宝の破壊者である。当代貫首を躊躇なく僧宝に当ててその権威を極上のものとし、現在の絶対者として君臨させることは、誤った血脈観に基づくものであり、僧宝の立て方に迷っている証左でもある。そのようなところに富士の清流が流れ通うことは断じてあり得ない。

肉身は法難により滅しても魂魄は滅することなく常住

大聖人の肉身を常住・本仏と立てるのか

 法義観の混乱を象徴する「正信会破折」

「法華経では、生身そのものが生・死を繰り返しながら常住する永遠の存在です」とはどんな意味?

名聞名利を求めた阿部宗門は、初学者なみの妄説に堕し、本宗における仏宝の立て方を破失

【仏宝の迷乱】


 「破折文」に紹介されている「鎌倉時代に生まれた人間日蓮は本仏ではない|乃至|本来の当家法門では生身の大聖人ではなく、大聖人の永遠不滅の魂魄をもって本仏とする」との正信会の主張を、彼らは「法華経の教えすら弁えぬ、初学者並みの妄説」といっている。さらには「法華経では、生身そのものが生・死を繰り返しながら常住する永遠の存在である」「生身のほかに永遠不滅の魂魄なるものを求めるのではなく、生身の日蓮大聖人をそのままご本仏と仰ぎ奉るのであります」として阿部宗門における「本仏観」を呈示している。

 果たしてどちらが初学者並みの妄説であろうか。この阿部宗門の法義の混乱を示して余りある迷文は、御義口伝を引いてはいるものの、かつての阿部師の次のような発言に基づくものである。  「大聖人の御肉身は、それがたとえ我々の凡眼に見えなくても、永遠に三身常住あそばされるところなのであり(中略)その御肉身を分けて、眼に見えないところが本体だとか、眼に見えるところは流転門だなどと言いますが、そのようなばかげた話はありません。大聖人の御肉身、今日より七百年前の御一期の御化導を離れてどこに御本仏様がありますか。御肉身そのままが御本仏であり、もし強いてその法相を宛てるならば、流転の当体即常住なのです」(「大日蓮」昭和56年9月号

)  我々は時間空間の制約を受けざるを得ない歴史上の、鎌倉時代の人間「日蓮」の肉身を本仏と立てるのではなく、時空を超越した宗教上・信仰上の存在として大聖人を御本仏と申し上げているのである。これは宗の如何を問わず信仰の常談である。この立て分けができずに混乱に混乱を重ねているのが阿部宗門である。

 たとえば釈尊といっても、インド応誕の釈尊と法華経に顕われた久遠実成の釈尊とでは、名は同じでも体が異なるぐらいは初学の者でも理解できるであろう。また富士門ではさらに六種の釈尊を立てるほどである。

 同様に日蓮大聖人も「鎌倉時代の日蓮」「上行再誕の日蓮」「本仏日蓮」とで、それぞれ指し示しているところの内容が異なるのである。  すなわち「日蓮」とはいっても、「本仏日蓮」とは内容の異なる、鎌倉時代の生身の人間として、時間的にも空間的にも制約を受ける有限的な「日蓮」が存在することを理解しなければならない。我々が御本仏と称しているのは、いうまでもなく時空の制約を受けることのない信仰上の存在としての日蓮大聖人であることをとり違えてはいけない。

 では、どうして阿部師のような理解不可能な珍妙な発言が出てくるのであろうか。それは法門に外用・内証、観心・教相の立て分けが明確にできないためである。日寛上人は文底秘沈抄に、「但我が蓮祖のみ内証外用あるには非ず、天台・伝教も亦内証外用有り」と述べられ、重ねて同抄に「若し外用の浅近に拠れば上行の再誕日蓮なり。若し内証の秘沈に拠れば本地自受用の再誕日蓮なり」と述べられている。ここで日寛上人は、日蓮大聖人の外用浅近には上行菩薩の再誕、内証深秘の辺は久遠元初の自受用身の再誕であると丁寧に御教示されている。

 ところが前述のように、阿部師は大聖人の肉身は我々の眼には見えなくても常住なのだと、わけの分からない指南を垂れている。宗祖の肉身は弘安五年十月十三日、武州池上で入滅せられた。これは門下の等しく認めるところである。「肉身の常住」などとは迷乱の極みというべきであろう。この迷乱は宗祖を拝する内証外用を弁えぬことによるのである。

 宗祖は開目抄に「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて」と仰せである。

 ここで宗祖は実際には首を斬られていないにもかかわらず、斬首の上、その魂魄が佐渡に在ると言われている。すなわち、肉身は法難によって滅することはあっても、魂魄は滅することなく常住であると御教示されている。この滅不滅については、富士門の御会式において、化儀の上に厳然と示されている通りであるが、ここに示される本仏は、阿部師等のいう肉身本仏ではなく、宗祖の内証己心中の魂魄を指していることは論をまたない。  また、歴史上の存在と信仰上の存在との立て分けとその理解も、我見をさしはさまなければそう難しいものではない。

 三大秘法抄には「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり」とある。ここでの宗祖の有り様はいうまでもなく歴史上のものではない。だからといって、この御文が偽りであって真実ではないということにはならない。

 つまり鎌倉時代の人間日蓮が二千余年前に霊鷲山において釈尊から直接面授口決したということは現実世界の話ではない。従って科学的にその真偽を論証するというような性格のものではなく、大聖人の己心内証の世界のことであり、宗祖の信心の世界のことであることを銘記しなければならない。

 阿部宗門のこのような本仏観の混乱を破すには、日寛上人が末法相応抄に要法寺日辰を教誡している段が参考となろう。

 日辰は石山の日蓮本仏義に対し、「若し蓮祖を以て本尊とせば左右に釈迦多宝を安置し、上行等脇士と為るべきなり。若し尓らば名字の凡僧を以て中央に安置し、左右身皆金色の仏菩薩ならんや」といって、人間日蓮が本尊となるなら、その脇士が金色の釈迦多宝ではおかしいではないかと難じている。それに対して日寛上人は「御相伝に本門の教主釈尊とは蓮祖聖人の御事なりと云うは、今の此の文の意は自受用身即一念三千を釈するが故なり、誰が蓮祖の左右に釈迦・多宝を安置するといわんや」と反詰されている。

 ここで日寛上人は、当家は鎌倉の日蓮の御内証たる元初自受用身をもって本仏とするのであって、誰が鎌倉時代の日蓮そのものをただちに本仏とするといいましたか、と日辰の疑難を破しておられる。

 続いて「日辰如何ぞ但示同凡夫の辺を執して、本地自受用身の辺を抑止するや」「日辰但色相に執して真仏の想いを成す」「法蓮抄に云く愚人の正義に違うこと昔も今も異ならず、然れば則ち迷者の習い外相のみを貴んで内智を貴まず」と述べられている。このように、富士門流では宗祖の内証本地の辺を指して本仏と談ずるのである。

 信仰の根本たるべき本仏観に迷っている阿部宗門の行く末は明らかである。正信の僧俗の精進によって、富士の清流が石山を潤すことを願わずにはいられない。

 阿部宗門の法義観・本仏観の混乱を象徴するものとして、重ねて「破折文」の珍妙な主張を掲載しておこう。

 「生身そのものが生・死を繰り返しながら常住する永遠の存在である」

 「本宗で立てる宗祖本仏義もこうした法華経の深理を踏まえ、生身のほかに永遠不滅の魂魄を求めるのではなく、生身の日蓮大聖人をそのままご本仏と仰ぎ奉る」

 何度読んでも理解することのできぬ迷文については、紙上にそのまま掲載して示すだけで十分な反論になるものと思う。

 また、文証として末法相応抄を挙げているが、これも読みの浅さと学会教学の受け売りによる誤読であろう。

 いずれにせよ、今回の「破折文」末文の「正信会はひとえに、猊座の尊厳を損ねよう、との邪心をもって法門を展開したが故に、前のごとき初学者並みの妄説に堕し、本宗における仏宝の立て方を破失してしまった」との言葉は、そのまま阿部宗門にお返ししよう。  自らの野心のために猊座を簒奪した阿部師と、名聞名利を求めた阿部宗門は、「邪心をもって法門を展開したが故に、初学者並みの妄説に堕し、本宗における仏宝の立て方を破失してしまった」と。

     今回の「富士の清流を問う」(第6弾)では、本尊観について論証しました。宗門側から出されている「正信会破折」では、正信会の主張に対して、「法理も弁えず、大御本尊を唯物呼ばわりする妄説」「正信会は大御本尊を全面否定する大謗法」と論じていますが、大御本尊にそなわる一切衆生成道のご法門を観ようとはせず、教団の利益として戒壇本尊の直拝を強要し、偶像崇拝的な本尊観に堕しているのは、他ならぬ阿部宗門です。独断と横暴がほしいままに展開されている阿部宗門に宗開両祖の御魂は存在しません。宗祖の法魂は、純粋に富士の法水を求めてやまない正信の僧俗の心中にこそ存在するのです。

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宗門が呈している正信会への疑難「正信会破折」

 さて、こうして仏宝の立て方を誤った正信会は、さらに仏宝と一体の関係にある法宝=大御本尊についても、

3、「ダイナマイト一本で吹っ飛ぶような物が、大聖人の究極の本尊であるわけがない。それは唯物の次元に堕した本尊観である。我々は、色法の御本尊の奥に、眼には見えない御本仏の心法を拝するのであり、その仏の心法こそが常住不滅の真実の大御本尊である」

 【破折】

 これも、まったく法華経に説かれる法理を弁えない、仏宝習いそこねの妄説です。大聖人は、

 「文字は是一切衆生の心法の顕はれたる質なり。されば人のかける物を以て其の人の心根を知って相する事あり。(中略)然れば文字は是一切衆生の色心不二の質なり」(諸宗問答抄・新編三六)

 「口決に云はく『草にも木にも成る仏なり』云云。此の意は、草木にも成り給へる寿量品の釈尊なり。(中略)一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこなひの学者ゆめにもしらざる法門なり」(草木成仏口決・新編五二二)

 等、要するに、御本尊のお文字は単なる形(色法)ではなく、ご本仏の悟り(心法)を顕わした、色心不二の仏のお姿であり、板であれ紙幅であれ、そこに御本仏の悟りがお文字をもって認められれば、御本尊の当体と顕われるのである、とご教示くださっています。 こうした法理も弁えず、大御本尊を唯物呼ばわりする正信会の妄説は、七百年前に袂を分かった身延派日蓮宗の邪義と何ら変わりがなく、その誤りは、すでに六十五世日淳上人も、

 「彼等は、また、・日蓮正宗では御本尊を板や紙に執われているから唯物的思想だ・といっておるが、事ここに至っては、開いた口がふさがらない。彼等には、草木成仏・非情成仏等、仏法の重大法門が少しもわかっていない。それでは、法華を学んだとは、とうてい、いえないことである」(何故に日蓮大聖人が御本仏であらせられるか)

 と指摘されているのであります。

 では何故、正信会はこのように誤った法宝の立て方をしたのか、といえば、つまるところ、「眼には見えない仏の心法を大御本尊として信じておれば、あえて大石寺に参詣して大御本尊を拝む必要はない」といいたいがためであり、それは、また正信会が、大石寺から離れた後も異流義宗団として存続していくための邪な布石であった、といえます

。  4、「今の本山には、既に大聖人、日興上人の御魂は住まわれず、と断ずるものである」(継命・五十一号)

「どうしても日蓮正宗が駄目なら、『我々で新生の正宗を作っていけばいい』そのぐらいの余裕と腹づもりで行きましょう」(継命・二百二十九号・元渡辺広済議長指導

)  「七百年以前に宗祖御入滅・地頭不法・身延離山・大石寺開山とたどられた正法厳護の歴史は、奇しくも今日ここに再現され、若輩たりとはいえ、正信会の僧俗に日興上人の法脈を受け継ぐ使命を担わされた。(中略)今後は、なおいっそう行体をつつしみ、『いづくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて世に立て候はん事こそ詮にて候へ』の遺訓を守り…」(継命・二百六十三号)

 【破折】

 本宗における三宝の立て方を悉く破壊した正信会は、ここに日蓮正宗富士大石寺から離脱・異流義化したことを自認すると共に、一宗一派の旗上げ構想をもっていることまで表明したのです。

 また、元正信会会長である久保川法章のごときは、あろうことか、 「日蓮正宗に於いて信仰の最大究極としている戒壇の本尊が偽りであった。(中略)正本堂の板本尊は、日興上人の云われる弘安二年の御本尊ではない」(弘安二年の大御本尊)

 などと、大石寺に安置し奉る大御本尊を全面否定する大謗法に及びました。

 こうなれば、もはや日蓮正宗とは異質な宗旨でありますから、この際、日蓮正宗の宗名を詐称するのはやめてほしいものですが、それでは、いかにも自らの変質・異流義化が明らかになるようで、内外の眼が憚られるのでしょう。まったく哀れなものであります。
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正信会よりの破折
  

 御法門を見失い 迷走する阿部宗門

唯物的な本尊観に立つのは現宗門

 我々は御本仏の御魂を御本尊と拝する

【大御本尊の唯物視】


 下段の「破折文」では、菅野憲道師(大阪府池田市・源立寺住職)が「ダイナマイト一本で吹っ飛ぶような物が、大聖人の究極の本尊であるわけがない。それは唯物の次元に堕した本尊観である。我々は、色法の御本尊の奥に眼には見えない御本仏の心法を拝するのであり、その仏の心法こそが常住不滅の真実の大御本尊である」と論じたことに対して、「法華経に説かれる法理を弁えない、仏法習いそこねの妄説」であり、正信会が大御本尊を唯物呼ばわりしている、と反論している。

 果たしてそうであろうか。法華経の法理を踏みはずし、大御本尊を唯物的に取り扱い、法義の混乱を来して衆生の成道を妨げているのは阿部宗門そのものではないか

。  仏法の命脈ともいうべき己心内証を忘れ、外相に偏執して宗開両祖に違背する偶像崇拝と現世利益信仰に堕した阿部宗門には救いがない。そればかりか、ここへきて河辺メモが発覚し、戒壇の大御本尊の筆跡鑑定を行なって「偽物」と断じ、唯物的本尊観を露呈した阿部発言が知れ渡るという追い討ちである。御法門を見失い迷走する阿部宗門には哀れさが漂っている。

 菅野師の所論は大御本尊が単なる無常の仮のものに過ぎないといっているのではない。曼荼羅に顕わされた外相のみにとらわれ、その奥に確かに存在する御本仏の内証本尊(心法)を拝そうとしない阿部宗門・池田学会の唯物的本尊観の誤りを指摘しているのである。阿部宗門ではお文字が顕わされている板そのものが本仏本尊であるとし、それは永遠にして消滅するものではないと主張する。さらには消滅しないと信ずることこそ本宗の信心であるといってはばからない。

 あらゆる事物・事象は諸法無常の法理を免れないにもかかわらず、大御本尊がかたどられた板曼荼羅だけはその範疇に入らぬらしい。板そのものが永遠不滅と断定されれば、それはもう外道の論議であって、仏法上の論議とはなり得ない。  外相一辺倒で御本尊を偶像視してやまない、そのような誤りを指摘されても、気づかないところが不幸である。その妄念を打破するために、菅野師はあえて「ダイナマイト」云々の比喩を用いたのである。菅野師をはじめ我々正信会は、もとより御本仏大聖人・戒壇の大御本尊がダイナマイト一本で吹き飛ぶとは思ってもいない。ただ、阿部宗門や池田学会が主張する唯物的な本尊観を否定し、本来拝すべき本尊観を述べているだけである。観心の本尊抄には、

 「仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり、此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり」

 とあるように、本尊、本仏は決して生滅することはない。それは本尊が己心に建立されるからである。

 また、宗祖は報恩抄に、

 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」

 と仰せである。この「日蓮が慈悲」とは唯物に堕した本尊ではなく、永遠に滅せぬ本尊であることはいうまでもない。

 「破折文」には「大御本尊を唯物呼ばわりする正信会」とあるが、我々は大御本尊を唯物呼ばわりしたことなどない。大御本尊が板の上に顕わされているのは事実であり、我々はそこに示されている御本仏の御魂(心法)を大御本尊と拝すべきであるといっているのである。大御本尊を唯物的にとらえているのは、板そのものが本仏・本尊であるとする阿部宗門である。この点についても「破折文」作者は迷乱している。

 後にも述べるように、この大御本尊は肉眼で拝し得ぬものであるから、本来、御宝蔵に奉安され、門下僧俗は今日まで遥拝の形をもって参拝してきたのである。板の上にお文字をもって示された御本仏の内証を拝し、己心に頂戴してこそ、御本尊の実義があるにもかかわらず、肝に銘ずべき己心内証を捨て、物や形として示された部分しか尊崇できない阿部宗門の信仰は、偶像崇拝との非難を免れることはできない。

 「破折文」では諸宗問答抄と草木成仏口決のふたつの御書を引用して正信会を論難しているつもりらしいが、菅野師も正信会も「文字は是一切衆生の色心不二の質なり」「草木にも成り給へる寿量品の釈尊」「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり」等の御文を否定したことはない。そもそも草にも木にもなる寿量品の釈尊」とは草や木そのものが文底寿量品の釈尊ということではなく、無常である草にも木にも顕われる文底寿量品の釈尊という意味である。

【弁えるべき本尊観】

 本尊は根本として尊敬すべき信仰の対境であり、何を本尊とするかによってその信仰が定まる。富士日興門流では、いうまでもなく宗祖所顕の妙法曼荼羅をもって本尊とするが、ただ偶像的対象として本尊を拝するものではない。そこには宗祖の御法門の一切が納められているのであるから、その謂われを求め正しく拝して行こうとすることが信仰の基本である。盲目的に信ずることを強制し、それをもってよしとするものではない。本尊に迷う者は、法門に迷い信仰にも迷う。それは理のおもむくところである。

 さて、宗祖は、「日蓮がたましひをすみにそめ流して・かきて候ぞ信ぜさせ給へ」(教王殿御返事)と仰せられている。

 「日蓮がたましひ」とは、宗祖証得の事の一念三千、己心内証の本尊である。「すみにそめながして・かきて候」とは、その内証の本尊を一幅の曼荼羅として図顕されることである。宗祖の御魂こそが信仰上、永遠性を有する本尊であり、墨に染め流して図顕された曼荼羅は、無常を免れ得ない。ましてや墨そのもの、板や紙そのものが宗祖の御魂であるはずがない。

 ちなみに、阿部師は「本宗は心法ではなく色法だ」ということを説明するのに「墨に染め流すとは色法ではありませんか」と発言しているが、その前後の「日蓮が魂を信じさせ給え」という心法が欠落している。

戒壇本尊の所有を正統の証とする愚

 聖人の御義に違せざることが肝心


 富士日興門流でいうところの「色法」とは、法体そのものを色法と称するのであって、色心相対して、その一方をとっているのではない。ここにも法門の混乱が見られる。

 「日蓮が魂」は当然、凡眼凡智に映らぬものである。だからこそ宗祖は御魂を墨に染め流されたのであり、宗祖が証得されたところの本尊は、信ずる者の己心に受持されるのである。ゆえに最後に「信じさせ給え」と仰せられるのである。

 この極めて明快な法門の在り様を見失ってはならない。

 すなわち日蓮が魂・曼荼羅・行者の受持が一体となって本尊が整うのである。

 さらに宗祖は「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」と仰せである。「行者の一身」とは当然、法華経の行者である宗祖御自身を指しているものではあるが、また法華経文底の法門を信受する富士門の僧俗は、等しく受持の一行、信の一字によって刹那に己心に本尊が建立されるということがここに示されている。

 法華経の行者を志す者すべてが、本尊の当体となるよう正しく信仰に精進し、世間・出世間両道(仏法の上においても、世間の在り方においても)にその在り様を実践して行かねばならない。

【身延派と同じなのか】

 「破折文」では、「彼等は、また、日蓮正宗では御本尊を板や紙に執われているから唯物思想だといっておる」との日淳上人の言葉を引用し、正信会は身延派と変わらないという。身延派からこのような批判をこうむることは、戒壇本尊の裏づけとなる富士の法門を丁寧に説明することなく、ただ物体としての板本尊を大石寺が「所有している」ということを強調することによって自派の正統を主張してきたからである。

 日蓮正宗が、板本尊所持の強調だけではなく、富士日興門流本来の成道を示す御法門を論じていたならば、身延派から「唯物思想」などという要らぬ批判をこうむることはなかったはずである。

 いつの頃からか、大石寺では「板の戒壇本尊ありき」がすべての中心になってしまい、一切衆生の成道を認める肝心要の御法門が見失われてしまったようである。日淳上人は当然、ことの是非を御承知であったであろうから、つづく引用文も同様、信徒教化の一端として述べられたものであろう。

 「破折文」は日淳上人の記述を根拠に正信会を身延派と同じと決めつけたいようだが、前にも述べたように、我々は板や紙をもって顕わされた御本尊を否定するものではない。我々はしっかりと曼荼羅本尊を信仰の対境として尊崇礼拝している。また宗門の僧俗にも、確かな御法門の裏づけを弁えて拝すべきであると訴えているのである。

【富士の法水を求める】

 「破折文」では「本宗における三宝の立て方を悉く破壊した正信会は、ここに日蓮正宗富士大石寺から離脱・異流義化したことを自認すると共に、一宗一派の旗揚げ構想をもっている」として、継命紙第五十一号(昭和56年10月15日号=道標)、二百二十九号(平成元年6月15日号=正信会議長指導)、二百六十三号(平成2年12月1日号=正信会「声明」)の記事を挙げている。

 一貫して道理を求める正信会は、今でもそれらの記事の内容については、間違っていないと認識している。「道標」「正信会議長指導」「声明」に記された見解は、「我等こそ富士の本流」をテーマとして掲げている正信会の現在の見解といささかも変わるものではない。

 すなわち法主詐称の阿部師の邪義と謗法に支配され、独断・横暴がほしいままに展開される阿部宗門に、どうして宗開両祖の御魂が存在するというのであろうか。冗談にもほどがあるというものである。その法魂は、純粋に富士の法水を求めてやまぬ正信の僧俗の心中にこそ存在するのである。

 破折者は、御法門の見失われたところに法魂は存在し得ないことを知るべきである。

 継命二百二十九号、二百六十二号の発言は、学会教学・創価思想によって換骨奪胎され、富士日興門流本来の御法門を求めようとしない阿部宗門の実状を念頭においた主張である。

 七百余年に及ぶ富士門流の歴史を見れば、時代の混乱や想像を絶する苦難の中、富士門流に伝承された宗開両祖の御法門を懸命に護り伝えてきた多くの僧俗がおられたことが分かる。現代に生きる我々は「日蓮正宗」という名称と伝統・伽藍を利用する阿部宗門の邪義謗法に与することなく、尊い先師先達の御心を拝して、富士の法門と信仰を、この時代にひたすら護り伝えて行かんとの誓願を鮮明にしただけのことである。

正信会は大石寺を離脱したのではない

 阿部師こそ戒壇の本尊を否定した

邪義・謗法を破し不当な擯斥を受けた正信の僧俗


 ここで破折者は正信会に対し「日蓮正宗富士大石寺から離脱・異流義化したことを自認」したとしている。しかし我々は自ら好んで宗門から離れたわけではない。創価学会にコントロールされている離脱僧とは全く違うのである。相も変わらぬすり替えにはがっかりしてしまう。 我々は猊座を簒奪した阿部師ならびに池田学会の邪義謗法を批判し、富士日興門流本来の御法門を求めようとしたにもかかわらず、阿部師によって不当な擯斥を受けたのである。もとより富士の本流を自認する正信会であるから、阿部宗門に対抗するために一宗一派を旗揚げするという必要など毛頭ない。我々はただ近年見失われつつある富士の法門を正しく求め、明らかにしていくことを願って精進するだけのことである。

 富士日興門流の信仰に縁ある者が、いたずらな混乱と争いから脱するためには、我見をさしはさまず宗開両祖の御法門を真摯に探求する以外にない。「法門をもって邪正を糾す」ことこそ肝要であり、それが宗祖の御意に叶うものとなろう。

 破折者はいたずらに一宗一派の構想などと愚にもつかぬレッテルを貼って目をくらますようなことに腐心せず、道理の上から論じてほしいものである。

【久保川発言と河辺メモ】

 破折者は久保川法章師の「日蓮正宗に於いて信仰の最大究極としている戒壇の本尊が偽りであった。(中略)正本堂の板本尊は、日興上人の云われる弘安二年の御本尊ではない」との所論を取り上げている。

 ここには作為がある。久保川師に元正信会会長とわざわざ但し書きをつけて、あたかも師が今でも正信会の中心的存在であるかのように印象づけようとしている。もちろん、久保川師がかつて正信会の中心者の一人であり、会長であったことは事実であるが、正信会そのものが道念を有する僧俗の自発的集合体であるから、指導者的会長であったわけではない。池田学会や阿部宗門のように、組織を至上のものとする者から見れば、理解できないことかも知れない。

 それでも誤解を与えないために、短期間で会長を退いた久保川師の後、正信会は会長職を廃止した。後にも先にも正信会会長は久保川師一人である。

 その久保川師も会長を退いて間もなく信仰の違いによるものなのか、正信会から離れて行った。現在では正信会は久保川師とは何の関係もない。

 このことを知りながら、あえて久保川師の言葉を取り上げ、正信会批判に利用しようとする誠意のなさは、阿部宗門の習性である。事情を知らずに破折文を読んだ者は、今でも久保川師が正信会の中心者、重鎮と思い込んでしまうであろう。そのような批判姿勢は、まさに邪道という他はない。

 しかし、面白いのは、この久保川師と同様の発言をして物議を醸している御仁がいるということである。いわずと知れた河辺メモに登場する阿部日顕師である。「戒壇の御本尊のは偽物である。種々の筆跡鑑定の結果解った」との阿部師の発言が露呈し、この夏以来、日蓮正宗を騒がせている。

 もちろん久保川・阿部両師の信仰・思想は違うであろうが、なぜかその発言は類似しているのである。破折者は久保川師に当てた批判をそのまま阿部師に向けるべきだろう。なぜならば「大石寺に安置し奉る大御本尊を全面否定する大謗法」に及んだのは、阿部師も同様であるから。二人が同じ罪を犯したのであれば、問われる罪過も同じでなければ道理に合わないことになる。

    宗門人はなぜ御本仏の眼を恐れない

宗門に迷惑をかけた河辺師が栄転

 真摯に富士門流の未来を考え


阿部師の“御指南”

「ある時に慈篤房(河辺師)と客観的な話をしたような…」

 阿部宗門からの離脱者は、河辺メモで明らかにされた阿部師の戒壇本尊偽物発言を声高に糾弾している。離脱者のそれが学会の策謀によるものとはいえ、破折者は弁明にもならぬ阿部師の九月十八日付「御法主日顕上人御指南」(大日蓮644号)とやらを唯々諾々と鵜呑みにしてしまうのであろうか。

 阿部師はこの河辺メモについて、「客観的な言旨を極めて主観的な形に書き変えた慈篤房の記録ミスである」とし、戒壇の大御本尊と日禅授与の御本尊との相貌の違いを「鑑定」している。また「宗祖大聖人の御化導の正義は仏像の造立に非ず」などと述べてこの問題を糊塗しているが、同じ「御指南」のなかで、「ある時に慈篤房と客観的な話しをしたような記憶は存する」といっている。

 一方の河辺師も、このときの阿部師の話が強烈な印象に残ったと証言している。しかも、宗門に迷惑をかけた河辺師が、北海道の日正寺から東京都新宿区の大願寺に「栄転」するという首を傾げざるを得ない人事のオマケまでついているのである。こんなごまかしでさえ指摘できないのであろうか。まさに阿部宗門に身を置く一人ひとりの信仰心が問われているということであろう。

【法宝と偶像崇拝】

 破折者は我々が富士門本来の法宝観(本尊観)を述べたのに対して、目的のために手段を選ばぬというような、信仰者とも思えぬ態度で、邪推に憶測を重ねて、「眼には見えない仏の心法を大御本尊として信じておれば、あえて大石寺に参詣して大御本尊を拝む必要はないといいたいがため」と断定している。 破折者は、正信会が心法の大事をいうのは、大石寺に参詣して板御本尊を拝さなくても良いという理由づけのためだといっているが、このこじつけこそ噴飯ものである。

 では尋ねるが、大石寺はいつから戒壇大御本尊を公開するようになったのであろうか。正信会は御法門の上から、さらには信仰実践の上から、再々戒壇本尊の在り方とともに、直拝(肉眼をもって直接板・紙に顕わされた御本尊を拝すること)と遥拝(肉眼で直接御本尊を拝するのではなく、信心によって御本尊を拝する)についても論じてきた。

 我々は戒壇の大御本尊は肉眼をもって拝するものではなく、あくまでも信心をもって拝するものであり、否、信心をもってしか拝せぬものであるから、遥拝の形が正しいという主張をしてきた。

 対する阿部宗門では、信不信を問うことなく連日の御開扉を行なうばかりか、戒壇の大御本尊をしっかりと眼を見開いて拝んでこそ功徳があるとまでいうのであるから、直拝・遥拝の違いを問うことなど思いもつかないことなのであろう。

 破折者がいうように、阿部宗門では、信心の内容、心の在り方を問うことより、大石寺に参詣して大御本尊を拝することが本当の信心であるとする。しかし、これでは対象の偶像さえ拝んでおれば、それで良いとする偶像崇拝の信仰と何ら変わりのないものとなってしまう。

 妙法の曼荼羅は、色相を尊ぶ旧来の仏像・菩薩像、曼荼羅絵図への偶像崇拝を打破し、行者の己心内証に証得する本尊を顕わさんとしたものといえる。ところが現在の阿部宗門では、大御本尊が他宗他門の仏像以上に偶像的に崇拝されているのであるから、宗開両祖も嘆かれておられるに違いない。

 ちなみに日寛上人は本尊抄文段に、「問ふ、妙法蓮華経の左右に文字に書き顕す仏菩薩等と色相荘厳造立の仏菩薩等と何の異り有りや」と問いを設け、「種本脱益、天地雲泥なり、謂く文字に書き顕す仏菩薩等は本地自証の妙法無作本有の体徳なり……色相荘厳造立の仏菩薩等は迹中化他の形像なり」と答えておられる。

 すなわち妙法蓮華経の五字の左右に文字をもって仏菩薩を顕わすのと、色相の仏菩薩をもって顕わすのとでは、どのように意味が異なるのかと設問し、文字は無作本有の体徳をあらわしているのに対して、色相の造立(仏菩薩等)は迹中化他の形像に執することになると、その違いを述べておられるのである。 本来、かたちのない無作の体徳(己心の世界)を顕わすためには、形像よりも文字が相応しいということであり、文字による十界曼荼羅は己心内証・観心の本尊を建立するための必然より生じていると考えなければならない。

 こうしてみると、すでに大御本尊にそなわる一切衆生成道の御法門を観ようとせず、戒壇本尊の直拝を強調する偶像崇拝的信仰に堕してしまった阿部宗門こそ、誤った法宝観に立っているといわざるを得ない。

 日寛上人はまた、「若し文底の謂れを知れば、則ち三箇の秘法経文に顕然也、夫れ知と不知と也、雲泥万里ならんか、若し仏法の謂れを知らざれば、仏法は仍是れ世法也、名利の僧等仏法をもって渡世の橋となすが如し」(撰時抄文段)とも御教示である。

 すなわち、文底の謂われを知るか否かでは、その差は天地雲泥であり、ましてや仏法の謂われを知ることがなければ、その有り様は、世法のそれと何も変わることはない。名利という世間的利益を欲する僧侶らが、仏法をもって世を渡るための橋として利用するようなものであるという。

 ここで日寛上人は、文底の謂われを知ることの大事を述べられるとともに、謂われを知らず、求めようともしないことは仏法を利用して世俗的利益を得ようとする者であると戒めておられるのである。

 大御本尊の法門的背景とその真意を求めようともせず、教団の利益として偶像崇拝的に大御本尊を取り扱う阿部宗門こそ、法宝に迷うものである。

 重ねていおう。宗祖は「本尊は法華経の行者の一身の当体なり」と仰せである。阿部宗門の偶像崇拝的な本尊観は、この御教示を空しくしてしまい、衆生成道の有り様を妨げることになるのである。

 今こそ阿部宗門は立ち止まってその非を省み、富士門本来の本尊観を熟考しなければならない。「戒壇の御本尊を所有している」というような妄念・妄想から一刻も早く目覚めるべきである。ましてや大御本尊を渡世の具となすことなど、御本仏の御罰を恐れぬ蛮行であることに気づき、速やかに改めるべきである。

        これまで6回にわたって阿部宗門(神奈川布教区)による「正信会破折」文書を検証することにより、富士の本流を自認する正信会と阿部宗門との信仰観の相違を明確にしてきました。これは真面目に富士門の信仰を求める者にとって実に有益なことです。阿部宗門では、偏り歪んだ思考の上に間違った情報資料が提供されるのですから、その結論もおのずから間違ったものとなるのはやむを得ません。『富士の清流を問う』最終回は、宗門の法義観の狂いが異様な「現証」論を誘引していると指摘し、宗門人の覚醒、富士法門への帰依を促しました。

宗門と正信会の理非曲直は歴然

正義を求めるなら法論に臨むべき

 正信会こそ宗開両祖の法燈を継ぐ“富士の本流”

誤った「現証」論を誘引した法義観の狂い

【正信会破折・本文】

 おわりに

  日蓮大聖人は、

 「請ひ願はくは道俗法の邪正を分別して其の後正法に付いて後世を願へ」(守護国家論・新編一五三)

 と仰せられ、まず法の正邪を決することの重大さを指摘されています。

 また、其の邪正峻別の方法として、大聖人は、

 「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(三三蔵祈雨事・新編八七四)

 と仰せられ、仏法の正邪を判断していくためには、まず「道理と証文」の上から、その教えの内容を見極め正邪の分別をつけていくことが大切である、そのうえで、最終的な確認として「現証」に照らし合わせ、正邪を判断するのである、と示されています。

 このご金言のごとくに判断していくならば、正信会もすでにその立てるところの教義が「道理と証文」に照らして邪義でありますから、「現証」として仏罰の相が現れることは必然であります。

 この時にあたって、日蓮正宗の信徒たるべき者は、仏法の道理に則った正しい信心を志し、「漁夫の利」を狙う異流義の徒輩等を寄せつけず、また邪心による情報操作に惑わされず、どこまでも、大御本尊・三秘・三宝を擁する富士大石寺を根本としていかねばなりません。

 ともあれ、御法主日顕上人猊下も、昨年の夏期講習会の砌、「大聖人の御聖訓に照らして、私共も『今まではいい加減だった』と思うべきです。『今まで信心してきたけれども、どうもいい加減だった』と自覚すれば、『では、これからしっかりやろう』ということになります。(中略)いい加減に考えていた人は、三年、五年経っても一人も折伏できなかった。やらなかったわけです。大聖人様の仏法を我が身に、自ら実践する心を固めるところに大功徳がある。いわゆる『いい加減ではだめだ』ということです」(大白法五一四)と仰せられて、私達の信心を励まされています。

 もとより、いまだかつて、何の熱意も情熱なくして成し遂げられた偉業は、一つもありません。皆さま方の御本尊様への真剣な唱題と、その祈りにもとづく着実な折伏行の実践によって、今、法華講が立ち上がる、この時、一人ひとりが必ず三世にわたって揺るぎない絶対的な幸福境界を築き上げることができ、そこにおのずと平成十四年の三十万総登山におけるそれぞれの目標達成もなされるものと確信いたします。

 よって、今こそ、御法主上人猊下ご指南の平成十四年・三十万総登山達成に向けて、一人ひとりが全力を傾け、折伏行に邁進していただきたいと存じます。

 そして、その信心姿勢にこそ、富士の清流は脈々と流れ通うのであります。  (これで阿部宗門による「正信会破折」全文終了


正信会よりの破折
  

【法論で正邪の判別を】

 これまでの「正信会破折」では、「手段と目的を取り違えて本末転倒」「慈悲心に欠けた」との二点を正信会の根本的誤りとして挙げ、我々が阿部師への相承を否定して三宝破壊の異流義に堕したと論難している。前回までに、それが全くの的外れであり、むしろ阿部宗門の信仰観の誤り、邪義謗法ぶりを露呈するものであると指摘した。

 彼らは「正信会破折」の結びに「日蓮大聖人は、『請ひ願はくは道俗法の邪正を分別して其の後正法に付いて後世を願へ』と仰せられ、まず法の正邪を決することの重大さを指摘されています」と述べている。

 この精神については正信会としていささかの異存もない。富士門流の今日の混乱を鎮め、信仰の正邪を明らかにする唯一の方途は、「法門をもて邪正をただすべし、利根と通力とにはよるべからず」との御金言を実践することであろう。

 正信会は日蓮大聖人・日興上人の法燈を継ぐ富士の清流を自認している。その依拠するところは法華経であり宗祖の御書である。また日興上人の御教誡をはじめ御先師の指南を信仰の規範とする。阿部宗門もかくの如くならば、互いに信仰を論じ合う土俵が同じであるから、真面目に法論を展開して富士門流の正義を求めるのに何の不都合もないはずである。

 宗祖は法の正邪を明らかにするため法論を重んぜられた。御開山以来の御先師は申状を奏して法の正邪を宣せられ、問答に巧みな日目上人が法論に優れていたことも伝承されている。富士日興門流では法論は望むべきものなのである。富士門流として信仰の土俵を一にすることを前提とすれば、私情我欲を抑えて法論すべきである。これにより正信会と阿部宗門の信仰の理非曲直はたちまち明らかになるであろう。仏法のためにも、富士門流に帰依する人々のためにも、宗開両祖の御書、御遺文、御振舞とその御精神を根本に、中興と仰がれる日有上人、日寛上人等の御指南を踏まえ、十分な論議がなされるべきである。 阿部師が法主を詐称して以来二十年、正信会は幾度となく法論を申し出た。しかし一度として誠意ある対応がなされたことはなかった。以前、正信会の主張に対して宗門は「時局法義研鑽委員会」なるものを設け、いくつかの論文を発表して正信会の主張への対抗を試みたが、在勤教師会を中心とする正信会の再反論の前にはなす術もなく、活動を停止して今にその声を聞くことがない。

 「破折文」では、「邪正峻別の方法として、大聖人は、『日蓮仏法をこころみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず』と仰せられ、仏法の正邪を判断していくためにはまず『道理と証文』の上から、その教えの内容を見極め正邪の分別をつけていくことが大切である、そのうえで、最終的な確認として『現証』に照らし合わせ、正邪を判断するのである、と示されています。このご金言のごとくに判断していくならば、正信会もすでにその立てるところの教義が『道理と証文』に照らして邪義でありますから、『現証』として仏罰の相が現れることは必然であります」と論じているが、このような一方的なレッテル貼りでごまかさず、阿部宗門は堂々と富士の法義、信仰を論ずる土俵に上るべきである。

 我々正信会は、人数をたのんだり一方的な確信を大声でがなりたてるようなことはしない。阿部宗門も腰の引けた犬の遠吠えのような姿勢ではなく、毅然たる態度で邪正分別の場に臨んでいただきたい。「法門をもて邪正をただす」実践が、何よりも阿部宗門に求められている。

【誤った現証論】

 破折者は「正信会は邪義であるから『現証』として仏罰の相が現れる」と述べている。阿部宗門では道理と証文をあまり重視せず、都合の良い「現証」論だけは臆面もなく一方的に主張する。彼らの機関紙では、創価学会や顕正会と同じく、現世の損得に拘泥した罰論・功徳論が展開されている。宗祖も「罰」について述べておられるが、本意はいうまでもなく衆生を成道へと導くためであり、恐怖心を煽り、脅して入信させるためのものではない。

 阿部宗門の僧俗は勧誘まがいの「折伏」に際し、相手が病気にかかったり、交通事故に遭ったり、家庭が崩壊したり、職を失ったり、怪我をしたり、希望の学校に入れないこと、さらには死を迎えることの長短さえ罰の現証であると強弁する。およそ望まぬこと、不幸と思われる事態のすべてを罰と定義し、そのような現証に至るのは阿部宗門の信仰をしないからであるといって入信を勧めている。ひるがえって、同じ信仰を持つ者の病気や怪我が治り、出世や家庭が円満になるなどの現象が現れるとそれを功徳といい、阿部宗門の正しさの証明としている。 では、望まぬこと、不幸なことが阿部宗門の僧俗の上に起こるとき、彼らはそれを何と説明するのであろうか。それを罰とはとてもいえまい。知らぬ顔をするか、「転重軽受」の法門を安直に自我引きして、重く受けるところを転じて軽く受けたという以外にあるまい。

 また他の宗教を持つ者に幸いがもたらされたりすれば、「きっと今に不幸になる」と自身に言い聞かせ、しまいにはそのように願ってしまう。そうでなければ、罰と利益の現証を説く阿部宗門の信仰的理由づけが崩れてしまうのである。それは何ともおぞましい心の光景である。 はたして法華経の信仰、日蓮大聖人の教えは、そのようなものなのであろうか。

 かつて『創価学会のみなさんへ』と題する宗門法華講機関紙『大白法』の号外が発行された(平成9年10月1日付)。

 表には学会員に対し宗門寺院に所属するよう訴えているが、裏面には「ニセ『本尊』の大謗法を証明する恐ろしい現証」との見出しで、阪神淡路大震災の大火災の写真が生々しく掲載されている。さらには、

 「創価学会の罪業の深さ、恐ろしさは様々な現証によって明らかです。ニセ本尊を配布した直後の阪神大震災で非常に多くの創価学会員が亡くなったことです。たしかに地震は自然現象です。しかしその自然現象は、すべて、法界の生命の働きであり、そこには厳然と罰と利益の姿が現れるのです。今回の大震災で、諸天の加護を受け、利益を戴いたのは、創価学会員ではなく、同じ長田区、兵庫区に住みながら、一人の死者も出なかった法華講員であることは明白です」

 とある。これが一切衆生の成道を願い順逆ともに救わんとの慈悲行に勤める仏道修行者の主張であろうか。またその主張に無理はないのであろうか。

 このような法華講機関紙の論説と在り様は、もちろん、宗門の絶対的指導者・阿部師の指南によるものである。

 宗門の機関誌『大日蓮』(平成9年2月号)にも、

 「例えば、創価学会員が多くいたと伝えられる北海道奥尻島の大震災の姿、さらにまた、阪神大震災の起こる前々日と前日に大量のニセ本尊を配布したことにより、あの地域において大きな災害を招来したということを考え合わせるとき、その大謗法の邪義を明らかに打ち破り、対治して、正法がいよいよ興隆する因縁として表れてきておるということを深く感ずる次第であります。既に御承知の方もあると思いますが、昨年の十月三十一日、ブラジルにおいて飛行機事故がありました。不思議なことに、情況上、亡くなってもおかしくはなかった法華講員が難を免れ、二人の学会員が死んでおるということからしても、はっきりとした仏法の現証が、正邪のけじめにおいて明らかに顕れておるということを、我々は深く感じなければならないのであります」

 という阿部師の指南が掲載されている。

阿部宗門の体内に潜伏する“創価思想”

 何ゆえの総登山か、何ゆえの奉安堂建設か

正信の顕彰・信仰の深化を

 一人ひとりが道念の向上めざせ

 いまだに生々しい北海道奥尻島の大津波と火災、阪神淡路大震災の惨状、さらにブラジルでの航空機事故を取り上げ、阿部師はそれらを創価学会の謗法による現証と位置づけて指導している。では、創価学会員以外の犠牲者についてはどのように説明するのであろうか。

 また昨年のトルコ大地震、台湾大地震はどのように説明するのであろうか。台湾の地震については阿部宗門の法華講員の死者はなく、被害は軽微であったと『大日蓮』で報道している。しかしトルコ地震へのコメントはない。それは阿部宗門の「現証」論のいい加減さを示している。信徒がいるかいないかで極端に対応が異なり、論評の在り様も変わるのである。

 ところで、阿部宗門の僧俗には、いわゆる罰の現証とされる病や怪我、家庭崩壊や失業、自ら命を断つ者、交通事故で死亡する者はいないのであろうか。阿部師の指導に従う者は、みな満ち足りた幸せな日々を送っているのであろうか。これは大いに疑問の残るところであり、宗祖が仰せの現証論をはき違えているとしか思えない。

 宗祖は眼前の事象そのものを判定しているのではなく、道理・証文に裏打ちされた確かな成仏への道を歩んでいるか否かを問題にされているのである。  宗祖の御一代をつぶさに拝するならば、「今生には貧窮下賤の者と生れ」(佐渡御書)と仰せになり、「或は罵詈せられ、或は刀杖の難をかふる、或は度度流罪にあたる」(松野殿後家尼御前御返事)とあるごとく、傷を負われたり、しばしば所を追われ、食や衣の乏しさのなかでの御生活に甘んじられ、晩年は病にも苦しんでおられる。また宗祖に帰依する弟子や檀越も主君から所領を没収されたり、周囲から悪党呼ばわりされているではないか。

 阿部宗門の「現証」論に見られるように、法門・法義のとり違えは、信仰上大きな不幸を呼ぶことを知るべきである。

 「仏法は道理」である。道理の通じない「現証」論は法門を死すことになるのであるから、慎むべきである。

 阿部宗門が、正信会に仏罰の相が現れると願い望むのは勝手だとしても、怨念と憎悪、そして呪術の如き信仰観に堕した相からは、どんなに巧みな言辞を弄しようとも、一切衆生をことごとく成仏せしめようとの宗開両祖の尊い誓願の片鱗すらうかがうことはできない。

 宗門では、宗祖が四菩薩造立抄に仰せの「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり」との御教示をどのように拝するのであろうか。

 我々が正信会内で語るところの、「身は病んでも心は病むことなく、身は貧しくとも心は豊かに」という信仰とはあまりにかけ離れた信仰観である。

【信心の根本】

 破折者は「どこまでも大御本尊・三秘・三宝を擁する富士大石寺を根本としていかねばならない」とも主張する。ここでいうところの彼らの三秘・三宝の拝し方の誤りは、すでに述べた通りである。

 阿部宗門ではひたすら戒壇本尊の唯物的所有を唯一の拠り所とし、詐称であれ何であれ仏法の一切を管領・独占する貫首への信伏随従こそが血脈の信心であると強弁している。それがあまりにも露骨であり、かえって不信を呼ぶところから、あえて「富士大石寺を根本」といい替えているのである。

 我々はこのような言辞に弄されることはない。富士大石寺とは、阿部宗門が主張するように境内・伽藍・宝物のみをさすのではない。第一に御法門であり信仰である。宗開両祖の御法門と信仰が息づいていてこそ、初めて信心の根本たる富士大石寺といえるのである。

 既述のように阿部宗門は本仏観・本尊観・成道観に迷い、そのために信仰の基本が狂ってしまったことは、彼らの主張する「現証」論にも顕著である。その外道に等しい相は、とても隠しおおせるものではない。富士日興門流本来の御法門と信仰を失い、阿部師に支配される富士大石寺は、現在、邪義謗法の汚濁におおわれている。まさに御法門を真摯に求め続けている正信会僧俗にこそ、富士の清流は流れ通っているのである。

 破折者はここで、帰依すべき対象が、教団組織としての大石寺ではなく、富士の法門そのものであるということに気づかなければならない。

【立宗七五〇年の慶讃】

 破折者は阿部師の「いい加減に考えていた人は、三年、五年経っても一人も折伏できなかった。やらなかったわけです」という学会ばりの折伏への指南を挙げて、平成十四年の三十万総登山達成に頑張ろうと訴えている。阿部宗門では立宗七五〇年慶讃に当たって、あくまでも折伏の数、登山者の数にこだわりつづけ、さらには無意味な奉安堂建設へと盲進しているが、ここにも誤れる信仰観がよく現れている。

 各末寺・講中が折伏勧誘の目標を掲げると共に、奉安堂建設御供養と三十万総登山への準備に大わらわである。寺院相互や僧俗間の摩擦、軋轢に加えて、一部には悲鳴まで聞こえてくるほどの過激ぶりである。それらの慶讃事業を通じて、富士門流本来の成仏への道を歩むことになれば御同慶の至りであるが、残念ながら、それは阿部師と一部の指導者たちの名聞名利を満たすだけであろう。それらの実践を通して、いよいよ阿部宗門の体内に深く潜伏している「創価思想」の毒気が強まってゆくことを我々は危惧している。

 すでに述べたが、阿部宗門の教学も信仰も、その実践も、表現こそ部分的に異なるものの、創価学会のそれと名異体同の態である。従って阿部師とその追従者による七五〇年慶讃へ向けての行動が、富士日興門流本来の信仰を一層彼方へと追いやるものとなることを大いに憂えるのである。

 今一度、何ゆえの三十万総登山なのか、なぜ折伏入信の数にとらわれなければならぬのか、なぜ莫大な費用をかけて正本堂を壊し、その跡地に奉安堂を建設するのか、本来の法門と信仰を失ったなかで、どうしてそれらの事業が七五〇年慶讃となるのか、じっくりと自問するべきである。自らの思考を捨て、ひたすら「御法主の指南」に従う宗門の慶讃事業の在り方を見るとき、僧俗一人ひとりが信仰を浄め、深めることなど、とうてい考えられないことである。

 一人ひとりの心の在り様や信仰への情熱、奥底からわき出る感動の有無にはおかまいなく、ただ慶讃のイベントが進められていくというのでは、決して宗開両祖の御嘉納されるものとはならないのである。

 一方で我々正信会は「正信の顕彰」と「信仰の深化」を標榜し、一人ひとりが自らの成し得る報恩行を考え、誓願を立てて実践し、真の報恩をもって慶讃に供えようとしている。誰に強制されることなく、あくまでも一人ひとりの道念の向上をめざすのである。ここにも信仰の違いが明らかである。

【結びに】

 以上、阿部宗門の「破折文」としばしのお付き合いをしてきた。宗開両祖はもとより、御先師の指南に照らすとき、阿部宗門の信仰と正信会の信仰の違いは明確である。ここでは最後に中興・日有上人の「連陽房雑々聞書」を拝したい。

 「堂舎僧坊は仏法に非ず、又智慧才覚も仏法に非ず、多人数も仏法に非ず。堂塔が仏法ならば三井寺・山門等仏法たるべし、又多人数仏法ならば市町皆仏法なるべし、智慧才覚が仏法ならば天台宗等に若干の智者あり是れ又仏法に非る也。仍信心無二にして筋目を違へず仏法修行するを仏道修行広宣流布とは云ふ也」

 破折者が「おわりに」で示した阿部宗門の信仰の在り様と、日有上人の御指南とでは、あまりにもその違いが際立っているではないか。

 日有上人の仰せに富士門本来の信仰を見出だす正信会にこそ富士の清流は脈々と流れ通っていることを知るべきである。

 昨年七月、継命新聞社の刊行になる『正信覚醒運動のめざすもの』には、阿部宗門と正信会との信仰の相違が明快かつ分かりやすく論述されているので、一読をお勧めする。阿部師はじめ宗門僧俗には、成仏のためにも速やかに信仰の寸心を改め、富士の法門に帰依することを望むものである。