上野殿御返事

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上野殿御返事弘安元年十月十三日の概要

【弘安元年閏十月十三日、南条時光、聖寿五十七歳】 
いゑのいも(芋)一駄、こうじ(柑子)一こ(篭)、ぜに六百のかわり御ざのむしろ(筵)十枚給ひ畢ぬ。
去今年は大えき(疫)此の国にをこりて、人の死ぬ事大風に木のたうれ、大雪に草のおるるがごとし。一人ものこるべしともみへず候ひき。
しかれども又今年の寒温、時にしたがひて、五穀は田畠にみち、草木はやさん(野山)におひふさがりて尭舜の代のごとく、成劫のはじめかとみへて候ひしほどに、八月、九月の大雨大風に日本一同に不熟、ゆきてのこれる万民冬をすごしがたし。
去ぬる寛喜・正嘉にもこえ、来らん三災にもおとらざるか。自界叛逆(じかいほんぎゃく)して盗賊国に充満し、他界きそいて合戦に心をつひやす。
民の心不孝にして父母を見る事他人のごとく、僧尼は邪見にして狗犬と■猴とのあへるがごとし。
慈悲なければ天も此の国をまほらず、邪見なれば三宝にもすてられたり。
又、疫病もしばらくはやみてみえしかども、鬼神かへり入るかのゆへに、北国も、東国も、西国も、南国も、一同にやみなげくよしきこへ候。
かかるよにいかなる宿善にか、法華経の行者をやしなわせ給ふ事、ありがたく候ありがたく候。事事見参の時申すべし。恐恐謹言。
弘安元年後十月十二日  日蓮花押 
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