上野殿御返事

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上野殿御返事弘安二年の概要

弘安二年 五十八歳御作
 白米一だをくり給び了んぬ。
一切の事は時による事に候か、春は花秋は月と申す事も時なり、仏も世にいでさせ給いし事は法華経のためにて候いしかども四十余年はとかせ給はず、其の故を経文にとかれて候には説時未至故等と云云、なつあつわたのこそで冬かたびらをたびて候はうれしき事なれどもふゆのこそでなつのかたびらにはすぎずうへて候時のこがねかつせる時のごれうはうれしき事なれどもはんと水とにはすぎず、仏に土をまいらせて候人仏となり玉をまいらせて地獄へゆくと申すことこれか。

 日蓮は日本国に生れてわわくせずぬすみせずかたがたのとがなし、末代の法師にはとがうすき身なれども文をこのむ王に武のすてられいろをこのむ人に正直物のにくまるるがごとく念仏と禅と真言と律とを信ずる代に値うて法華経をひろむれば王臣万民ににくまれて結句は山中に候へば天いかんが計らわせ給うらむ、五尺のゆきふりて本よりもかよわぬ山道ふさがりといくる人もなし、衣もうすくてかんふせぎがたし食たへて命すでにをはりなんとす、かかるきざみにいのちさまたげの御とぶらひかつはよろこびかつはなけかし、一度にをもひ切つてうへしなんとあんじ切つて候いつるにわづかのともしびにあぶらを入そへられたるがごとし、あわれあわれたうとくめでたき御心かな、釈迦仏法華経定めて御計らい給はんか、恐恐謹言。
 弘安二年十二月廿七日            日蓮花押
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