聖密房御書

ホームへ 資料室へ 御書の目次へ メール

聖密房御書の概要

【文永十一年五・六月頃、聖密房、聖寿、真筆曽存】 
大日経をば善無畏・不空・金剛智等の義に云く「大日経の理と法華経の理とは同じ事なり。但印と真言とが法華経は劣なり」と立てたり。
良■和尚・広修・維■なんど申す人は大日経は華厳経・法華経・涅槃経等には及ばず、但方等部の経なるべし。
日本の弘法大師云く「法華経は猶華厳経等に劣れり。まして大日経には及ぶべからず」等云云。
又云く「法華経は釈迦の説、大日経は大日如来の説、教主既にことなり。又釈迦如来は大日如来の御使として顕教をとき給ふ。これは密教の初門なるべし」。
或は云く「法華経の肝心たる寿量品(じゅりょうほん) の仏は顕教の中にしては仏なれども、密教に対すれば具縛の凡夫なり」云云。
日蓮勘へて云く、大日経は新訳の経、唐の玄宗皇帝の御時、開元四年に天竺の善無畏三蔵もて来る。
法華経は旧訳の経、後秦の御宇に羅什三蔵もて来る。其の中間三百余年なり。
法華経亘て後、百余年を経て天台智者大師、教門には五時四教を立てて、上五百余年の学者の教相をやぶり、観門には一念三千の法門をさとりて、始めて法華経の理を得たり。
天台大師已前の三論宗、已後の法相宗には八界を立て十界を論ぜず。一念三千の法門をば立つべきやうなし。
華厳宗は天台已前には南北の諸師、華厳経は法華経に勝れたりとは申しけれども、華厳宗の名は候はず。
唐の代に高宗の后則天皇后と申す人の御時、法蔵法師・澄観なんど申す人、華厳宗の名を立てたり。
此の宗は教相に五教を立て、観門には十玄六相なんど申す法門なり。
をびただしきやうにみへたりしかども、澄観は天台をはするやうにて、なを天台の一念三千の法門をかりとりて、我が経の心如工画師の文の心とす。
これは華厳宗は天台に落ちたりというべきか。又一念三千の法門を盗みとりたりというべきか。
澄観は持戒の人、大小の戒を一塵をもやぶらざれども、一念三干の法門をばぬすみとれり。よくよく口伝あるべし。
真言宗の名は天竺にありやいなや。大なる不審なるべし。但真言経にてありけるを、善無畏等の宗の名を漢土にして付けたりけるか。よくよくしるべし。
就中、善無畏等、法華経と大日経との勝劣をはんずるに、理同事勝(りどうじしょう)の釈をばつくりて、一念三千の理は法華経大日経これ同じなんどいへども、印と真言とが法華経には無ければ事法は大日経に劣れり。事相かけぬれば事理倶密もなしと存ぜり。
今日本国及び諸宗の学者等、並にことに用ゆべからざる天台宗、共にこの義をゆるせり。
例せば諸宗の人人をばそねめども、一同に弥陀の名をとなへて、自宗の本尊をすてたるがごとし。天台宗の人人は一同に真言宗に落ちたる者なり。
日蓮理のゆくところを不審して云く、善無畏三蔵の法華経と大日経とを理は同じく事は勝れたりと立つるは、天台大師の始めて立て給へる一念三千の理を、今大日経にとり入れて同じと自由に判ずる条、ゆるさるべしや。
例せば先に人丸がほのぼのとあかし(明石)のうら(浦)のあさぎり(朝霧)にしま(島)かくれゆくふね(船)をしぞをもうとよめるを、紀のしくばう(淑望)源のしたがう(順)なんどが判じて云く「此の歌はうたの父うたの母」等云云。
今の人我うたよめりと申して、ほのぼのと乃至船をしぞをもう、と一字をもたがへずよみて、我が才は人丸にをとらずと申すをば、人これを用ゆべしや。やまかつ(山左)海人なんどは用ゆる事もありなん。
天台大師の始めて立て給へる一念三千の法門は仏の父仏の母なるべし。
百余年已後の善無畏三蔵がこの法門をぬすみとりて、大日経と法華経とは理同なるべし、理同と申すは一念三千なり、とかけるをば智恵かしこき人は用ゆべしや。
事勝と申すは印真言なし、なんど申すは天竺の大日経・法華経の勝劣か、漢土の法華経・大日経の勝劣か。
不空三蔵の法華経の儀軌には法華経に印真言をそへて訳せり。仁王経にも羅什の訳には印真言なし。不空の訳の仁王経には印真言これあり。
此等の天竺の経経には無量の事あれども、月氏漢土国をへだててとをく、ことごとくもちて来がたければ、経を略するなるべし。
法華経には印・真言なけれども二乗作仏(にじょうさぶつ)劫国名号・久遠実成(くおんじつじょう)と申すきぼ(規模)の事あり。
大日経等には印真言はあれども二乗作仏(にじょうさぶつ)久遠実成(くおんじつじょう)これなし。二乗作仏(にじょうさぶつ)と印・真言とを並ぶるに天地の勝劣なり。
四十余年の経経には二乗は敗種の人と一字二字ならず無量無辺の経経に嫌はれ、法華経にはこれを破して二乗作仏(にじょうさぶつ)を宣べたり。
いづれの経経にか印・真言を嫌ふことばあるや。その言なければ又大日経にも其の名を嫌はず、但印・真言をとけり。
印と申すは手の用なり。手、仏にならずば手の印仏になるべしや。真言と申すは口の用なり。口、仏にならずば口の真言仏になるべしや。
二乗の三業は法華経に値ひたてまつらずは、無量劫、千二百余尊の印・真言を行ずとも仏になるべからず。
勝れたる二乗作仏(にじょうさぶつ)の事法をばとかずと申して、劣れる印・真言をとける事法をば勝れたりと申すは、理によれば盗人なり、事によれば劣謂勝見の外道なり。
此の失によりて閻魔の責めをばかほりし人なり。後にくいかへして、天台大師を仰いで法華にうつりて、悪道をば脱れしなり。
久遠実成(くおんじつじょう)なんどは大日経にはをもひもよらず。
久遠実成(くおんじつじょう)は一切の仏の本地、譬へば大海は久遠実成(くおんじつじょう)、魚鳥は千二百余尊なり。
久遠実成(くおんじつじょう)なくば千二百余尊はうきくさ(萍)の根なきがごとし、夜の露の日輪の出でざる程なるべし。
天台宗の人人この事を弁へずして、真言師にたぼらかされたり。真言師は又自宗の誤をしらず、いたづらに悪道の邪念をつみをく。
空海和尚は此の理を弁へざる上華厳宗のすでにやぶられし邪義を借りとりて、法華経は猶華厳経にをとれりと僻見せり。
亀毛の長短、兎角の有無、亀の甲には毛なし、なんぞ長短をあらそい、兎の頭には角なし、なんの有無を論ぜん。
理同と申す人いまだ閻魔のせめを脱れず。大日経に劣る、華厳経に猶劣る、と申す人謗法を脱るべしや。人はかはれども其の謗法の義同じかるべし。
弘法の第一の御弟子かきのもと(柿本)き(紀)の僧正紺青鬼となりし、これをもつてしるべし。
空海悔改なくば悪道疑ふべしともをぼへず。其の流をうけたる人人又いかん。
問て云く、法師一人此の悪言をはく如何。答て云く、日蓮は此の人人を難ずるにはあらず。但不審する計りなり。いかり(怒)をぼせば、さでをはしませ。
外道の法門は一千年八百年、五天にはびこりて、輪王より万民かうべ(頭)をかたぶけたりしかども、九十五種共に仏にやぶられたりき。
摂論師が邪義、百余年なりしもやぶれき。南北の三百余年の邪見もやぶれき。日本二百六十余年の六宗の義もやぶれき。
其の上、此の事は、伝教大師の或書の中にやぶられて候を申すなり。
日本国は、大乗に五宗あり、法相・三論・華厳・真言・天台。小乗に三宗あり。倶舎・成実・律宗なり。
真言・華厳・三論・法相は大乗よりいでたりといへども、くわしく論ずれば皆小乗なり。
宗と申すは戒定恵の三学を備へたる物なり。其の中に定恵はさてをきぬ。戒をもて大小のばうじ(榜示)をうちわかつものなり。
東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なきゆへに、東大寺に入て小乗律宗の驢乳臭糞の戒を持つ。戒を用て論ぜば此等の宗は小乗の宗なるべし。
比叡山には天台宗・真言宗の二宗、伝教大師習ひつたへ給ひたりしかども、天台円頓の円定・円恵・円戒の戒壇立つべきよし申させ給ひしゆへに、天台宗に対しては真言宗の名あるべからずとをぼして、天台法華宗の止観・真言とあそばして、公家へまいらせ給ひき。
伝教より慈覚たまはらせ給ひし誓戒の文には、天台法華宗の止観・真言と正くのせられて、真言宗の名をけづられたり。
天台法華宗は仏立宗と申して仏より立てられて候。真言宗の真言は当分の宗、論師人師始めて宗の名をたてたり。
而るを、事を大日如来・弥勒菩薩等によせたるなり。仏御存知の御意は但法華経一宗なるべし。
小乗には二宗・十八宗・二十宗候へども、但所詮の理は無常の一理なり。
法相宗は唯心有境。大乗宗無量の宗ありとも、所詮は唯心有境とだにいはば但一宗なり。
三論宗は唯心無境。無量の宗ありとも、所詮唯心無境ならば但一宗なり。
此れは大乗の空有の一分か。華厳宗・真言宗あがらば但中、くだらば大乗の空有なるべし。経文の説相は猶華厳・般若にも及ばず。
但しよき人とをぼしき人人の多く信じたるあいだ、下女を王のあい(愛)するにに(似)たり。大日経等は下女のごとし、理は但中にすぎず。論師・人師は王のごとし、人のあいするによていばう(威望)があるなるべし。
上の問答等は当時は世すえ(末)になりて、人の智浅く慢心高きゆへに、用ゆる事はなくとも、聖人・賢人なんども出でたらん時は子細もやあらんずらん。
不便にをもひまいらすれば目安に注せり。御ひまにはならはせ給ふべし。これは大事の法門なり。
こくうざう(虚空蔵)菩薩にまいりて、つねによみ奉らせ給ふべし。
日蓮 花押 
聖密房に之を遣はす 

ホームへ 資料室へ 御書の目次へ メール