崇俊天皇御書

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崇俊天皇御書の概要

【建治三年九月十一日、四条頼基、聖寿五十五歳、真筆−曽存】 
白小袖一領・銭一ゆひ、又富木殿の御文のみ、なによりも、かき(柿)・なし(梨)・なまひじき・ひるひじき、やうやうの物うけ取り、しなじな御使にたび候ひぬ。
さてはなによりも上の御いたはり(所労)なげき入て候。たとひ上は御信用なき様に候へども、との(殿)其の内にをはして、其の御恩のかげ(蔭)にて法華経をやしなひまいらせ給ひ候へば、偏に上の御祈とぞなり候らん。
大木の下の小木、大河の辺の草は正しく其の雨にあたらず、其の水をえずといへども、露をつたへ、いき(気)をえて、さかうる事に候。此もかくのごとし。
阿闍世(あじゃせ)王は仏の御かたきなれども、其の内にありし耆婆大臣、仏に志ありて常に供養ありしかば、其の功大王に帰すとこそ見へて候へ。
仏法の中に、内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候。
法華経には「我深く汝等を敬ふ」。涅槃経には「一切衆生悉く仏性有り」。
馬鳴菩薩の起信論には「真如の法常に薫習するを以ての故に、妄心即滅して法身顕現す」。
弥勒菩薩の瑜伽論には見へたり。かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり。
されば御内の人人には天魔ついて、前より此の事を知て殿の此の法門を供養するをささえんがために、今度の大妄語をば造り出だしたりしを、御信心深ければ十羅刹たすけ奉らんがために、此の病はをこれるか。
上は我がかたきとはをぼさねども、一たんかれらが申す事を用ひ給ひぬるによりて、御しよらう(所労)の大事になりてながしらせ給ふか。
彼等が柱とたのむ竜象すでにたうれぬ。和讒せし人も又其の病にをかされぬ。
良観は又一重の大科の者なれば、大事に値て大事をひきをこして、いかにもなり候はんずらん。よもただは候はじ。
此につけても、殿の御身もあぶなく思ひまいらせ候ぞ。一定かたきにねらはれさせ給ひなん。
すぐろく(双六)の石は二つ並びぬればかけられず。車の輪は二あれば道にかたぶかず。
敵も二人ある者をばいぶせがり候ぞ。いかにとが(科)ありとも、弟ども且らくも身をはなち給ふな。
殿は一定腹あしき相かを(面)に顕れたり。いかに大事と思へども、腹あしき者をば天は守らせ給はぬと知らせ給へ。
殿の人にあだまれてをはさば、設ひ仏にはなり給ふとも彼等が悦びと云ひ、此よりの歎きと申し、口惜しかるべし。
彼等がいかにもせんとはげみつるに、古よりも上に引き付けられまいらせてをはすれば、外のすがた(姿)はしづまりたる様にあれども、内の胸はもふる計りにや有らん。
常には彼等に見へぬ様にて、古よりも家のこ(子)を敬ひ、きうだち(公達)まいらせ給てをはさんには、上の召しありとも且くつつしむべし。
入道殿いかにもならせ給はば、彼の人人はまどひ者になるべきをばかへりみず。
物をぼへぬ心に、との(殿)のいよいよ来るを見ては、一定ほのを(炎)を胸にたき、いき(気)をさかさまにつくらん。
若しきうだち・きり(権)者の女房たちいかに上の御そろう(所労)はと問ひ申されば、いかなる人にても候へ、膝をかがめて手を合せ、某が力の及ぶべき御所労には候はず候を、
いかに辞退申せどもただと仰せ候へば、御内の者にて候間かくて候とて、びむ(鬢)をもかかず、ひたたれ(直垂)こはからず、さはやかなる小袖・色ある物なんどもきずして、且らくねうじて御覧あれ。
返す返す御心への上なれども、末代のありさまを仏の説かせ給て候には、濁世には聖人も居しがたし。
大火の中の石の如し。且くはこらふるやうなれども、終にはやけくだけて灰となる。
賢人も五常は口に説て、身には振舞ひがたしと見へて候ぞ。かう(甲)の座をば去れと申すぞかし。
そこばく(若干)の人の殿を造り落さんとしつるに、をとされずして、はやかちぬる身が、穏便ならずして造り落されなば、世間に申すこぎこひ(漕漕)での船こぼれ、又食の後に湯の無きが如し。
上よりへや(部屋)を給て居してをはせば、其処にては何事の無くとも、日ぐれ暁なんど、入り返りなんどに、定めてねらうらん。
又我が家の妻戸の脇・持仏堂・家の内の板敷の下か天井なんどをば、あながちに心えて振舞ひ給へ。
今度はさきよりも彼等はたばかり賢かるらん。いかに申すとも鎌倉のえがら(荏柄)夜廻りの殿原にはすぎじ。いかに心にあはぬ事有りとも、かたらひ給へ。
義経はいかにも平家をばせめおとしがたかりしかども、成良をかたらひて平家をほろぼし、大将殿はおさだ(長田)を親のかたきとをぼせしかども、平家を落さざりしには頚を切り給はず。
況や此の四人は遠くは法華経のゆへ、近くは日蓮がゆへに、命を懸けたるやしき(屋敷)を上へ召されたり。
日蓮と法華経とを信ずる人人をば、前前彼の人人いかなる事ありとも、かへりみ給ふべし。
其の上、殿の家へ此の人人常にかようならば、かたき(敵)はよる行きあはじとをぢるべし。
させる親のかたきならねば、顕れてとはよも思はじ。かくれん者は是程の兵士はなきなり。常にむつばせ給へ。
殿は腹悪き人にて、よも用ひさせ給はじ。若しさるならば、日蓮が祈りの力及びがたし。
竜象と殿の兄とは殿の御ためにはあし(悪)かりつる人ぞかし。
天の御計いに殿の御心の如くなるぞかし。いかに天の御心に背かんとはをぼするぞ。
設ひ千万の財をみちたりとも、上にすてられまいらせ給ては、何の詮かあるべき。
已に上にはをや(親)の様に思はれまいらせ、水の器に随ふが如く、こうし(犢)の母を思ひ老者の杖をたのむが如く、主のとの(殿)を思食されたるは法華経の御たすけにあらずや。
あらうらやましやとこそ、御内の人人は思はるるらめ。とくとく此の四人かたらひて日蓮にきかせ給へ。 さるならば強盛に天に申すべし。
又殿の故御父御母の御事も、左衛門の尉があまりに歎き候ぞと天にも申し入れて候なり。定めて釈迦仏の御前に子細候らん。
返す返す今に忘れぬ事は頚切れんとせし時、殿はともして馬の口に付て、なきかなしみ給ひしをば、いかなる世にか忘れなん。
設ひ殿の罪ふかくして地獄に入り給はば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給ふとも、用ひまいらせ候べからず。同じく地獄なるべし。
日蓮と殿と共に地獄に入るならば、釈迦仏・法華経も地獄にこそをはしまさずらめ。
暗に月の入るるがごとく、湯に氷を入るがごとく、氷に火をたくがごとく、日輪にやみ(暗)をなぐるが如くこそ候はんずれ。
若しすこしも此の事をたがへさせ給ふならば日蓮うらみさせ給ふな。
此の世間の疫病はとののまうすがごとく、年帰りなば上へあがりぬとをぼえ候ぞ。十羅刹の御計いか、今且く世にをはして物を御覧あれかし。
又世間のすぎえぬやうばし歎て人に聞かせ給ふな。若しさるならば、賢人にははづれたる事なり。
若しさるならば、妻子があと(後)にとどまりて、はぢ(恥)を云ふとは思はねども、男のわかれのおしさに、他人に向て我が夫のはぢをみなかたるなり。
此れ偏にかれが失にはあらず。我がふるまひ(振舞)のあしかりつる故なり。
人身は受けがたし、爪の上の土。人身は持ちがたし、草の上の露。百二十まで持て名をくたして死せんよりは、生て一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ。
中務三郎左衛門尉は主の御ためにも、仏法の御ためにも、世間の心ね(根)もよかりけりよかりけりと、鎌倉の人人の口にうたはれ給へ。穴賢穴賢。
蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給ふべし。
第一秘蔵の物語あり。書てまいらせん。日本始て国王二人、人に殺され給ふ。其の一人は崇峻天皇なり。此の王は欽明天皇の御太子、聖徳太子の伯父なり。
人王第三十三代の皇にてをはせしが聖徳太子を召して勅宣下さる。汝は聖者の者と聞く。朕を相してまいらせよと云云。
太子三度まで辞退申させ給ひしかども、頻の勅宣なれば止みがたくして、敬て相しまいらせ給ふ。君は人に殺され給ふべき相ましますと。
王の御気色かはらせ給て、なにと云ふ証拠を以て此の事を信ずべき。
太子申させ給はく、御眼に赤き筋とをりて候。人にあだまるる相なり。
皇帝勅宣を重ねて下し、いかにしてか此の難を脱れん。
太子の云く、免脱がたし。但し五常と申すつはもの(兵)あり。此れを身に離し給はずば害を脱れ給はん。此のつはものをば内典には忍波羅蜜と申して、六波羅蜜の其の一なりと云云。
且くは此れを持ち給てをはせしが、ややもすれば腹あしき王にて是を破らせ給ひき。
或時、人猪の子をまいらせたりしかば、こうがい(笄刀)をぬきて猪の子の眼をづぶづぶとささせ給て、いつかにくしと思ふやつ(奴)をかくせんと仰せありしかば、太子其の座にをはせしが、あらあさましや、あさましや、君は一定人にあだまれ給ひなん。
此の御言は身を害する剣なりとて、太子多くの財を取り寄せて、御前に此の言を聞きし者に御ひきで物ありしかども、有人蘇我の大臣馬子と申せし人に語りしかば、馬子我が事なりとて東漢直駒・直磐井と申す者の子をかたらひて王を害しまいらせつ。
されば王位の身なれども、思ふ事をばたやすく申さぬぞ。
孔子と申せし賢人は九思一言とて、ここのたび(九度)おもひて一度申す。周公旦と申せし人は沐する時は三度握り、食する時は三度はき給ひき。
たしかにきこしめせ。我ばし恨みさせ給ふな。仏法と申すは是にて候ぞ。
一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。
不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜といふ。
建治三年丁丑九月十一日  日蓮花押 
四条左衛門尉殿御返事 

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