曽谷入道殿御書

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曽谷入道殿御書文永十一年十一月二十日の概要

【文永十一年十一月二十日、曽谷教信、聖寿、真筆断存】 
自界叛逆(じかいほんぎゃく)難・他方侵逼(たほうしんぴつ)の難、既に合ひ候ひ畢ぬ。之を以て思ふに「多く他方の怨賊有て国内を侵掠し人民諸の苦悩を受け、土地に所楽の処有ること無けん」と申す経文合ひ候ひぬと覚え候。当時壱岐・対馬の土民の如くになり候はんずるなり。
是れ偏に仏法の邪見なるによる。仏法の邪見と申すは真言宗と法華宗との違目なり。禅宗と念仏宗とを責め候しは此の事を申し顕さん料なり。
漢土には善無畏・金剛智・不空三蔵の誑惑の心、天台法華宗を真言の大日経に盗み入れて、還て法華経の肝心と天台大師の徳とを隠せし故に漢土滅するなり。
日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取て、伝教大師の鎮護国家を破せしより、叡山に悪義出来して終に王法尽きにき。此の悪義鎌倉に下て又日本国を亡すべし。
弘法大師の邪義は中中顕然なれば、人もたぼらかされぬ者もあり。
慈覚大師の法華経・大日経の理同事勝(りどうじしょう)の釈は智人既に許しぬ。愚者争でか信ぜざるべき。
慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請せしに、箭を以て日を射ると見しは此の事なるべし。
是れは慈覚大師の心中に修羅の入て法華経の大日輪を射るにあらずや。
此の法門は当世叡山其の外日本国の人用ゆべきや。若し此の事実事ならば日蓮豈須弥山を投る者にあらずや。
我が弟子は用ゆべきや如何。最後なれば申すなり。恨み給べからず。恐恐謹言。
十一月二十日  日蓮花押 
曽谷入道殿 

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