四条金吾殿御返事

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四条金吾殿御返事建治三年の概要

【建治三年、四条頼基、聖寿五十五歳、真筆−断存】 
はるかに申し承り候はざりつれば、いぶせく候ひつるにかたがたの物と申し、御つかいと申し、よろこび入て候。又まほりまいらせ候。
所領の間の御事は上よりの御文ならびに御消息引き合せて見候ひ畢ぬ。此の事は御文なきさきにすいして候。
上には最大事とおぼしめされて候へども御きんず(近習)の人人のざんそう(讒奏)にてあまりに所領をきらい、上をかろしめたてまつり候。
ぢうあう(縦横)の人こそををく候に、かくまで候へば、且らく御恩をばおさへさせ給ふべくや候らんと申しぬらんとすいして候なり。それにつけては御心えあるべし御用意あるべし。
我が身と申し、をや(親)るいしん(類親)と申し、かたがた御内に不便といはれまいらせて候大恩の主なる上、
すぎにし日蓮が御かんきの時、日本一同ににくむ事なれば、弟子等も或は所領をををかたよりめされしかば、又方方の人人も或は御内内をいだし、或は所領をおいなんどせしに、其の御内になに事もなかりしは御身にはゆゆしき大恩と見へ候。
このうへはたとひ一分の御恩なくとも、うらみまいらせ給ふべき主にはあらず。
それにかさねたる御恩を申し、所領をきらはせ給ふ事、御とがにあらずや。
賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。
をを心(むね)は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば、必ず天はまほらせ給ふなり。
しかるをひり(非理)に主をうらみなんどし候へば、いかに申せども天まほり給ふ事なし。
訴訟を申せど叶ひぬべき事もあり、申さぬに叶ふべきを申せば叶はぬ事も候。
夜めぐりの殿原の訴訟は申すは叶ひぬべきよしをかんがへて候しに、あながちになげかれし上、日蓮がゆへにめされて候へば、いかでか不便に候はざるべき。
ただし訴訟だにも申し給はずば、いのりてみ候はんと申せしかば、さうけ給はり候ぬと約束ありて、又をりかみ(折紙)をしきりにかき、人人訴訟ろんなんどありと申せし時に、此の訴訟よも叶はじとをもひ候ひしが、いままでのびて候。
だいがくどの(大学殿)ゑもんのたいうどの(衛門大夫殿)の事どもは申すままにて候あいだ、いのり叶ひたるやうにみえて候。
はきりどの(波木井殿)の事は法門の御信用あるやうに候へども、此の訴訟は申すままには御用ひなかりしかば、いかんがと存じて候ひしほどに、さりとてはと申して候ひしゆへにや候けん、すこししるし候か。
これにをもうほどなかりしゆへに又をもうほどなし。だんな(檀那)と師とをもひあわぬいのり(祈)は、水の上に火をたくがごとし。
又だんなと師とをもひあひて候へども、大法を小法をもつてをかしてとしひさしき人人の御いのりは叶ひ候はぬ上、我が身もだんなもほろび候なり。
天台の座主明雲と申せし人は第五十代の座主なり。去ぬる安元建治二年五月に院勘をかほりて伊豆国へ配流。
山僧大津よりうばいかえす。しかれども又かへりて座主となりぬ。
又すぎにし壽永建治二年十一月に義仲にからめとられし上、頚うちきられぬ。
是はながされ頚きらるるをとが(失)とは申さず。賢人聖人もかかる事候。
但し源氏の頼朝と平家の清盛との合戦の起りし時、清盛が一類二十余人起請をかき連判をして願を立てて、平家の氏寺と叡山をたのむべし、三千人は父母のごとし、山のなげきは我等がなげき、山の悦びは我等がよろこび、
と申して、近江の国二十四郡を一向によ(寄)せて候しかば、大衆と座主と一同に、内には真言の大法をつくし、外には悪僧どもをもつて源氏をいさせしかども、
義仲が郎等ひぐち(樋口)と申せしをのこ(男)、義仲とただ五六人計り、叡山中堂にはせのぼり、調伏の壇の上にありしを引き出してなわ(縄)をつけ、西ざか(坂)を大石をまろばすやうに引き下して、頚をうち切りたりき。
かかる事あれども日本の人人真言をうとむ事なし。又たづぬる事もなし。
去ぬる承久建治三年辛巳の五・六・七の三箇月が間、京・夷の合戦ありき。
時に日本国第一の秘法どもをつくして、叡山・東寺・七大寺・園城寺等、天照太神・正八幡・山王等に一一に御いのりありき。其の中に日本第一の僧四十一人なり。
所謂前の座主慈円大僧正・東寺・御室・三井寺の常住院の僧正等は度度義時を調伏ありし上、御室は紫宸殿にして六月八日より御調伏ありしに、七日と申せしに同じく十四日にいくさにまけ、勢多迦が頚きられ、御室をもひ死に死しぬ。
かかる事候へども、真言はいかなるとがともあやしむる人候はず。
をよそ真言の大法をつくす事、明雲第一度、慈円第二度に日本国の王法ほろび候ひ畢ぬ。
今度第三度になり候。当時の蒙古調伏此なり。かかる事も候ぞ、此は秘事なり。人にいはずして心に存知させ給へ。
されば此の事御訴訟なくて又うらむる事なく、御内をばいでず、我かまくら(鎌倉)にうちいて、さきざきよりも出仕とをきやうにて、ときどきさしいでておはするならば叶ふ事も候なん。
あながちにわびれてみへさせ給ふべからず。よく(欲)と名聞瞋との 

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