四条金吾殿御書

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四条金吾殿御書文永八年七月十二日の概要

【文永八年七月十二日、四条頼基、聖寿五十歳】 
雪のごとく白く候白米一斗、古酒のごとく候油一筒、御布施一貫文。態使者を以て盆料送り給ひ候。殊に御文の趣有難くあはれに覚え候。
抑盂蘭盆と申すは源目連尊者の母青提女と申す人、慳貪の業によりて五百生餓鬼道にをち給て候を、目連救ひしより事起りて候。
然りと雖も仏にはなさず。其の故は我が身いまだ法華経の行者ならざる故に母をも仏になす事なし。
霊山八箇年の座席にして法華経を持ち、南無妙法蓮華経と唱へて多摩羅跋栴檀香仏となり給ひ、此の時母も仏になり給ふ。
又施餓鬼の事仰せ候。法華経第三に云く「如従飢国来忽遇大王膳」云云。
此の文は中根の四大声聞、醍醐の珍膳をおと(音)にもきかざりしが、今経に来て始めて醍醐の味をあくまでになめて、昔しうへたる心を忽にやめし事を説き給ふ文なり。
若し爾らば、餓鬼供養の時は此の文を誦して南無妙法蓮華経と唱へてとぶらひ給ふべく候。
総じて餓鬼にをいて三十六種類相わかれて候。其の中に■身餓鬼と申すは目と口となき餓鬼にて候。是は何なる修因ぞと申すに、此の世にて夜討強盗などをなして候によりて候。
食吐餓鬼と申すは人の口よりはき出す物を食し候。是も修因上の如し。又人の食をうばふに依り候。
食水餓鬼と云ふは父母孝養のために手向る水などを呑む餓鬼なり。
有財餓鬼と申すは馬のひづめ(蹄)の水をのむがき(餓鬼)なり。是は今生にて財ををしみ、食をかくす故なり。
無財がき(餓鬼)と申すは生れてより以来、飲食の名をもきかざるがきなり。
食法がき(餓鬼)と申すは出家となりて仏法を弘むる人、我は法を説けば人尊敬するなんど思て、名聞名利の心を以て人にすぐれんと思て今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を、食法がき(餓鬼)とて法をくらふがきと申すなり。
当世の僧を見るに、人にかくして我一人ばかり供養をうくる人もあり。是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり。是は未来には牛頭と云ふ鬼となるべし。
又人にしらせて供養をうくるとも、欲心に住して人に施す事なき人もあり。是は未来には馬頭と云ふ鬼となり候。
又在家の人人も、我が父母、地獄・餓鬼・畜生におちて苦患をうくるをばとぶらはずして、我は衣服・飲食にあきみち、牛馬眷属充満して我が心に任せてたのしむ人をば、いかに父母のうらやましく恨み給ふらん。
僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人はまれなり。定めて天の日月、地の地神いかりいきどをり給て、不孝の者とおもはせ給ふらん。形は人にして畜生のごとし。人頭鹿とも申すべきなり。
日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしとおもへば、種種の大難雨のごとくふり、雲のごとくにわき候へども、法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず。
かかる日蓮が弟子檀那となり給ふ人人、殊に今月十二日の妙法聖霊は法華経の行者なり、日蓮が檀那なり。
いかでか餓鬼道におち給ふべきや。定めて釈迦・多宝仏・十方の諸仏の御宝前にましまさん。
是こそ四条金吾殿の母よ母よと、同心に頭をなで悦びほめ給ふらめ。あはれいみじき子を我はもちたりと、釈迦仏とかたらせ給ふらん。
法華経に云く「若し善男子善女人有て、妙法華経の提婆達多品を聞て、浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん。
所生の処には常に此の経を聞かん。若し人天の中に生れば勝妙の楽を受け、若し仏前に在らば蓮華より化生せん」云云。
此の経文に善女人と見へたり、妙法聖霊の事にあらずんば誰が事にやあらん。
又云く「此の経は持つこと難し若し暫も持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり是の如きの人は諸仏の歎めたもう所」云云。
日蓮讃歎したてまつる事はもののかずならず、諸仏所歎と見えたり。
あらたのもしや、あらたのもしやと、信心をふかくとり給ふべし、信心をふかくとり給ふべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐恐謹言。
七月十二日  日蓮花押 
四条金吾殿御返事 

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