清澄寺大衆中

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清澄寺大衆中の概要

【建長二年正月十一日、清澄寺大衆、聖寿、真筆−曽存】 
新春の慶賀自他幸甚幸甚。去年来らず如何。定めて子細有らんか。
抑参詣を企て候はば、伊勢公の御房に十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等の真言の疏を借用候へ。是くの如きは真言師蜂起の故に之を申す。
又止観の第一第二御随身候へ。東春・輔正記なんどや候らん。円智房の御弟子に観智房の持て候なる宗要集かしたび候へ。
それのみならず、ふみ(文)の候由も人人申し候ひしなり。早早に返すべきのよし申させ給へ。
今年は殊に仏法の邪正たださるべき年か。浄顕の御房・義城房等には申し給ふべし。
日蓮が度度殺害せられんとし、並に二度まで流罪せられ、首を刎られんとせし事は別に世間の失に候はず。
生身の虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)より大智恵を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん。
明星の如くなる大宝珠を給て右の袖にうけとり候ひし故に、一切経を見候ひしかば八宗並に一切経の勝劣粗是を知りぬ。
其の上、真言宗は法華経を失ふ宗なり。是は大事なり。先ず序分に禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思ふ。
其の故は月氏漢土の仏法の邪正は且らく之を置く。日本国の法華経の正義を失て、一人もなく人の悪道に堕つる事は、真言宗が影の身に随ふがごとく、山山寺寺ごとに法華宗に真言宗をあひそひて、如法の法華経に十八道をそへ、懺法に阿弥陀経を加へ、
天台宗の学者の灌頂をして真言宗を正とし法華経を傍とせし程に、真言経と申すは爾前権経の内の華厳・般若にも劣れるを、慈覚・弘法これに迷惑して、
或は法華経に同じ或は勝れたりなんど申して、仏を開眼するにも仏眼大日の印真言をもつて開眼供養するゆへに、日本国の木画の諸像皆無魂無眼の者となりぬ。
結句は天魔入り替て檀那をほろぼす仏像となりぬ。王法の尽きんとするこれなり。
此の悪真言かまくら(鎌倉)に来て、又日本国をほろぼさんとす。
其の上、禅宗・浄土宗なんどと申すは又いうばかりなき僻見の者なり。
此れを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の御恩をほうぜんがために、
建長五年四月二十八日、安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして、浄円房と申す者並に少少の大衆にこれを申しはじめて、其の後二十余年が間退転なく申す。
或は所を追ひ出され、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩の杖木等を、今は見る日蓮が刀剣に当る事を。
日本国の有智無智上下万人の云く、日蓮法師は古の論師・人師・大師・先徳にすぐるべからずと。
日蓮この不審をはらさんがために、正嘉・の大地震大長星を見て勘へて云く、我が朝に二つの大難あるべし。所謂自界叛逆(じかいほんぎゃく)難・他国侵逼(たこくしんぴつ)難なり。
自界は鎌倉に権の大夫殿御子孫どしうち(同志打)出来すべし。他国侵逼(たこくしんぴつ)難は四方よりあるべし。其の中に西よりつよくせむべし。
是れ偏に仏法が一国挙て邪なるゆへに、梵天・帝釈の他国に仰せつけてせめらるるなるべし。
日蓮をだに用ひぬ程ならば、将門・純友・貞任・利仁・田村のやうなる将軍百千万人ありとも叶ふべからず。
これまことならずば真言と念仏等の僻見をば信ずべしと申しひろめ候ひき。
就中、清澄山の大衆は日蓮を父母にも三宝にもをもひをとさせ給はば、今生には貧窮の乞者とならせ給ひ、後生には無間地獄に堕ちさせ給ふべし。
故いかんとなれば、東条左衛門景信が悪人として清澄のかいしし(飼鹿)等をかりとり、房房の法師等を念仏者の所従にしなんとせしに、
日蓮敵をなして領家のかたうどとなり、清澄・二間の二箇の寺、東条が方につくならば日蓮法華経をすてんと、せいじやう(精誠)の起請をかいて、日蓮が御本尊の手にゆいつけていのりて、一年が内に両寺は東条が手をはなれ候ひしなり。
此の事は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)もいかでかすてさせ給ふべき。大衆も日蓮を心へずにをもはれん人人は、天にすてられたてまつらざるべしや。
かう申せば愚痴の者は我をのろうと申すべし。後生に無間地獄に堕ちんが不便なれば申すなり。
領家の尼ごぜんは女人なり、愚痴なれば人人のいひをどせばさこそとましまし候らめ。
されども恩をしらぬ人となりて、後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ、不便に候へども、又一つには日蓮が父母等に恩をかほらせたる人なれば、いかにしても後生をたすけたてまつらんとこそいのり候へ。
法華経と申す御経は別の事も候はず。我は過去五百塵点劫より先の仏なり。又舎利弗等は未来に仏になるべしと。これを信ぜざらん者は無間地獄に堕つべし。
我のみかう申すにはあらず、多宝仏も証明し、十方の諸仏も舌をいだしてかう候。
地涌千界・文殊・観音・梵天・帝釈・日・月・四天・十羅刹、法華経の行者を守護し給はんと説かれたり。
されば仏になる道は別のやうなし。過去の事、未来の事を申しあてて候がまことの法華経にては候なり。
日蓮はいまだつくし(筑紫)を見ず、えぞ(西戎(さいじゅう))しらず。一切経をもつて勘へて候へばすでに値ひぬ。
もししからば、各各不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給ふべしと申し候はたがひ候べきか。
今はよし、後をごらんぜよ。日本国は当時のゆき(壱岐)対馬のやうになり候はんずるなり。
其の時、安房の国にむこ(蒙古)が寄せて責め候はん時、日蓮房の申せし事の合たりと申すは、偏執の法師等が口すくめて無間地獄に堕ちん事、不便なり不便なり。
正月十一日  日蓮花押 
安房の国。
このふみは、さど(佐渡)殿とすけあさり(助阿闍梨)御房と虚空蔵の御前にして大衆ごとによみきかせ給へ。

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