光日上人御返事

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光日上人御返事の概要

【弘安四年八月八日、光日房、聖寿、真筆曽存】 
法華経二の巻に云く「其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云。
阿鼻地獄と申すは天竺の言、唐土日本には無間と申す。無間はひまなしとかけり。
一百三十六の地獄の中に、一百三十五はひま候。十二時の中にあつけれども、又すずしき事もあり。たへがたけれども、又ゆるくなる時もあり。
此の無間地獄と申すは十二時に一時かた時も大苦ならざる事はなし。故に無間地獄と申す。 此の地獄は此の我等が居て候大地の底、二万由旬をすぎて最下の処なり。
此れ世間の法にも、かろき物は上に、重き物は下にあり。大地の上には水あり、地よりも水かろし。水の上には火あり、水よりも火かろし。火の上に風あり、火よりも風かろし。風の上に空あり、風よりも空かろし。
人をも此の四大を以て造れり。悪人は風と火と先ず去り、地と水と留まる。故に人死して後、重きは地獄へ堕つる相なり。
善人は地と水と先ず去り、風と火と留まる。重き物は去りぬ、軽き物は留まる、故に軽し。人天へ生まるる相なり。
地獄の相、重きが中の重きは無間地獄の相なり。彼の無間地獄は縦横二万由旬なり。八方は八万由旬なり。
彼の地獄に堕つる人人は一人の身大にして八万由旬なり。多人も又此くの如し。
身のやはらかなる事綿の如し。火のこわき事は大風の焼亡の如し。鉄の火の如し。
詮を取て申さば、我が身より火の出ずる事十三あり。二の火あり、足より出でて頂をとをる。又二の火あり、頂より出でて足をとほる。又二の火あり、背より入て胸より出ず。
又二の火あり、胸より入て背へ出ず。又二の火あり、左の脇より入て右の脇へ出ず。又二の火あり、右の脇より入て左の脇へ出ず。亦一の火あり、首より下に向て雲の山を巻くが如くして下る。
此の地獄の罪人の身は枯れたる草を焼くが如し。東西南北に走れども逃去所なし。他の苦は且らく之を置く。大火の一苦なり。
此の大地獄の大苦を仏委しく説き給ふならば、我等衆生聞て皆死すべし。故に仏委しくは説き給ふ事なしと見えて候。
今日本国の四十五億八万九千六百五十八人の人人は皆此の地獄へ堕ちさせ給ふべし。されども一人として堕つべしとはおぼさず。
例せば此の弘安四年五月以前には、日本の上下万人一人も蒙古の責めにあふべしともおぼさざりしを、日本国に只日蓮一人計りかかる事此の国に出来すべしとしる。
其の時日本国の四十五億八万九千六百五十八人の一切衆生、一人もなく他国に責められさせ給て、其の大苦は譬へばほうろく(焙烙)と申す釜に水を入れて、ざつこ(雑魚)と申す小魚をあまた入れて、枯れたるしば(柴)木をたかむが如くなるべしと申せば、
あらおそろし、いまいまし、打ちはれ、所を追へ、流せ、殺せ、信ぜん人人をば田はたをとれ、財を奪へ、所領をめせ、と申せしかども、此の五月よりは大蒙古の責めに値て、あきれ迷ふ程に、さもやと思ふ人人もあるやらん。
にがにがしうしてせめたくはなけれども、有る事なればあたりたり、あたりたり。日蓮が申せし事はあたりたり。ばけ物のもの申す様にこそ候めれ。
去る承久の合戦に隠岐の法皇の御前にして、京の二位殿なんどと申せし何もしらぬ女房等の集て、王を勧め奉り、戦を起して、義時に責められ、あはて給ひしが如し。
今御覧ぜよ。法華経誹謗の科と云ひ、日蓮をいやしみし罰と申し、経と仏と僧との三宝誹謗の大科によつて、現生には此の国に修羅道を移し、後生には無間地獄へ行き給ふべし。
此れ又偏に弘法・慈覚・智証等の三大師の法華経誹謗の科と、達磨・善導・律僧等の一乗誹謗の科と、此れ等の人人を結構せさせ給ふ国主の科と、国を思ひ生処を忍て兼て勘へ告げ示すを用ひずして還て怨をなす大科、
先例を思へば、呉王夫差の伍子胥が諫を用ひずして、越王勾践にほろぼされ、殷の紂王が比干(ひかん)が言をあなづりて周の武王に責められしが如し。
而るに光日尼御前はいかなる宿習にて法華経をば御信用ありけるぞ。又故弥四郎殿が信じて候しかば子の勧めか。
此の功徳空しからざれば、子と倶に霊山浄土へ参り合せ給はん事、疑ひなかるべし。
烏竜と云ひし者は法華経を謗じて地獄に堕ちたりしかども、其の子に遺竜と云ひし者、法華経を書て供養せしかば、親、仏に成りぬ、又妙荘厳王(みょうそうごんのう)は悪王なりしかども、御子の浄蔵(じょうぞう)・浄眼に導かれて、娑羅樹王仏と成らせ給ふ。
其の故は子の肉は母の肉、母の骨は子の骨なり。松栄れば柏悦ぶ、芝かるれば蘭なく、情無き草木すら友の喜び友の歎き一つなり。
何に況や親と子との契り、胎内に宿して、九月を経て生み落し、数年まで養ひき。
彼にになはれ、彼にとぶらはれんと思ひしに、彼をとぶらふうらめしさ、彼如何があらんと思ふこころぐるしさ、いかにせん、いかにせん。
子を思ふ金鳥は火の中に入りにき。子を思ひし貧女は恒河に沈みき。彼の金鳥は今の弥勒菩薩なり。彼の河に沈みし女人は大梵天王と生まれ給へり。
何に況や今の光日上人は子を思ふあまりに、法華経の行者と成り給ふ。
母と子と倶に霊山浄土へ参り給ふべし。其の時御対面いかにうれしかるべき。いかにうれしかるべき。
八月八日  日蓮花押 
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