兵衛志殿女房御返事

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兵衛志殿女房御返事建治三年十一月七日の概要

【建治三年十一月七日、池上宗長、聖寿】 
銅の御器二給ひ畢ぬ。
釈迦仏三十の御年、仏になり始てをはし候時、牧牛女と申せし女人、乳のかい(粥)をにて仏にまいらせんとし候し程に、いれてまいらすべき器なし。
毘沙門天王等の四天王、四鉢を仏にまいらせたりし、其の鉢をうちかさねてかい(粥)をまいらせしに仏にはならせ給ふ。
其の鉢、後には人ももらざりしかども、常に飯のみちしなり。後に馬鳴菩薩と申せし菩薩、伝へて金銭三貫にほうじたりしなり。
今御器二を千里にをくり、釈迦仏にまいらせ給へば、かの福のごとくなるべし。委しくは申さず候。
建治三年〈丁丑〉十一月七日  日蓮花押 
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