八幡宮造営事

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八幡宮造営事の概要

【弘安四年五月二十六日、池上宗仲・宗長、聖寿】 
 此の法門申し候事すでに二十九年なり。日日の論義、月月の難、両度の流罪に身つかれ、心いたみ候ひし故にや、此の七八年間が間、年年に衰病をこり候ひつれども、なのめにて候ひつるが、今年は正月より其の気分出来して、既に一期をわりになりぬべし。
其の上、齢既に六十にみちぬ。たとひ十に一今年はすぎ候とも、一二をばいかでかすぎ候べき。
忠言は耳に逆い、良薬は口に苦しとは先賢の言なり。やせ病の者は命をきらう、佞人は諫を用ひずと申すなり。
此の程は上下の人人の御返事申す事なし。心もものうく、手もたゆき故なり。
しかりと申せども此の事大事なれば苦を忍て申す。ものうしとおぼすらん。一篇きこしめすべし。
村上天皇の前の中書王の書を投げ給ひしがごとくなることなかれ。

さては八幡宮の御造営につきて、一定さむそうや有らんずらむ、と疑ひまいらせ候なり。
をやと云ひ、我が身と申し、二代が間きみにめしつかはれ奉て、あくまで御恩のみ(身)なり。設一事相違すとも、なむのあらみ(粗略)かあるべき。
わがみ賢人ならば、設上よりつかまつるべきよし仰せ下さるるとも、一往はなに事につけても辞退すべき事ぞかし。
幸に讒臣等がことを左右によせば、悦てこそあるべきに、望まるる事一の失なり。此れはさてをきぬ。
五戒を先生に持て今生に人身を得たり。されば云ふに甲斐なき者なれども、国主等謂なく失にあつれば、守護の天いかりをなし給ふ。況や命をうばわるる事は天の放ち給ふなり。

いわうや日本国四十五億八万九千六百五十九人の男女をば、四十五億八万九千六百五十九の天まほり給ふらん。
然るに他国よりせめ来る大難は脱るべしとも見え候はぬは、四十五億八万九千六百五十九人の人人の天にも捨てられ給ふ上、六欲・四禅・梵釈・日月・四天等にも放たれまいらせ給ふにこそ候ひぬれ。
然るに日本国の国主等、八幡大菩薩をあがめ奉りなば、なに事のあるべきと思はるるが、八幡は又自力叶ひがたければ、宝殿を焼てかくれさせ給ふか。
然るに自の大科をばかへりみず、宝殿を造てまほらせまいらせむとおもへり。
日本国の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生が、釈迦・多宝・十方分身の諸仏、地涌と娑婆と他方との諸大士、十方世界の梵釈・日月・四天に捨てられまひらせん分斉の事ならば、はづかなる日本国の小神天照太神・八幡大菩薩の力及び給ふべしや。
其の時八幡宮はつくりたりとも此の国他国にやぶられば、くぼきところ(処)にちり(塵)たまり、ひききところに水あつまると、日本国の上一人より下万民にいたるまでさたせむ事は兼て又知れり。

八幡大菩薩は本地は阿弥陀ほとけにまします。衛門の大夫は念仏無間地獄と申す。阿弥陀仏をば火に入れ水に入れ、其の堂をやきはらひ、念仏者のくび(頚)を切れと申す者なり。
かかる者の弟子檀那と成て候が、八幡宮を造て候へども、八幡大菩薩用ひさせ給はぬゆへに、此の国はせめらるるなりと申さむ時はいかがすべき。
然るに天かねて此の事をしろしめすゆへに、御造営の大ばんしやう(番匠)をはづされたるにやあるらむ。神宮寺の事のはづるるも天の御計いか。
其の故は去ぬる文永十一年四月十二日に大風ふきて、其の年の他国よりおそひ来るべき前相なり。
風は是れ天地の使なり。まつり事あらければ風あらしと申すは是なり。

又今年四月に二十八日を迎へて此の風ふき来る。而るに四月二十六日は八幡のむね(棟)上と承はる。三日の内の大風は疑なかるべし。
蒙古の使者の貴辺が八幡宮を造て、此の風ふきたらむに、人わらひさたせざるべしや。
返す返す穏便にして、あだみうらむる気色なくて、身をやつし、下人をもくせず、よき馬にものらず、のこぎり(鋸)かなづち(鎚)手にもち、こし(腰)につけて、つねにえめるすがたてにておわすべし。
此の事一事もたがへさせ給ふならば、今生には身をほろぼし、後生には悪道に堕ち給ふべし。返す返す法華経うらみさせ給ふ事なかれ。恐恐。
五月二十六日  花押 
大夫志殿、兵衛志殿 

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