破良観等御書

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破良観等御書の概要

【建治二年、聖寿五十五歳】 
 良観・道隆・悲願聖人等が極楽寺・建治寺・寿福寺・普門寺等を立てて、叡山の円頓大戒を蔑如するがごとし。此れは第一破僧罪なり。二には仏の御身より血を出だす。
今の念仏者等が教主釈尊の御入滅の二月十五日ををさへとり阿弥陀仏の日とさだめ、仏生日の八日をば薬師仏の日といゐ、一切の真言師が大日如来をたのみて、教主釈尊は無明に迷へる仏、我等が履とりにも及ばず、結句は灌頂して釈迦仏の頭をふむ。
禅宗の法師等は教外別伝(きょうげべつでん)とののしりて、一切経をばほんぐ(反古)にはをとり、我等は仏に超過せりと云云。此は南印度の大慢ばら門がながれ、出仏身血の一分なり。
第三に蓮華比丘尼(れんげびくに)を打ちころす。これ仏の養母にして阿羅漢なり。此れは阿闍世(あじゃせ)王の提婆達多をすてて仏につき給ひし時、いかりをなして大火胸をやきしかば、はらをすへかねて此の尼のゆきあひ候たりしを、打ち殺せしなり。
今の念仏者等が念仏と禅と律と真言とをせめられて、のぶるかたわなし、結句は檀那等をあひかたらひて、日蓮が弟子を殺させ、予が頭等にきずをつけ、ざんそう(讒奏)をなして二度まで流罪、あわせて頚をきらせんとくわだて、
弟子等数十人をろう(牢)に申し入るるのみならず、かまくら(鎌倉)内に火をつけて、日蓮が弟子の所為なりとふれまわして、一人もなく失はんとせしが如し。
而るに提婆達多が三逆罪は仏の御身より血をいだせども爾前の仏、久遠実成(くおんじつじょう)の釈迦にはあらず。殺羅漢も爾前の羅漢、法華経の行者にはあらず。破和合僧も爾前小乗の戒なり、法華円頓の大戒の僧にもあらず。
大地われて無間地獄に入りしかども、法華経の三逆ならざれば、いたうも深くあらざりけるかのゆへに、提婆は法華経にして天王如来とならさせ給ふ。
今の真言師・念仏者・禅・律等の人人並に此れを御帰依ある天子並に将軍家、日本国の上下万人は、法華経の強敵となる上、一乗の行者の大怨敵となりぬ。
されば設ひ一切経を覚り、十方の仏に帰依し、一国の堂塔を建立し、一切衆生に慈悲ををこすとも、衆流大海に入りかんみ(鹹味)となり、衆鳥須弥山に近ずきて同色となるがごとく、
一切の大善変じて大悪となり、七福かへりて七難をこり、現在眼前には他国のせめきびしく、自身は兵にやぶられ、妻子は敵にとられて、後生には無間大城に堕つべし。
此れをもんてをもうに、故弥四郎殿は設ひ大罪なりとも提婆が逆にはすぐべからず。
何に況や小罪なり。法華経を信ぜし人なれば無一不成仏疑なきものなり。
疑て云く、今の真言師等を無間地獄と候は心へられぬ事なり。今の真言は源、弘法大師・伝教大師・慈覚大師・智証大師此の四大師のながれなり。此の人人地獄に堕ち給はずば、今の真言師いかで堕ち候べき。
答て云く、地獄は一百三十六あり。一百三十五の地獄へは堕つる人雨のごとし。其の因やすきゆへなり。
一の無間大城へは堕つる人かたし。五逆罪を造る人まれなるゆへなり。又仏前には五逆なし。但殺父・殺母の二逆計りあり。
又二逆の中にも仏前の殺父・殺母は決定として無間地獄へは堕ちがたし。畜生の二逆のごとし。
而るに今日本国の人人は又一百三十五の地獄へはゆきがたし。日本国の人人形はことなれども同じく法華経誹謗の輩なり。
日本国異なれども同じく法華誹謗の者となる事は、源伝教より外の三大師の義より事をこれり。
問て云く、三大師の義如何。答て云く、弘法等の三大師は其の義ことなれども、同じく法華経誹謗は一同なり。所謂(いわゆる)善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の法華経誹謗の邪義なり。
問て云く、三大師の地獄へ堕つる証拠如何。答て云く、善無畏三蔵(善無畏三蔵)は漢土日本国の真言宗の元祖なり。彼の人すでに頓死して閻魔のせめにあへり。
其のせめに値ふ事は他の失ならず。法華経は大日経に劣ると立てしゆへなり。
而るを此の失を知らずして、其の義をひろめたる慈覚・智証、地獄を脱るべしや。
但し善無畏三蔵(善無畏三蔵)の閻魔のせめにあづかりし故をだにもたづねあきらめば、此の事自然に顕れぬべし。
善無畏三蔵(善無畏三蔵)の鉄の縄七すぢつきたる事は、大日経の疏に我とかかれて候上、日本醍醐の閻魔堂・相州鎌倉の閻魔堂にあらわせり。此れをもつて慈覚・智証等の失をば知るべし。
問て云く、法華経と大日の三部経の勝劣は経文如何。答て曰く、法華経には諸経の中に於て最も其の上に在りと説かれて、此の法華経は一切経の頂上の法なりと云云。
大日経七巻・金剛頂経三巻・蘇悉地経三巻、以上十三巻の内、法華経に勝ると申す経文は一句一偈もこれなし。
但蘇悉地経計りにぞ三部の中に於て此の経を王と為すと申す文候。此れは大日の三部経の中の王なり。全く一代の諸経の中の大王にはあらず。
例せば本朝の王を大王といふ。此れは日本国の内の大王なり。全く漢土・月支の諸王に勝れたる大王にはあらず。
法華経は一代の一切経の中の王たるのみならず、三世十方の一切の諸仏の所説の中の大王なり。
例せば大梵天王のごときんば諸の小王・転輪王・四天王・釈王・魔王等の一切の王に勝れたる大王なり。
金剛頂経と申すは真言教の頂王、最勝王経と申すは外道天仙等の経の中の大王、全く一切経の中の頂王にはあらず。
法華経は一切経の頂上の宝珠なり。論師・人師をすてて専ら経文をくらべばかくのごとし。
而るを天台宗出来の後、月氏よりわたれる経論並に天竺・漢土にして立てたる宗宗の元祖等、修羅心をさしはさめるかのゆへに、或は経論にわたくしの言をまじへて事を仏説によせ、或は事を月氏の経によせなんどして、私の筆をそへ仏説のよしを称す。
善無畏三蔵(善無畏三蔵)等は法華経と大日経との勝劣を定むるに理同事勝(りどうじしょう)と云云。此れは仏意にはあらず。
仏説のごとくならば大日経等は四十余年の内、四十余年の内にも華厳・般若等には及ぶべくもなし。但阿含小乗経にすこしいさてたる経なり。
而るを慈覚大師等は此の義を弁へずして、善無畏三蔵(善無畏三蔵)を重くをもうゆへに、理同事勝(りどうじしょう)の義を実義とをもえり。
弘法大師は又此等にはにるべくもなき僻人なり。所謂(いわゆる)法華経は大日経に劣るのみならず、華厳経等にもをとれり等云云。
而を此の邪義を人に信ぜさせんために、或は大日如来より写瓶せりといゐ、或は我まのあたり霊山にしてきけりといゐ、或は師の恵果和尚の我をほめし、或は三鈷をなげたりなんど申し種々の誑言をかまへたり。愚な者は今信をとる。
又天台の真言師は慈覚大師を本とせり。叡山の三千人もこれを信ずる上、随て代々の賢王の御世に勅宣を下す。
其の勅宣のせん(詮)は法華経と大日経とは同醍醐、譬へば鳥の両翼、人の左右の眼等云云。今の世の一切の真言師は此の義をすぎず。
此等は螢火を日月に越ゆとをもひ、蚯蚓を花山より高しという義なり。
其の上、一切の真言師は灌頂となづけて、釈迦仏を直にかきてしきまんだら(敷曼陀羅)となづけて、弟子の足にふませ、或は法華経の仏は無明に迷へる仏、人の中のいぞ(夷)のごとし。真言師が履とりにも及ばず、なんどふみ(文)につくれり。
今の真言師は此の文を本疏となづけて、日日夜夜に談義して、公家武家のいのりとがうして、ををくの所領を知行し、檀那をたぼらかす。
事の心を案ずるに、彼の大慢ばら門がごとく、無垢論師にことならず。
此等は現身に阿鼻の大火を招くべき人人なれども、強敵のなければさてすぐるか。
而りといへども、其のしるし眼前にみへたり。慈覚と智証との門家等闘諍ひまなく、弘法と聖覚が末孫が本寺と伝法院、叡山と園城との相論は修羅と修羅と猿と犬とのごとし。此等は慈覚の夢想に日をいるとみ、弘法の現身妄語のすへか。
仏、末代を記して云く、謗法の者は大地微塵よりも多く、正法の者は爪上の土よりすくなかるべし。仏語まことなるかなや、今日本国かの記にあたれり。
予はかつしろしめされて候がごとく、幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の御宝前に願を立て、日本第一の智者となし給へ。
十二のとしより此の願を立つ。其の所願に子細あり。今くはしくのせがたし。
其の後、先ず浄土宗・禅宗をきく。其の後、叡山・園城・高野・京中・田舎等処々に修行して自他宗の法門をならひしかども、我が身の不審はれがたき上、本よりの願に、諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからず。
いづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ふべし。論師・訳者・人師等にはよるべからず。専ら経文を詮とせん。
又法門によりては、設ひ王のせめなりともはばかるべからず。何に況や其の已下の人をや。父母師兄等の教訓なりとも用ゆべからず。
人の信不信はしらず。ありのままに申すべしと誓状を立てしゆへに、三論宗の嘉祥・華厳宗の澄観・法相宗の慈恩等をば、天台・妙楽・伝教等は無間地獄とせめたれども、真言宗の善無畏三蔵(善無畏三蔵)・弘法大師・慈覚・智証等の僻見はいまだせむる人なし。
善無畏・不空等の真言宗をすてて天台による事は、妙楽大師の記の十の後序並に伝教大師の依憑集にのせられたれども、いまだくはしからざればにや、慈覚・智証の謬誤は出来せるかと強盛にせむるなり。
かく申す程に、年三十二建治五年の春の比より念仏宗と禅宗と等をせめはじめて、後に真言宗等をせむるほどに、念仏者等始にはあなづる。
日蓮いかにかしこくとも明円房・公胤僧上・顕真座主等にはすぐべからず。
彼の人人だにもはじめは法然上人をなんぜしが、後にみな堕て、或は上人の弟子となり、或は門家となる。日蓮はかれがごとし。
我つめん、我つめんとはやりし程に、いにしへの人人は但法然をなんじて、善導・道綽(どうしゃく)等をせめず。又経の権実をいわざりしかばこそ、念仏者はをごりけれ。
今日蓮は善導・法然等をば無間地獄につきをとして、専ら浄土の三部経を法華経にをしあはせてせむるゆへに、螢火に日月、江河に大海のやうなる上、
念仏は仏のしばらくの戲論の法、実にこれをもつて生死をはなれんとをもわば、大石を船に造て大海をわたり、大山をになて嶮難を越ゆるがごとしと難ぜしかば、面をむかうる念仏者なし。
後には天台宗の人人をかたらひて、どしうち(同志打)にせんとせしかども、それもかなはず。
天台宗の人々もせめられしかば、在家出家の心ある人人少少念仏と禅宗とをすつ。
念仏者・禅宗・律僧等、我が智力叶はざるゆへに、諸宗に入りあるきて種種の讒奏をなす。
在家の人人は不審あるゆへに、各各の持僧等、或は真言師、或は念仏者、或はふるき天台宗、或は禅宗、或は律僧等をわきにはさみて、或は日蓮が住処に向ひ、或はかしこへよぶ。
而れども一言二言にはすぎず。迦旃延が外道をせめしがごとく、徳恵菩薩が摩沓婆をつめしがごとく、せめしゆへに其の力及ばず。
人は智かしこき者すくなきかのゆへに、結句は念仏者等をばつめさせてかなはぬところには、大名してものをぼへぬ侍ども、たのしくて先後も弁へぬ在家の徳人等、挙て日蓮をあだするほどに、
或は私に狼藉をいたして日蓮がかたの者を打ち、或は所ををひ、或は地をたて、或はかんだう(勘当)をなす事かずをしらず。
上に奏すれども、人の主となる人はさすが戒力といゐ、福田と申し、子細あるべきかとをもひて、左右なく失にもなされざりしかば、きりもの(権臣)どもよりあひて、まちうど(町人)等をかたらひて、
数万人の者をもつて、夜中にをしよせ失はんとせしほどに、十羅刹の御計らいにてやありけん、日蓮其の難を脱れしかば、両国の吏心をあわせたる事なれば、殺されぬをとがにして伊豆の国へながされぬ。
最明寺殿計りこそ、子細あるかとをもわれて、いそぎゆるされぬ。さりし程に、最明寺入道殿隠れさせ給ひしかば、いかにも此の事あしくなりなんず。
いそぎかくるべき世なりとはをもひしかども、これにつけても法華経のかたうどつよくせば、一定事いで来るならば身命をすつるにてこそあらめと思ひ切りしかば、讒奏の人人いよいよかずをしらず。上下万民皆父母のかたき、とわりをみるがごとし。
不軽菩薩の威音王仏のすへにすこしもたがう事なし。

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