当体義抄の

 本抄は大小十九の問答からなる。
 @AB問答では一往法体に約し、迷悟十界の依正悉く妙法蓮華経の当体であることが示される。
 C問答では再往信受に約し、謗人権教の者は妙法の当体に非ず、正直に方便を捨てて妙法を信受する我われこそが、妙法の当体であると述べる。
 D問答は天台の当体・譬喩蓮華の二義の様を問い、『玄義』第七等の説示により、因果倶時不思議の一法こそ当体蓮華であってそれを妙法蓮華と名づけ、比喩蓮華とはそれを因華果台倶時の蓮華によって喩えることであるとする。
 E問答では過去その当体蓮華を証得した人を問い、五百塵点の当初の教主釈尊であることが明かされる。
 FGHIJ問答では『法華経』の当体蓮華の出処について、迹門にては『方便品』の諸法実相の文、本門にては『神力品』の結要付嘱があげられる。
 KLM問答は当門流においての当体蓮華の証文は、『法華経』各品の表題たる妙法蓮華経であるとし、そこには当体・譬喩の両説が含まれるのであり、譬喩即法体・事相即理体=法譬一体の義が示される。
 NOは如来在世の当体蓮華の証得者について、爾前迹門では証得せず本門にて在世霊山一会の衆が証得したことが示される。P問答は末法の当体蓮華証得者いかんというに、日蓮が一門順縁の行者であるとし、
 QR問答では天台伝教等は地涌千界に非ざる故にこの法を弘通されなかったことが明されている。
  さて、先に述べたごとくD問答までは、『金綱集』編者の頭注に示されるように、両者の密接な関係は一目瞭然である。しかるにその関係については、第一に、本抄を『金綱集』が取材した。第二に、『金綱集』から取材して本抄が偽撰された、という二通りが一応想定されるであろう。   
 しかるに中條暁秀は『日蓮宗上代教学の研究』において「誤解を恐れず一歩踏み込んでいえば、金綱集の文が『当体義抄』の原型となったとも見られなくもない。」(225頁)と述べ、大黒喜道は「日興門流における本因妙思想形成に関する覚書(五)――「当体義抄」等のこと」(『興風』20号241頁)において、本抄第六問答までを当体蓮華についての観心論が展開される主要部分、第七問答以降はそれに付随する教相的部分と分別し、本抄の成立過程を、先ず前半の観心部分が『金綱集』を参考として成立し、それに後半部分が追加されたのではないかと述べ、その成立時期についてはおよそ南北朝期頃ではないかと推定している。
 また大黒論文では、本抄と「立正観抄」とに「本地難思ノ境智」(『定本』765頁3行目・848頁12行目)「妙法ノ名字ヲ替ヘテ号二シ止観一ト」(『定本』767頁8行目・847頁3行目)という、他の遺文には見られない共通の用語が見られることから両者の緊密性を指摘し、本抄は『金綱集』とともに「立正観抄」をも参照して成立した可能性を示している。傾聴すべき説示である。
 なお本抄には、H問答の「伝教大師釋シテ云ク」(『定本』762頁2行目)、M問答の「伝教大師釋シテ云ク」(764頁11行目)、O問答の「天台云ク」(765頁6行目)、Q問答の「天台大師ノ云ク」(767頁10行目)「伝教大師ノ最後臨終ノ十生願ノ記ニ云ク」(767頁11行目)の文が、いずれも出典不明であり、このようなことは常の宗祖遺文にはあり得ず、本抄偽撰の根拠たり得ると同時に、この出典不明引文が、大黒論文の指摘する後半に集中しており、同論文の成立過程の推測を補完するものと思う。ともあれ以上により本抄は、宗祖に仮託して成立した偽撰文書と判断する。