早 勝 問 答の概要

『三宝寺録外目録』所収。
 本書は浄土宗・禅宗・天台宗・台密・東密との問答を教科書的に記したものである。諸宗との問答についての科文は、清水竜山らが『日蓮聖人遺文全集講義』第八巻に整理掲載しており、これにしたがって列挙すれば、浄土宗との問答に十三問・禅宗に十一問・台家に六問、東密に四問・台密に三問の計三十七問を設けて破折の要綱が記されている。いずれも「早勝」の題号の示すように、要点を挙げるのみで、具体的な内容は省略されている。まず浄土宗との問答では、弥陀は『法華経』によって成仏したのであるから、その『法華経』を誹謗することは命を絶つことになり、また法華を誹謗することは弥陀の「常楽説是妙法華経」の本誓に背くことなどを挙げる。禅問答では、禅宗は経典に依らざるゆえに天魔と断ずること、また禅宗より迦葉の拈華微笑や竜女成仏の「深入禅定」等あげて難じられたら、それは仏説に依るものか、もしそうであれば、教外別伝は自語相違であると反詰すべきことなどを記している。また「天台宗問答」と「山門流真言宗問答」とは別個に設けられているが、いずれも法華誹謗の失を挙げ、慈覚を批判しているように、これは現今における日本天台宗に対する批判であるから一括りとすることができる。本項においては法華を開会したならば『法華経』も諸経も同一ではないかとの論難には、天台が南三北七の十師を破折し、伝教が南都六宗を破したことを実例をあげ、慈覚が理同事勝と判ずることについては、法華を謗ずることは、自ら理が同ずという真言をも謗ずることであると論難するよう述べ、また「本理大綱集」をもって顕密は同等であると難じられたら、「本理大綱集」は伝教の作ではない、これをもって慈覚は法華を謗ずるのか、と反論するよう記している。現存真蹟のなかで、「本理大綱集」の作者ならびに真偽に論究したものはなく、この一文は注目される。最後に真言宗との問答においては、『無量義経』の「未顕真実」の位置づけと、弘法の立つる五蔵判について論じている。まずは真言は釈尊の所説か大日の説であるか問いつめ、真言が釈尊の所説でなければ、釈尊所説の『六波羅密経』をもって『法華経』を五蔵の第四に判ずるのは矛盾であると論難する。その他真言亡国の所以についての問答などを行っているが、真言の祈祷によって朝廷が敗戦した「承久の乱」などの先例は用いられていない。以上の諸宗との問答においては、一つの答の中に「一義に云く」を多用し、断片的記述に終始しており、これは真蹟の伝わるものには見られず、本書と 番号2-25「真言宗私見聞」のみに見られる用法である。なお、日全の『法華問答正義抄』(第十八禅宗・第二十天台宗)に、『本理大綱集』が偽書であると指摘されており、また同抄に「一義に云く」が多用されていることは、両者に何らかの関連を予想させる。