安国論御勘由来の概要

 真蹟五紙完、千葉県中山法華経寺蔵。
 文永五年正月、蒙古国と高麗国の国書が筑前国太宰府に到着。翌閏正月幕府に送進された。国書の内容は表面上は通好を求めるものであったが、内実は日本国を蒙古国の支配下に置くというものであった。
  その約二ヶ月後、かつて「立正安国論」に指摘した「他国侵逼難」が現実化しつつあることに鑑み、改めて「立正安国論」執筆の由来とその解決策、すなわち浄土宗・禅宗の悪法を止め法華真言(叡山)  の正法に帰依することを主張されたのが本書である。文中「今年後正月見大蒙古国国書」とあるが、蒙古国書が幕府に届いたのが文永五年閏正月であったことを示す貴重な文献である。ちなみにそれを伝え  る文書としては、同時期の近衛基平の『深心院関白記』があるが、日付等の記載は見られず、中原師守の『師守記』貞治六年五月条に「文永五年閏正月八日」の日付が見られる。なお本書とほぼ同内容で、  推敲の後の著しい冒頭より二紙の「安国論御勘由来草案断簡」(番号4-019)があり、本書の草案と思われる。また本書と同じく、「立正安国論」の執筆および奏進の経緯と、蒙古使者来朝による予言的中を述  べる断簡として、「断簡一五九」(番号4-159)、「断簡一一七」(番号4-117)「断簡追加W」(番号4-追W。この本圀寺蔵の両断簡は同幅されており、字体や紙背文字の状況からあるいは一書ではないかと思われる)がある。