閻浮提中御書

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閻浮提中御書の概要

【弘安元年、聖寿五十七歳、真筆断存】 
「閻浮提中飢餓□□(劫起)」。□□(又云)「□(又)示現閻浮提中刀□□□(兵劫起)」。又云く「又示現閻浮提中□□(疫病)劫起」等云云。
人王三十代□□(百済)国の聖明王□□□□□国にわたす。王此れを用ひずして三代仏罰にあたるべし。
釈迦仏を申し隠すとが□□念仏者等善光□□□□(寺の阿弥)陀仏云云。
上一人より下万□□(民に)いたるまで皆人迷□□□。此れをあらわす。日蓮にあだをなす人は、惣て日蓮を犯す。
天は惣て此国を□□□□□□二に言く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賎憎嫉して結恨を懐かん」等云云。
又云く「多病■痩」。第八に云く「諸悪重病」。又第二に云く「若し医道を修し方に順て病を治せば、更に他の疾を増し、或は復死を致す」。
又云く「若し自ら病有らんに人の救療すること無く設ひ良薬を服すとも、而も復増劇せん」等云云。
弘法大師は後に望て戯論と作す。東寺の一門、上御室より下一切の東寺の門家は法華経を戯論と云云。
叡山の座主並に三千の大衆□日本国山寺一同の云く□□□□□大日経等云云。
智証大師の云く、法華尚及ばず等云云。園城の長吏並に一国の末流等の云く、法華経は真言経に及ばずと云云。
此の三師を用ゆる国主、終に法皇尽了ぬ。明雲座主の義仲に殺されし、承久に御室思ひ死にせし是なり。
願くは我が弟子等は師子王の子となりて、群狐に笑はるる事なかれ。
過去遠遠劫より已来、日蓮がごとく身命をすてて、強敵の科を顕せ師子は値ひがたかるべし。
国主の責めなををそろし、いわうや閻魔のせめをや。日本国のせめは水のごとし、ぬるるををそるる事なかれ。閻魔のせめは火のごとし、裸にして入るとをもへ。
大涅槃経の文の心は、仏法を信じて今度生死をはなるる人の、すこし心のゆるなるをすすめむがために、疫病の仏のあたへ給ふ。はげます心なり、すすむる心なり。
日蓮は凡夫なり。天眼なければ一紙をもみとをすことなし。宿命なければ三世を知ることなし。
而れども此の経文のごとく、日蓮は肉眼なれども天眼・宿命□□□□(をもって)日本国七百余歳の仏眼の流布せしやう、八宗十宗の邪正、漢土・月氏の論師・人師の勝劣、八万十二の仏経の旨趣をあらあらすいちし□(て)、
我が朝の亡国となるべき事、先に此れをかんがへて宛も符契のごとし。此れ皆法華経の御力なり。
而るを国主は讒臣等が凶言ををさめてあだをなせしかば、凡夫なれば道理なりとをもつて退する心なかりしかども、度度あだをな□(す) 

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