忘持経事

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忘持経事の概要

【建治二年三月、富木常忍、聖寿、真筆−完存】 
忘れ給ふ所の御持経、追て修行者に持たせ之を遣はす。
魯の哀公云く、人好く忘る者有り。移宅に乃ち其の妻を忘れたり云云。
孔子云く、又好く忘るること此れより甚しき者有り。桀紂の君は乃ち其の身を忘れたり等云云。
夫れ槃特尊者は名を忘る。此れ閻浮第一の好く忘るる者なり。今常忍上人は持経を忘る。日本第一の好く忘るるの仁か。
大通結縁の輩は衣珠を忘れ、三千塵劫を経て貧路に蜘■し、久遠下種 の人は良薬を忘れ、五百塵点を送て三途の嶮地に顛倒せり。
今真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等の学者等は仏陀の本意を忘失し、未来無数劫を経歴して阿鼻の火坑に沈淪せん。
此れより第一の好く忘るる者あり。所謂(いわゆる)今の世の天台宗の学者等と持経者等との、日蓮を誹謗し念仏者等を扶助する是れなり。親に背て敵に付き、刀を持て自を破る。此等は且く之を置く。
夫れ常啼菩薩は東に向て般若を求め、善財童子は南に向て華厳を得る。雪山の小児は半偈に身を投げ、楽法梵志は一偈に皮を剥ぐ。此等は皆上聖大人なり。
其の迹を検ふるに、地住に居し、其の本を尋ぬれば等妙なるのみ。
身は八熱に入て火坑三昧を得、心は八寒に入て清涼三昧を証し、身心共に苦無し。譬へば矢を放て虚空を射、石を握て水に投ずるが如し。
今常忍貴辺は末代の愚者にして、見思未断の凡夫なり。身は俗に非ず道に非ず、禿居士。心は善に非ず悪に非ず、羝羊のみ。
然りと雖も一人の悲母堂に有り。朝に出で主君に詣で、夕に入て私宅に返り、営む所は悲母の為め、存する所は孝心のみ。
而るに去月下旬の比、生死の理を示さんが為に黄泉の道に趣く。
此に貴辺と歎て云く、齢既に九旬に及び、子を留めて親の去ること次第たりと雖も、倩事の心を案ずるに、去て後来るべからず、何れの月日をか期せん。二母国に無し、今より後誰をか拝すべき。
離別忍び難きの間、舎利を頚に懸け、足に任せて大道に出で、下州より甲州に至る。其の中間往復千里に及ぶ。
国国皆飢饉し、山野に盗賊充満し、宿宿粮米乏少なり。我身羸弱(るいじゃく)、所従亡きが若く、牛馬合期せず。
峨峨たる大山重重として、漫漫たる大河多多なり。高山に登れば頭を天に■ち、幽谷に下れば足雲を踏む。
鳥に非れば渡り難く、鹿に非れば越え難し。眼眩き足冷ゆ、羅什三蔵の葱嶺・役の優婆塞の大峰も只今なりと云云。
然る後、深洞に尋ね入て一庵室を見る。法華読誦の音青天に響き、一乗談義の言山中に聞ゆ。
案内を触れて室に入り、教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し、歓喜身に余り心の苦み忽ち息む。
我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬へば種子と菓子と、身と影との如し。
教主釈尊の成道は浄飯・摩耶の得道、吉占師子・青提女・目■尊者は同時の成仏なり。
是の如く観ずる時、無始の業障忽ちに消え、心性の妙蓮忽ちに開き給ふか。
然して後に随分仏事を為し、事故無く還り給ふ云云。恐恐謹言。
富木入道殿 

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