阿部語録 


第十九 善導


  ☆四一四号

 (昭和五十五年七月四日・全国教師指導会)


 「私は今後も、責任をもって創価学会を善導し、指導しきっていくことを決意しております。

 ですから、創価学会に対する謗法呼ばわりはやめてください。このことを、はっきり申しておきます。」P一四

これよりケンカ別れの後の発言

☆五五七号

 (平成四年五月二十八日・全国教師・寺族指導会の砌)


 「したがって私は、その御収束の御精神を承けて、あくまで創価学会を大きく包んで指導していくということが一番根本の考え方でなければならないと思ったわけであります。

 ところが、勢いづいた正信会の者どもが、どうにも先走ってしまうのであります。このような在り方は日達上人の御遷化の直前からありましたけれども、特に御遷化のあとにおいて顕著になってきました。それらを色々な面から慰撫しつつ、創価学会を大きく包もうという私の気持ちに一致して御奉公をしてくれるように願っておったのでありますが、彼等の行き過ぎた行動はあのような経過を来してしまったのであります。その経過の一々については、時間の関係上、とてもこの場では申し述べられませんが、最終的には擯斥処分というところにまで及んだわけであります。

 その後、私は、池田大作なる者を根本とする創価学会を大きな意味で正しく善導していきたいと思っておりました。したがって、この問題が起こるまでにおいて、二回ほど呼びつけて、きちんと指導したことがあります。これについても、不満を言っていたということがのちに聞こえてきましたけれども、ともかく、そのように指導もいたしました。

 また、その他のあるゆる面から、宗門七百年の化儀・化法を根本とするところにこそ、真の広宣流布の道があるということを、常に変わらない信念として私は教導してまいりましたが、大聖人様の本門三大秘法の、特に戒壇の本義をわがまま勝手な我見をもって解釈したり、また、そのところから『広布第二章』というような創価学会を中心とする在り方を望んで、そのなかに宗門全体を巻き込んでいこうという考え方がはっきりと色々な面から表れてきたわけであります。」P五二

☆五六三号

 (平成三年十二月四日・妙道寺新築落慶入仏法要の砌)


 「しかし、特に池田大作なる人物の心中に非常に大きな慢心と仏法に対する大きな我見があり、私も折に触れ、教導をしてきたつもりでありますが、その表向きの態度とは裏腹に、その慢心は膨らむばかりであったようです。やはり、世間的なことのみに執われ、自分は世界に通用する、世界中の人々が尊敬するような人間であるという慢心から、何も一宗のわずかな僧侶などに教導を受ける必要はないというような、根本的な本末転倒の邪見が存し、それによって、むしろ創価学会が宗門よりも上位に立って、あるゆる意味で宗門を支配しようという考えに及んだと思うのであります。これは昔からありましたけれども、特に昨今、それがはっきりと現れてきたわけであります。

 その一つの現れとして、いわゆる『十一・一六』の本部幹部会における池田大作なる人物の傲慢無礼な宗門批判のスピーチがあり、その録音テープが送られてきたことから、その誤りをはっきりと指摘する形を取りましたが、それから以降において、なんら反省懺悔の色がないばかりか、かえって嘘や捏造、すり替え等によって宗門僧侶や私を誹謗し、三宝破壊の大謗法団体になり下がっております。したがって、先般、十一月二十八日付けをもって、やむをえず創価学会という団体を破門とした次第であります。」 P三九

☆五七〇号

 (平成五年六月二十七日・新潟布教区御親教)


 「『広布第二章』という考え方の元もそこにあるのです。それらのところから正本堂に関する意義付けにおいても大変な誤りが生じて、一般の信徒の方はあまり知らなかったようですが、実は大変な問題が起こりました。御先師日達上人はそのために実に御苦労あそばされておったのであります。

 私も当時、教学部長として宗務院におりまして、それらのつぶさな子細をことごとく体験し、知っておりますが、登座以来、この池田大作をなんとか正しく導きたいと考えてまいりました。しかし、我見をもって大聖人の御仏智を阻害し、民衆中心ということだけを仏法の骨組みにした場合には、これはとんでもない考え方になります。

 それが、あの正本堂の完工式の時にキリスト教の者を招き、しかもキリスト教の法服を着けた形で正本堂の中に入れたり、あるいは今日にみられるような内外一致の行動となっているのです。すなわち、キリスト教の者どもの歓心を買い、あちらこちらに行って勲章をもらって喜んでいるような姿、そういう大聖人様の信徒としてまことに恥ずかしい、名聞名利のみに執われたような姿が現れてくるのも、一切は大聖人様の仏法を我見をもって解釈し始めたことから起こっておるのであります。」P七三

☆五七三号

 (平成五年九月二十六日・茨城布教区御親教)


 「数年前の昭和五十二年のころ、正本堂建立の意義等に胚胎する様々な原因により、池田大作は仏法上の非常に大きな慢心を抱きました。それを一口に『昭和五十二年路線』といいますが、そこには大変な仏法背反の姿が現れたのであります。しかし、それも本人の一往反省するところとなり、日達上人もその反省を深くお容れあそばされて、創価学会の宗門における信徒団体としての活動を認められた次第であります。

 しかしながら、創価学会の飽くなき誤りの野望は、その根底においてはいささかも反省されておりませんでした。したがって、私はその後、十数年の間、なんとか正しく教導していきたいと願っておりましたが、今日に至り、その本性をむき出してきたのであります。

 ここにおいでになる皆様方の仏性が仏法の道理を正しく拝見しておられたからであると思います。」 P七一

☆五七七号

 (平成六年一月十日・末寺在勤教師初登山)


 「もう既にその以前、昭和五十四年の時に、日達上人からお許しを頂きながらも、肚の底では池田大作は、『今まではあまりにも正直に言い過ぎた。今度は絶対に揚げ足を取られないようにする』と決意し、水面下では自分達の野望をどこまでも広げながら、結局は宗門を自分達の手によって操っていくのだというようなことを言っていたのであります。

 しかしながら、私は、一つには日達上人が最後にお許しになって彼等の将来を戒められたこともあり、なんとかこの者達を善導したいと思ってきたのです。しかし、一番根本にある彼等の邪悪な心は改めさせることができませんでした。」P五六

☆五七九号

 (平成六年四月六日・虫払い大法会に参詣の海外信徒お目通り)


 「私は今年で七十一歳になりますが、本当に心から言えることは、凡夫でありましたから、また現在も凡夫ですから、色々な意味で過去において間違いがありました。

 私は、創価学会が宗教法人を取得するという時に、弱冠二十何歳でしたけれども、『これは違います』と、時の宗務院の人に言ったのであります。しかし、それは聞かれませんでした。

 その後、戸田城聖氏と会って二時間、酒を酌み交わしながら話をしたことがありました。その時に戸田城聖氏より、これから命がけで広宣流布をするということを聞いて、それまでは嫌っていた創価学会を、自分の心を打ち破りながら無理に好きになろうとし、そして本当に好きになっていったのであります。すなわち、『戸田城聖氏のもとにおける創価学会は、本当の広宣流布の団体である』というように思っていきました。

 そのうちに第三代会長・池田大作の時代になりましたが、私はその気持ちでずっと来ましたので、実を言うと池田大作の根本的な悪い心を見抜けなかったのです。

 顧みれば、私が教学部長時代、十八,九年前のことですが、京都の平安寺の住職をしておりました時に自称正信会へ行ってしまった元僧侶が来まして、『池田大作は間違っている。池田大作の気持ちのなかには、池田本仏という考えがある。すなわち、大聖人の教えを蔑ろにして、自分が中心だという考えを持っている』ということを言ってきました。けれども、私は、『それは違う。これだけ一生懸命にやっているのだから、そんなことはない』と言って追い返したことがありました。しかし、その者の言うことは結局、本当だったのです。

 このことについて考えるとき、既に池田大作は根本的に間違っていたのですが、そのことを見抜けなかったということにおいて、私は今、一往、反省しております。」P八六

☆五八八号

 (平成七年一月六日・末寺住職・寺族初登山の砌)


 「これらの者はその一面だけを見て、祖道というものの全体の趣旨と意義を見失っておるのであります。

 自称正信会もまた、そのとおりであります。池田大作の悪いことを糺すのだと主張して色々な行動を起こしましたが、日達上人が最後に収束あそばされたあとをお承けした私の行うべきことは、創価学会の当時の反省の姿から見て、ともかく創価学会のすべてを我々の手で成仏の道に導いてあげようということの上から、正しく善導していく時であったのです。その時に『いや、とにかく徹底して池田を糺すべきであり、創価学会をつぶすべきである』というような考え方で暴走したのが自称正信会であります。」P八四

☆六一五号

 (平成九年三月三十日・法華講連合会第三十四回総会の砌)


   「ですから、しばらくの間は、創価学会、池田大作等を正しく導かんがために心を砕いてまいりました。しかし、本来、その本性・本音が謗法の姿として持っておる者どもでありましたので、結局、池田中心、創価学会中心といところに仏法の本義を乱してしまったのであります。そういうところから、様々な現証が起こってきた関係上、平成二年以来、その問題に対して、宗門はきちんとしたけじめを立て分けてきた次第であります。

 ですから、正信会の者どもが独走し、御先師が決められた轍を乱して創価学会を打ち破ろうとした姿は、まさしく時と機を知らなかった姿であります。彼等は、『自分達がやったから、日蓮正宗もまた、それをまねしたのだ』というようなことを言っております。しかし、それは大きな誤りであります。これは時に随って初めて、真実の正法正義とともに、真の破折の姿が顕れてくるのであります。

 今、宗門がここに僧俗一致して正法広布を目指しつつ、邪義・池田創価学会を破折するに至ったことこそ、本当の時を得たところの姿であります。したがって、今こそ創価学会の謗法を徹底的に破折していくべき時であります。」P六二

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