阿部語録 


第十一 正信会評


  ☆四二七号

 (昭和五十六年八月二十五日・全国教師講習会)


 「また、私はかつて『法主の指南に背いて唱える題目は功徳がない』ということを申しました。これについて正信会とやらの者共は、私が自ら仏であると言ったかのよう誹謗しておりますが、これは全く反抗の心からくる意味の取り違えです。本宗伝統の血脈相伝の立場において、即ち仏法を継承する責任者、僧団・僧衆の上首としての法主が、仏法の道理に基づいて行う指示に対し、背く者はとりも直さず異端者であり、背信者であります。

 それは現在の法主に背くのみでなく、御本仏大聖人、日興上人以下、代々の上人に背き奉ることであるから、その背謗の言動・行為を改めずに題目を唱えても功徳がないのは当然であります。否、功徳がないどころか、大聖人様への背謗に当たる故に三途堕在の道であります。」P五一

☆四三二号

 (昭和五十六年十一月三十日・専修寺新築落慶法要の砌)


 「ところが今日は、いったんはその正法に入りながらも、信心が薄いために正法の本当の義が解らず、様々の貪、瞋、痴のところから正法を誹謗する者が実に増えております。そういう者が、時には週刊誌等を利用し、あるいは週刊誌等の謗法の者どもと結託をして様々に正法を信ずる人々に対し、あるいはまたそういう団体に対して、無いことをさも有るように中傷をしておるのでありますが、これらはまことに哀れな者どもであります。」P四二

☆四三九号

 (昭和五十七年八月六日・正義山蓮久寺落慶入仏法要の砌)


 「それら総本山に背く悪侶のいる寺院の御本尊は、御本尊自体はまことに尊いのでありますけれども、そこに住んでおるところの、その寺に蟠踞する者が御本尊に背いておるのでありますから、そのままの状態において既に、その法と法を護る僧侶との精神は全く背馳しておるのでございます。」P七六

☆四四七号

 (昭和五十八年三月三十一日・第四回非教師指導会の砌)


 「そういうところからも、僧侶が主体となって折伏教化していくというような基盤が、昔のかたちとは違ってしまっておるのです。このへんも、歴史と現実の姿、あるいは色々と宗教の状態を見てみると、よく解るはずであります。

 そのような時代の特殊性、現実性ということも全く忘れ、考えないで、ただむやみに僧侶が主導権をもつことが祖道のかい復だというようなことを、狂った者どもが考えたり言っておりますが、これも現実を本当に正しく見ていない姿であります。

 今日、こうして非常に正法が弘まったのも、はっきり言って、創価学会の折伏によるところであるといえます。その創価学会がこのように弘まったことの根本について、君達はどのように思っているだろうか。

 これは、当時の御法主上人が、あるいは当時の宗門の責任者が、創価学会の折伏と、その折伏による成果をどのように受けとめていくかということを、宗門の今までのある固定化したところの考え方、殻を破って自由に、広く開いたからなのであります。」P九三

 「これはやはり、一つは”時”であり、一つは実際の”広宣流布の状況”であります。また正法正義が現在、どのようなかたちで受持されているかということ、あるいは僧俗の色々な関係についても現実を見る必要があります。そのうえで、私どもがその時、その時に応じての正しい筋道を示していっておるのであります。

 そういうことが全く解らないで、自分勝手なことから他人を誹謗し悪口を言う、その悪口を言ったことが原因となって、またさらに自分も救われないようなひどい境界に落ち込んでいっているのが、あの正信会とやら称する者どもであります。」P九五

  ☆四四八号

 (昭和五十五年十月二十二日・昭倫寺新築落慶入仏法要の砌)


 「ですから、かりに信心をしているような形だけはあっても、あるいは”我々こそ本当の大聖人の教えを持っておる”などということを口では言ってみても絶対に、その法を弘めようとする人々を迫害するならば、それはそのまま三類の強敵に当たるのであります。そこのところを深く考えていかなければならないのでございます。」P四二

☆四五二号

 (昭和五十八年八月二十九日・全国教師講習会の砌)


 「皆さん方ははっきりと、あの者どものような法賊は絶対に許さないという気持ちをもってください。いい加減な気持ちで”昔は友達だったのだから”という気持ちで、電話がかかってくれば『どうだ、元気か』などと、そのような対話なんかをしてはいけません。もしも電話でもかかってこようものなら『汝は大聖人の仏法を盗み、大聖人の仏法を土泥に踏みにじるところの大賊であるぞ』と言い切りなさい。そして皆さん方は信心において彼等と決別しなさい。彼等は『明治教学と決別する』と言っておりますけれども、皆さん方は大謗法の彼等と決別することこそ、本当の日蓮正宗の僧侶としての在り方だと思います。」P五二

☆四六七号

 (昭和五十九年十一月十日・実法山大善寺落慶入仏法要の砌)


 「創価学会においては、初代会長、二代会長、そして三代・池田会長と、総講頭の池田先生が指揮を取られて戦後、未曽有の広宣流布の相が顕れました。しかしまた、それによって様々な誤解も生じ、魔が興って宗門のなかが混乱したのでありますけれども、やはり時来たり、正法正義の根幹を護持し給うた御先師の大慈悲によって今日の宗門が、すなわち僧俗が本当に正しく一致して広宣流布に向っていくところの態勢が今日、ここに確立しておると信ずるのでございます。

 その上から、今までにたくさんの寺院が御供養せられたにもかかわらず、残念なことに日本全国のなかで百二十数ヶ寺は今日、日蓮正宗の寺院としての機能を果たしておりません。それは要するに、邪義に執われて正法の流れを正しく拝することを失ったところの誤った悪侶の者どもがそこに蟠踞して、いまだにその寺院を明け渡さないからでありまして、この益田市においてもそのような一ヶ寺が現在、残っておることは皆さんも御承知のとおりであります。しかし、これらの邪義の者どもには、必ず正しい仏法を鏡として、その誤りの姿がはっきりと顕され、仏法におけるところの大きな罰の相が顕れてくることを確信するのでございます。」P七二

☆四七一号

(昭和六十年三月三十日・非教師指導会の砌)


 「私は登座以来、特に昭和五十四年の九月に、山崎正友が実にインチキ極まる悪辣な策略家であるということを見抜いて『あなたは大嘘つきである』ということをはっきりと言いました。それから、特に私に対して色々と策を講じ、罠をかけてきたことが全部だめになったために、今度は正面きって、私などに対して実に有ること、無いこと‥‥というよりも、むしろ無いことばかりを主体にして悪口を言い、週刊誌に様々なことを書かせ、そして、しかもそのなかからさらにまた、活動家と称する馬鹿な僧侶どもを煽り立てて、そして宗門と学会の争いをさらに助長させ‥‥もちろん、それ以上に宗門をも覆滅して、自分勝手に宗門を操ろうとしたのであります。」P八六

☆四七九号

 (昭和六十一年一月・新春の辞)


 「かの正信会と称する邪信の者どもの性根とその行動の一切が、@慢、懈怠、計我、浅識、著欲、不解、不信、顰蹙、疑惑、誹謗、軽善、憎善、嫉善、恨善なる十四誹謗のどれ一つをとってもピタリと当たっていることに、むしろ空恐ろしさを感ずる。」P五

☆四八〇号

 (昭和六十年十二月二十四日・妙義山久昌寺落慶入仏法要の砌)


 「しかるに、彼ら邪信会の者どもがその私の考え方ややり方が間違っておると言うことは、これはまことに大きな僭越でもありますけれども、その根本には、誤った我見に毒されているために、大聖人の仏法は一切の我見を捨てて正法・正義を信ずるところにあるということを、僧侶でありながらその道を見失ってしまったところに存するのでございます。」P八二

☆四八三号

 (昭和六十一年三月三十一日・非教師指導会の砌)


 「これだけ学んだのだからほかの人間より偉いと考えたり、しかもそれにおいて、宗門古来の信条に背いてでも自分の考えが正しいというような考えまでもつようになっては、なにをかいわんやであります。しかし、それを事実もったのが前に擯斥された馬鹿者どもであり、そのなかで在勤教師会とかくだらないことを言っているような者が全くふざけたインチキな考えに基づいて宗学を論じ、そして大聖人様の御法を、理を非に曲げ、色々に歪めた上でそういう出版物などを出しておるというようなことがあります。」P七八

☆四八六号

 (昭和六十一年六月二十六日・富士学林研究科開講式)


 「以前、宗門に色々と問題が起こった時に、いわゆる現在、正信会とか称するような者達があらゆることから創価学会や公明党の悪口を言い、その面から様々な批判・攻撃を行ったことがありました。それらのものを見てみると、仏法という次元と世法の政治という立場とを、場合によっては全く無視したり、場合によってはまた一緒にして、一往の仏法の見方から政治の一々の在り方について色々と悪口を言っておるというような形があったように思うのであります。

 やはり政治という立場は仏法そのものの立場と同一ではありません。けれども今、我々が公明党について考えるときに、日蓮正宗の信徒として大聖人様の仏法を日夜に受持信行する多くの人々の手によって立候補者が出、そして当選をして国政に参加しておるのであります。その根本には大聖人様の仏法の信心をもって、信徒として大聖人様の大慈悲の、また正しい仏法の精神を一番根底に置いて一切の民衆の真の幸せを図っていこうということであると私は思いますが、そうであるならば公明党の働きというものは、我々僧侶の立場からも大いにそれを理解していかなければならないと思うのであります。」P四一

☆四九八号

 (昭和六十二年六月二十五日・富士学林研究科開講式の砌)


 「あの正信会と称する邪信会の者どもの考え方にも、大きなところでそれが入ってしまっておったということを私は今でも信じておりますし、皆さんにも折に触れてその具体的なことについて述べたこともあるかと思います。」P七〇

☆五二七号

 (平成元年十一月二十三日・寿泉寺移転新築落慶法要の砌)


 「しかるに、おいたわしいことに、本日入仏の御本尊様は寿泉寺の創立以来、日達上人の御書写として当地の方々の参詣供養、信心修行を申し上げてきた尊い御本尊様でございましたが、ある時期以来、その寿泉寺におる者が謗法となりまして、長い間、謗法の泥にまみれておられたのであります。したがって本日ここに私が伺って、僧侶ならびに皆様とともにこの御本尊様に対し奉り深く御報恩謝徳申し上げるとともに、今まで謗法の者によって受持されたところの御本尊をお清め申し上げました。ここに本日の入仏法要の深い意義があると思う次第でございます。

 したがって、一切の謗法の塵も払われて本来の晃々たる御本尊様の深い御功徳がここにおわします次第でございますから、皆様方にはこれから安心してこのお寺へ常にお詣りになって唱題修行し、一生成仏の素願の功徳を積んでいっていただきたいと存ずる次第でございます。」P八〇

これよりケンカ別れの後の発言

☆五五七号

 (平成四年五月二十八日・全国教師・寺族指導会の砌)


 「したがって私は、その御収束の御精神を承けて、あくまで創価学会を大きく包んで指導していくということが一番根本の考え方でなければならないと思ったわけであります。

 ところが、勢いづいた正信会の者どもが、どうにも先走ってしまうのであります。このような在り方は日達上人の御遷化の直前からありましたけれども、特に御遷化のあとにおいて顕著になってきました。それらを色々な面から慰撫しつつ、創価学会を大きく包もうという私の気持ちに一致して御奉公をしてくれるように願っておったのでありますが、彼等の行き過ぎた行動はあのような経過を来してしまったのであります。その経過の一々については、時間の関係上、とてもこの場では申し述べられませんが、最終的には擯斥処分というところにまで及んだわけであります。

 その後、私は、池田大作なる者を根本とする創価学会を大きな意味で正しく善導していきたいと思っておりました。したがって、この問題が起こるまでにおいて、二回ほど呼びつけて、きちんと指導したことがあります。これについても、不満を言っていたということがのちに聞こえてきましたけれども、ともかく、そのように指導もいたしました。

 また、その他のあるゆる面から、宗門七百年の化儀・化法を根本とするところにこそ、真の広宣流布の道があるということを、常に変わらない信念として私は教導してまいりましたが、大聖人様の本門三大秘法の、特に戒壇の本義をわがまま勝手な我見をもって解釈したり、また、そのところから『広布第二章』というような創価学会を中心とする在り方を望んで、そのなかに宗門全体を巻き込んでいこうという考え方がはっきりと色々な面から表れてきたわけであります。」P五二

☆五六九号

 (平成五年五月二十八日・第三十五回寺族同心会大会の砌)


 「邪義が中心になって色々なことを教える他門の大学に入った場合に、その一面が存するということは、ある程度、考えられるのであります。

 もちろん、過去の実例においては、そのようなことはなかったではないかと言う方もありましょう。それも考えられます。しかしまた、正法の袈裟・衣を纏いながらも、大聖人様の祖道の意義を拝しきり、受けきることのできなかった者達がいたことも事実ではないでしょうか。あの正信会へ走った百八十余名の者達の行動が、また、今日のその者達の姿が、全くそれを証明しておると思います。つまり、身延で建てた大学で学んだことにより、日蓮正宗の下種三宝の教えに対する疑いが幾分でも残っておれば、その因縁により、なんらかの形においてそれが現れてくるということも、正信会の例が実証しておると思うのであります。」P七二

☆五七九号

 (平成六年四月六日・虫払い大法会に参詣の海外信徒お目通り)


 顧みれば、私が教学部長時代、十八、九年前のことですが、京都の平安寺の住職をしておりました時に自称正信会へ行ってしまった元僧侶が来まして、『池田大作は間違っている。池田大作の気持ちのなかには、池田本仏という考えがある。すなわち、大聖人の教えを蔑ろにして、自分が中心だという考えを持っている』ということを言ってきました。けれども、私は、『それは違う。これだけ一生懸命にやっているのだから、そんなことはない』と言って追い返したことがありました。しかし、その者の言うことは結局、本当だったのです。

 このことについて考えるとき、既に池田大作は根本的に間違っていたのですが、そのことを見抜けなかったということにおいて、私は今、一往、反省しております。」P八六

☆五八一号

 (平成六年五月二十六日・全国教師・寺族指導会の砌)


 「例えば、昭和五十一年ごろ、私が平安寺の住職をしておりました時に、今は自称正信会に入っている元僧侶が私の所へ来て、『今の学会には池田本仏の思想がある』と言った時に、『池田本仏ということは、私は信じたくない』と言い、『それは聖教新聞に出ているか』と問いました。それに対して『新聞には出ていませんけれども、裏では存在するのです』と言いましたので、『それは君が推測するだけであって、私は直ちに信じられない』との旨を言いました。

 その後、色々な経過がありましたが、最終的には日達上人が、昭和五十四年五月三日の本部総会において、五十二年路線等の問題におけるきちんとした処置をあそばされたのであります。私はその日達上人のあとをお受けしたのですから、やはり日達上人が公式にきちんとお決めあそばされたことを私が継承していくことは当然だと思い、ずっと進んできたのであります。

 しかし、『池田本仏』という不逞な、根本的に誤った考え方が学会内部に存在したことは、遺憾ながら本当でありました。そのことをもって、『おまえはその時に考え違いをしていたのではないか』と言われれば、ある一面においてそういう言い方もできるかも知れません。しかし、仏法流布の流れのなかでの、それぞれの時における役割があり、これを簡単に一辺倒の形だけで説明することはできないのです。」P四九

☆五八八号

 (平成七年一月六日・末寺住職・寺族初登山の砌)


 「これらの者はその一面だけを見て、祖道というものの全体の趣旨と意義を見失っておるのであります。

 自称正信会もまた、そのとおりであります。池田大作の悪いことを糺すのだと主張して色々な行動を起こしましたが、日達上人が最後に収束あそばされたあとをお承けした私の行うべきことは、創価学会の当時の反省の姿から見て、ともかく創価学会のすべてを我々の手で成仏の道に導いてあげようということの上から、正しく善導していく時であったのです。その時に『いや、とにかく徹底して池田を糺すべきであり、創価学会をつぶすべきである』というような考え方で暴走したのが自称正信会であります。」P八四

☆六一五号

 (平成九年三月三十日・法華講連合会第三十四回総会の砌)


   「日達上人は、お亡くなりになる年の昭和五十四年五月三日、創価学会の謗法を戒められて、今後は一切、宗門に付き従って法を護り、広布に向うという約束のもとに創価学会を許されたのであります。

 その三ヶ月後に、生前のお約束によりまして、私が跡をお受けするような形になりました。故に、私といたしましては、あくまで御先師の決められた約束と在り方を忠実にお受けして、法を護持していくことが大切であったのであります。

 したがって、その時においては、創価学会においても志を新たにして宗門に付き従うということを言っておりましたし、また、御先師の御指南もそのとおりでありましたから、私としては創価学会を守り、正しく指導していきたいという気持ちをもって、昭和五十四年の八月以降、行ってまいりました。

 その時に、その在り方に反乱をして逆らったのが、いわゆる自称正信会の者達でありました。これは、一言もって言うならば、

 『仏法は時によるべし』

ということであります。」P六一

 「ですから、しばらくの間は、創価学会、池田大作等を正しく導かんがために心を砕いてまいりました。しかし、本来、その本性・本音が謗法の姿として持っておる者どもでありましたので、結局、池田中心、創価学会中心といところに仏法の本義を乱してしまったのであります。そういうところから、様々な現証が起こってきた関係上、平成二年以来、その問題に対して、宗門はきちんとしたけじめを立て分けてきた次第であります。

 ですから、正信会の者どもが独走し、御先師が決められた轍を乱して創価学会を打ち破ろうとした姿は、まさしく時と機を知らなかった姿であります。彼等は、『自分達がやったから、日蓮正宗もまた、それをまねしたのだ』というようなことを言っております。しかし、それは大きな誤りであります。これは時に随って初めて、真実の正法正義とともに、真の破折の姿が顕れてくるのであります。

 今、宗門がここに僧俗一致して正法広布を目指しつつ、邪義・池田創価学会を破折するに至ったことこそ、本当の時を得たところの姿であります。したがって、今こそ創価学会の謗法を徹底的に破折していくべき時であります。」P六二

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