善知識 (善知識) 関連語句 悪知識

 ①よき友。親友。自分のことをよく知ってくれている友達。 ②正法を説いて仏道に導く人で、悪知識に対する語。立派な指導者・賢者をいう。『三三蔵祈雨事』〔21453〕には「されば仏になるみちは善知識にはすぎず。わが智恵なににかせん。ただあつきつめたきばかりの智恵だにも候ならば、善知識たひせちなり」とあり、仏道を成ずる際の善知識の大切さが示されている。
 正直または有徳の友の意。また単に知識、あるいは真善友、善真友、善友、真友、親友とも称す。悪知識に対す。すなわち人を化導利益する有徳の善親友を云う。
 『増一阿含経巻11善知識品』に、「世尊諸の比丘に告ぐ、当に善知識に親近すべし、悪行を習い悪業を信ずること莫かれ。然る所以は、諸の比丘、善知識に親近せば、已信便ち増益し、聞施智慧普く悉く増益せん。若し比丘善知識に親近して悪行を習うこと莫かれ。然る所以は、若し悪知識に近づかば便ち信戒聞施智慧なし。是の故に諸の比丘当に善知識に親近すべし、悪知識に近づくこと莫かれ」と云い、『大品般若経巻27常啼品』に、「何等か是れ善知識なる、能く空無相無作無生無滅の法及び一切種智を説きて、人心をして歓喜信楽に入らしむ。是れを善知識と為す」と云い、
 『大般涅槃経巻25』に、「善知識とは所謂菩薩仏辟支仏声聞人中の方等を信ずる者なり。何が故に名づけて善知識と為すや、善知識とは能く衆生に教えて十悪を遠離し、十善を修行せしむ。是の義を以っての故に善知識と名づく」と云い、『法華経巻7妙荘厳王本事品』に、「若し善男子善女人、善根を種うるが故に世世に善知識を得ん。其の善知識は能く仏事を作し、示教利喜して阿耨多羅三藐三菩提に入らしむ。大王当に知るべし、善知識は是れ大因縁なり、所謂化導して仏を見ることを得て、阿耨多羅三藐三菩提心を発さしむ」と云える是れなり。是れ蓋し仏菩薩乃至人天を問わず、凡べて人の為に善友となり、教えて諸悪を遠離して諸善を修せしむる者を善知識と名づけたるなり。
 また『旧華厳経巻58入法界品』には十種の譬喩に約し、善知識は行者をして仏家に生ぜしむるが故に慈母の如く、無量の事を以って益を施すが故に慈父の如く、一切の悪に遠ざからしむるが故に養育者の如く、菩薩戒を学せしむるが故に大師の如く、彼岸に至らしむるが故に導師の如く、一切煩悩の患を療治するが故に良医の如く、智慧の薬を長養するが故に雪山の如く、一切の恐怖を防護するが故に勇将の如く、生死の海を越えしむるが故に牢船の如く、一切智の宝洲に到らしむるが故に船師の如しと云い、『大智度論巻96』には善知識に親近すべき所以を説き、「好法ありと雖も若し教うる者なくんば、行ずる時多く錯る。譬えば好薬ありと雖も亦た良医を須うるが如し」と云えり。是れ皆善知識の勝徳を説けるものなり。
 其の種別に関し、『摩訶止観巻4下』には三種とし、「知識に三種あり、一に外護、二に同行、三に教授なり。(中略)夫れ外護とは白黒を簡ばず、但だ能く所須を営理して過を見ること莫く、触悩すること莫く、称歎すること莫く、汎挙して損壊を致すこと莫く、母の児を養う如く、虎の子を銜むが如く、調和所を得るなり。旧行の道乃ち能く為すのみ。是れを外護と名づく。二に同行とは随自意及び、安楽行を行ずるには未だ必ずしも伴を須いず、方等般舟行法には決して好伴を須う。更に相策発して眠らず散ぜず、日に其れ新なるあり、切磋琢磨し心を同じくし志を斉しくして一船に乗ずるが如く、互いに相敬重して世尊を視るが如くす。是れを同行と名づく。三に教授とは能く般若を説きて道非道を示し、内外方便通塞妨障皆能く決了し、善巧説法し、示教利喜して破人の心を転ぜしめ、諸の方便に於いて自ら能く決了して独行することを得べく、妨難未だ諳ぜざれば宜しく捨すべからず。経に言わく、善師に随順して学せば恒沙の仏を見ることを得んと。是れを教授と名づく」と云う。《望月仏教大辞典・取要》