安国論愚記

ホームへ 資料室へ 御歴代上人文書の目次へ メール

安国論愚記
正徳五乙未六月二十四日 大貳日寛之を記す

(序)


一、御書結集の事。

目録に云く「御一周忌に之を集む」と云云。性抄に云く「三年の喪を限り駈けて録す」と云云。啓蒙に云く「録内珀四十八通、録外三百余通、一周忌・三回忌の砌、六老僧等結集するなり」と云云。

この事、各疑あり。愚案記第三 五十四、家中抄上巻に云云。

一、述作年代の事

啓蒙に云く「人王八十八代後深草院の御宇、文応元年」と文。

今謂く、この義爾らず。実に人王八十九代亀山院の御宇、文応元庚申年なり。後深草は一年已前の正元元年乙未十一月二十六日に譲位、同じき十二月二十八日に亀山院即位するなり。即位の翌年正元二庚申年に改元あって文応元年と号するなり。故に文応元年は但亀山の年号なり。何ぞ後深草といわんや。

鎌倉将軍譜十八に云く「亀山院の文応元年七月十六日、沙門日蓮安国論一巻を作り、以て時頼に献ず」と已上。

王代一覧五 三十六に云く「八十九代亀山院の文応元年七月、僧日蓮鎌倉に到る。時頼対面す」と文。家中抄並びに日我抄も皆この意なり。愚案記一 終。

将軍は鎌倉九代の中に第六宗尊親王。執権時宗幼稚なる故に、時頼入道最明寺、尚世務を沙汰する故に、宿屋入道に託し以て時頼に献ずるなり。時頼は文応元年より五年已前の康元元年十一月二十三日に落髪す。時に三十歳、法名は道宗、また覚了房と号す。康元元年は即ち建長八年なり。この年、改元あって康元と号するなり。宿屋入道も竜口の奇瑞に驚き、終に御弟子となり、後に私宅を捨てて以て一寺を立つ。即ち今の行時山光則寺これなり。行時は父の実名、光則は入道の名乗りなり。即ちこれ彼の妙本寺の末寺なり。

妙本寺は比企の大学三郎の建立なり。この人に安国論の草案を見せしむ。これ則ち時の大儒文者なる故なり。

一、この論縁起の事

凡そ後の五百歳中広宣流布の時既に来る。故に本化上行菩薩は偏に付嘱を重んじ、大悲に住す。身は皆金色の光を和らげ、名字童形の塵に同わり、終に人王八十五代後堀川院の貞応元年壬午二月十六日午の尅を以て房州小湊の浦に生まる。御父は貫名五郎平重実の息・重忠なり。十二歳に入室し、十六歳に落髪す。学は八宗に亘り蔵は三般に入る。建長五癸丑四月二十八日、朝陽、眉を旋げて始めて経題を唱う。一宗の濫觴この一涓に在り。爾の時に当り正嘉元の初め、大地太だ震い彗星丈に余る。風雨・飢饉年を累ね月を積む。師この変動の洪基を勘えたまうに、これ偏に国中の謗法に由る。王臣これを覚らず。夫れ謗法を見て責めざるは仏子に非ず、不義を見てこれを諌めずんば忠臣に非ざるが故にこの論を作り以て時頼に献ずるなり。

一、この論所破の事

一往附文の辺は、但哀音の念仏に在り。これ亡国の洪基の故なり。詩の伝に云く「亡国の音は悲しんで淫す」と云云。良に由あるかな。故に一部の始終、専ら法然の謗法を破す。仍って天台・真言を以て倚頼と為すは、これ則ち立宗の草創なるが故に養利●鈍の故なり。

若し再往元意の辺は、広く諸宗に通ずるなり。故に客の第一段に天台・真言・禅宗等の祈験なきことを列し、主の第四段に至って結破して云く「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」等云云。また云く「但し法師は諂曲にして人倫を迷惑し王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し」等云云。況や撰時抄下に云く「文応元年太歳庚申七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時宿谷の入道に向って云く禅宗と念仏宗とを失い給うべし」と云云。本尊問答抄に云く「真言宗と申すは一向に大妄語にて候が深く其の根源をかくして候へば乃至立正安国論と名けき、其の書にくはしく申したれども愚人は知り難し」等云云。故にこの論の所破は実に諸宗に通ずるなり。

一、この論首に居く事

凡そこの論はこれ国主諌暁の書、兼讖差わざるの判なり。況や句法、玉を潤し、義勢地を霑す。故に師の自賛して云く「白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず」と。 此に三意あり。一には彼は前代に託して諷諭し、これは直に災難の起を示す。二には彼は其の言に用捨あり、此れは強言を以て暁諌す。三には彼は但世間政道の謬りを糾す。此れは現当の為に謗法の罪を糾す。豈楽府に勝るに非ずや。他国侵逼・自界叛逆の兼讖秋毫も差わず、寧ろ仏の未来記にも劣らざるに非ずや。この論首に居くこと誰かこれを疑うべけんや。

一、立正の両字の事

増韻に云く「正理を以て典・常・法・則を立つるを政と曰う」と文。これ「立正」の拠か。当に知るべし、立正とは破邪に対するの言なり。正直捨方便は邪を破するなり。但説無上道は正を立つるなり。

問う、若し爾らば邪正如何。

答う、日我云く「此の論は専ら浄土所対の法門なり。故に権実相対なり。内証は本迹・種脱も之有るべし。先ず一往は開目抄に観心の釈なし、観心抄に教相の釈なし、安国論に本迹の文なし。是れ一箇の相伝なり。然りと雖も、権実落居の上、従浅至深して宗旨の深意有るべし。若し爾らば過時の迹を捨て、其の上に在世・末法、種脱の両箇、自然に之有るべし。謂く、四味三教は邪法なり、法華の一実は是れ正法なり、是れ権実相対なり。又天台過時の迹は邪法なり、末法弘通の本門は正法なり、是れ本迹相対なり。凡そ三大秘法は要中の要、正中の正なり。久遠下種の正法とは、末法弘通の三大秘法の事なり。故に種脱迷乱の他門家は、悉く立正に非ず、皆是れ邪法邪師なり。是れ種脱相対なり」取意と。

一、安国の両字の事。

荀子に云く「国安きこと磐石の如し」と。これ字の出ずる所なり。「安」とは徐氏云く「寧なり、静なり」と。「国」とは天下を総じて万国という。これはこれ通称なり。別してこれを論ずれば、天子に天下といい、諸侯に国と曰い、太夫に家と称す。今、安国とは意、柳営の諸侯等に在る故なり。

日我云く「安国とは一閻浮提に通ずべし。然も本門弘通の最初は日本国成るべし。本門日輪の行度之を思え。下の文二十二に云く『四海万邦一切の四衆其の悪に施さず皆此の善に帰せ』云云と。又但現世のみに非ず、未来にも通ずべし。故に下の文の終に云く『三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん』と」と。

今謂く、文別意通なり。文は唯日本及び現世に在り、意は閻浮及び未来に通ずべし云云。

一、この書を論と名づくる事。

一往は仏の説を経と名づけ、菩薩の造を論と称し、人師の作を釈といい、釈を註するを抄という。然るに南山の戒壇経、禅家恵能の壇経等あり。人師の釈を尚経と称す、況や論と名づけざらんや。況や其の例甚だ多きをや。智者の観心論、妙楽の金●論、伝教の決権実論、慈覚の顕揚大戒論、達磨の破相論・血脈論、弘法の十住心論等あり。何ぞ吾が師に限りこれを疑うべけんや。況やこの書は問答往覆して以てその義を顕す、豈論と称せざらんや。況やまた本地は本化の菩薩なり、何ぞ論と名づけざらんや。況やまた内証深秘の重は「我本行菩薩道」の本因妙の大菩薩なり。別して論と称すること、それ深意あるか。

一、この題に三箇の秘法を含む事

日我云く「立正の両字は本門の題目なり。安国の両字は本門の戒壇なり。日蓮勘う等は本門の本尊なり」等云云。

今謂く、立正の両字は三箇の秘法を含むなり。初めに本門の本尊に約せば、正とは妙なり、妙とは正なり。故に什師は妙法華経と名づけ、法護は正法華経と名づくるなり。況や天台は三千を以て妙境と名づけ、妙楽は妙境を以てまた正境と名づけんをや。故に正は即ち妙なり。妙とは妙法蓮華経なり。妙法蓮華経とは即ち本門の本尊なり。故に顕仏未来記に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字」等云云。

立とはこの本尊を立つるなり。故に観心本尊抄に云く「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」と文。妙法蓮華経の左右に釈迦・多宝・上行等を図顕す。故に「本門の釈尊を脇士と為す」というなり。これ則ち文底深秘の最要、妙中の妙、正中の正なり。故に閻浮第一というなり。この本尊日本国に立つべしと云云。若し爾らば、立正の両字は即ちこれ本門の本尊なり。

次に本門の題目に約せば、謂く、題目に信行の二意を具す。行の始めはこれ信心なり、信心の終りはこれ行なり。既に正境に縁する故に信心即ち正なり。信心正なる故にその行即ち正なり。故に題目の修行を名づけて正と為すなり。天台云く「行を進趣と名づく。智に非ざれば前まず、智行を導くと雖も、境に非ざれば正しからず」等云云。この意、深く思え云云。立とは即ち行を立つるなり。妙楽云く「一念信解とは即ち是れ本門立行の首」と云云。天台云く「今、妙解に依り以て正行を立つ」等云云。

三に本門の戒壇に約せば、凡そ正とは一の止まる所なり。故に一止に从うなり。一は謂く、本門の本尊なり。これ則ち閻浮第一の本尊なるが故なり。本尊抄の文の如し。またこれ一大事の秘法なるが故なり。南条抄の文の如し。故に本尊を以て一と名づくる者なり。止はこれ止住の義なり。既にこれ本尊止住の処なり。豈本門の戒壇に非ずや。立とは戒壇を立つるなり。御相承に云く「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ」等云云。故に但立正の両字に於て三箇の秘法を含むこと文義分明なり。

問う、その証如何。

答う、興師の申状に云く「爾前迹門の謗法を対治し法華本門の正法を立てらるれば、天下泰平国土安全たるべし」と云云。「爾前迹門の謗法を対治し」とは即ちこれ邪を破するなり。「法華本門の正法を立てらるれば」とは即ちこれ正を立つるなり。「天下泰平国土安穏」とは即ちこれ安国なり。この中に「法華本門の正法」というとは、即ち三箇の秘法なり。故に日有師の申状に云く「爾前迹門の諸宗の謗法を対治して法華本門の本尊と戒壇と並びに題目の五字を信仰せらるれば、一天安全にして四海静謐ならん」と云云。況や日我は血脈抄の意を示して云く「久遠下種の正法とは、末法弘通の三大秘法の事なり」と云云。前に引く所の如し。

一、この論の撰号の事

或は「釈日蓮」と云云。或る「天台沙門」と云云。若し「釈日蓮」とは、撰時抄の題の下にこれを釈するが如し。「天台沙門」とは、但これ外用の一辺なるのみ。これ則ち立宗最初の故と国主諌暁の書の故に云云。

入文第一段   二十九日

将にこの論を分たんとするに、凡そ十段あり。第一、災難の来由。第二、災難の証拠。第三、正法を誹謗するの由。第四、正しく一凶の所帰を明かす。第五、和漢の例を出す。第六、勘状の奏否。第七、施を止めて命を断つ。第八、斬罪の用否。第九、疑を断じて信を生ず。第十、正に帰して領納す。この十段を分ちてまた十九と為す。初めの九段は各問答あり。故に以て十八と為す。第十の「正に帰して領納す」を合わせて十九段と為すなり。細科は具に性抄の如し。

当に知るべし、賓主問答を仮立したまう所以は愚者をして解し易からしめんが為なり。而るにまた例あり。所謂荘子の逍遥篇、文選の子虚の賦等、金?論の野客の問答、三教指帰の兎角公・亀毛先生等、皆その例なり。

またまた当に知るべし、客はこれ他宗、主はこれ自宗なり。故に客の問は仮の方便なり、主人の答えはこれ真実なり。此等は並びにこれ附文一往なり。若し元意の辺は、蓮祖は日本国の一切衆生の主君なる義を顕すなり。謂く、家の主はこれその家の主君なり。国の主はこれその国の主君なり。一天の主はこれ一天の主君なり。自余は倶にこれ賓客なり。普天の下・率土の賓、王臣ならざることなし云云。撰時抄上二十に云く「日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師等が師範なり又主君なり」と文。

第一 災難の来由

一、旅客来りて嘆いて曰く文。

音義の如く然るべきなり。下去の「客」の字は漢音を用ゆべし。

一、近年より近日に至るまで文。

正嘉元巳年より文応元申歳に至る、已上四年なり。

一、遍く天下に満ち等文。

一国二国の飢饉に非ず、天下一同の飢饉なり。故に「遍く満ち」というなり。一邑一郡の疫癘に非ず、日本一同の疫癘なり。故に「広く迸る」というなり。

一、牛馬巷に斃れ文。

仏の死を涅槃といい、衆生の死を死といい、而して天子に崩御といい、諸侯に薨といい、太夫に不禄といい、智人に遷化といい或は逝去といい、将軍に他界といい、平人に死といいまた遠行といい、牛馬の死を斃というなり。若し人、不義を行えば則ち牛馬に同じ。故に左伝に云く「多く不義を行えば必ず自ら斃る」と云云。

一、或は利剣即是の文を専にして文。

八万四千の煩悩の病を治せんが為、即ち八万四千の法門を説く。故に門々不同というなり。中に於て、煩悩・業・苦の三道の縛を断滅せんが為の利剣は、弥陀の名号に過ぎたるはなし。故に「利剣即是弥陀の号」というなり。若し宿業を滅せば、何ぞ飢疫に逼られん。故に●爾の為にこれを称うるなり。

当に知るべし、内外●爾に十段の文あり。中に於て、初めの八段はこれ出世の●爾、分ちて四双と為す。第一第二は東西一双、第三第四は文句一双、第五第六は水月一双、第七第八は門戸一双なり。また分ちて通別と為す。初めの六段は別なり。謂く、第一は浄土宗、第二第三第四は天台宗。薬師は天台家の本尊なり。中堂の如きこれなり。法華は勿論依経なり。仁王は鎮護国家の三部の内なる故なり。健抄一 四十二に云云。第五は真言宗、第六は禅宗なり。故に別というなり。若し第七第八は実に諸宗に通ず。故に通というなり。

一、空観の月を澄し文。

己心の月を澄せば則ち有為の妄想あることなし。若し有為の妄想なくんば、何ぞ三災七難を起すべけんや。故に観念を以て祈りと為すなり。

一、万民百姓文。

日我云く「只是れ諸民なり。日本の姓を百に分ちて、二十を以て公家と為し、八十を以て武家となす。『武士の 八十氏川』と云うは是なり」と云云。

私に云く、承久の乱の時、清水寺の京月房が院中に参り宇治に向い、生け捕れてよめる、「勅なれば身をば捨ててき武士の 八十宇治川の瀬には立たねど」と云云。

一、国主・国宰等文。

「主・宰」は高下に通ずるなり。今は国王・宰相は国々の司の義とする義然るべし云云。「国主」は天下の主なり、「国宰」は一国の主なり。職原抄二 二十八。

一、唯肝胆を摧くのみにして等文。

只これ臓腑を揉み摧く義なり。而してその始めを挙げ自余を摂するなり。「肝胆」は木に当る故なり。木はこれ五行の初めなる故なり。「肝は木の胆腑、眼・筋・爪も」と云云。これはこれ誠情を尽すことを顕すなり。

一、臥せる屍を観と為し。

游園観・諸台楼観等の如し云云。

一、二離璧を合せ。

「二離」は日月なり。離に二意を含む。一には麗なり。日月は天に麗くが故なり。二には明なり。二明豈日月に非ずや。

一、客来って共に嘆く屡談話を致さん。

科註の点思わざるなり。「談話」を客に属する故なり。

一、愚にして後生の疑を発す。

「後生」とは漢音を用うべし。性抄の如し云云。而して当世の人を指して後輩というなり。これ先輩に対する故なり。先生・後生、先進・後進等の如し。

一、世皆正に背き人悉く邪に帰す文。

今この八字肝要なり。別しては「背正帰邪」の四字肝心なり。邪正の相対は題号の下の如し。正とは三箇の秘法の事なり。これ元意なり。

一、聖人は所を辞して文。

三略の下に云く「賢去れば則ち国微え、聖去れば則ち国乖く」と已上。世間の聖人尚爾なり。況や出世の聖者をや。今はこれ出世の聖人なり。

一、災起り難起る文。

当に知るべし、災難の来由に具に三意を含む。一には背正帰邪の故に、二には神聖去辞の故に、三には魔鬼来り乱るるが故に云云。

第二 災難の証拠の下 七月五日

一、其の証弘博なり文。

文証広大にして通じて諸経に普し、故に「弘博」というなり。

一、未だ嘗て流布せしめず。

此くの如く点ずべし。国王この経を流布せしめざるなり。

一、捨離の心を生じて文。

啓蒙の意に云く、この文は国王に約するなり。故に本経に「若し人王有って其の国土に於て」等というなり。然るに承の註に、この文を以て諸天に約するは太だ非なりと云云。 今謂く、註の意は経の前後を取り、略してその意を示す。然るに、「梵帝四王、心に捨離を生じ、及び持者に於ても又保護せず」とは、これ恐らくは「其の国土を捨てて擁護の心無けん」の文を消するか。未だ必ずしも「捨離の心を生じて」等の文を釈すと謂うべからず。これ則ち「甘露の上味に背き正法の流通を失う、故に梵帝四王、心に捨離を生ず」等という故なり。これを思え。所詮、今文は国王に約してこれを釈すべきなり。

一、遂に我れ等(乃至)令文。

「遂令」の両字は「及以び勢力」に冠するなり。

一、甚深の妙法文。

問う、この経はこれ方等の摂なり。何ぞ妙法と名づくるを得んや。

答う、諸の法相は所対不同なり。若し外道に望むれば、阿含小乗も尚これ妙法なり。故に云く「舎利子の所説は妙中の妙なり。況や復方等大乗をや」と。当に知るべし、今はこれ大小相対なるのみ。

一、甘露の味に背き文。

即ちこれ諸天甘露の食味に向わず、正法の水流を得ず、既に飲食に飢渇す、故に威光勢力あることなきなり。向背得失これを思い見るべし。

一義に云く、悪王悪比丘の甘露に背き、正法を失い、威光あることなしと云云。また一義に云く、上の文は「悪王」等に約し、下の「威光」等は諸天に約す。具に啓蒙の如し。所引の次上の文に云く「甘露味を以て我に充足す。是の故に我等是の王を擁護す」文と。また下の文に云く「無上の甘露の法味を服ることを得、大威徳勢力光明を獲」等云云。況や所引の文相は諸天に約してこれを釈するに、最もこれ穏便なるをや。

一、正法の流を失い文。

問う、若し第三の跨節の意に拠らば、「甚深の妙法」及び「甘露」「正法」の文に三大秘法を含むべきや。

答う、云云。

問う、如何。

答う、これを含むべきなり。初め「甚深の妙法」とは、若し迹門の意に約せば、即ちこれ諸法実相の妙法なり。経に云く「甚深微妙の法を我今已に具え得たり」と云云。天台云く「実相は甚深と名づく」等云云。若し本門の意に約せば、本因本果の妙法なり。経に云く「如来の一切の甚深の事」等と云云。天台云く「因果是れ深事」と文。宗祖云く「妙法蓮華経の五字は迹門にすら尚之を許さず。況や爾前に分絶えたる事なり。寿量品に至って本因本果の蓮華の二字を説き顕し、上行菩薩に付嘱したまう」(取意)と云云。

若し文底の意に拠らば、即ち三箇の秘法を含むなり。天台云く「此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵なり」と云云。「本地」の二字は戒壇を顕すなり。謂く、本尊所住の地なり、故に本地という。豈戒壇に非ずや。「甚深」の二字は本尊を顕すなり。天台云く「実相は甚深と名づく」と云云。妙楽云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界」等云云。豈一念三千の本尊に非ずや。「奥蔵」の二字は題目を顕すなり。天台云く「包蘊を蔵と為す」と云云。謂く、題目の一行に万行を包蘊す、故に一行一切行というなり。豈題目に非ずや。今「甚深の妙法」とは、即ちこれ「本地甚深の奥蔵」なり。故に三箇の秘法を含むべきなり。文略し意周し。これを思い見るべし。

次に「甘露」とは、妙楽云く「甘露門とは実相常住、天の甘露の如し、是れ不死の薬なり」と文。一連にこれを釈すと雖も、而も二門の意を含む。初めに「甘露門とは実相常住」とは、これ迹門の諸法実相を名づけて甘露と為す。故に実相常住というなり。「天の甘露の如し、是れ不死の薬」とは、これ本門の「是好良薬」を名づけて甘露と為す、故に「不死の薬」というなり。既に寿量品に「是好良薬」と説き、薬王品の中に至り「若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」と演ぶる故なり。

若し文底の意に約せば、即ち三箇の秘法を含む。涅槃経北本第八初に云く「或は甘露を服し、寿命長存を得る有り」と文。「甘露」の両字は本尊を顕すなり。妙楽云く「実相常住、天の甘露の如し」と云云。また云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界」等云云。故に知んぬ、事の一念三千の本門の本尊なることを。

「服」の一字は題目を顕すなり。天台大師の文の九に釈して云く「修行を服と名づく」等云云。第三の題目は正にこれ唱題の修行なり。報恩抄に第三の題目を釈して云く「日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」等云云。

「寿命長存を得」とは、戒壇の功能を顕すなり。義例随釈第一 十紙に破戒の罪を明かして云く「法身を亡ぼし恵命を失う」等云云。故に知んぬ、持戒の福は寿命長存を得ることを。豈戒壇に非ずや。当に知るべし、仏道を行ぜんと要むれば応にこの戒壇の地に住すべきなり。自然と本門の本尊を信じ、自然と本門の題目を唱う。故に自然と「是名持戒」の行者なり。例せば、家語に「善人と居れば芝蘭の室に入るが如し、久しく其の香を聞がざれども即ち之と化す」等というが如し。恵信(心)の歌に云く「山里に住めばおのずと持戒なり 実なりけり依身より依処」と云云。

三に「正法」とは三種の邪正、題号の下の如し云云。但正の字に於てのみ三箇の秘法を含むなり。謂く、正とは妙なり。妙は即ち妙法蓮華経、妙法蓮華経は即ち本門の本尊なり。本尊妙なる故に信もまた妙なり。信妙なるが故に行もまた妙なり。妙は即ち正なり。故に正の字は即ち題目なり。玄二 四十一に云く「境妙なるを以ての故に智も亦随って妙なり。智は行を導く、故に故行妙と云う」と云云。凡そ正とは一の止まる所、故に一止に从う。一は即ち本門の本尊、止は即ち止住なり。本尊止住の処豈戒壇に非ずや。具に題号の下の如し。

今、第三の跨節の意に拠って以てこの文を消せば、「其の国土に於て」とは日本国なり。「此の経有りと雖も」とは本門の本尊、妙法蓮華経の五字なり。「未だ嘗て流布せしめず」とは未だ一閻浮提に広宣流布せしめざるなり。顕仏未来記に云く「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」と云云。これを思い合すべし。但受持せざるのみに非ず、剰え捨離の心を生じて聴聞せんことを楽わず。また身に供養せず、意に尊重せず、口に讃歎せず。文底受持の行者を見て能く尊重讃歎供養せず。故に諸天をして三箇の秘法の妙法を聞くことを得ざらしむ。故に三箇の秘法の食味に飢え、三箇の秘法の水流に渇く。故に威光勢力あることなし云云。

学者応に知るべし、日本国中皆已に毒薬邪法の飲食なり。諸天何ぞこれを受けんや。唯我が文底甚秘の大法のみ無上の甘露正法なり。若しこれを供養せざれば、諸天の威光如何。須くこの意を了すべし。敢て懈ること勿れ。

一、悪趣を増長し文。

これはこれ四悪趣なり。「生死の河に墜つ」とは、上の六凡を以て通じて生死と為し、四聖の用を以て涅槃と為すなり。性抄は分明ならざるに似たり云云。

一、斯くの如き事を見て文。

性抄に云く「即ち正法の流を失うの事なり」と云云。この義、未だ美からず。

今謂く、但これ「未だ嘗て流布せしめず」等の事なり。已下は神聖捨去の正引なり。

一、擁護の心無けん文。

持経者に於てまた両向あり。開目抄の意は、謗法の世をば守護神捨て去る、故に正法の行者に験なし等云云。八幡抄の意は、その国を捨去すと雖も、若し正法の行者あれば即ち其の頂に宿る等云云。これ共業別感に由る故なり。

一、当に種種の災禍有って等文。

「当」の字は「国位」に冠すべし。性抄は但「災禍」のみに冠するなり。

一、彗星数出で文。

「彗」は掃竹なり。これ大火兵乱の悪瑞なり。左伝二十三 二十二に云く「申須云く、彗は旧を除き新を布く所以なり。諸侯其れ火災あらんか」と文。史記百十八 七に云く「建元六年彗星見ゆ。准南王心に恠しむ。或る人王に説いて云く、呉に軍起る、彗星出でて長きこと数尺、然に尚血を流すこと千里、今彗星の長きこと天に竟る、天下に兵当に大に起るべし」と云云。また大論二 四に「仏の涅槃の時、彗星昼に出ず」と云云。

一、両日並び現じ文。

尭の時、十の日並び現ずること註の如し。劫末に七の日現るること涅槃経の如し云云。文永五年五月八日、両の日出ず。同六年二月十一日、三の月(日)並び出ず。その後、百三代後花園の御宇、長禄二年、同三年、続けて両の日出ず云云。寛正三年、三の日並び出で、同四年正月朔日には三の日並び出ず云云。

一、薄蝕恒無く文。

従義に云く「体現じて光なきを薄と為し、正虧けて体を損ずるを蝕と為す」と云云。晦朔の日蝕、望日の月蝕はこれ恒なり。臨時の食あり、これ恒なきなり。

一、黒白の二虹文。

釈名に云く「純陽、陰を攻むるの気なり」と云云。並びに註中の如し。啓蒙に云云。朝抄の「蜍の気」とは、未だ本拠を勘えず。啓蒙の中に種々の事あり、往いて見よ。

一、井の内に声を発し文。啓蒙の一義に云く「地動に由り水声を発す」と云云。この義、美からず云云。

七月二十四日

一、大集経に云く等文。

健抄に云く「月蔵分第二、建立寺塔品の文」とは不可なり。月蔵経並びに十法滅尽品二十七紙の文なり。

一、鬚髪爪皆長く文。

元照の発真抄上末二十六に云く「『頭鬚爪髪悉く皆長利なるは法滅の相なり』と文。律の中に明かす『一横麦底ならば則ち之を剃除せよ』と。元照云く、爪極めて長くも一麦にして当に剪るべし」と云云。若し鬚髪爪長くば、これ沙門の常儀に違いて外道に似る、故にこれ法滅の相なり。健抄に「還俗の義」というは不可なり。

問う、この三の表示如何。

答う、一義に云く、これ三惑増長を表す。髪はこれ見思、鬚はこれ塵沙、爪はこれ無明。真言には、これを三妄執と謂う。謂く、●妄執・細妄執・微妄執と云云。今謂く、若し当文在らば、恐らくは三毒増長を表するか。髪は以て貪を表し、見て愛を生ずるが故に。爪はこれ瞋を表し、堅利なるを以ての故に。鬚はまた癡を表す。要覧上に云く「其の好形を毀ち、鬚髪を剃除す。過去に諸仏、即ち発願して云く、今落髪す、故に願わくは一切衆生と煩悩を断除せんと。今此の鬚髪を彼の煩悩に喩う」等云云文。今下の経文に云く「貪・瞋・癡倍増」等云云。これを思え。

一、大なる声あって地を震い文。

註に云く「天雷地に徹して其の輪転ずること猶水車の如し」と云云。健抄に云く「昔、天狗流星という者、響き亘りて有りけり」と云云。弘五中三に、「天狗流行し地数振動す」と文。健抄の意はこの文に依るか。この義、大旨に応うるなり。

一、華葉・菓・薬尽きん文。

葉はこれ華中の葉なり。枝葉の葉に同じからず。薬の字は根・枝・葉等を収むるなり。謂く、根の薬、枝の薬等なり。

一、唯浄居天を除いて文。

これ色界十七天の最後の五天なり。三果・四果の聖者の所居なり。性抄の意は空居天を指すに似たり。未だ分明ならず。

一、七味・三精気。

甘・辛・酢・苦・●・渋・淡、これを七味と謂う云云。

地精気・衆生精気・法精気、これを三精気と謂う。啓蒙に云く「法精気は仏法の事なり」と。

一、解脱の諸の善論文。

此に三意あり。一には通じて仏法を指す、二には但世間の論を指す、三には世出の論を指す云云。

一、希少にして亦美からず。

華菓希少にして味美からず。文に配して見るべし。

一、土地悉く鹹鹵し。

註に云く「または沙鹵は●薄の地と謂うなり」と云云。

一、剖裂して丘●と成らん。

本経は「剖」の字なり。「丘」はおか、「●」はほら。只これ高下なり。

一、之を観ること●鹿の如くならん。

一義に云く、僻目にして人を見ること睨に似たり、故に譬う云云。

一義に云く、●鹿は鹿の中にも父母を思わず、只独り跳ね行く者なり。止一 二十二に云く「●鹿の独り跳ぬるが如し」と云云。

一、二十八宿。

夙秀の二音は不可なきなり。教乗法数十一 三十五。

一、是を為って一切の聖人。

点の如し。健抄に多く点ず云云。

一、而も為に彼の国土の中に来生して等。

「而も来生することを為して」これ啓蒙の点なり。恐らくは穏やかならざるか。

今謂く、而も為に彼の国土の中に来生して、大利益を作さん云云。普門品の「而も為に法を説く」の如し。

一、十六の大国等。

七帖見聞四本七十四に云く「万国已上を大国と為し、万已下四千已上を中国と為し、三千已下七百已上を小国と為し、六百已下三百已上は小にして国と名づけず、二百已下を粟散国と名づく」と文。

一、日月度を失い。

仁王吉蔵疏六 十六に云く「常道に依らざるを度を失うと名づく」と文。健抄に云く「日月行度の道は百八十あり」と云云。その日の行度を失うとは、則ち或は高く或は低く、或は遅く或は速し等なり。所詮、常に異るなり。二十八宿またまた爾なり。故に或は非処を出す等なり。 一、南斗・北斗。

一義に云く、斗はますなり。「じゅ」ははかるなり。南斗・北斗は七星の事なり。天竺に柄を付けたるますあり。七星彼に似たり、故に斗というなり。 一、国主星等。

国主を守る星等なり。

一、大火国を焼き等文。

「鬼火」とは、鬼の衆生を瞋れば悪火夜起る。「竜火」とは、●●の火を起す。「天火」とは●竺及び王弘が古事の如し。「山神火」は仙人の瞋れば火は瞋によって生ず云云。「人火」とは人の過って火を失つが如し。「樹木火」とは亢陽時に過ぎ樹木の火を起す。「賊火」とは賊の火を放つ、即ち賊火と名づく。今処処の意を取る云云。山神火は註す云云。

一、冬雨ふり・夏雪ふり文。

冬連日の雨なり。夏の雪、日本に於ては万寿四年四月、大雪降る。厚さ四尺五寸、日本一覧の図にあり。また承平元年六月八日、大雪降る。同二年、将門反逆す云云。

一、土山石山を雨らし文。

後を以て初めに名づくるか。謂く、雨り積って山の如し。故に「土山・石山」等というか。

一、沙礫石を雨らす文。

「礫」はさざれ石なり。

一、黒風・赤風等文。

風、黒沙を吹く等なり。実には大風なることを顕すなり。只これ天に吹き地に吹き火に吹き、水に吹く等なるべし。

一、四方の賊来って等文。

上は他国侵逼、下は自界反逆なり。

一、火賊・水賊等。

大火・大水・大風の便を伺う賊なり。「鬼賊」とは或は忽然として人失等あり。和国の天狗等の所作の如きか。

一、大集経に云く。

第二十五 十四紙に出でたり。これ肝要の文なり。

一、一には穀貴文。

「貴」の字は直にたかしとよむなり。前漢書九十九下十六に云く「莽天下の穀の貴きを以て之を厭わんと欲す」と云云。また香を聞ぎて貴賎を知るが如し。

一、二には兵革文。

「兵」は剣の器なり。故に兵の字は器財門に入るべし。然るに聚分韻略に入れざる故に唐人不審すといい伝えたり。「革」は「つくりかわ」とよむなり。蚩尤が鎧を作る時、革を以てこれを作るなり。故に具足の総名なり。後に金を以て作る、故に金篇なり。

一、常に隣国の侵●せらる所。

点の如し。「●」は聚分韻略に「戯弄なり」と云云。

一、内外の親戚。

一義に云く、父の親類を内親といい、母の親類を外戚というなり。

一、村主・将帥。

毛氏曰く「凡そ兵を主る者を称して将帥と為す。則ち去声」云云。

一、夫れ四経の文朗かなり文。

問う、既に未顕真実という、何ぞまた爾前を引用せんや。答う、略して四意あり。一には、爾前はこれ法華の為の網目なる故に。観心本尊得意抄三十九 二十九に云く「所詮成仏の大綱を法華に之を説き其の余の網目は衆典に之を明す、法華の為の網目なるが故に法華の証文に之を引き用ゆ可きなり」と文。籖十に云く「唯大綱を存して網目を事とせず」と云云。記九末三十九に云く「円教の行理の骨目は自ら成ず。皮膚毛綵は衆典に出在せり」と文。

二には、文は爾前に在るも義は法華に在るが故に。また得意抄に云く「其の上法華経にて実義有る可きを爾前の経にして名字計りののしる事全く法華の為なり、然る間尤も法華の証文となるべし」と文。経に云く「種種の道を示すと雖も、其れ実には仏乗の為なり」と云云。記三上八に云く「故に外小権迹を内大の実本に望むるに、並びに名のみ有って実無きなり。故に仏迦葉を斥けて、汝昔但涅槃の名のみを聞いて未だ其の義を聞かず」と文。涅槃経十九徳王品云云。

三には、爾前の劣を以て法華の勝を況する故に。四条金吾抄二十八 十六に云く「当に知るべし日月天の四天下をめぐり給うは仏法の力なり・彼の金光明経・最勝王経は法華経の方便なり勝劣を論ずれば乳と醍醐と金と宝珠との如し、劣なる経を食しましまして尚四天下をめぐり給う、何に況や法華経の醍醐の甘味を甞させ給はんをや」と文。

四には、爾前の文を借りて法華の義を顕すが故に。十章抄三十二 二十八に云く「止観一部は法華経の開会の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばかれども義をばけづりすてたるなり」と文。成論の二如来、阿含の四処起塔等、これを思い合すべし。並びに開会の後に文を借り、義を顕すなり云云。

一、諸仏・衆経に於て捨離の心を生じて文。

書二十三 五十八に云く「日本国中の上下万民、深く法然を信じ此の書を●ぶ。故に捨閉閣抛の四字を見て、彼の仏経等に於て還って捨離の心を生ず」(取意)等云云。

一、善神聖人国を捨て所を去る文。

この論は正しく法然に対す。故に諸仏・衆経に於て捨離の心を生ず、故に神聖捨て去ると云云。若しその元意は、釈尊・法華経に於て捨離の心を生ずるが故に神聖捨て去るなり。仍、その元意は、本因妙の釈尊・下種の法華経に於て捨離の心を生ず、故に神聖捨て去るなり云云。

第三 正法を誹謗するの由の下

七月二十九日 一、客色を作 曰く。

既に上段に四経の文を引き已って、結して天下世上、諸仏・衆経に於て捨離の心を生ずという。故に客色を作して問難するなり。

礼記二十四 三哀公問に云く「哀公曰く、敢て問う、人道は誰をか大なりと為す。孔子、愀然として色を作して対えて曰く、君の此の言に及べるや百姓の徳なり」と文。註には「色をば作すは色を変ずるなり」と云云。色を作して仏を罵る、これに准じて解すべし。
</BR>

一、後漢の明帝文。 前漢は高祖より平帝に至る十三代、孺子新室を加えて十四代なり。若し王莽を加うれば十五代、二百三十年なり。高祖九世の孫光武と申すは平帝の子なり。深く深山に隠れ、二十八宿二十八将と変じ来りて王莽を亡す。光武位に即く、即ちこれ後漢の第一なり。光武第四の子を顕宗孝明皇帝と名づく、即ち今いう所の「後漢の明帝」なり。

一、金人の夢を悟って。

これ永平二年正月朔日なり。或は三年といい、或は四年というなり。同じき五壬戌、王遵等十八人西域に使し、同じき八年乙丑、洛陽に還るなり。同じき十年丁卯、白馬寺を立つ。同じき十五年正月朔日、五岳の道士表して云く「仏法は虚偽なり」と。周く十五日に経を焼く等なり。

一、白馬の教を得文。

健抄の三義の中の初義は諸抄の如し。第二の義は林二十 十三に出でたり。第三の義は既に本拠なし。況や荒神は本朝示現の神にして三国伝来に非ざるをや。況や三宝を衛護するをや。故に三宝荒神という。何ぞ障碍を成さんや。

一、上宮太子文。

人皇三十二代用明天皇の御子、聖徳太子の御事なり。敏達元年正明朔日、手に舎利を握り、身に光明を現じ、厩の下に於て誕生す。故に厩戸王子とも名づく。八人同時に奏する事を一時に聞きたまう、故に八耳の王子とも名づく。また耳聰王子とも申すなり。用明愛敬して南宮の上殿に居せしむ。故に「上宮太子」と名づくるなり。これ本朝の大聖人なり。故に聖徳太子と申すなり。

一、守屋の逆を誅して文。

四条金吾抄三十九 三十七を往いて見よ。或る抄に云く「守屋も権者なり。上宮は救世観世音、守屋は将軍地蔵なり。倶に誓願に依り日本国に生ずるなり。守屋最後の時、太子唱えて云く、我が昔の所願の如き、今者已に満足しぬと云云。守屋唱えて云く、一切衆生を化して皆仏道に入らしむと云云。権者なること疑なし。されば開目抄に云く、聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓同時なるが如し」と云云。

一、寺塔の構を成す。

推古天皇癸酉四天王寺を建つ。その余の寺塔畿内に遍し等云云。僧史略上に云く「寺とは釈名に云く、寺は嗣なり。事を治むる者、相嗣いで其の内に続くなり。本是れ司の名。西僧乍て来り権に公司に止まる。移して別居に入れども、其の本を忘れずして還って寺号を標す。僧寺の名此に始まるなり」と文。

一、叡山・南都等文。

「叡山」はこれ天台宗、故にまた天台山とも名づくるなり。人皇五十代桓武帝の延暦七年戊辰、根本一乗止観院建立。根本中堂の本尊は薬師なり。同じき十三年、天子の御願寺と為る。弘仁十四年二月十六日に延暦寺という額を賜わるなり。註二十一。

「南都」は奈良の七大寺なり。棟梁は東大寺・興福寺なり。故に注には但二箇寺と標するなり。四箇の大寺というもこれなり。延暦三年十一月、奈良の都を長岡に遷す。同じき十三年十月二十一日に長岡を平安城に遷す。奈良は平安城の南なり、故に南都という。

東大寺は人王四十五代聖武帝、流沙の約に称い、良弁を請じて大仏の像を創らしむ。実に天平十五年十月なり云云。流沙の約とは釈書二十八 十二に出でたり。供養の事は太平記二十四の巻に出でたり。

興福寺は四十三代元明帝の治、和銅三年淡海公これを建立す。これ藤原氏の氏寺なり。

園城寺は初め教待和尚これを建つ。百八十年の後天安六年十二月、智証、教待の付嘱を受けて焉に住す。天智・天武・地(持)統の三皇降誕の時、この井の水を汲みて浴湯と為す。故に御井寺と号す。智証、御井を改めて三井と為す。三皇浴井の事を取り、我この水を汲みて三部潅頂の閼伽と為し、慈氏三会の期に至る、故に三の字に改むるなり。

東寺は即ち鴻臚館。弘仁十四年、嵯峨天皇、空海に賜う。而して真言院と為す。草創は延暦十五年に在るのみ。

一、四海・一州等文。

総じてこれ日本国中なり。

一、仏経は星の如く羅なり文。

即ちこれ仏像と経巻なり。学者これを思え。

一、堂宇雲の如く布けり文。

「堂」は仏像を安んじ、「宇」は経論を置くか。宇は陸徳明云く「屋は四に垂るるなり」と。釈名には「羽なり。鳥の羽翼の自ら覆うが如し」と云云。

一、?子の族。

「?子」は即ちこれ舎利弗なり。その眼岩々として彼の鳥に似たるゆえに。

「鶴勒」は付法蔵第二十二祖なり。

「鷲頭・鶏足」は倶にこれ霊山なり。

健抄に云く「上に和漢の伝来を明かし、今天竺を明かす、故に三国流布の相なり」と云云。この義は不可なり。只流例を挙げて以て本朝の智者大徳を顕すなり。また註の意は倶に禅家を指すに似たり。朝抄は「顕密の流類」と云云。啓蒙の意は「天台・禅宗」と云云。

今謂く、通じて諸宗の碩徳を挙ぐるなり。諸宗異ると雖も、豈教観二門を知るべけんや。上の句は観を明かし、下の句は教を明かすなり。下の文に「法師は諂曲にして」というは通じて諸宗を指す。これを思い見るべし。

一、誰か一代の教を褊し(乃至)謂んや文。

両点これあるも、答の大旨に准ずるに「誰か」の点可なり。

一、僧は竹葦の如く文。

三宝具足の学者、見るべし。註に云く「僧は闍梨、侶は伴侶なり」と云云。一義に云く、僧は平生の出家、侶は高僧学侶なりと云云。初めの義可なり。

一、横に法制を作って文。

太子受禅の時は法華経の八句の文なり。而るに秘教を雑うる等なり。

一、邪智にして心諂曲に文。

これ正直ならざる故に邪曲というなり。仁王の「悪比丘」、涅槃経の「悪知識」これなり。 一、或は阿練若に(乃至)有らん文。

註の板点は不可なり。「有」の字は「人間を軽賎する者」に冠するなり。

一、国王・大臣等文。

大集経十六 七に云く「爾の時、魔子醜面及び余の魔子、各是の言を説く、仮令沙門瞿曇、諸の方術を以て魔王を廻転すとも、我等、苦に当に諸の方便を設けて是の如き等の経をして流布することを得ざらしむべし。設使流布すとも、亦当に少からしむべし。護助し信受する行者あるも、亦甚少ならしめん。常に多人に軽賎せられん。常に辺方に堕ち中国をして宣伝せしめざらん。唯諸の威徳なき貧窮の衆生をして当に之を聞くことを得せしめ、常に諸の大威徳豪富の人をして信ぜずして誹謗を為さしめん。」と文。

一、悪鬼其の身に入って文。

「仏の方便を知らず」「悪鬼其の身に入る」は毀謗の所以なり。

一、数数・擯出せられん文。

「擯」は棄なり文。

註に云く「此の論の所著は左遷の前に在り。故に遠離塔寺の文に至らず。謫居後の書に天台未読とは遠離塔寺の文を指すなり。」と云云。

疑って云く「諸文の中には数数の二字を以て天台未読と為すなり」と。啓蒙に云く「但是の二句不同無き故に、略して之を引かざるのみ」と云云。

この義、未だ美からず。今謂く、蓮祖は只これ東西馳走して諸宗を折伏し、未だ塔寺に安住せず。故に遠離塔寺の文は恐らく便ならざる故にこれを略するのみ。

一、涅槃経に云く等文。

会疏四 十三。下山抄二十六 二十一に云く「『我涅槃の後無量百歳』云云仏滅後二千年已後と見へぬ、又『四道の聖人悉く復涅槃せん』云云、付法蔵の二十四人を指すか、『正法滅後』等云云像末の世と聞えたり」文と云云。像法尚爾なり、況や末法をや。故に「像末」というなり。

一、沙門の像を現じ文。

註に云く「沙門、此には勤息と云う」と云云。善を勤め悪を息むる故なり。

一、正法を誹謗せん文。

註に云く「この一文は但誹謗の末句に在り」と云云。上来の文はこれ律僧に約す、故に同文の故に来るなり。今は浄土家に対する故に誹謗正法の末句はこれ今の所用なり。

一、悪侶を誡めずんば文。

花の朝に嵐を厭い、月の夕には雲を厭う。若し謗法の悪侶を誡めずんば、何ぞ正法の善事を成さんや。

第四 正しく一凶の所帰を明かすの下 八月五日

一、客猶憤りて曰く文。

前には色を作し粗憤りて問う。今は猶前に倍して憤りて難ず。故に「猶憤りて」というなり。憤り未だ止まずと謂うには非ざる故に「猶」というなり。

一、明王は天地に因って化を成し文。

「明王」というは、後漢書に云く「君上は人を安んずるを以て明と為す」等云云。孝経十九に云く「天の明に則り、地の義に因り以て天下に明らかにす」等云云。同頭書に孔の云く「聖人は天地に因り以て法を設け、民の心に循って以て化を立つるなり」と云云。韻会二十三 八に云く「化は説文に云く、教え行わるると。増韻に云く、凡そ道業を以て人に誨ゆ、之を教と謂う。躬ら上に行い、風下を動かす、之を化と謂う」と文。両字の異り分明なり。管蠡第一 七註に云く「化と云うは、政を能くして悪人を善人と成して天下を太平に能く治するを云うなり」と云云。故に「化」はこれ変化の義なり。

一、聖人は理非を察して世を治む文。

君子に二あり。一には在位の君子、二には有徳の君子なり。今「聖人」とは註に云く「在位の君子なり」と云云。既に「世を治む」という故なり。註に云く「若し理有れば則ち其の親を遠ざけ其の理を親にす。若し非あれば則ち其の讎に与して其の非を讎にす。故に理非を察すと云うなり」と云云。学者、応にこの意を記憶すべし。何ぞ止に在位の君子のみならん。若しその行い此くの如くなる則は、我もまたこれ尭舜なるのみ。

一、世上の僧侶は文。

泛く諸宗の僧侶を指す。何ぞ別して専修の徒といわんや。註の意はその義太だ卑し、これを思え。

一、聖人に非ずんば文。

前後は漢音なり。この一文は呉音にこれを呼べ。

一、賢哲仰ぐ可からず。

「賢」は説文に「多才なり、哲は知なり」と。書に云く「之を知るを明哲と謂う」と云云。或る義に云く「是れ旦那を指す」と云云。今謂く、この義は局せり云云。

一、今賢聖の尊重せるを以て文。

賢聖既に仰いで知る、これ正師なりという事を云云。

一、則ち竜象の(乃至)知んぬ文。

「竜象」というは法中の俊傑に譬うるなり。才は千人に過ぐ、これを俊と謂い、智は万人に過ぐ、これを傑と謂うなり。大論三 二十一も云く「摩訶は大と云い、那伽は或は竜と云い、或は象と云う。水行の中に竜の力最大なり。陸行の中には象の力大なり。大象は能く大軍を破り、刀杖を畏れず、水火を難しとせず、死至れども避けず。竜王は雲を興して普く覆い、雨を注ぎて等しく潤す」略抄と。法師もまた爾なり。慈雲普く覆い、法雨等しく潤す。また能く謗者の魔軍を破り、刀杖瓦石を畏れず、水火の責を難しとせず。殺戮の巨難に値うと雖も、敢えて以て避けず。斯くの如きの摂折時に適う智行兼備の法師を竜象に譬うるなり。

一、主人の云く等文。

既に上に正に問うて「誰人を以て悪比丘と謂うや」等という。故に今の答の意、正に法然を以て悪比丘と謂う。彼は選択を作って教を破り、衆を迷わすが故なり。委細に聞かんと欲す、応にこれを示すべし。彼の選択に捨閉閣抛という故なり云云。

一、後鳥羽院の御宇に法然と云うもの有り文。

後鳥羽は人王八十二代隠岐の法皇の御事なり。「法然」とは具に釈書第五 十三の如し。人王七十五代崇徳院の御宇、長承二癸丑四月七日に誕る。十五にして●染、三年の内に天台六十巻を通誦し、その外八宗の幽致を究めたり。後に往生要集を見て承安四年、歳四十二にして台山を出でて浄土門を立つ、釈書の如し。若し伝弘第二 六、法然伝記の二巻の如くんば、承安五年、歳四十三の時なり。八十四代順徳院の御宇、建暦二年正月二十五日、八十歳にして入滅す。凡そ十代の帝王を経歴す。然るに後鳥羽の代に専ら法柄を秉る、故に別して後鳥羽と標するなり。

一、選択集を作る等文。

具には「選択本願念仏集」というなり。

題の意、如何。

謂く、選択伝弘一 三に云く「題に三義あり。一には念仏、二には本願念仏、三には選択本願念仏なり。初めの念仏とは、万行随一の念仏は是れ諸師の所立に当る。未だ正雑・助正を分たざる故に。次に本願念仏とは、万行の中に於て正雑を分別し、正雑の中に於て助正を細判す。其の正業とは称名念仏、弥陀の本願なり。是れ今家の所立に当る。後の選択本願念仏とは、本願の上に於て更に選択の一義を加う。是れ祖師にして始めて此の義を立つ。謂く、二百一十億の諸仏の願行の中より選択する所の本願なり。然るに一義の為の念仏は直の念仏に非ず、是れ本願念仏なり。直の本願念仏に非ず、是れ選択本願の念仏なり」(略抄)と。

一、道綽禅師文。

書註四 二十一、啓蒙三 五十に続高僧伝二十四 二十一を引く云云。「道綽」は隋の終り唐の始めの人なり。貞観二年卒す云云。撰時抄下初に云く「道綽禅師という者あり唐の世の者本は涅槃経をかうじけるが曇鸞法師が浄土にうつる筆を見て涅槃経をすてて浄土にうつて聖道・浄土二門を立てたり」と云云。

一、聖道浄土の二門を立て文。

問う、二門の得名如何。

答う、凡より聖に至るを名づけて「聖道」と為し、穢より浄に至るを称して「浄土」と曰う。倶に門と名づくるは出入の義なり。謂く、火宅を出でて涅槃に入る故なり文。また健抄に釈を引いて云く「此土入聖を即ち聖道と名づけ、他方往生を則ち浄土と名づく」と云云。

一、之に就いて二有り乃至等。

選択上の初めに安楽集を引き已って、次に私の段に至り二門の教相を明かす。下に云く「初めに聖道門とは之に就いて二有り。一には大乗、二には小乗なり。大乗の中に就いて顕密・権実等の不同有りと雖も、今此の集の意は唯顕大及以び権大を存す、故に歴劫迂廻の行に当る。之に准じて之を思うに、応に密大及以び実大をも存すべし。然れば則ち今の真言・仏心・華厳・三論・法相・地論・摂論、此等八家の意は正に此に在るなり」全文已上と。 道綽は大いに分ちて二と為す。謂く、聖道・浄土なり。法然これを釈するに、その聖道に就いて小あり大あり、その浄土に就いて正あり傍あり等云云。故に今の所引は皆法然の能釈なり。道綽の文を雑えてこれを挙ぐるに非ざるなり。或る義の指南、恐らくは不可なり。 一、之に准じ之を思うに文。

これ法然私の准望なり。

国家論十二 二十八に云く「此の文の意は道綽禅師の安楽集の意は法華已前の大小乗経に於て聖道浄土の二門を分つと雖も我私に法華・真言等の実大・密大を以て四十余年の権大乗に同じて聖道門と称す『准之思之』の四字是なり」と。然るに彼の門人良忠、伝弘の中に曲会の義あり。伝弘一 二十五に云く「次に『之に准じて』等とは私の准望に非ず、集の意を述ぶるなり。『唯顕大を存す』等とは、彼の集には実密を摂せずと謂うには非ず。難証の義、顕権強き故に、強き辺に相従って且く『唯』の言を置くなり」と云云。

今難じて云く、若し集の意、実に実密を摂せば、何ぞ「唯存す」等といわんや。況や難証の由を明かして「理深解微」といえるをや。凡そ実密の理は顕権より深し、何ぞ「難証の義、顕権強し」といわんや。多難ありと雖も、且くこれを略するのみ。

一、応に密大及以び実大をも存すべし文。

顕大・権大とは只これ爾前の大乗なり。密大に望むる則はこれを顕大と名づけ、実大に望むる則はこれを権大と名づくるなり。別にその体ありと謂うには非ず。「密大」は知んぬべし、「実大」は註に「五部の大乗に亘る」というなり。

若し良忠の意は三権一実の判に約する故に、伝弘一 二十五に云く「三権歴劫、一実速疾」等と云云。

今謂く「実大」とは正しく法華を指すなり。故に、宗祖云く「法華真言等の実大・密大」等と云云。前に引く所の如し。

一、八家の意正しく此に在るなり文。

註の意は、真言は道綽滅後八十年に渡り、法相はまた十七年の後に来れり。道綽、何ぞ死後の真言・法相を以て聖道に摂してこれを捨つべけんや。当に知るべし、この論の旨帰は只然公に在るのみ。今、八宗を以て所頼と為すなりと云云。

今謂く、必ずしも八宗を所頼と為すに非ず。只これ法然の所解を引き、通じて教を破し、衆を迷わすの相を明かすなり云云。

一、曇鸞法師。

書註六 五十一、啓蒙二 四十九に続高僧伝七 九を引く。

一、十住毘婆沙文。

竜樹の所造、羅什の訳なり。十七巻あり。

一、一には難行道等文。

「難行道」とは、譬えば陸路の歩行則ち苦しきが如し。「易行道」とは、譬えば水路の乗船則ち楽しきが如し云云。難易の名目、これを以て知んぬべし。

一、難行道とは即ち是れ聖道門なり文。

国家論三十に云く「先き四十二年の意を無量義経に定めて云く『険逕を行くに留難多き故に』と無量義経の已後を定めて云く『大直道を行くに留難無きが故に』と仏自ら難易・勝劣の二道を分ちたまえり、仏より外等覚已下末代の凡師に至るまで自義を以て難易の二道を分ち此の義に背く者は外道魔王の説に同じきか、随って四依の大士・竜樹菩薩の十住毘婆沙論には法華已前に於て難易の二道を分ち敢えて四十余年已後の経に於て難行の義を存せず、其の上若し修し易きを以て易行と定めば法華経の五十転展の行は称名念仏より行じ易きこと百千万億倍なり、若し亦勝を以て易行と定めば分別功徳品に爾前四十余年の八十万億劫の間の檀・戒・忍・進・念仏三昧等先きの五波羅蜜の功徳を以て法華経の一念信解の功徳に比するに一念信解の功徳は念仏三昧等の先きの五波羅蜜に勝るる事百千万億倍なり、難易・勝劣と云い行浅功深と云い観経等の念仏三昧を法華経に比するに難行の中の極難行・劣が中の極劣なり」と文。

「十住毘婆沙は法華已前を論ずとは、二乗作仏を許さざる故なり。故に彼の論の第四に『若し二乗地に堕すれば畢竟して仏道を遮す』と云云。此の文宛も浄名等の文の如し」(取意)と云云三十七紙。然るに然公、法華を以て難行道に属し、聖道門に摂してこれを捨つ。豈無間の業に非ずや。責めざるべからず、恐れざるべからず云云。

一、又云く善導和尚文。

選択第二段の文なり。書註四 二十三、啓蒙二 五十云云。

一、正雑の二行を立て等文。

「正」とは一止不邪の義なり。「雑」とは穢悪交雑の義なり。

一、第一に読誦雑行文。

五種の雑行あり。これ五種の正行に対するが故なり。第一は読誦、第二は観察、第三は礼拝、第四は称名、第五は讃歎供養なり。今第一第三を出す。読誦は経を謗ずるに在り、礼拝は仏に逆うに在るが故なり云云。

一、弥須く雑を捨てて専を修すべし文。

難じて云く、凡そ法華は正直に権暫邪曲を捨て但一実に止まる故に一止不邪の正法なり。何ぞ却って雑行といわんや是一。

既に弥陀等の因行を明かして云く「常に楽って是の妙法蓮華経を説く」と云云。弥陀もまたこれ雑行の人なりや是二。

また往生安楽の因を明かすに、正しく如説法華の人に在り。仏何ぞ雑行に因り彼の土に生ずと説くや是三。

経に云く「若し暫くも持つ者は、我即ち歓喜す」と云云。然公、何ぞ捨というや是四。

経に云く「汝取って服すべし」等云云。法然、何ぞ捨というや是五。

多難ありと雖も、且くこれを略するのみ。

一、豈百即百生の専修正行を捨てて文。

難じて云く、既に「唯五逆誹謗正法を除く」という、何ぞ百即百生というや。経に云く「若し法を聞くこと有らん者は、一りとして成仏せずということ無けん」と。凡そ一句を聞けば皆授記を与う、何ぞ「千中無一」というや。

八月二十四日

一、又云く貞元入蔵等。

選択第十二段下巻十七。

一、皆須く読誦大乗の一句に摂すべし文。

凡そ観経十六観の中に、初め日想観より第十三雑想観に終るを名づけて定善と為す。後の三観、三福九品を名づけて散善と為す。「読誦大乗」はこれ第三福の文なり。故に法華等を以て散善に属するなり。

問う、観経に阿闍世太子といい、法華に阿闍世王という、前後分明なり。故に天台は観経を以て方等部に属す。何ぞ方等の中に法華を摂すべけんや。

答う、法然の料簡あり。選択下十七に云く「問う、爾前経の中に何ぞ法華を摂するや。答う、今摂と言うは権実・偏円等の義を論ずるに非ず、読誦大乗の言は普く前後の諸大乗を通じて唯大乗というのみ。権実を選ぶなし。然れば則ち正に華厳・方等・般若・法華・涅槃等の諸大乗経に当るなり」と文。難じて云く、凡そ「文辞一なりと雖も而も義各異なり」とは、無量義経の明説なり。またこの「義に依って語に依らざれ」とは、涅槃経の厳誡なり。法然、如何ぞ世尊に違背し、権実・偏円の義に依らずして但「読誦大乗」の言語のみに依るや。但言語のみに依りてその義に依らざれば、則ち一代雑乱し五時混合せん。阿含の中に尚「妙中の妙」の文あり。婆沙の中にまた「法性」「実相」等の名あり。若し法然の如くんば、小乗の中に尚法華を摂すべきや。況や一代の権実を判ずること、但これ法華の所説のみなるをや。何ぞ観経に於て応にこれを選ぶべけんや。

一、当に知るべし随他の前等文。

凡そ釈尊所立の随自・随他とは、経に云く「性欲不同なれば種種に法を説きき」「四十余年には未だ真実を顕さず」と。これ随他意なり。「唯仏と仏と、乃し能く究尽したまえり」「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたまうべし」。これ随自意なり。何ぞ仏説に違いて「未顕真実」を随自意と為し、「久後真実」を随他意と為さんや。

一、還て定散の門を閉ず文。

如来は甘露の門を開き無上輪を転ず。法然、如何ぞ法華修行の門を閉じ、行人をして入らしめざるや。

問う、若し爾らば直に念仏の行を説くべし、何ぞ煩わしく定散の善を説くや。

答う、また料簡あり。選択下二十一に云く「又定散を説くことは、念仏の余善に超過することを顕さんが為なり。若し定散なくんば、何ぞ念仏の特秀を顕さん。故に定散は廃の為に而も説き、念仏は立の為に而も説くのみ」と。

問う、法然の意は諸行往生を許すや否や。若し許さずといわば、選択下十七に云く「西方を願うの行者、各其の意楽に随って或は法華を読誦し、或は華厳等を読誦し、以て往生の業と為す。是れ則ち観無量寿経の意なり」と云云。

答う、所引の文の如くんば、所廃の為に且く成ずる所の義なり。この然公の意は実義に非ざるなり。故に諸行往生を許さざるなり。中正九 十五。

一、又云く念仏の行者必ず三心を具足す可きの文。

「三心」というは、一には至誠心、二には深心、三には廻向発願心なり。経に云く「三心を具する者は必ず彼の国に生ず」と云云。釈して云く「若し一心も少ければ、即ち生ずることを得ず」と云云。選択上五十八、往いて見よ。

一、問うて云く若し解行の不同・邪雑の人等有って文。

彼の疏の問難の一句なり。次に「外邪異見の難を防がん」とは、答えの中の一句なり。次に「群賊等喚廻す」とは、これ合譬の中の一句なり。「解行の不同」とは、聖道門の解行は浄土門に同じからざる故なり。次の「別解・別行」もまたその意なり。浄土門の外を別解・別行というなり。

一、群賊等喚廻すとは文。

若し善導の意は、聖道門の中の悪見・邪雑の人を「群賊」に譬うるなり。故に悪見・邪雑の能別の言を置くなり。然るに法然はこの能別の言を弁ぜず、僻に別解・別行は即ちこれ悪見・邪雑と解して、総じて一切聖道門の行者を指して群賊に譬うるなり。故に「是れ聖道門を指す」というなり。若し法然の如くんば、竜樹・天親・南岳・天台・妙楽・伝教等も皆これ群賊なり。責むべし、悲しむべし。また二河白道の事、選択上五十三已下、往いて見よ。中正十一 二十三云云。

一、最後結句の文。

これ十六段、総結の文なり。「閣抛」の二字の出処なり。

一、曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて等文。

今奪って謬釈というなり。

浄円房抄三十四 二十二に云く「浄土の三師に於ては書釈を見るに難行・雑行・聖道の中に法華経を入れたる意粗之有り、然りと雖も法然が如き放言の事之無し」と文。

一、或は捨て或は閉じ等文。

汎く「捨」に三義あり。一には廃捨の義。謂く、永く廃して用いず。実にこれ捨つるの義なり。「正直捨方便」の如きこれなり。妙楽云く「捨は是れ廃の別名」等云云。二には捨置の義。謂く、これを取って則ち且く彼に置く。これ実に棄つるには非ざるなり。例せば捨置、答の如し。宗祖の「日蓮は広略を捨てて肝要を取る」(取意)というこれなり。三には施捨の義。謂く、財物等を他に施すを捨と名づく。檀捨の如きこれなり。諌迷七 二十六にも出でたり。

今法然の「捨」とは第一の廃捨の義なり。故に上の文に云く「此の文を見て弥須く雑を捨てて専を修すべし等云云。「弥・捨」の両字これを思い見るべし。また云く「定散は廃の為に而も説き、念仏は立の為に而も説く」と云云。彼、念仏の外の諸行を廃捨すること文に在って分明なり。

「閉」の字の意は既に塞なりという。法華等の修行の門を閉塞するなり。国家論二十五に云く「天親菩薩の仏性論の第一に此の文を釈して云く『若し大乗に憎背する者此は是れ一闡提の因なり衆生をして此の法を捨てしむるを為の故に』(乃至)選択集は人をして法華経を捨てしむる書に非ずや閣抛の二字は仏性論の憎背の二字に非ずや」(取意)と文。

一、唯除五逆等文。

これ雙観経四十八願の中の第十八の願の文なり。

問う、観経の「五逆十悪、諸の不善を具す」、豈相違に非ずや。

答う、此に多義あり。且く曇鸞の往生論註上四十七の意に准ずるに、若し雙観経の意は逆謗の二罪を具するに依る、故に「唯除」というなり。若し観経の意は但五逆を作り謗法の罪なきに依る、故に摂取というなり云云。啓蒙二 四十二に多義を明かす。往いて見よ。

一、瞳矇を拊たず。

小補に云く「瞳は目の瞳子」と。また云く「矇は明らかならざるなり」と。

一、釈迦薬師等文。

「釈迦」は西塔の本尊なり。居長三尺、伝教の御作なり。「薬師」は東塔止観院根本中堂の本尊なり。立像なり。長五尺五寸。若し東方の薬師は手に瑠璃壷を持つ。この薬師は手に如意珠を持つ。故に知んぬ、常途の薬師に非ず、「譬如良医」の寿量品の大薬師なることを。この時、釈尊を薬師と習うなり云云。虚空蔵は横川の般若谷に三尺の坐像あり。地蔵は戒心谷の安養房に二尺五寸の立像あり云云。

一、付属を抛って等文。

一義に云く、伝教大師自ら薬師の像を作り、義真これを彩色す。後に慈覚・智証等、段々に付嘱する故に爾云うなり云云。

一義に云く、豊葦原の霊地を薬師より釈迦に付嘱す、伝教は即ちこれ釈迦の垂迹なり等。註中に弁ずるが如し。太平十八 二十八。

一、一代五時の妙典文。

一義に云く、意総・意別あり云云。

一義に云く、五部共同の円なり云云。

今謂く、通じて一代を指し倶に妙法と名づくるの義、然るべきなり。

一、瓦松の煙空しく老い文。

楽府に云く「墻に衣あり、瓦に松あり」と云云。墻蘿は衣の如く、瓦の苔は松の如し、故に今義を以てこれを読む云云。竈に炎火なき故に「煙老い」という。人跡の扣くなき故に「露深し」という云云。

一、数十年の間文。

法然四十二歳、承安四年、念仏興行の年より文応元年に至るまで八十七年を経るなり。建暦二年、法然入滅の年より文応元年までは四十九年を経。故に「数十年」というか。法然入滅より十一年の後、貞応元年、蓮師誕生するなり。

第五 和漢の例を出すの下 九月二十四日

一、客殊に色を作して文。

已に法然の名を出して正しく悪比丘という、故に客憤怒して色を増す、故に「殊に」というなり。

一、曇鸞法師。

この下は選択上七紙の文なり。伝弘決一云云。

一、恵心僧都文。

釈書四 十六、啓蒙十一 七十已下に具なり。往いて見よ。

終に一乗真実の理を知る時、豈法華に依って行ぜざらんや。終に五乗方便の説を知る時、豈念仏の行を捨てざらんや。方に一乗の行を以て極楽に生ずべし、即ち薬王品の所説の如し。何ぞ念仏の行に依って彼の国に生ずといわんや。

また註中に「永観律師等の十四字は多く異本に無し」と云云。永観の事、釈書五 三。また註中に「三川入道寂照」というは釈書十六 十二に出ず。但し未だ往生の事を見ず云云。 一、就中法然上人等。

釈書五 十三、往いて見よ。

一、幼少にして天台山に昇り文。

朝抄に「十三歳」と云云。若し釈書の始終に准ずるにその義なきに非ず。若し伝記の如くんば十五歳に登山と見えたり。若し釈書に「十五歳」というは出家の年なり。

一、智は日月に斉しく文。

論語第十に云く「叔孫武叔、仲尼を毀る。子貢云く、仲尼をば毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり、猶踰ゆべし。仲尼は日月の如し、得て踰ゆること無し。自ら絶たんと欲すと雖も、其れ何ぞ日月を傷らんや」と云云。無量義に云く「智慧の日月」等云云。

一、徳は先師に越えたり文。

一義に云く、前に挙ぐる和漢の先師に越えたりと。一義に云く、但これ叡空・蔵俊・寛雅・慶雅等の先師に越えたりと。

一、然りと雖も猶出離の趣に迷いて文。

一切経を反覆し、八宗の章疏を究むと雖も、皆これ難行にして末代相応の行に非ず。愚推僻解するが故に「猶迷う」等というなり。

一、●く覿悉く鑑み等文。

何れか末代相応の行ならんと数これを尋ぬる処に、幸に善導の観経の疏及び往生要集を得て、仍深く思い遠く慮り、遂に諸経を抛って専ら念仏を修するなり。

一、一夢の霊応を蒙り等文。

然公が疑慮猶未だ散ぜず、夢に王の告げを待つなり。註及び啓蒙に伝記を引くが如く、半金色の善導を感ずるなり。

今謂く、直に仏説を●うべし、何ぞ夢に王の告げを待たんや。

「裔」は玉篇に云く「蛮夷の総名、辺地なり」云云。

一、或は勢至の化身と号し等文。

註の中には月輪殿下の事を挙げて、これを釈す。若し伝記の説の如きは、勝法房、上人の真影を画きその銘を乞う時、法然、首楞厳経の勢至円通の文を書いて勝法房に与う。故に「勢至の化身」というなり。

一、善導の再誕と仰ぐ等文。

彼の家の相伝に云く「善導の再誕とは即ち是れ弥陀の化身の義なり」と。五条外記主計頭頼尚真人が宝治二年八月二日の記に云く「仙洞に参り西の小御所の南向に召され数尅御文談あり。仰せに云く、後三条御記に御夢想あり。弥陀如来の化身来って衆生を西土に引導すべしと云云。彼の年月を勘うるに当に源空誕生の年月なるべし」等云云。浄土十勝論の中の如し。

今謂く、弥陀如来は正直捨権の説を誠証して舌を梵天に至らしむ。何ぞ却って実を捨てて権を取らんや。況や「唯除五逆誹謗正法」といえるをや。自ら正法を誹謗して何ぞ安養に在らんや。

一、星霜相積れり等文。

「春秋・星霜」倶に年々遷り行く義なり。啓蒙の如し云云。

一、毛を吹いて疵を求め文。

これ漢書に出ず。一義に云く、過ちなき法然に過ちを求むるに譬うるなりと。一義に云く、これ蓮師に約すと。謂く、他人を毀るは我が過ちを顕すなり云云。後の義、可なり。

一、科条争か遁れん等文。

啓蒙に類文等を引いて云く「未だ過失の註を見ず」と云云。

今案じて云く、妙楽の不軽品の記三十二に云く「有る人の云く、菩薩此の礼を作さざれば即ち是れ犯有り」と。

今謂く、犯あらば須く科条に准すべし。梵網に文なし、小には乃ち制なし云云。この文即ち今文の意に同じきなり。

一、主人笑(咲)み止めて曰く文。

註に云く「笑み止むるは瞋り来るの謂なり」と云云。これ同気相応の意なり。朝抄の意に云く「笑みを含み客を止むるなり」と云云。これはこれ相翻の相なり。

謂く、莞爾と笑って客の将に帰らんとするを止むるなり。大意最も穏やかなり。朝抄の義に随うべきなり。

一、辛きことを蓼の葉に習い等文。

三教指帰に云く「譬えば辛きことを蓼の葉に習い、臭きことを厠屎に忘るるが如し」と云云。文意に云く、蓼虫の習るること年久し、故に辛きことを知らず。●●もまた習るること久しき故に臭きことを知らず。然公の門人もまた爾なり。邪法に習るること年久しき故に、邪を以て邪と思わざるなり。故に善を聞いて却って悪と思う等なりと。註の意、恐らくはその義強きに似たるか。

一、汝事の起りを聞かんとならば委しく其の趣を談ぜん。

点の如し。

一、前後を立てて権実を弁ず等文。

この文は一部の眼目なり。意に云く、前四十余年は権経なり。故に「四十余年には未だ真実を顕さず」という。後八年の法華は真実なり。故に「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたまうべし」というなり。

問う、前後を立てて権実を弁ずる所以は如何。

答う、これ先判の権経を捨てて後判の実経を取らんが為なり。故に「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」というなり云云。

一、而るに曇鸞等文。

浄土の三師は既に仏説に背き、先判の権経に依って後判の実経を捨つ。故に破して「未だ仏教の淵底を探らざる」というなり。

一、其の流を酌むと雖も其の源を知らず文。

朝抄に云く「天台の流を酌むと雖も、天台判教の淵底を知らず」等云云。

今謂く、既に三師を挙げて「其の流」という、何ぞ「天台の流」といわんや。恐らくは鉤鎖断絶に似たるか。

啓蒙に云く「三師の意は先権に就いて後実を捨つと雖も、而も法華を以て聖・難・雑に摂せず。然るに法然は三師の流を酌むと雖も、三師の法華を論ぜざるの源を知らず」等云云。

今謂く、この論の意もまた法然所依の三師を破るなり。故に上の文には「謬釈」といい、今は「未だ仏教の淵底を探らざる」等というなり。故に知んぬ、未だ必ずしも国家論の意に同じからざるを。況やまた然公既に三師の法華を論ぜざるの源を知れるをや。故に選択集上三に安楽集を引いて云く「今この集の意は唯顕大及び以権大を存す。故に歴劫迂廻の行に当る」等云云。この文に文明なり。何ぞこれを知らずといわんや。

今謂く、然公は三師の流を酌むと雖も、その源の濁れるを知らず。所以に三師の釈に准思して「捨」等の四字を加うるなり。故に知んぬ、濁りに濁りを添え、非に非を重ぬることを。

浄円房抄に云く「浄土の三師に於て難・聖・雑の中に法華を入るる意粗之有り。然りと雖も法然の如き放言の事は之無し」(取意)と云云。今のこの文の意なり。

註に云く「綽・導既に其の源を濁す。然公、何ぞ流清きことを得ん」と云云。この一言、至れり尽くせるなり。

一、止観第二に史記を引いて云く、周の末に等。第二 四十六。

問う、周はこれ三十七主なり。若しそれ平王は第十三に当る。尚中に及ばず。何ぞ「周の末」というや。答う、周の代既に衰う、故に「周の末」というなり。謂く、第九夷王の時に至るまでは周の代盛んなり。第十●王の時に至って十二諸侯の国々に相分れたり。これより周の代衰うるなり。故に妙楽云く「但是れ微末の末なり。最後と謂うには非ず」と云云。健抄の義は不可なり。

一、弘決の第二に(乃至)左伝を引いて云く文。

第二末六十三、左伝第六 十一。

一、識者の曰く等文。

「識者」は即ちこれ周の太夫辛有なり。兼讖差わざるなり。

一、蓬頭散帯文。

ホウトウとサンタイとネミダレガミにオビヒロげたりと二度読むべし云云。

一、奴苟相辱むる文。

二字倶に賎者なり。賎者、共に互いに悪しくいい合うが自然に達する者なり等というなり。止観随聞第二の如し。健抄の点は太だ非なり。

一、此れを以て之を推するに文。

この下に三十八字、別本にこれあり。註にいうが如し。故に唐武の例は、念仏はこれ亡国破法の因縁なることを顕すなり。

一、凶を捨てて善に帰し文。

「凶」は即ち法然所立の念仏なり。「善」は即ち宗祖所弘の妙法なり。

一、源を塞ぎ根を截べし文。

「根」「源」の二字はまた選択を指す。即ち災難の便、亡国の根本の故なり。止四 二十八に云く「根露るれば條枯れ、源乾けば流竭く」と云云。弘四本四十七。

第六 勘状の奏否の下 九月二十九日

一、客聊か和ぎて曰く文。

小補に云く「聊は憐と蕭の切、語辞なり。晋書の箋に云く『且略の辞なり』」と文。今はこれ「且略」の義に用うべきなり。

一、数其の趣を知る。

広韻に「数は爽と主の切、算数なり」と。・シュ・の音は・カズ・とよむなり。また「『色と角の切、頻数なり』と。増韻に『屡なり』」と。・サク・の音・シバシバ・とよむなり。註に「『十に六七を知るを云う』とは是れ『算数』の義に似たり。今は『頻数』の義を用うべきなり」と云云。

一、但し華洛より文。

「華洛」は帝王の所居、即ちこれ王城なり。中国は礼義最も華やかなる故なり。「洛」は即ち洛陽、周の武王の都せる処なり。 「柳営」は将軍の所居なり。今は即ち鎌倉を指すなり。これ則ち周の亜父より始まるなり。前漢書四十 二十一紙云云。註の中の「後漢」とは謬りなり。朝抄を往いて見よ。

一、釈門に枢鍵在り文。

有の字は「在」の字に通ず。「末法太だ近きに有り」の如し。「在」の字は有の字に通ず。「在判」等の如し。今はこれ通の辺なり。

「枢」は門戸、扉の枢。「鍵」は即ち鑰、鍵なり。「棟・梁」は倶にこれ肝要なり。

一、奏状を進らず文。

音義の如し。

一、輙く莠言を吐く文。

「莠」はハグサ・エノコグサ。具に註の中に弁ずるが如し。

一、其の義余り有り文。

一義に云く、これ褒美の辞なり。

一義に云く「余り有り」とは不了の義なり。

一、予小量為りと雖も文。

本朝文粋第四巻の貞信公が摂政を辞するの表に云く「臣聞くならく、小量を忘れて重任を受くる者は足を折くの辱遁れ難く、大匠に代って短才を運らす者は手を傷るの憂何ぞ免れん」と文。

一、蒼蝿驥尾に附して。

健抄に「驥●の尾」というは恐らくは不可なり。註に云く「驥は説文に云く、千里の馬なり」と云云。

応に「千里」というべきことなれども、文を彩って「万里」というなり。例せば百詠詩に「二月に虹は初めて見われ、三清に●方に浮ぶ」というが如し。応に三月というべきことなれども、下の三清に対して二月というなり。虹は三月に始めて見わるるが故なり。礼記の意も爾なり。三清は酒の異名なり。●は糀なり。酒清みて糀の浮ぶこと●に似たり、故に爾云うか。若し啓蒙の意は、周の穆王の八駿の中の第三、太宵は夜万里を行くと云云。故に対句の義、強いて詮なきか云云。

一、碧蘿(乃至)に懸りて等文。

古抄に云く「蘿の字を”こけ”とよむは不可なり。今は”つたかずら”なり」と云云。 一、弟子一仏の子と生れて等文。

これ上の「小量」を釈す。

「諸経の王に事う」とは「大乗を学す」を釈す云云。

「弟子」の名義、今意を取って示さん。一には資は師を敬うこと父の如し、故に子というなり。師は謙譲して資を以て弟の如くす、故に弟というなり。二には学は師の後に居る、故に弟と名づく。解は師より生ず、故に子と称するなり。三には父兄の礼を以て師に事う、故に弟子というなり。啓蒙に諸文を引く云云。

一、心情の哀惜を等文。

今、「情」というは「情に妙法を存せるが故に」の「情」の字の如し云云。

一、涅槃経に云く文。

第三長寿品二十九。

一、若し能く挙処つて駈遣し呵責せば。

此くの如く点すべきか。「挙処」。 「挙処」というは一義に云く、謗者の住処を挙げて折伏する義なり。

一義に云く、今、動なりの訓を用い、追って処を去らしむるの義なり。

一義に云く、挙容の処倶に以て駈遣すべし云云。

一義に云く、罪を挙げて処分する義なり云云。

今謂く、後の二義は未だ分明ならず。初めの二義は聞えたり。就中第二の義は「一挙万里」の如し。その便ありと雖も、駈遣の両字即ちこの意を含むか。

今案じて云く、「挙処」とは一切の処なり。一切の処とは一処をも漏さざる義なり。弘七末六十三に云く「空談挙心法界に非ざるは無し」と云云。止随七 五十八に云く「挙心は一切の心なり」と文。既に一切を以て挙の字を釈す、今もまた然るべし。会疏三 五十五に云く「王、時に創を被り身を挙げて周遍す」と云云。常に「世を挙げて」「人を挙げて」等という、今の意もまた爾なり。当に知るべし、駈遣は身業、責はこれ意業、呵はこれ口業なり。故に知んぬ、今の文意は謗者所住の一切の処、一処をも漏さずして三業に経て折伏すべきことを云云。

一、去る元仁年中。

法然は建暦二年寂す。元仁は唯一年なり。正しく法然の第十三年に当れり。延暦寺の奏状等、御書三十六巻、念仏者追放宣示の状、往いて拝せよ。

一、法然の選択の印板を等文。

三十六 二十一に「永尊堅者の状に云く(乃至)法然上人の墓所は感神院の犬神人に仰付て之を破郤せしめ畢んぬ乃至法然房所造の選択は謗法の書なり天下に之を止め置く可からず仍って在在所所の所持並に其の印板を大講堂に取り上げ三世の仏恩を報ぜんが為に焼失すべきの由奏聞仕り候い畢んぬ(乃至)嘉禄三年十月十五日」と云云。

感神院等は諸抄の如し

今謂く、法然の伝記の第七に准ずるに、法然存生の昔は藤井の元彦という俗名を付けられ、後鳥羽院の御宇、建永二年二月二十八日に土佐の国へ流されぬ。凡そ流罪は賢聖の常例なり。所謂、竺の道生は蘇山に流され、法道は江南に遷され、一行禅師は菓羅国に放たる。然りと雖も、未だ俗名の事を聞かず。法然の俗名は豈永代不易の恥辱に非ずや。滅後の今は墓所を破却せらる、これ第一の恥辱なり。祖書二十三 二十八に云く「生の難は仏法の定例・聖賢の御繁盛の花なり死の後の恥辱は悪人・愚人・誹謗正法の人招くわざわいなり、所謂大慢ばら門・須利等なり」と。また三十 十五に云く「権者は恥辱を死骸に与えず、本文に違うか」と云云。これに例して知るべし。

一、其の門弟等文。

隆観。浄土源流に云く「長楽寺の隆寛律師は多念義なり。法然伝記第八 二十紙已下を往いて見よ。多念義は法然の正意と見えたり」云云。盛衰四十四 二十二に「嘉禄三年九月二十三日の勅宣に云く、隆寛律師を対馬の島に追い遣すべし」と云云。

聖光。浄土源流に云く「鎮西の筑後国の善導寺の本願聖光」と云云。法然伝記第十に云云。良忠はこの聖光の弟子なり。諸行往生を許すか。聖光流罪の事の未だその文を見ず。 成覚。法然伝記六に云く「叡山南谷鏡下房少輔、後に法然の弟子となり成覚房幸西と名のれり。一念義を立て多念の遍数無益なりと云云。法然之を責めて附仏法の外道と云う」と云云。嘉禄三年十月二十日の宣旨に云く「成覚法師、讃岐大手島に経廻す」等と云云。また云く「隆寛・幸西・空阿弥等を投搦めたり」と云云。



薩生。未だ伝記を見ず。祇園執行に仰せ付けらる。山門下知状に云く「是れを以て邪師存生の昔は永く罪条に沈み、滅後の今は亦死骨を刎ぬ。其の徒に住蓮と安楽とは死を原野に賜い、成覚と蘇生とは刑を遠流に蒙る。此の現罰を以て後報を案ずべし」と云云。故に薩生の遠流は分明なり。 第七 施を止めて命を断つの証の

一、経を下し僧を謗ずること一人には論じ難し等文。

此くの如く点ずべし。客の意に云く、経を下し僧を謗ずること、法然一人には論じ難し。主人もまた浄土の経を下し法然を謗ずればなりと云云。

古点穏やかならず。

一義には、この八字は皆主人に約す。謂く、浄土の経を下し法然を謗ずること、主人一人の分別には概論し難しと云云。

一義には、この八字は皆法然に約す。謂く、大乗経を下し衆僧を謗ずることは、法然一人としては論判し難しと云云。啓蒙にこれを牒するが如し。今謂く、二義倶に未だ美からず。

一、然れども大乗経(乃至)以て等文。

此くの如く点ずべし。古点未だ美からず。

一、此の瑕瑾を守って其の誹謗を成せども文。

また此くの如く点ずべし。この下の六句二十四字、古来の諸師は皆主人に約す。倶に穏やかならざるか。

今謹んで案じて云く、この二句八字は主人に約し、次に「迷って」の下の二句八字は法然に約し、三に「賢」の下の二句八字は法然と主人とに約するなり。故に今の問の意に云く、経を下し僧を謗ずること、法然一人には論じ難し。主人もまた爾ればなり。然れども大乗経等を以て「捨」等の四字に載すること、選択の文に分明なり。主人はこの瑕瑾を守ってその誹謗を成せども、法然迷っていうか、覚って語るか。爾れば法然と主人との間、賢愚を弁ぜず、是非を定め難し等と云云。

一、須く仏法を立つべし文。

日我云く「客稍承伏する間、立正を願うなり。災を消し、難を止むるとは安国を願うなり」と云云。

一、余は是れ頑愚にして等文。

これ問の中の「賢愚弁せず」に対するなり。

一、謗法の人を禁めて等文。

三重の秘伝に云云。「正道の侶」とは三箇の秘法を弘むる人なり。これはこれ元意なり。附文の辺、知るべし。

一、即ち涅槃経に云く。

会疏第十 九紙。「一闡提」に多義あり。註の中に弁ずるが如し。

一、若し比丘及び比丘尼(乃至)有って等文。

夫れ一闡提とは外来の者に非ず、皆これ附仏法の四衆なり。この文は、正しく正法を誹謗して改悔なき者を以て闡提と名づくるなり。

一、若し四重を犯し等文。

この文は、正しく重を犯して慚なく護惜の心なきを以て闡提と名づくるなり。今所引の意は、正しく護惜の心なきに在り。註の中に弁ずるが如し。

一、肯て発露せず文。

「発露」というは覆蔵に対する言なり。故に「発」は「開」なり、「露」は「顕」なり。謂く、所造の罪を開顕する故に発露というなり。即ち懺悔の事なり。「護惜建立」等の文、具に註の中の如し。

一、唯此くの如き一闡提の輩を除いて文。

この句頭に於て三宝を謗ずるの文あり。謂く「若し復説いて仏法僧無しと言わん」等の二十字これなり。註の如し。現本にはこれなし云云。

然れば則ち今所引の経文は、闡提を明かすに即ち三義あり。第一は謗法闡提、第二は犯重闡提、第三は撥無闡提なり。これ章安の名目なり。今所引の意は、後の二種の闡提も終には謗法闡提に当るなり云云。三十七初。

同段          十月五日 一、又云く、我れ往昔を念うに閻浮提に於て大国の王と作れり等文。

会疏十一 十九・二十一。「大国の王と作れり」、これ小王に対するなり。

一、又云く、如来等文。



会疏十五 三。次の「又云く、殺に三有り」の文も同じく次下の文なり。 一、具に下の苦を受く文。

「下の苦」は即ち軽苦なり。三の苦は即ち重苦なり。中の苦は知るべし。註の中の「文殊・提劔」とは弘四末四十三を往いて見よ。

一、仁王経に云く文。

吉祥の疏六 十四。「波斯匿王」の名義は註の中の如し。

一、諸の国王に付属して文。

付嘱に三義あり。一には弘宣付嘱、二には伝持付嘱、三には守護付嘱なり。これ一代に通ずるなり。今は即ち第三の守護付嘱なり。撰時抄愚記の如し。

一、涅槃経に云く、今(乃至)以て等文。

会疏三 三十一。「又云く、仏の言く」等の文は同巻五十三。

一、諸王・大臣・宰相・及び四部の衆に付属す等文。

註に云く「諸王とは親王を指す。上に国王を挙げて今諸王を出す」と云云。啓蒙に云く「諸王は即ち是れ諸の国王なり。仁王・涅槃の文、既に別なり。何ぞ仁王の文を以て相対して之を論ぜんや」と云云。

今謂く、本経は爾なりと雖も、今は所引の意に拠る、故に親王というか。これ則ち国王・親王・大臣・宰相・四部の衆の次第に残闕なきか。

一、善男子正法を護持せん者は文。

会疏十 十一。経に云く「正法と謂うは即ち是れ如来の微密の蔵なり」と云云。故に「正法」とは、意は実に文底の秘法を指すなり。

今文の「正法を護持せん者」とは、正しく在家の護法を明かすなり。故に章疏四 三十三に云く「善男子、正法を護持せん者とは、広く答うるに二と為す。一には在家、二には出家なり。在家の護法は其の元心の所為を取る。事を棄て理を存し匡しく大教を弘む、故に正法を護持せんと言う。小節に拘らず、故に威儀を修せずと言う」と文。開目抄下四十八にこの疏の文を引いて「出家在家の護法」というは「出家」の二字恐らくは剰せり。これはこれ科目なり。何ぞ釈文と為さんや。啓蒙九 七十の如し。恐らくはこれ後人の写謬なるべし云云。

一、又云く、若し五戒を受持せん者有らば等文。

会疏第三 五十六。「又云く、善男子」等の文は同五十五の文なり。

一、余の四十年等文。

朝抄に云く「無量億歳の最後の四十年なり。既に仏法未だ滅せずと云う故なり」と云云。また啓蒙の中に料簡あり。

一、多く破戒の比丘有り文。 これ謗法闡提の人を指して「破戒の比丘」というなり。既に「若し暫くも持つ者は是を持戒と名づく」と説く。豈若し暫くも謗ずる者は、これを破戒と名づくるに非ずや。

一、是の説を作すを聞きて等文。

「是の説」とは涅槃経を指すなり。故に撰時抄上二十四に云く「覚徳比丘は無量の破戒の者に涅槃経をさづく」等云云。本経の意は扶律談常の辺なり。

一、王・爾の時に於て等文。

これ北本第三 二十四の文なり。若し南本の中には「王時創を被り身を挙げて周●す」の八字を以て北本の二十字に替えたり云云。これ謝運巧略なり。

一、第一の弟子と作る等文。

問う、師は第二の弟子と為り、王は第一の弟子と為る、その謂如何。

一義に云く、有徳は法を護って戦闘して疵を得。身を軽んじ法を重んず、故に第一の弟子と為る。覚徳は戒を持って法を説く。然るに猶王の威に頼る、故に第二の弟子と為る云云。

一義に云く、これ恐らくは経文の意に非ずと。会疏三 五十六にこの文を釈して云く「王は前生是れ第一なり。比丘は後生是れ第二なり。又四依に約せば、王は是れ初依第一なり。比丘は是れ第二依」等云云。両意ありと雖も、倶に甲乙の義に非ず。何ぞ勝劣の義を作らんや。

一、是の故に法を護らん優婆塞等文。

別して在家の護法を明かす、故に「刀杖を執持して」というなり。

問う、出家の人に於ては刀杖等を許さざるや。

答う、これ時に依るべし。若し謗者充満の時に当っては縦い出家と雖も、何ぞ仏法守護の為に刀杖を執持せざらんや。故に「等」というなり。誰か知らん、比丘を「等」ならずということを。然りと雖も、本経に具に四衆を出すを謂うには非ず、但この「等」の一字に意を留むべし。吾が開山師の二十六箇に云く「刀杖等に於ては仏法守護の為に之を許す。但し出仕の時節は帯す可からざるか、若し其れ大衆等に於ては之を許す可きかの事」と云云。日我云く「二十六箇の法度の中に刀杖の事之有り。時に依り人に依るなり。悪行不信の法師には全く之を許すべからず。貫首及び学匠等に横難出来の時は、彼の法命に代り且く敵を防がん為なり」等云云。

一、擁護すること是くの如く等文。

この下に「持法比丘」の四字あり。南北倶に爾なり。語式は不可なり。

一、刀杖を持すと雖も応に命を断ずべからず文。

問う、仙予・有徳は謗者の命を断ず。今何ぞ「応に命を断ずべからず」というや。

答う、辰抄に云く「国王等の折伏には謗者の命を断じ、比丘の折伏には応に命を断ずべからざるが故なり」と云云。今、比丘に約することは所含の意を点示するか。若し現文に准ぜば、また在家に約するなり。而れば釈尊の前後を以て相違の難を会すべきなり。下の文の如し云云。

一、設い五逆の供を許すとも謗法の施を許さず文。

既に謗法の人を供養することを許さず、何ぞ謗法の人の供養を受けんや。金吾抄十七 四十五に云く「但し法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養すれば必ず無間地獄に堕つ、五逆の罪人も彼を怨とすれば必ず人天に生を受く」と文。即ち今文の意に同じきなり。教機時国抄二十六 三もまた今文に同じ。乗明抄三十八 二十五に云く「劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ勝れたる経を供養する施主・一生に仏位に入らざらんや、但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし、譬えば修羅を崇重しながら帝釈を帰敬するが如きのみ」と文。これ謗法の供養を受けざるの明文なり。啓蒙三十六 三十五の如し。御義口伝下十三に云く「謗法の供養を受けざるは貪欲の病を除くなり」と云云。二十六箇に云く「謗法の供養を請く可からざる事」と云云。

一、而るに謗法の族正道を忘るの人文。

此くの如く点ずべし。この二句は、諸宗は元来謗者にして正道を忘れたるの人なることを明かすなり。その上、選択に依って弥愚盲を増す、故に「剩え」というなり。但し註の中に「無上正真の道人」といえるは、仍人の字を以て所忘に属す、恐らくは穏やかならざるか。

一、仰ぐ所は則ち其の家風文。

家風とは浄家の宗風なり。

一、莠言を模。

印板の初め。随筆七 二十。

一、釈迦の手指を切って文。

善光寺の如来も本は善光所持の難波の堀江の釈尊なり。而して中古より弥陀と称するなり。此等もその例なり。また京の誓願寺も本は釈迦なり。而して阿難・迦葉を以て脇士と為す。後に釈迦を弥陀に代う。その時の狂歌に云く「釈迦不詳、阿弥陀に家を取られぬる、アナン笑止や何とカセウぞ」と読みて立てたりと云云。また相模国の大盛入道、良観房の教化に依って釈迦の指を切り、弥陀の印と成すなり。また地蔵の頭にて蓼摺る等の風情もこの例なり。また十五日は弥陀の命日と云云。また諸神は弥陀の垂迹なりと云云。此等は皆釈迦を以て弥陀に代うるの例なり。

一、東方如来の雁宇を改めて文。

「●宇」は堂塔の別称なり。これに二縁あり。一には西域九 二十二に云く「昔比丘有り。群雁の飛翔を見て、戯れて時を知れと云う。忽ち一雁有り。投下して自ら●つ。疏して云く、此の雁は誡めを垂る。宜しく厚徳を旌すべしと。是に於て雁を●めて塔を建つ」と文。二には要覧上二十二に云く「雁堂は善見律に云く、毘舎離、大林に於て仏の為に堂を作る、形雁子の如し。一切具足す」と文。堂舎四つに垂るること、雁の羽翼の自ら覆うが如し。故に「形雁子の如し」というか。註の中には「字訓に付いて之を釈す」と云云。また健抄の説は追って考う。

一、西土教主の鵝王を居え文。

「鵝王」は仏の異称なり。これ三十二相の中の網縵相に約するなり。会疏二十六 四十二に云く「菩薩は衆生を摂取す、是の業縁を以て網縵指白鵝王の如くなるを得」と文。一昨日抄二十六、本尊抄八にも、以て異称と為すなり。字彙は亥四十九に「鵝は家に畜う所の者なり」と。海篇十一 二十三に云く「野にあるを雁と曰い、家にあるを鵝と曰う」と。新語七十六には「鵝はアヒル」と云云。

一、或は四百余歳の如法経を止めて文。

人王五十三代淳和天王の御宇、天長十癸丑年、慈覚大師四十歳の時、身は疲れ眼は昏し。叡山の北●に於て草庵を結び屏居す。後に天薬を感じ、身は健やかに眼は明らかなり。是に於て石墨草筆を以て妙法華を書し、子塔に蔵して一庵に置く。名を如法堂という。今の首楞厳院なり。天下これに則り、法華を書するを如法経と号す。釈書三 十二。彼の時より文応に至ること四百二十三、四年なり。故に「四百余歳」というなり。

法然が法華の如法経を止むること、法然の伝二 二十二に出ず。後白河法皇の十三年の御遠忌には則ち浄土の三部を書く。大和入道見仏が供養もまた爾なり。啓蒙に引く所の如し。神明が法華の如法経を守りたまう事、釈書第十の浄蔵伝の如し。竜神が法華の如法経を尊ぶこと、盛衰記四十四 六の如し。然るに源空謾にこれを改む、豈謗法に非ずや。故に有る人の法華読誦を後悔して狂乱吐血して死せる事、沙石第一巻の如し。また法然の伝四にも、法華千部の内の七百部を成就せる人、後に一向称名せる事あり。

一、是破僧に非ずや。

この下に「是れ亡国の因縁に非ず哉」の七字、異本に見ること在り。

今謂く、或は現本は爾るべきか。既に上には三宝誹謗の相のみを明かすなり。若し総じてこれを論ぜば異本も失なきなり。

第八 斬罪の用否の下   十月二十四日

一、彼の経文の如く文。

これ上来の涅槃経等を指すなり。

一、大集経に云く文。

大集月蔵経十 二十八法滅尽品の文なり。註の指南は謬りなり。

一、彼の竹杖の等文。

啓蒙九十七に増一阿含十八 十三を引く、往いて見よ。註の中には略して引く。

問う、目連既に法華に於て初住の記を得。何ぞ外道の殺す所と為るや。

答う、極果仍頭痛・背痛あり、況やまた初住をや。註に云く「業能く随逐して聖に至るも免れず。但総報の悪業を断つ、別報止まざる故に業を償うなり」と云云。

問う、増一はこれ鹿苑の説なり。若し竹杖が害を得ば、何ぞ法華の座に在るや。

答う、目連既に法華の座に在り、故に知んぬ、後分の阿含なるのみ。部類同じきを以て結集初めに在くなり。例せば遺教経は最後の説と雖も、阿含の結経と為るが如し。これ常途の談なり。初学の為に記するのみ。

一、提婆達多文。

啓蒙六 二十八に摩耶経下巻を引く。註の中には略引するなり。

一、後昆最も恐あり文。

字彙に云く「昆は兄なり、後なり」と云云。

一、客明に経文を見て文。

これ上来の涅槃経等を指すなり。問の中に「彼の経文の如く」と。これを思え云云。

一、心の及ばざるか文。

両句、別意なきなり云云。

一、全く仏子を禁むるには非ず文。

これ大集経を会するなり。謂く、涅槃経の「止施断命」は全く仏子を禁むるには非ずして唯謗法を悪むなり。若し大集経の「持戒・毀戒」は倶に仏子に約す。これ謗法の人に約するに非ず、故に今の違文に非ざるなり。

一、釈迦の以前等文。

「釈迦・能仁」は倶にこれ能説の如来なり。「仏教」「経説」は同じくこれ涅槃経なり。「以前」は即ち過去の事、所謂、有徳・仙余なり。「以後」は即ち滅後の事、所謂「唯一人を除いて、余の一切に施さば」等はこれなり。即ちこれ今日の涅槃経の説相なり。註の中は未だ分明ならざるか。また健抄は悪人の多少に約すと云云。白髪の譬の如し、これを思え。 一、其の悪に施さず文。

「悪」は即ちこれ謗法なり。「善」は即ちこれ正法なり。当に知るべし、「其の悪に施さず」とはこれ破邪なり。「皆此の善に帰す」とはこれ立正なり。「難なく災なし」とは豈安国に非ずや。またまた善悪相対・権迹本等、忘失すべからず云云。

第九 疑を断じて信を生ずの

一、客則ち席を避け襟を刷いて文。

この段は旅客信伏して主人を崇敬し、忽ち師弟の礼を成す。故に「席を避け襟を刷いて」というなり。孝経に云く「仲尼間居し、曽子待坐せり。子の曰く、参、先王は至徳、要道有って以て天下を順う。民用て和睦し上下怨なし、汝之を知るやと。曽子席を避けて曰く、参は不敏、何んぞ以て之を知るに足らんや」注と。礼に「師の問うことあるときは席を避け起ちて対う」といえり云云。史記百二十七に云く「宋忠・賈誼、瞿然として悟る、纓を猟り襟を正して危坐す。注、其の冠の纓を攬りて、其の衣の襟を正す」等云云。今、註の中に云く「襟を刷うは衽を交うるなり」と云云。

一、仏教斯く区にして文。

「区」の字は、衆なり分なりの訓を用うべきなり。

一、理非明ならず文。

これ信伏の中に先ず当初の迷妄を挙ぐるなり。謙退の辞と謂うには非ざるなり。「但し法然」の下は正しく昨非を悔ゆるなり。

一、好む所なり楽う所なり文。

この和訓は可なり。

一、一闡提の施を止め等文。

「衆僧尼」は「一闡提」に対するなり。然るに世上仏意に背き、却って衆僧尼の供を止め、専ら一闡提の施を致すは哀れむべし、悲しむべし。況やまた「法水の浅深」を弁ぜず、「仏家の棟梁」を知らざるをや。

一、仏海の白浪を収め文。

白波谷は盗賊の在所なり。白波を白浪と号するならん。後漢書列伝六十二 九の董卓伝に云く「初め霊帝の末に黄巾の余党郭太等、復西河の白波谷に起り、転じて太原に寇す。遂に河東を破り、百姓三輔に流転す。号して白波の賊と為す。衆十余万」等云云。また歌道に盗人を白波というなり。家隆の子息禅師隆尊の歌に「白浪の名をば立つとも吉野川 花故沈む身をば恨みじ」と云云。また貞元元年、大裏に盗人入りたりし時、京童の落書に「四方の海風おさまらぬ程見えて 雲の上にも寄する白浪」と云云。沙石本語園に云云。但し在恒の女の歌に「風吹けば興津白波竜田山 夜半にや君が独り行くらん」と。この歌の「白浪」はただこれ枕歌にて盗人の事にはあらず。「立田山」といわんとて「興津白浪」といい、興津白浪といわんとて「風吹けば」と置くなり。例せば「足曳の歌」の如し云云。「緑林」は盗賊の篭る山の名なり。前漢書九十九 九に出でたり。註に「緑林は即ち赤眉賊なり。王莽の末、民並び起ちて盗賊と為り、聚まりて緑林の山中に蔵る」というこれなり。長明が海道記に云く「わか杉と云う所にてよめる、はや通るとて過ぎよをよめる歌に云く『はや過ぎよ人の心のよこた山 緑の林かげにかくれて』と云云。呉竹集に云云。

問う、倶にこれ盗賊の通名なり、何ぞ山賊・海賊に配せんや。

答う、或は梁武政世記の一説に拠るか。「暴、山に隠れて緑林と成って国を犯す。亀、海に踊って白波と成り舟を覆す」云云。或は字の便に随うか。太平三十九 十八に云く「山路には山賊ありて旅客緑林の陰を過ぎ得ず、海上には海賊多くして舟人白浪が難を去り兼ねたり」と云云。

一、法水の浅深を斟酌し文。

高誘が呂氏春秋の註に云く「斟酌は其の善なる者を取って行う」と云云。故に知んぬ、「斟酌」は思慮分別してその善なる者を取って而も行う義なることを。今文の意もまたまた爾なり。或る師の「思慮の義を破る」は却って不可なるか。当に知るべし、「浅」は即ち余経、「深」は即ち法華なり。故に秀句に云く「浅きは易し深きは難し。六難は法華を指し、九易は余経を指す」(取意)と云云。法華はこれ大海なり云云。本地甚深等云云。

一、仏家の棟梁等文。

末法の「仏家の棟梁」は即ちこれ蓮祖大聖人なり。故に撰時抄下三十九に云く「去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向って云く日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり」等云云。

一、鳩化して鷹と為り等文。

註の如し。礼記の月令に出ず。また珠林四十三 十二に云く「春分の日、鷹化して鳩と為る。秋分の日、鳩化して鷹と為る。時の化なり」と。また云く「百年の雀江に入りて蛤と為り、千歳の雉海に入りて●と為る」と云云。

問う、客既に悪を転じて善と成る、「鳩化して鷹と為る」が如し。何ぞ「雀変じて蛤と為る」というや。

答う、これ勝劣の義を取るに非ず、但変化の義を取るのみ。

一、麻畝の性と成る文。

「麻畝」の両字は詩経五に云く「麻を芸うること之を如何せん、その畝を衡従す。妻を取ること之を如何せん、必ず父母に告ぐ」と云云。史記六十 十二に云く「蓬の麻中に生ずれば扶けざるに自ら直し。白沙の泥中に在れば之が与に皆黒し」と文。友を選ぶべきこと要なり。大論十四 五に云く「人に三業あり。諸善を作すに、若し身口の業善あれば意業も自然に善に入る。譬えば曲草の麻中に生ずれば扶けざるに自ら直きが如し」と云云。当に知るべし、今この意に准ずるに、縦い名聞の為にもせよ、若しは利養の為にもせよ、身に妙法の行を立て、口に妙法の行を説け。或は身を仏前に運び、口に妙名を唱えよ。若し爾らば意業は自ら妙法の大善に入るべきなり云云。

一、風和らぎ浪静かに文。

緑林の風和らぎ、白浪の浪静かに云云。「五風十雨」等云云。

一、不日に豊年文。

常には漢音に呼ぶも今は呉音に呼べ。これ或る師の伝なり。「不日」とは詩経の注に云く「日を経ざるなり」と。故に知んぬ、速なる義を「不日」ということを。「豊年」とは礼記五に云く「祭は豊年にも奢らず、凶年にも倹めず」等云云。九年六年三年の蓄えの事云云。

一、但し人の心は時に随って移り文。

千字文に云く「真を守れば志満ち、物を逐えば意移る」と云云。註に云く「中人の性は習いに随って則ち改まる。善に逢えば善と為り、悪に逢えば悪と為る。心定まらざるを以てなり。『物を逐えば意移る』とは荘子に云く、凡夫の心は限り有るの身を将て限り無きの物を求め、意常に定まらず」と文。

一、物の性は境に依って改まる文。

「物」は即ちこれ人なり。当に知るべし、心性は本善悪を具す。所以に外境に随って善悪の念生ず。譬えば水精の日輪の縁に随って火を生じ、月輪の縁に随って水を生ずるが如し。既に境に依って善悪改変す、故に「境に依って改まる」というなり。

一、譬えば猶水中の月の波に動き文。

北本涅槃経十四 十九に云く「諸の衆生等、少微の縁を見て阿耨菩提に於て即便ち動転す。水中の月の水動けば則ち動ずるが如し」と云云。

一、陣前の軍の剣に靡く等文。

十月二十六日 一、薬師経の七難。

一には人衆疾疫難、二には他国侵逼難、三には自界叛逆難、四には星宿変化難、五には日月薄蝕難、六には非時風雨難、七には過時不雨難なり。

一、大集経の三災。

一には穀貴、二には兵革、三には疫病なり。

一、金光明種種の難文。

疫病、彗星、両日並び現じ、薄蝕恒なく、黒白二虹、星流れ、地動き、井中に声を発し、暴雨・悪風・飢饉、他方の怨賊国内を侵掠する難等なり。

一、仁王経の七難。

一には日月難、二には星宿難、三には衆火難、四には時節難、五には大風難、六には天地亢陽難、七には四方の賊来る難なり。

一、先難是れ明かなり後災何ぞ疑わん文。

法然の謗法に由る故に種々の災難、今世上に盛んなり。若し彼の謗法を退治せざれば、自他の叛逆来らんこと治定なり。故にこの論を勘えて以てこれを奏するなり。故に重ねて四経の文の牒釈するなり。これこの論の肝要なり。

一、其の地を掠領せば文。

小補に云く「説文に掠は奪取なりと。広韻に抄掠は人の財物を劫うなりと。通じて略に作る、劫略は掠と同じ」と云云。

一、国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん文。

東福寺の招月が詠歌に云く「遁れても世を安かれと祈るかな 静かならねば隠れがもなし」と云云。これを思い合すべし。

一、一身の安堵文。

「堵」は牆なり。集覧四十五に云く「将士は皆安然たること牆堵の遷動せざるが如し」等云云。

一、大集経に云く、若し国王有って等文。

註に云く「論主偏に謗法の者を責めて而も其の悲歎の至りを示す、故に煩重に非ず」(取意)等。啓蒙に云く「国主諌暁の論なるが故に、重ねて之を出すか。或は首尾相応の故」等云云。恐らくは、その善を尽し、未だ其の美を尽さざるか。

今謂く、大集経に法滅の不護の報を説くに具に両意あり。一には現世の災難、二には後生の堕獄なり。前にこれを引用すと雖も、意は現世の災難に在り。今の意は正しく後生の堕獄に在り。既に所引の意同じからず、何ぞこれ煩重ならんや。

一、六親和せず天神も祐けず文。

「六親」は父母兄弟妻子なり。その外、多説ありと云云。沙石六 二十二にこの文を引いて云く「父母兄弟等不和なる時は天神地祇も祐けず」と文。註の意もこれに同じきか。

一、人の夜書くに(乃至)如く文。

現世の造悪は「夜書く」が如し。その身の死するは「火は滅する」が如し。来生の果は「字は存する」が如し云云。然るに紫陽先生が小学に云く「死者は形既に朽滅し神も亦飄散す。●焼春磨有りと雖も、且く施すに所無し」とは、これ因果を知らざる故なり。

一、涅槃経に云く文。

会疏三十二 三十六に云云。「八万四千」の下に「由延」の二字あり。

一、此の朦霧の迷に依りて文。

正を捨て邪を取るの迷心を以て、これを「朦霧」に譬うるなり。蓋し明らかならざる所以なり。「盛焔」は阿鼻の異名なり。

一、信仰の寸心を改めて文。

早く邪法信仰の寸心を改めて、速かに法華実乗の一善に帰せよとなり。当に知るべし、「寸心を改めて」とは即ちこれ破邪なり。「実乗に帰せよ」とは即ちこれ立正なり。「然れば則ち三界」の下は安国なり。

第十 正に帰して領納すの下

一、客の云く、今生後生等文。

日我云く「詞は客なれども義は是れ主人なり。客既に信伏して主人の内証の如く領解する故なり。故に客の段にて終るなり。『然れば則ち』の文は十九段、義は二十段なり」と云云。

一、先達の詞に随いしなり等文。

「先達」とは、遠くは綽・導・恵心に通じ、近くは法然を指すのみ。

一、唯我が信ずるのみに非ず等文。

これ「仏法中怨」の責めを恐るるが故なり。

一、文応元年等文。

開山の門徒存知に云く「一、立正安国論一巻。此れに両本有り一本は文応元年の御作是れ最明寺殿・宝光寺殿へ奏状の本なり、一本は弘安年中身延山に於て先本に文言を添えたもう、而して別の旨趣無し只建治の広本と云う」と已上。日我云く「建治の広本は諸経の文二十六之れ多し」等云云。

一、災難興起の事。

今、仏家に依り且く三義を明かさん。

一には万民の業感に由るが故に。謂く、悪業の衆生倶に同時に生ず、業感に由るが故に災難を招くなり。これ国王に関わるに非ず、万民自ら招くのみ。尭の代九年の水、湯の時七年の旱の如きはこれなり。註千字上三、要言一 十六。

二には国王の理に背くに由るが故に。謂く、国王不明にして教令理に背く故に天これを罰す、所以に災あり。これ万民に関わるに非ず、国王自ら招くのみ。孝婦の雨ふらさざるの誅、忠臣の霜を降らすの囚の如きこれなり。註千字中九、蒙求上二十七。

三には誹謗正法に由るが故に。謂く、当論所引の四経の文の如きはこれなり。これ則ち国王万民、天下一同に招く所の災難なり。

当に知るべし、初めの義の如きも、遠くその本を論ずれば、則ち焉んぞこれ無始の誹謗正法の業感に非ざることを知らんや。また第二の義も、世法の理に背くは即ち仏法に背くなり。仏法の理に背くは即ちこれ謗法なり。「若し深く世法を識れば即ち是仏法なり」とはこれなり。若しこの三義を暁れば、往いて通ぜざる所なからんや。

維れ時、正徳五乙未十月下旬仏生日、安国論講じ畢んぬ。

富士大石学頭 大貳阿闍梨日寛 謹稿

ホームへ 資料室へ 御歴代上人文書の目次へ メール