志田の周りには10の村がありますが、今回は近くの村の言い伝えを紹介します。
志田から南に4キロ程入った山沿いに矢戸口(戸数75軒)という、裏は山の村があ
ります。 この村の名前の由来は、昔このあたりの地域では藺草で編んだ ござぼうし
と 干し柿 をよそに売りに歩いていました。でも、大野市(現在人口4.5万)に行くの
に九頭竜川沿いに歩くととても遠く(約18キロ)、この村の山を越えればそこが、
すぐ大野の 大矢戸・小矢戸に出るので ”矢戸口”と名前が付いたのだそうです。
この大野の矢戸に出る山道を矢戸坂と呼んで毎日近くの村の人は矢戸坂を通って行商に
出ていました。
この矢戸坂の峠にさしかかるところに大きな岩があってその岩の間にいつの間にか白
蛇が住み着いて行商の村人たちは朝日が昇る頃この岩の間を眺めて白蛇が見えたときは
たくさんの品が売れるのでそのうち弁天岩と名前が付いたそうです。
朝 出かけに弁天さんを拝み沢山売れたと言っては帰りにまた拝みしていたようです。
こうしてこの地域は平和に暮らしていました。
<正面の山が矢戸坂です。
ところがそれからしばらくしてこのあたりが大飢饉におそわれました 我が志田の村
の人も食べる物もなく村を逃げ出す人も多く 年寄りの言い伝えでは「池田の崖を下っ
たあたりでもう見えんようになった」ということです。(池田の崖とは志田から九頭
竜川に向かった河岸段丘のこと 昔は2キロ以上蛇行して流れていたようです。)
この頃ここを通りかかった弘法大師がこの有様を見て 「う〜む、これはいかん九頭竜
川の鮎の取り方を教えよう」と網を編んで魚の取り方を教えてくださり、この地域の人
は大変助かったそうです。しばらくして「わしは、これから大野に行かねばならんが網
が切れたとき困るであろう そうじゃ 矢戸坂の峠の岩に網を掛けておこう さすれば
周りの者みなが網が切れたときもそれを見て直せるであろう。」
うそか誠か 小さい頃村の年寄りから聞かされていた話です。
<大野側から見た矢戸坂
私が小学5年の時、学年行事で(遠足でなく)、矢戸坂に登ることになりました。ほと
んど獣道になっていたのを地域行事で山道を付けたのです。
私たちは先生から、「弁天さんの白蛇はもし見えるといいことがあるぞ しかし、見え
たことを人に話してはいかんぞ」と言われていました。
山道を歩きながら昔の人はとても大変なんだここを毎日歩いていていたんだと思いながら、
峠にさしかかると先に弁天岩が見えました。 みんな我先に岩の間に群がっています。
私もそぉーとのぞきました奥の方が暗いのですが、かすかに、白いものが見えます。
「みえたー!」でも誰も見えたとは言いません田舎の小学生です。
みんなずーと先生の言うとおり守っています。私は子供の時は信じていました。
でも、いま思うと何百年も生きているわけがないので誰かが白ひもを岩の奥に入れたのかな〜
と思ったりしています。でも実際にいるのかもわかりません。
今度は50メートル程先に大きな網岩がありました。まあ、見事に きれいな正方形
の形をして本当に網を掛けたようになっています。網の結び目までもありありとですよ
網は風化しても弘法大師のお力で岩と一体になっているそうです。
まあ不思議なのですが 話が嘘だとすると この岩は自然にこんな正方形の網が掛かっ
た形に風化したのでしょうか。
以上 弁天岩と網掛け岩の言い伝えと小さい頃の体験です。
弘法大師のお話はまだありますので今度続きを書きます。