御田ヶ原から鳥海山を


 山形と秋田の両県にまたがり、日本海にすそ野を洗う鳥海山は、その秀麗な山容のゆえに”出羽富士””秋田富士”などと呼ばれるコニーデ型火山である。

 昭和49年(1974)3月1日に突如153年ぶりに噴煙をはき、活動を再開して人々を驚かせた。 まもなく火山活動はおさまり、現在は登山も元どおりに行われている。

 端麗なシルエットのこの山も、登ってみると澄んだ水をたたえた鳥海湖、壮大な雪渓を抱いた千蛇谷、そして天を衝く新山の岩峰など、変化に富んだ山であることに気づく。 残雪が豊富なだけに、お花畑も見事で、外輪山から7合目あたりに群生する高山植物は種類が多い。 

 チョウカイフスマ・チョウカイチングルマ・チョウカイアザミ・と山名を冠する特産種や、コシジオウレン・ヒナウスツキソウなど稀種も見られる。

鳥海山の山岳伝承

 鳥海山の開基は役行者とする説もあるが、もとより判然としない。 四季雪を戴き、「出羽富士」の名をもつこの山は、時に烈しく火を噴き麓の草木、魚鳥を焼き尽くし、人々を畏れさせた。 この中でも、平安初期貞観十三年(871)の噴火は大規模であったらしく、時の出羽国司は次のように朝廷に報告している。

 「去る四月八日、山上に火が上がり、土石を焼いた。同時に雷のような音がした。山から流れ出る諸の川は泥水が溢れ、無気味に青黒い水は、堪え難いほどの臭気を放つ。 川の魚は死に絶え、夥しい死骸が流れを塞いだ。 長さ十丈余の大蛇の死骸が相次いで流れていった。 これに従う小蛇も数知れない程である。
 古老に尋ねたが、このようなことはかつて見たことがないと言う。 但し、弘仁年間に山中に火が見えたが、その後幾ばくもなくして兵乱が起こったという。 この度の噴火のことを占ったところ、大物忌神は出羽国の名~なるにかかわらず報祭を厚くしなかったので、神は怒りを発して災異をもたらしたのである。 若し鎮謝の祭りを行わないなら、たちまち兵乱が起こるであろうとの宣託であった。 そこで朝廷は国宰に命じて祭りを行わせ、神田を穢す家墓骸骨を除去せしめた。」

というのである。
 鳥海山の神は、このように神域を穢されることを極度に嫌う。 この山の神を「大物忌神」というのは、このことに由来するのかも知れない。
 当時は、この山は単に「飽海郡の山」とよばれ、「鳥海山」とは呼んでいないようである。 鳥海山に手長・足長なる魔神が住むとの伝説は、このような人々の恐れと関連するものであろう。 『羽黒山詣独案内』という巻物に、

  「・・・ 依之手長足長と言外道朝夕山上に住宿し、往来の旅人をなやませること言斗なし。 ・・・ 死人の白骨あたかも山のことくにして谷を埋む、名付けて是を地獄谷と言ふ。 去ほどに大物忌の神社是をあわれみ給ひて、一つのれい鳥をつかわして旅人に告げて言。 有や無やとなく、うやとなく時は外道必ず谷へ下りて人をとる。 旅人是をさとりて、ここかしこにかくれ居る。 又むやとなく時は、外道山上に到りて下らす。 ・・・

 慈覚大師の諸国廻国の折、当地にて外道にあやめられた人々のことを聞き、来世の衆生のために火生三昧の法を執行したところ、天地が激して鳴動し、鳥海山の噴き出す火は天をこがし、庄内郡中は三日三晩にわたって真っ暗闇になった。 このとき、焼き崩れた山の一部は遠くに飛んで島となった。 外道はなおも神通力によって天に昇らんとしたが、大物忌の神は虚空より剣を下して退治した」

 とある。 山形県と秋田県の境をなす三崎峠は古名を「有耶無耶関」というが、これは右の霊鳥の鳴き声に由来するという。

 手長足長の魔神が、巨大な手足を伸ばして遠海の大船を襲い、人々を取り食らったということは、『新庄寿永軒見聞集』にも記されている。 同書によれば、天はこれを憎み、ついに火を下して鳥海山を焼き砕いてしまった。 このとき北海に飛び散ったのが、現在の飛島である。 以後、鳥海の神は神室山に移り住むようになったというのである。

 近世においては、鳥海山は何よりまず作神として崇敬された。 鳥海山を遠望する庄内平野や最上地方の村々、さらには秋田県の南部の地域に、鳥海山の碑がたち、鳥海講が組織されていることが、この山に対する農民の深い信仰を物語っている。 庄内地方においては、出羽三山に代参をたてる場合は、必ず鳥海山にも代参をたて、しかも出発の日も、村に帰る日も同じにする風習があったという。

 また、秋田県南部では、当地方の高山・霊峰に鳥海山の名を付し、南鳥海山(神室山)、東鳥海山(湯沢市の東の高山)などと呼んでいる。 東鳥海山は岩手県からの鳥海・出羽三山登拝の道筋に当たることもあって、ここを通る折は、決まって登拝するものであったと伝えている。 付近の村々は、この山の祭に山頂の神社境内の土を借りていき、それぞれの田畑に散布し、秋の祭には、借りた土を返しに登拝する。
 仙北地方では、鳥海講の講中が共同して稲を作り、これを鳥海山に供えたもので、この田を鳥海仏供田と呼んだという。

 荒ぶる鳥海山の神を鎮め、世の平安と豊かな稔りを得るには、農民自身の厳しい精進潔斎が必要であった。 村人が行う吹浦大物忌神社の物忌みは、

「正月第三の寅の日寅の刻より申の日申の刻迄七ヶ日物忌み有て、剃らず爪をとらず、死人有りても7ヶ日の内は葬礼は執行なはず、病を問はず、喪を弔はず、穢物を洗はず、冠婚の礼をも調べず、社外の男女まで7日の内に出、七ヶ日の内に帰らざるところへは他行することなし、春冬二季の物忌往古より当社にて行なひ来れり故に大物忌神社とは称し奉るや」

と、『出羽国風土略記』は記している。                                           -修験道の伝承文化 より

出羽富士・秋田富士

鳥海山(2229.9b)

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登山旅行記
御濱小屋

06/08/13(日) 晴れ

 9:00 出発。 今日はとりあえず、登山口の「鉾立ビジターセンター」までたどり着ければいいわけなので、途中、越後国の総鎮守「弥彦神社」を参詣して旅の安全を期そうと、予定に組み入れることになりました。 北陸高速に乗り、まずは「弥彦神社」を目指します。 ここは以前母が参拝に訪れており、わたしも時期を探っていたので迷わず決定しております。
 12:50 三条燕IC。 高速を降り、弥彦山を目指す。

 13:20 「弥彦神社」駐車場着。 弥彦山を背にした神社は鬱蒼と茂る森の中にあり、拝殿は弥彦山を後方に一望に見渡せるように配置され、雄大な神社でありました。 この弥彦山に「奥宮」が鎮座されているということで、14:30 ロープウェイにて山頂へ向かう。 14:35 山頂駅に着く、電波塔の群れを横に見ながら尾根を歩き、その先端に「奥宮」が鎮座しておりました。14:50 参詣
 15:26 「弥彦神社」発。 あとは「鉾立」を目指し一目散です。

 16:15 新潟西ICより高速へ。 16:47 中条ICより、高速道路はなくなり、いつもの国道をひたすら走ります。
 19:20 鶴岡市に入り和食の食事を取る。 
 20:48 山形自動車道 鶴岡ICより入り、 20:48 酒田みなとICまで。 ここより一般国道を通り鳥海ブルーラインにはいる。

 21:30 「鉾立てビジターセンター」駐車場着。 予定通りの行程で、明日に備え車中にて就寝となる。 



06/08/14(月) 曇りのち晴れ新山・大物忌小屋

 5:00 起床。 ちらほらとまわりの車からも、起き出してくる人がいて、こちらもあまりのんびりとはしておれず、朝食を食べながら準備を始める。 天気は曇り。鳥海山は雲にてどの方向かもよく分からず。
 5:55 鉾立登山口出発。 天気は時々晴れということなので、よくなることを期待しながら歩き出す。

 6:58 賽の河原。 気温は低め、山はガス状だが下界は望め、途中、日本海が見えた。ニッコウキスゲがあちこちから顔を出している。
 7:28 御濱小屋着。 登山道はここまで石道が続いている。 小休止。
 8:26 七五三掛。 ここらから山登り風になってくる。 ここまでは高原を歩いているような斜面ばかりで、非常に楽な展開だった。 しかし、ガスはだんだんひどくなり、視界10bといったところ。 でも、お花畑があちこちにというより、登山道のまわりに群生しているといった感じで楽しみながら歩くことが出来ました。
 8:55 文殊岳。 9:21 伏拝岳。 9:28 行者岳。 ・・・と書きましたが、正直どれがどの山か自信はありません。 標識もないし尾根続きのピークに山名を付けているようなので、こんな感じでした。
 10:12 七高山。 新山への分岐を通り越して七高山へ向かう。 といってもすぐそこなのですが、この尾根は噴火の際に出来た外輪山です、ここまできてまわりを見れば一目瞭然で、新山側は垂直に切り立っております。 目の前に新山があるのにガスが出たり流れたりでまともに顔を出してくれません。大物忌神社
 10:40〜11:05 大物忌小屋。 小休止。 大物忌神社参拝。 新山は大きな岩を無造作に積み上げたといった感じで、まさに瓦礫の山です。その足下に小屋があり、新山を背景に大物忌神社が祀られております。

 11:18 鳥海山(新山)山頂着。 岩登りというより、岩で出来たアスレチックのようで楽しみながら山頂に着く。 人がいっぱいの為そうそうに降り、きた道にて下山に向かう。
 12:18〜58 伏拝岳付近にて昼食。 ようやくこのあたりよりガスが減り始め、日が当たりだしてきた。
 14:17 御濱小屋。 小屋に着く前から完全な日本晴れ状態で、まわりの山々、お花畑をながめ、所々にある石仏や石の祠に一礼しながらの行程で、下りでもあるし爽快な道中でした。
 15:35 鉾立センター着。  15:50 風呂に入りたいため着替えが済むと即、宿に向け出発。 宿は、鳥海ブルーラインの秋田側に下りたところの「小滝」という村の旅館に予約してあります。 理由は近いから、また旅館の方がその地方の料理を期待できるからですね。

 16:30 白滝旅館着。 旅館に着きポスターを見て気がつきました。 「小滝」「白滝」の名は、この村の「金峰神社」境内の奥に「奈曽の白滝」」があるからで、またこの「金峰神社」とは1200年の伝統ある「チョウクライロ舞」(6月第二土曜日)が奉納されているという歴史のある神社であった。

 その舞というのは、天安元年(859)、当時、鳥海山に住んでいた「手長足長」という悪鬼を慈覚大師が法力により退治し、その際、八講祭を行い神恩に感謝する舞楽「チョウクライロ舞」を奉じたという。 「チョウクライロ」「長(ちょう)久(く)生(ら)容(いろ)」からきていて、長く久しく生きる容の意味、延命長寿を願うものとされている。
 ここに「山寺」の慈覚大師が出てまいりました。 山形近辺はかなり大師が活躍していたと思われます。 楽しみが増えました。


金峰神社鳥居  06/08/15(火) 晴れ

 8:05 旅館発。
 8:10〜27 金峰神社。

 旅館の女将さんに聞いたところ、「白滝」のほかに「元滝」という伏流水の滝もあるということで、まず神社の方へ。
 慈覚大師関連の神社ということで境内の中は階段を上がったり下りたりで、拝殿はその一番奥まったところに鎮座しておりました。 このレイアウトはやはり「山寺」風でありました。
 「白滝」はその上部より一気に最下部まで階段を下りることになります。 現在の体力としてはちょっと厳しいものがあったのでキャンセルさせていただき、「元滝」の方に向かうことにしました。

 8:30〜50 元滝。 鳥海山の方に少し戻った山の中にあります。 駐車場より歩いて5分ほどのところで、まさに鳥海山の伏流水であろうと思われる滝でありました。 疲れを癒してくれる絶好のタイミングの滝でもありました。
  9:18 道の駅「鳥海」。 土産物などを仕入れ、長い帰路に就く。
 10:05 酒田みなと 山形自動車道入る。金峰神社拝殿元滝伏流水
 12:52 中条IC。日本海東北道入る。

 途中休憩を入れながら
 19:45 自宅に到着。





  走行距離1304qでした。



 鳥海山はすそ野の広い雄大な山です。 そのため急登といった険しいところはありません。 しかし、お花畑にはおどろきました。 鳥海山はまさに花に飾られた山といった感じでした。 遠く月山を望みたかったのですが、よく分かりませんでした。

 金峰神社についてはまさに拾い物といった感じです。 こういう予定変更はうれしいのですが、スケジュールをいっぱいにして(欲張り)行くので後の行程にもろ響くのです。 今回はよく収まりました。 しかし、東北方面には慈覚大師の影響力の大きさを感じます。  

 鳥海山登山については、出羽三山を巡り回ったあと、ようやく目の前に実現可能な山として見えてきました。
 いままで鳥海山はわたしにとってはやはり遠い遠い山でありました。 しかし隣の出羽三山を二回に渡り遠征したことにより、山形近辺がそれほどの遠い地ではなく、ちょっと手を伸ばせば届く身近な地になってしまったのです。
 こうなってしまうとあとは決行時期だけであります。 で、8月の盆の休みを利用したらどうかな・・・ということになり、決定したのは8月に入ってからです。 それもその前の週に会社の山岳部との(「剣岳」8/5・6)登山が決まっているのにであります。 まあそのくらい思いこんでしまったわけです。

山形県飽海郡遊佐町