取立山より大長山へ

◇福井県勝山市◇


大長山(1671b)

 大長山(おおちょうざん)は、福井、石川の県境にそびえる山である。 泰澄が白山をめざし登坂のおり「白山所聞」には、

    「泰澄
この山に登って道に迷い難渋のおり三本足の雉がでて道案内をする。故にここを雉子上という


と、大長山と雉子上を同一視している。
 また享保一六年六月二十三日(一七三一)、白山境界紛争の現場検証に来た、本保(武生市)代官内山七兵衛や幕府寺社奉行所役人佐藤金右エ門の一行に、提出した関係書類「論内旧跡」の中に


    「虚空蔵、応頂、雉神、あるいは睨という社ならびに室の旧跡あり」縦走中の山中にて

 と書いている。 文中の応頂は大長山に当たり、雉神(きじかみ)は雉子上と書くことも理解できる。 しかし「睨(にらみ)」というのはどんな根拠にもとずくのか分からない。 平泉寺関係古文書中の「睨峠」と慶応三年の山道請負人足代支払いの「御蔵米出入勘定帳」にある、この睨峠は小原峠とでも解さなければならない。

 大長山は応頂奥畳(おうじょう)、また雉神とか、と呼ばれた。平泉寺がかつて発行した「北国白山天領御絵図」という木版画の一枚刷りにも、この山の当たる場所に「雉神」の名で小社が書かれている。
 さきの「論内旧跡」の中にある「虚空蔵」は虚空蔵菩薩のことで、雉神社に祀られていたのかもしれない。 すると大長山の山頂か、あるいは中腹のどこかに社祠の跡らしきものがあるはずである。


 泰澄は法恩寺山の伏拝で、小原谷をどう歩いたらよいのか見通しをつけ小原峠まで登り、今度は応頂山に登って白山をどう登ったらいいか再度の見通しをつけていた。 この時に出会ったのが、器地類(木地)を作る人達であったと思われる。

 小原峠は平泉寺白山十二宿禅定道の、第六宿めの「伏拝み」に当たる。このあたりは中世以前、平泉寺衆徒・修験者・白山講中の民が山開きの後、群をなして往来したという。 「伏拝み」の名の通り白山を拝むことができる。 白山を遠望でき、この名で呼ばれる場所は県内数カ所にある。

 大長山からの白山、別山の展望は、障害物がないので山麓からそびえ立つ全山が望まれる。 ハガクレスゲ、ゴヨウイチゴ、アオジクスノキなどは西限植物である。
取立山(1307b)

 取立山は谷部落の地籍だった。 もとは谷の東方の山として東山と呼び、最高峰を原高山と言った。 江戸時代の中期取立山の稜線を境に、木根橋側は「郡上青山藩領」に、谷部落側は「勝山藩領」となった。
 この頃この辺に、加賀の牛首(白峰)から焼き畑に入り込むものが漸増した。 藩では彼らを見逃しておくはずもなく加賀者といって厳しく山手役(山年貢)を取り立てた。 それによって「取立山」というのだと伝える。


 原高山付近は、取立平とも呼んで広い高原状をなす。 小葉のツゲが多く、タケシマランの南西限という。 大田川の源頭と、滝谷川の上流に「水芭蕉」の群落があった。 この花は春告花といって、雪が消えるとすぐに咲き、ふきのとうと早咲き比べをするという。 昭和6年頃には両方の谷に、二千株ぐらいずつあったが、堀取られて福井県側は絶滅に近い。


取立山より大長山への縦走(平成10年5月23日)晴れ
登山者 はやみねとその夫人
会社の山岳部 5名

登山行程

(はやみねのパーティー)

 7時00分 勝山いこいの森駐車場出発
 7時50分 登山道入口
 8時05分 大滝
 9時05分 こつぶり山 休憩(:20)
 9時40分 大長山への分岐点
   (幾度か迷い、一時遭難しかかる)
12時30分 大長山の尾根のふもと
      (昼食休憩)
13時10分 出発
14時20分 大長山 山頂着 休憩(:20)
15時50分 小原峠
16時35分 小原登山口駐車場着
17時30分 勝山いこいの森駐車場着

大長山山頂
大長山より白山を拝む

(山岳部のパーティー)

 9時30分 小原登山口駐車場発

10時00分 小原峠

11時00分 大長山着

(休憩、昼食、自由時間)

14時40分 全員出発

16時35分 小原登山口駐車場着

登山日記

 今回は、二チームに別れての登山である。
 私達は、勝山いこいの森より取立山に登り、尾根を歩いて大長山へ。 一方の山岳部チームは、小原林道登山口より大長山を目指し、私達を待ちうけ、合流して小原林道登山口に下山という計画であった。


 山岳部チームの方は問題はないが、私達のほうは大いに問題があった。
 事前に、勝山市観光課に取立山から大長山までの縦走路について問い合わせてみたところ、登山道は整備されていない、登山者が少ないため今後も整備の予定は無いという。 歩行時間は140分だという事で、まあ登山道はあるのだから、何とか時間に余裕を持っていけば大丈夫だろうと決行する。


 取立山の分岐点より縦走路に入ったとたん、背丈ほどもあるクマザサの抵抗を受ける。 道は何とか見分けはつくので、とにかく森林帯まで行けば楽になるはず、と思ったのが大間違いで、最後までクマザサの抵抗を受けることになった。 途中何回か道を見失い、一度は完全に分からなくなって谷におりかけてしまった。 迷ったときの鉄則として”高台に上がる”というのがあるが、まさにそれで、上部に登ったところ、漸くらしき跡を見つけ安堵する。
 この時はまさに、ビバーグを考えてしまった。 戻るにしても相当来てしまったし、疲れもかなりある、歩行時間はとっくに過ぎている(一時間ほど余裕は見ていた)、しかし食料は昼食分しかないのであった。


 ここら辺でようやく、持ってきたトランシーバーが大長山で待つ山岳部チームとつながった。 これは結構励みになった。 まず腹ごしらえをして元気を取り戻すと、クマザサをかき分けて最後の一時間、急斜面を必死に登ったのであった。 結局140分の所を280分かかったのである。 朝7時から16時過ぎまで、9時間以上にのぼる疲労困憊の山歩きであった。 よって、写真を撮るどころではなく、これが少々残念ではある。

 しかし大長山からの白山は、「伏拝み」の通り、目の前に静かに横たわっており、北アルプスとはまた違った、雄大さというものを感じさせてくれる素晴らしいものであった。

 この縦走コースを計画している方がいたら、私は奨めません。 クマザサの抵抗は相当なものです。 途中2カ所一気に山を下り、また登るところがあります。 クマザサをかき分けながらというところが厳しいです。 覚悟してください。

 今回の登山では結構いろんな意味で勉強になった。 今後ともこの経験を生かした登山を行いたいと思う。
 (でも、もう一回行ってもいいかな、とか思い直したりして。)

  神社  話題  登山  今立町


(山々のルーツ「上杉喜寿」より)