日野山(七九五b)
◇ 福井県武生市 ◇

日野山登山   参考語録
日野山の沿革

 日野山は標高795b、養老二年戌午(718)泰澄によって開山され、越前五山の一つに数えられる。 日野山を福井や鯖江両面から仰ぐと、富士山のように見えるところから、「越前富士」とも呼んでいた。

 貞享二年(1685)の絵図記には「日野ヶ嶽」と書かれ、元文三年(1738)の越前名勝志によれば「小健(おだけ)山」「小岳(おだけ)山」「日永(ひなが)岳」とも書かれている。 味真野名勝志や鯖江志には「(ひな)ヶ岳」と書かれて、どの山名が正しいのかわからないが、古くから言われた越前五山の説から考えるなら、「日野山」説となる。 越前五山とは、白山越知山文殊山蔵王山日野山の五つを言う。

 味真野名勝志には「日野山を小健山とも雛ヶ岳とも言う、味真野皇子の御子、安閑宣化二帝、当国に誕生し給う故、即位の後、この両帝ならびに継体天皇をこの山に崇い奉る。 これを日野山三所権現という、しかるにいつ頃からか文殊観音不動の両部を合祀し、七月二十三日より二十五日まで例祭を執行、国内の群衆参拝す」とある。

 秀眞伝に曰く、 「日野山に諾・冊二柱大神木の実を持ち生まれました。 庭に植え置きたまいて三年後三月の三日に花も実も百なる故に、桃の花両神の名も 百日諾(モモヒナギ)百日冊(モモヒナミ) と称へ、ここに夫婦婚姻の道を始め給うに、この時は未だ成長したまはぬ前にて雛の御体にています。 これ神人の始祖にして雛形なるにより山の名を雛ヶ岳と申して、雛の祭の縁故はここにあり。」
日野山の山名

絵図記(1685)     日野ヶ岳 小健山(おたけやま)
帰雁記
(1712)     日野山 御嶽(おたけ)
足羽社記
(1717)   日野山 小健山 小嶽(おたけ)比奈我他気(ひながたけ)
名勝志
(1738))    小健山 小岳山(おだけやま) 日永岳(ひながだけ)
味真野志         日野山 小健山 雛ヶ岳(ひながだけ)
鯖江志         雛ヶ岳


 山頂は神の社として山麓から遙拝することを怠らず、その場所を伏拝みといった。 またそこに斎場を設け神社と呼び、そして、そこを下社と呼び山上を奥宮と言った。奥宮にいます神は、春になると下社にお下りになり、秋には奥宮に帰られると信じて神に仕えた。
 遙拝所を伏拝みといい五里村ごとに設けられたと古い記録にあるが、今わかっているのは、江戸時代、武生町楠町上総社
(神明神社)は伏拝の社と呼ばれ、日野山の遙拝所であった。 信者たちは「嶽講」というのを作り、日野山の神霊を、この社に合祀したと伝える。 また武生の南の窓安寺近くに日野山伏拝としての遙拝所があったという。

 日本記略によると、山頂の奥宮は南社(みなみのやしろ)中社(なかのやしろ)北社(きたのやしろ)の三社殿があり、南社には安閑天皇を奉り、中社には継体天皇を、北社には宣化天皇が奉られたと伝える。

 養老二年(718)泰澄によって参道が開かれた。 中央の社殿に文殊菩薩、北社殿に観音菩薩を、南社に不動明王を奉った。そして日野権現と言った。 一説には、これらの仏像は泰澄・行基の作だともいい、また北の社は日野明神を、中の社には兄神をまつった。 南の社は後世の造立で、平吹権現だとも言う。

 文殊、観音、不動の三尊を奉られたので、三所権現とも、また丁寧に、日野山三所権現とも言われていたときもあった。 南北朝戦争で、延元の頃(1336〜)兵火により焼かれ、天正の一向一揆(1574)の際は、山上・山下の諸社堂は、放火によってことごとく灰燼に帰した。
(山々のルーツ「上杉喜寿」より)
 松尾芭蕉が越前を行脚したのは、元禄二年(1689)である。 福井から敦賀への途次の描写に、「漸う白根が嶽かくれて、比那が嵩あらわる。」というのがある。 白根が嶽は白山で、比那が嵩は日野山である。

           あすの月雨占なはんひなが嶽

 「奥の細道」にはでていないが、「荊口句帳」で詠っている。


                  日野山登山 (1997年8月10日)晴れ時々曇り一時雨        登山者 はやみね と その夫人 (2名)

登山行程

11時50分 日野神社参拝後 出発

12時50分 室堂着

13時00分 室堂発

13時45分 日野山頂着

     休憩

中平吹 日野神社

    山頂 奥の院

 

14時50分 山頂出発
15時10分 室堂着
15時20分 室堂発
15時50分 日野神社着

          日野神社参拝

登山日記

 まず、上平吹の登山道登り口にある日野神社に参拝し、登りはじめる。登山途中で、夫人が足が痛いと言い出す。 確かに靴は買ったばかりだが、片方の足だけだという。 大きめの靴を買ったはずなのに、そんなはずはないのだが、と思いつつ靴を脱いでみると、中に梱包用の紙が入っていた。 今までよくおかしいとは思わなかったのか、との疑問の残りつつも問題は解決する。

 室堂の手前で下山途中の岩崎氏と会い、水を分けて貰う。 頂上には、おばさんグループ(6名)、夫婦2組、裸の爺さん一人、で賑わう。 避難小屋のノートによると、二日ほど前に熊と遭遇した登山者がいたらしい。

 日野山は、頂上に神社を新しく建て替えるために、頂上まで工事用の道路をつけてしまった。 その為、山に登るという感はいまいちである。 神社も近代的に作りすぎて、山頂の神社にはそぐわないように思う。

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