

減以来は七十有五人と記されているが、永正九年(1512)の 「当社祝子人数事」 と題する写文書(宮川上宮家旧蔵)によると、社人を大きく東座と西座とに分かち、東座には正神主ほか祝二十三人・神子六人、西座には権神主ほか祝十五人・神子七人・不明三人、合計五十六人の職氏名をあげている。 この「祝」をここでは上官・中宮・社人の三階級に分けていたが、このうち上官は世襲、社人もおほむね世襲、中宮は社人の中から功労によってその都度とり立てるものであった。 かくして、近世末に至るもなお正神主以下二十余人の神主・社人を擁した。
