吉備津彦神社(きびつひこ)
◆岡山県岡山市一宮1043

吉備津神社     石上布津霊神社

  神社  話題  登山  今立町

祭神

大吉備津日子大神(別名・大吉備津彦命)            御子吉備津彦命(別名・稚武吉備津彦命)
吉備津彦命御祖神(孝霊天皇)                   大日本根子彦国牽天皇(孝元天皇)
椎日本根子彦大日日天皇(開化天皇)              御間城入彦五十瓊殖天皇(崇神天皇)
    日子刺肩別命・天足彦國押人命・大倭迹々日百襲比売命・大倭渋々日稚屋比売命・金山彦大神’大山咋大神
拝殿より本殿

摂社
 子安神社
  祭神 伊邪那岐命・伊邪那美命    木花佐久夜姫命    玉依姫命(神武天皇の母)


末社
稲荷神社    祭神 倉稲魂命 素盞嗚尊 伊弉諾命    楽御崎神社  祭神 楽々森彦命
楽御崎神社  祭神 楽々与理彦命               尺御崎神社  祭神 夜目山主命
尺御崎神社  祭神 夜目麿命                  岩山神社    祭神 中山主神




「古代吉備津宮には七つの華表(鳥居)があった」と記録にあり、次の七社を指すものと思われる。

下官      祭神 倭比売命         伊勢宮    祭神 天照大神          幸神社    祭神 猿田彦命
鯉喰神社   祭神 楽々森彦荒魂     矢喰神社   祭神 吉備津彦命御矢     坂樹神社   祭神 句々廼馳神
祓神社    祭神 祓戸神


島神社  祭神 住吉神        亀島神社   祭神 市寸島比売命         牛馬神社   祭神 保食神
十柱神社  祭神 吉備海部直祖 山田日芸丸 和田叔奈麿 針間宇自可直 夜目山主 栗坂富玉臣 忍海直祖 片岡健 八枝麿 夜見丸

 ト方神社   祭神 輝武命・火星照命之末社             龍神社    祭神 龍王神

元宮 奥宮   造化三神外、国生みの天元の神々

鶴島・亀島拝殿

 鳥居を抜け本殿へ向かう両脇には神池があり、鶴島、亀島と呼ばれる島がある。 鶴島、亀島の神地は吉備津彦神社の特色といえる。 古代信仰の原点は秀麗な神体山である。 原始の信仰は山が御神体であり、それを拝するために麓に拝殿がつくられた。
 神が宿る山を神名備というが、吉備津彦の場合はもちろん吉備の中山である。 山上には神の依代(よりしろ)である磐座(いわくら)があるが、神他の亀島にも石を円形にめぐらした磐座がある。 神が里に降りたときに鎮座される里宮と思われる。

 造園家で庭園研究家であった故重森三玲氏は吉備津彦神社の神池を詳しく調査し、元禄時代の手直しはあるが、平安時代の作庭と認められると著書に記している。


社殿
 吉備津彦神社の社殿は永禄九年(1566)、日蓮宗への改宗を迫る金川城主松田左近将監によってことごとく焼かれた。 その後、宇喜多秀家が造営に着手したが関ケ原の合戦で敗れたため頓挫、池田氏が入り元禄十年(1697)池田綱政が再建した。
 昭和五年(1930)不慮の火災で社殿のほとんどを失ったが幸い本殿は焼失を免れた。

 本殿は三間社流造、檜皮葺、花崗岩の亀腹を基壇にケヤキ材の白木造りである。蟇股中央に菊花紋が入れられている。 内部は外陣と内陣に分かれ、内陣中央に祭神がまつられている。 神事を執行するに当たっては、国内緒社の神職を召し集めて、これに奉仕せしめたという。

由緒大鳥居、備前焼の狛犬

 祭神は大吉備津彦命。 吉備津彦命は孝霊天皇の皇子で別名彦五十狭芹彦命。 四道将軍の一人として御第の稚武彦命とともに吉備津国を平定された。 古来、一品吉備津彦命宮とも備前鎮守一品吉備津彦大明神とも呼ばれ、吉備津国が備前・備中・美作に別れると備前国一宮として崇敬された。
 平安末期には西野田庄などの多数の庄園を持っていた。 中世には武家や庶民の信仰が篤かったが、日蓮宗への改宗を迫る金川城主の松田左近将監によって社殿が悉く焼かれた。 江戸時代にはいると岡山城主池田氏は崇敬篤く、延宝五年(1677)に三百石の社領を寄進、元禄十年(1697)には綱吉公によって社殿が再建された。
 昭和五年(1930)不慮の火災で本殿、随神門を除いて焼失、現在の社殿は昭和十一年(1936)の再建である。

 備前一宮と呼ばれ、地名にも一宮が残るように吉備津彦神社は備前の総氏神として親しまれ、敬われてきた。 岡山市から総社市に向かい、さらには高梁・新見・山陰を結ぶ国道で180号は総社までは古代の山陽道と重なるが、岡山市街地を過ぎ最初に顕れる神域は吉備津彦神社である。
 国道から参道へ向かうと吉備中山を背にした、石の犬鳥居がそびえている。
 四道将軍の一人で吉備を平定したとされる吉備津彦命を祭神とする当社は、古くは一品吉備津彦宮、備前鎮守一品吉備津彦大明神、吉備津宮などと呼ばれてきた。

特殊神事
本殿
深夜の祭  御田植祭

 八月二日の夜中に行われる「御斗代神事」から始まる。 昔は決められた人が参詣人に気付かれないように前庭の池にもぐり、神前の棚に供物を供える神事だったという。 現在は稲の苗束を御羽車に乗せ、行列を組んで池に設けてある桟敷の祭壇に捧げて五穀豊穣を祈る。
 翌三日は「御幡献納祭」が行われる。 各地から献納された白布で幡をつくり、これを掲げて池の周りを一周する。 参道石橋にかかると群衆は幡の先にある扇子を奪う。 これを田に差しておけば害虫がつかず、豊作になると言い伝えられている。
 御田植祭の様子は室町時代の絵巻「紙本淡彩神事絵巻」に克明に描かれている。 御田植祭は岡山県無形民俗文化財に、神事絵巻は岡山県重要文化財にそれぞれ指定されている。

 今日の御田植祭は、古くは深夜に行われたというが現在は日が暮れ始めるのを待ちかねるように境内に屋台が立ち並び、浴衣姿の家族連れがつめかける。
 神事は午後九時ごろから拝殿で始まり、祝詞が奏上されたあと地元の小学生の女子が田舞を奉納する。 白衣に紅の袴姿ヽ背に花笠を付けた舞手が田植の様子を表現して舞う。
 つづいて「御斗代祭」に移り、今度は中学男子が拝殿から池に向かって供えられた苗束を2台の御羽車という神輿に乗せて行進する。 行列は鶴島、亀島のニ手に分かれ、それぞれ池の中に設けられた祭壇に苗束や神饌、神酒を供える。
 翌日は「御幡献納祭」となる。 竹竿に張られた白布の御幡を男子中学生が持って池のまわりを練り歩く。 行列が随神門に到着すると御幡の先に取り付けられた扇を参詣者が奪い合う。

「吉備津彦神社」より