出雲の国に四大古代神を訪ねる


 出雲については出雲大社が有名ですが、私自身出雲についてはあまり知識がなく、古事記を流し読みした程度でした。 一度 じっくりと行ってみたいと思っていたのですが、その資料として、関和彦氏の「新・古代出雲史」という本に出会いました。
 この本により、出雲には四つの古代神が存在することを知り、出雲に対する見方が全く変わってしまいました。 まずは、現地に飛ばねばと前準備もそこそこに出かけたのですが、行ってみるとさらに情報が増え、再度の訪問が必要となってしまったしだいです。 しかし、まだまだ行きたいところはいっぱいあるのですが、私としてはそんな余裕もなく、ここら辺で一応まとめたいと思いレポートの作成となりました。


 はじめに
 「出雲国風土記」によれば、出雲とよぶわけは、八束水臣津野命が「八雲立つ」と仰せられた。 だから八雲立つ出雲といいます。

八束水臣津野命
(やつかみずおみつのみこと)
 八束水は八握水で水の深いことを云う。 臣津野は意美豆努とも書かれ、大水野の意。 宍道湖や中海、日本海などの神格化として出発したものと思われる。 大穴持神の神統のなかに吸収・埋没されたような形跡もある。 『古事記』には深淵水夜礼花神が天之都度閇知神と婚して生んだ子に淤美豆奴神があり、大国主神の祖父とされている。
国引き神話(出雲国風土記)

 八束水臣津野命が詔して、八雲立つ出雲の国は巾の狭い稚国であるため、縫いつくろうことにしようと仰せられた。 まず、新羅の三崎(朝鮮半島)に余りはないかと見ると、「国の余りある」と仰せられ、
「童女の胸のような(豊かで巾広な)大鋤を手に取り持たれて、大魚の鰓突きわけるごとくに刻み突きわけて、旗薄の穂振りわけるごとくばらばらに屠り分けて、三つ身の太綱打ち掛けて、霜枯れの黒蔓草をたぐるように、操るや来るやと、河船を運びあげるようにもそろそろと、国よ来い、国よ来いと引いて来て着縫うた国は」

 去豆
(小津)の折絶(断崖)から八穂爾杵築の御崎(大社町日御碕から平田市小津・平田)までである。 そのとき、国をつなぐために打ち込んだ杭は、石見と出雲の堺にある、佐比売山(三瓶山)がこれである。 また手に持って引いた綱は、薗の長浜がこれである。

 また同じように、北門
(隠岐島の島前・島後)の佐伎の国より引いた国は、多久の折絶から狭田(佐陀)の国(平田市小津から鹿島町多久川の切れ目まで)であり、北門の農波の国から引いた国は宇波の折絶から闇見の国(鹿島町多久川から美保関町北浦・稲積まで)までである。 さらに、高志(能登半島)の都都の御崎から引いた国は、三穂(美保)の崎(美保関町北浦・稲積から松江市手角町の東側の岬)であり、そのとき手持って引いた綱は夜見の島(弓ヶ浜)で、立てた舟杭は、伯耆の国の火神岳(大山)である。
 「国は引き終わった」と仰せられ、意宇の杜に御杖を突き立て「おゑ」と仰せられた。 よって此の地を意宇という。



 地形的に島根半島を見ると、大きな四つの山の塊に分かれています。 これは、四つの地域が「国引き」によって合わされたという『出雲国風土記』の内容と重なります。 「国引き神話」はただの空想ではなく、島根半島の地形的な成り立ちを知った上で作られた物語といえます。

 地質学から見た島根半島の形成過程は、(A)七〇〇〇年前、気候の温暖化により、海面が上昇し、古宍道湖・古中海ができた。 (B)二四〇〇年前、気温が下がり海面が下がって弓ヶ浜が出現、古中海は湖になった。 (C)一二〇〇年前(風土記時代)海面が上昇して古中海は湾に戻り、弓ヶ浜の南端部分が海となり、海流が流れ込んでいた。

 
四つの古代神
 出雲の国には、四つの大神が存在したといいます。 その四大神とは

    「所造天下大神(大国主神)」 「熊野大神」 「佐太大神」 「野城大神」

 の四つであります。 また、その関連する神社などを参詣してまいりました。
  


杵築大社   熊野大社   佐太大社   能義大社
神魂神社   美保神社   加賀神社   日御碕神社

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