阿波の剣山から大三島へ



 以前に「伊豫の石鎚山」へ登拝し、それ以来四国の双璧をなすという「阿波の剣山」がいつも気になっており、機会をねらっておりました。
 今年の連休は田んぼも転作のため田植えもなく、他に予定もなく決行となりました。 予定としては、まず剣山を目指し、帰りに伊豫国を廻りいくつか神社を巡り、しまなみ海道にのって、最後に大三島の大山積神社をめざすという、2泊3日のやはりちょっと強行のスケジュールであります。

 
しまなみ海道はまだ走ったことがないのでこれも希望の一つでありましたが、ここに大山積神社が絡んできており、なかなかいい行程であると満足しております。

5月4日(木) 今回はまず剣山に登るため、登山口に夜中に着くように昼過ぎの出発としました。
15:00出発。 北陸・名神・中国自動車道・淡路鳴門自動車道をへて阿波国に入る。19:00
さらに徳島自動車道に入り 20:35美馬ICにて高速を降り,、ここから剣山を目指しコンビニにて食料を買い込み山中に突入となりました。
 しかしこの道は途中にスキー場や集落がぽつぽつとあるというのに狭い。 急カーブは山道なので大剣神社当たり前ですが、二車線になったり一車線になったりで、一車線の部分が多すぎます。 夜だから対向車の来るのも分かりやすいし他にほとんど走っていないので安心ですが、昼間だとどうなるのかな・・・と、まあ交通量は少ないのでしょうが。

 険しい山中を抜け尾根の上に出たところに「見の越」に到着です。 
山の奥の奥にいきなり旅館などの観光施設が出現します。 別の世界といった趣です。 観光登山駐車場に車を止め、混み具合はまだ余裕があるかなといった具合です。就寝。 22:00
        走行距離453q

5月5日(金) 5:30起床。 朝になって周りを見回すとこの駐車場はリフト乗り場の駐車場でもあり、目の前にリフト乗り場がありました。
 剣山を登ろうと思った理由の一つは、実はこのリフトがあるからなのです。 何せ行程の半分をリフトで登ってしまうのですから。 しかし、その望みも看板を見て崩れ落ちました。 リフトの運転時間は9時からと書いてありました。 そんなに待っているわけにはいかず、結局歩いて登ることになりました。

6:50 駐車場の近くに「剣山神社」があり参拝してそこより登り始めます。 途中リフトの下をくぐりながら登り、森林帯を抜けたところにリフトの 7:20「西島駅」に着きます。  小休止。
 ここから頂上を目指しますがコースが 尾根道・大剣道・遊歩道 の三つに別れており、大剣道コースを選びました。 途中に鳥居が立っており更に登ると巨大な岩を背にした 7:45「大剣神社」に着きます。  ここよりこの大岩の根本(90m)降りたところに 7:50御神水があ御神水るというので仕方が無く降りることになりましたが、この水は「名水百選」にも選ばれており立派な鳥居と祠が供えてありました。 

 更に登っていくとようやく頂上が近くなり鳥居をくぐって 8:20「剣山本宮宝蔵石神社」 の前に着きます。  この本宮も大岩を背にしており、この山はあちこちに大きな岩が地中より露出しております。
 8:25 剣山山頂。 山頂は広く笹が生い茂っており保護のために木道が設けられています。 天気は快晴で文句はなく、天気がよすぎて頂上に着いた頃には遠くがガスによりかすんでしまい、紀伊半島が見えるとの話でしたが無理、石鎚山も探してみたのですがこれと断言はできず。

 8:50 下山開始。 下りは尾根道コースを選びます。 理由は途中の岩場に行者の修行場があり、そこを廻る予定です。 刀掛の松 8:55 ここより修行場に向かいます。 今年は大雪のため道が崩れているとのことで、通行止のロープが張ってありましたが、行けるところまで行こうと進む。 「不動の岩屋、両剣神社、三十五社、古剣神社」などを廻り、奥にある滝までまわる。 やはり道はあちこち傷んでおり、また残雪も結構残っています。 9:55刀掛の松  戻る。
 西島駅 10:07 せっかくなので、帰りは記念にリフトで降りることにしました。
 見の越駅 10:25 リフトはやはり楽です。

10:55 伊豫国に向け出発。 この剣山に来るに剣山本宮宝蔵石神社は東・北・西からの三つのコースがあります。 帰りはどのコースからにしようかと店の人に聞いたところ、どのみちも同じような道だと言うことで結局、北(裏参道)より来たので東(表参道)の道を帰ることにしました。 途中より北に向け穴吹町に向かいます。 道路は来るときとやはり同じような状態でした。 

12:35 穴吹GS この近辺の式内社「忌部神社」「天岩門別八倉比売神社」を巡り、15:20藍住ICより徳島自動車道へ。
 いよ西条ICをおりて西条国際ホテルに到着。17:40 宿泊。
    走行距離710q
 
5月6日(土) 8:20 ホテル発。 伊曾乃神社」「石鎚神社」「野間神社」を巡り、 11:15 今治ICよりしまなみ海道へ。 12:10 大三島IC。 
12:22 大山積神社」着。 別名「日本総鎮守大山積大明神」と文徳天皇(687〜707)の頃よりいわれ今日に至っている大社である。

 大鳥居をくぐると境内は広く、楠が多く生えている。 大三島の木は楠であり、中でも境内にある「小千命御手植の楠」は国指定天然記念物に指定される巨木である。
 神門をくぐると拝殿の広場にでる。 特別大きいということはないが檜皮葺の立派な拝殿である。 神符授与所にて銅板の寄付を募っていたので少々納める。
本当は大鳥居前から海岸までの参道?を通りたかったのだが、すっかり忘れてしまい帰路に就いてしまいました残念です。

13:20 道の駅上浦。 14:10 大三島ICよりしまなみ海道に入り、あとは自宅目指して一目散であります。 山陽自動車道に入り 15:33 瀬戸PA。 中国自動車道に移りさらに若狭舞鶴自動車道へと渡り歩き、17:12 西紀SA。 18:24 小浜西IC。 19:38 敦賀IC。  20:17 自宅到着。

    走行距離1264q


剣山 

 伊豫の石鎚山と共に四国の山の双璧をなす阿波の剣山は、石鎚山の男性的な山容とは対照的に、女性的といった表現がぴったりの山容を見せる。 しかし、どっしりと腰を据えた姿は、剣山地の盟主たるにふさわしい。 石鎚山と同様に、この山も信仰の山として開かれた。室町時代の事という。剣山山頂
 7月中旬には寺社別の大祭が華々しく行われ、頂上北側の見ノ越周辺や西側の富士ノ池一帯は、多くの信徒や観光客でにぎわう。 平家一門が調馬をしたといういわれから、「平家ノ馬場」と呼ばれる頂上は、笹に覆われた平坦な広場で、三つの谷の分水嶺である。
 北東面の穴吹川はいわゆる表参道、南面の槍戸川は裏参道にあたり、西面には秘境と称される祖谷川の源流がはい上がる。

 剣山をめぐる自動車道の開発は著しく、穴吹川と祖谷川とは、おのおのの源頭を結ぶ乗越をなす見ノ越でトンネルに繋がれ、その見ノ越からは、剣山ドライブウェイが祖谷川源流の右岸となる尾根を夫婦池で越し、北に走る。 見ノ越からの登山リフトといい、剣山はどうやら登山者を周辺の山々に追いやっているように思える。


                             【日本の山】−山と渓谷社−

剣山の山岳伝承

 剣山が信仰の対象として登られ始めたのは、いつの頃か判然としないが、組織的な修験道の山伏たちに登山されだしたのは、種々の文献から見て、さほど遠くは遡れない。 『阿波志』に 「龍光寺は(木屋)平村谷口名にあり、平安大覚寺に隷す。 旧くは長福寺と称し、大永二年(1522)に重造す。 享保二年(1717)今の名に改む。 その甚だしくは遠からざるを以て剣祠を祀る。」 とある。

 龍光寺は藩政期から、剣山信仰登山の穴吹川からの表参道の基地として栄えた。 大同三年(808)行基の開基とされている。 剣祠とは富士の池剣神社(剣山本宮)である。 『徳島県神社誌』によると

 元暦二年(1185)平家没落当時、平家の家人田口左衞門尉成直は父の阿波国主紀民部成良と計りて、安徳天皇を初めその余の人々を長門壇浦より伊予大三島に迎え奉り、平国盛供奉して大三島より山路を伝いて祖谷山に行幸し給い、ついで文治元年(1185)木屋平村に遷幸し給うたと伝える。 その後、祖谷山、木屋平二村の平家遺臣の子孫等相計り、この富士の池を仮の行在所とし、平家の再興を祈って宝蔵石に安徳天皇御佩の剣を納めて斎祀した。 これが剣山大権現の呼称の由来とされ、以後この山を剣山と称するようになったという。


 一方、貞光川から登山する基地が見ノ越である。 藩政期以来富士の池を経由する東口(表参道)に圧倒されていた西口(裏参道)の見ノ越は、昭和三十年代後半にドライブウェイがつけられてから、剣山銀座とも云うべき盛況を呈するようになった。 この見ノ越には円福寺と剣神社がある。

 円福寺は菅生円福寺の不動堂として建立されたが、江戸時代の修験道の隆盛と共に本寺よりも栄えるようになった。 剱神社は剣山山頂直下の剱神社の前宮である。 
『徳島県神社誌』の由緒によると、

 創立年代不詳。 口碑に仁和時代(九世紀末)と伝える。 ・・・・平家再興の祈願のために安徳天皇の「深そぎの御毛」「紅剣」を大山祇命の御社に奉納。 以来剣山と呼ばれ、神社も剱神社と称されるようになった。 一時は大剣権現と称されていた。

他の文献によると、

 剣山頂上の大岩石に安徳天皇が剣を祀ろうとすると、口を開いて剣を飲み込んだ。 それ以来、宝蔵石と呼び、その岩の上の小石を歯痛に当てると平癒する。 (『阿波伝説集』)
 昔は立石山といひしが安徳天皇の御つるぎを納め給ひしより、剣の峰といふとなん。 (『祖谷紀行』)

 頂に岩あり、屹立す、高さ三丈、土人以て神と為す。 三月雪消えて人まさに登り参謁す。 その形の似たるを以て名づけ剣と曰ふ。 祠中剣あり。 元文(1736〜)中人あり之を盗む。 既に得て之を小剣山の石堀中の人跡至らざる所に納む。 後終に失ふ。 (『阿波志』)

 この山に登る人悪心深きか、大精進悪しき人は必ず登るべからず、祟りあり怪事災難に逢いしも毎々有り。 (『阿州奇事雑話』)

                                                 -
修験道の伝承文化 より-

旅行日記
2006/5/4

大山積神社    伊曾乃神社

    話題  登山  今立町