三輪明神 大神神社(おおみわ)
大神神社は、大和の東南に位置する三輪山を御神体として、大物主神を祀る。 その鎮座については、「古事記」「日本書紀」に見るように神代以来とされ、最も古い起源を持つ神社である。 御祭神、大物主神はこの国土を拓き、人間生活の増進の為の守護神として尊崇されている。 また、この三輪の地は交通の要所として開け、三輪山南麓を流れる初瀬川、南北に走る道が山の辺の道であり、三輪は古代大和王権発祥の地として、政治、経済、文化の中心地であった。
律令制の時代になると、大神祭(おおみわ)、鎮花祭(はなしずめ)、三枝祭(さいくさ)が官祭として斉行され、神階は正一位に昇り延喜の制には官弊の大社として祈年、新嘗、月次、相嘗の弊に預かり、のちに大和の一の宮となり二十二社の一社に列した。 中世になると、神宮寺である大御輪寺、平等寺を中心にして三輪流神道が唱道された。 近世に入るや朱印領を付せられ、三輪山は格別の保護を受ける。
明治時代となり神仏習合は廃せられたが、古来からの由緒により官弊大社に列せられ、終戦後は国の管理を離れ信仰厚い人々に支えられ今日に至っている。
御祭神 大物主神
三輪の神、大物主神について「古事記」によると、
大国主神が、ともに国造りに励んできた少彦名神がなくなり、独りでどうしてこの国を造ればよいか悩んでいた時、 「海を光(てら)して依り来る神」 があった。 その神が 「我がみ前をよく治めれば協力しよう」 と申し出た。 大国主神は 「お祭り申し上げるにはどうすれば良いでしょうか」 と問うたところ、 「自分を倭の青垣、東の山の上に斎まつれ」 と希望し 「こは御諸の山の上に座す神なり」
と記される。 つまり大和の国の周囲を取り巻いている青山のその東方の山上、三輪山に祭った神が三輪の神であり、大神神社ということである。
また、「日本書紀」には同じ内容が書かれ、大己貴神(おおなむち=大国主神)のところへやって来た神は、大己貴神の 「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」 であると言い、「日本国(やまと)の三諸山に住みたい」 と答える。 「この神が大三輪の神である」 と記している。 そして、大田田根子が三輪君族の始祖であり、三輪の神が大物主神であるとしている。
更に、平安中期の「延喜式」祝詞篇の「出雲国造(いづものくにのみやつこ)神賀詞(かむよごと)」の中に
「己れ命の和魂(にぎたま)を八咫(やた)の鏡に取り託けて、倭大物主櫛瓱玉命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)と名を称えて、大御和(おおみわ)の神奈備(かんなび)に坐せ」
とあり、大物主神を詳しくは、倭大物主櫛瓱玉命といい、大御和の神奈備(三輪山)にお祀り申し上げたことが記載されている。
三輪山の磐座(いわくら)
山麓付近には多くの祭祀遺跡が存在する。 山内には強堅な斑糲岩(はんれいがん)があり、神の座として磐座と呼ばれ、山頂、中腹、山麓に広がる。 『大三輪鎮座次第』(嘉禄二年 1226)には、「当社古来宝倉無く、唯三箇鳥居有るのみ、奥津磐座に大物主命、中津磐座に大己貴命、辺津磐座に少彦名命」 とあり、御祭神三柱の鎮座する三つの磐座が存在することが特筆される。 この三磐座について現在、山中のどれを指すのか不明である。
この神山へは狭井神社より登拝することが出来るが、「入山者の心得」という規則があり、それを尊守、社務所に申し出を行い、白い木綿襷をかけて登拝することになっている。
三輪の神杉 神紋 「杉紋」
三輪山の杉は、いわゆる神籬(ひもろぎ)として神木となっている。 神の宿る杉であるから手を触れてはならないという、禁忌的性格を有していたのである。
「大神崇秘書」元永二年(1119)に 「高宮、また上宮と曰う、三輪山の峯 青垣山在り、神殿無く、神杉有り、奥杉称ふ是なり...」 とあり、 「大神分身類社鈔」にも、日向神社のこととして、「三輪上神社一座、日本大国主命、神体杉木、...」 と記され山中の杉は神杉とされていたのである。 その中で特に大きな杉には、古い由緒に起因して名前が付せられ、衣掛杉(ころもかけ)、二本杉(ふたもと)、門杉(かど)、伐掛杉(きりかけ)、飯杉(いい)、燈明杉(とうみょう)、緒環杉(おだまき)などがあり、「三輪の七杉」と呼ばれた。
現在、拝殿の前にある杉は、「巳の神杉」 と呼ばれ、江戸時代には、「雨降杉」 とあり、雨乞い祈願の時この杉にお詣りをした。 そして、いつの時代からか根本に巳(蛇)さんが棲んでいるところから、「巳の神杉」と称せられ、好物とされる卵が酒とともに供えられるようになった。
蛇は古来より三輪の神の化身として、「日本書紀」 に「小蛇(こおろち)」 と記し、その後の条には、三輪山に登って捉えてきたのが「大蛇(おろち)」であったと伝える。 つまり、三輪山の神がその原始的形態として、蛇神であると信じられていたことを示している。
「神」の字をミワと読むわけは、「三輪山は神である」、また 「神は三輪山である」 という、この二つが密着してミワと「神」が同意義となり、最後に「神」という文字さえもミワと読むようになったという。
三輪素麺
三輪素麺の起こりは、祭神大物主神が奈良時代の大飢饉に際し、人々を救うために教えられたものと伝えられている。 つまり素麺の祖神でもある。 このようなことから毎年二月に、ご神前にて三輪手延素麺の相場を占う卜定祭(ぼくじょうさい)が行われ、ご神意によりその年の値が決まる。
