根尾村のうすずみ桜


真清探當證 淡墨桜のいわれ 日本書紀 薄墨桜伝説


 この桜は、初め白色の花びらが次第に薄墨色に変わることから、「薄墨の桜」の名が付いたとも言われている(根尾村では淡墨桜と称す)薄墨桜

 岐阜県本巣郡根尾村に、樹齢千数百年を数え、高さ17.2b、幹の回り9.2bの桜の木がある。 この桜は、大正十一年に国の天然記念物に指定され、一ノ宮の土川氏によって発見(昭和初期)された「真清探當證」によって、継体天皇御手植えと称されている。

 それ以前の伝承は、根尾殿の祖先の墓標として植えられたものと伝えられてきた。 根尾殿とは奈良朝の頃、事あって奈良の都から根尾に流され、根尾村神所寺谷に居住し、代々根尾谷を支配した一族である。 戦国時代に散りぢりとなり、ついに根尾谷に根尾の姓を残さなかった。 うすずみ桜はそうした根尾殿の秘蔵だったといい、根尾殿が植え置いた桜木は数多いという。

 「真清探當證」

 億計王(第二十四代・仁賢天皇)弘計王(第二十三代・顕宗天皇)二皇子の物語と、男大迹皇子(第二十六代・継体天皇)の物語。

 五世紀の中頃、雄略天皇の時代。 二十代安康天皇が歿すると、皇位をめぐって大和朝廷は一大混乱に陥った。 億計・弘計二皇子の父、市辺押磐皇子は、大泊瀬幼武王(雄略天皇)に謀殺された。 二人は、従者たちと共に丹波国(京都府)を経て、尾張国(愛知県)へ逃亡する。 そして尾張国の一宮、真清田神社の近くで三十年あまりの辛苦にみちた歳月を過ごした後、清寧天皇の時に迎えられて都に還り、やがて皇位に就く。
 一方、男大迹王は、二皇子が尾張に潜伏していたとき、弟の弘計王の子として誕生する。 だが、雄略天皇の執拗な探索をおそれて、生後まもなく養父母に託され、美濃の山奥、根尾に隠れ住むことになる。 そして二十九年後、億計王が即位した時、はれて大和に上がるのである。

 淡墨桜のいわれ

 尾張の国で生まれた男大迹皇子は、当時の事情から生後まもなく根尾村に隠れ住んだ。 そして二十九歳の時に、仁賢天皇の即位に際し、迎えられて都にのぼることになる。 その折りこの地を去るに当たり、名残を惜しむ人々に形見として植えて行ったのがこの桜だという。
     王が残した一首の歌がある。

身の代と遺す桜は薄住みよ 千代に其の名を栄盛へ止むる

 「日本書紀」

 仁賢・顕宗両天皇は億計王・弘計王という兄弟で、父が雄略天皇に殺されたため丹波から播磨の国へと落ち延びる。 そして土地の支配者の家で長い間下僕として隠れ住んでいたが、ついにある年発見され、清寧天皇の死後、二人は皇位を譲り合った末、まず弟の弘計王が即位して顕宗天皇となり、つづいて兄の億計王が仁賢天皇となったとある。

 継体天皇ついては 「男大迹天皇(またの名を彦太尊)は、誉田(応神)天皇の五世の孫、彦主人王の子なり。 母を振姫と曰す。 振媛は活目(垂仁)天皇の七世の孫なり。 天皇の父、振姫が顔容妹妙しくして、甚だ麗しき色有りということを聞きて、近江国の高嶋郡の三尾の別業より、使を遺して、三国(福井県)の坂中井にむかへて、納れて妃としたまう。 遂に天皇を生む。」

 と記されている。 しかし、継体天皇については、大和の氏族たちが三国まで迎えにきて出立してから(五〇七)、大和に入るまで(五二六)二〇年もかかっている。 また、「日本書紀」では五三一年八十二歳で没とあるが、「古事記」では五二七年四十三歳で亡くなったとするなど、他にも謎の多い天皇である。

 薄墨桜伝説(福井県)

 岐阜県本巣郡根尾村とは、国境の山を隔てた福井県越前市粟田部町(旧、今立郡今立町粟田部)にも、薄墨桜の伝説が鮮やかに語り伝えられている。
 粟田部町には、やはり継体天皇お手植えといわれる薄墨桜がある。 三里山山頂近くの老桜で樹の回り4.5b、幹の高さ9b余、樹齢数百年といわれる。 桜を愛した王が即位のため上京の折り、愛妃玉照姫のために形見として残した桜を、人々は筐
(かたみ)の花と言い伝えたという。 のちに、その桜が俗風に染まることをおそれ、右野盛重が神亀三年(七二六)今の地に移し植えた。

 天皇がこの地に居られる頃は花の色は紅であったが、都に上がられて後は次第に薄くなったので、世人は薄墨の桜と呼ぶようになった。

 山麓には継体天皇が創祀したという岡太神社があり、付近には王の日々の飲料水や、勾大兄・檜隈高田両皇子(安閑・宣化天皇)の産湯に使用したと伝えられる皇子ヶ池、男大迹王自彫の 「少彦名主命」 を祀る天神社、男大迹王の皇妃佐山媛を祀った佐山神社、男大迹王の近侍してつねに佐山の地に居住し、子孫は岡太神社の祭事には霊剣を奉じて供奉したという帝々左衛門居址など、継体天皇の伝承地が点在している。

 この一帯を、薄墨桜と岡太神社を中心にして謡曲の「花筐」にちみ、花筐公園として整備されている。
 粟田部の地名は王の名前にあやかり 「足羽の宮の男大迹部の里
(おおどべのさと)」 と呼ぶようになった。 それが「粟田部(あわたべ)」に転訛したといわれる。



●2004年2月1日に本巣町・真正町・糸貫町・根尾村が合併して本巣市が誕生した。



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