【 参考語録 】



孝元天皇【こうげん】(?) 第8代天皇。 孝霊天皇の御子。 大日本根子彦国牽尊。

 神武天皇のあとに続く開化天皇までの八代(2〜9代)の天皇については、即位や都のこと、家族関係、崩御のことなどしか「古事記」や「日本書紀」には記されていない。 そこで「欠史八代」などといわれている。

崇神天皇【すじん】(?) 第10代天皇。 開化天皇の御子。 御間城入彦五十瓊殖尊。

垂仁天皇【すいにん】(?三世紀) 第11代天皇。 崇神天皇の御子。 活目入彦五十狭芽尊、活目尊。

成務天皇【せいむ】(?) 第13代天皇。 景行天皇の御子。 稚足彦尊。

応神天皇【おうじん】誉田天皇【ほむだ】 (?四世紀から五世紀)第15代天皇。 仲哀天皇・神功皇后の御子。 誉田別尊。 八幡神とされ、百歳以上も長生きをしたと記されている。

雄略天皇【ゆうりゃく】(?5世紀後半) 第21代天皇。 允恭天皇の第2子。 大泊瀬幼武尊。

武烈天皇【ぶれつ】(?5世紀末) 第25代天皇。 仁賢天皇の子。 小泊瀬稚鷦鷯尊。

継体天皇【けいたい】(450〜531) 第26代天皇。 誉田天皇の5世の孫、彦主人王の子。 男大迹尊 彦太尊。

安閑天皇【あんかん】(466〜535) 第27代天皇。 継体天皇の第1子。 匂大兄皇子、広国押武金日尊。

宣化天皇【せんか】(467〜539) 第28代天皇。 継体天皇の第2子。 檜隈高田皇子、武小広国押盾尊。

欽明天皇【きんめい】(509〜572) 第29代天皇。 継体天皇の第4子。安閑・宣化天皇の異母弟。 天国排開広庭尊。

敏達天皇【びだつ】(538〜585) 第30代天皇。 欽明天皇の第1子。 訳語田尊。 淳中倉太珠敷尊。

文武天皇【もんむ】(661〜721) 第42代天皇。 草壁皇子の子。 珂瑠(軽) 天之真宗豊祖父尊。

元正天皇【げんしょう】(680〜748) 第44代天皇。 草壁皇子の子。 氷高 日本根子高瑞浄足姫尊。

淳和天皇【じゅんな】(786〜840) 第53代天皇。 垣武天皇の子。 大伴 西院帝 日本根子天高譲弥遠天皇

円融天皇【えんゆう】(959〜991) 第64代天皇。 村上天皇の第5子。 守平。 金剛法。


泰澄【たいちょう】(682〜767) 越の大徳泰澄

 泰澄は奈良時代初期の僧で、加賀・越前国境にある白山(2702b)に初登頂したと伝え、白山信仰(山岳信仰)と結びついて、越前・加賀・美濃には泰澄を開創と伝える社寺が極めて多い。 しかしその事跡は伝承に満ちており、従来は伝説の人物とされてきたが、近年では実在Lたとする説が有力となっている。

 鎌倉未期に成立した虎関師錬の『元亨釈書』や、正中二年(1325)書写の『泰澄和尚伝記』によると、次のようである。

 泰澄は、白鳳二十二年(682)六月十一日越前国麻生津(福井市浅水町)に生まれた。 父は三角安角(みかみのやすずみ)、母は伊野氏。 11歳の時、北陸道遊行中の道昭和尚が見て神童と驚く。 14歳で初めて十一面観音の霊夢を見て、その冬から越知山(福井県丹生郡朝日町)に登って修行を始め、その呪験力が世に知れる。 大宝二年(702)21歳の時、文武天皇の勅使伴安麻呂(大伴安麻呂)の下向を迎え、鎮護国家の法師に任ぜられた。

 霊亀二年(716)、白山神の霊夢を見、その導きによリ、翌、養老元年(717)36歳で白山登拝に成功、随従した臥行者・淨定行者とともに同三年(719)まで禅定(山頂)にとどまり、一千日の練行を積み下山した。

 以後白山は行者達の修行場となる。 41歳で氷高天皇(元正天皇)から神融禅師の号を許され、天平九年(737)には、折から大流行した疱瘡を十一面法によって終息せしめた功によって聖武天皇より大和尚位を授与され、以後泰澄和尚と号した。 天平宝字二年(758)、77歳の時、最初の修行の地であった越知山の大谷に籠もり、神護景雲元年(767)三月十八日、大日の定印を結んで86歳をもって越知山で入寂した。

最澄【さいちょう】(767〜822)

 最澄は、神護景雲元年(767)近江国滋賀郡に生まれる。 12歳で行表の弟子となり近江国分寺で出家し、延暦四年(785)東大寺の戒檀院で受戒し僧となる。 その七月比叡山に入り12年間山林修行を行う。 同十六年、内供奉十禅師に任じられ、同二十三年(804)、肥前田浦で最澄は第二船、空海は第一船に乗りへ渡る。 天台山で天台法門を伝受。 さらに、竜興寺における密教相伝の儀式である灌頂を受け、その他、軍荼利檀法晋集檀法如意輪法五仏頂法などを受けて大同元年(806)帰国。
 延暦十六年(797)内供法十禅師となる。

 最澄は、籠山修行を通じ、浄戒を受持し大乗菩薩道を実践する「国宝」の菩薩僧を育成することで鎮護国家の実現をめざし、比叡山に大乗戒檀を新設しようとしたが、勅許が下る直前、弘仁十三年(822)比叡山に没す

空海【くうかい】(774〜835) 弘法大師

 空海は、宝亀五年(774)讃岐国多度郡に生まれた。 父方の佐伯直(あたい)は、地方大豪族、母方の阿刀氏は学者の家柄という恵まれた環境で成長、明教道のの学生となる。 しかし、一人の僧の説いた「虚空蔵求聞持法」により仏教の世界に入る。

 仏道に入った空海は、室戸崎大滝岳など郷土の四国各地で山林修行につとめる。 空海も最澄と同様、形式化した官大寺の僧よりも、山林に苦行し市里に布教する実践的な浄行禅師に、真の仏教者の姿を見たのである。
 空海は、「大日経」を会得するため最澄と共に唐へ渡る。 最澄が天台山へ向かったのに対し、都長安に入り、不空三蔵の弟子恵果にまみえ、金剛界・胎蔵界両部の灌頂を授ける。 大同元年
(806)帰国。 同年10月、「請来目録」(不空三蔵の訳による)を朝廷に進める。 大同四年(809)入京。 弘仁六年(815)内供法十禅師となる。

 弘仁十三年
(822)東大寺の中に灌頂道場(東大寺真言院)を創設し、翌十四年唐から請来した教典・仏像・曼陀羅・法具などを東寺に移し、教王護国寺と改称する。 毎年正月八日から七日間、宮中で玉体安穏・国家安泰の修法、宮中真言院後七日(ごしちにち)御修法(みしほ)を行う。
 承和二年
(835)宮中真言御修法の基礎を確立してわずか三月の後、高野山にて六十二歳の生涯を閉じる。

延喜式【えんぎしき】 

 弘仁式・貞観式の後を承けて編修された、律令の施行細則。 平安初期の禁中の年中儀式や制度などの事を漢文で記す。 五○巻。 延喜五年(905)藤原時平・紀長谷雄・三善清行らが勅を受け、時平の没後、忠平が業を継ぎ、延長五年(927)撰進。 康保四年(967)施行。

神仏分離【しんぶつぶんり】廃仏棄釈

 明治維新の新政府は、国学者・平田篤胤の理念のもとに、神道国教政策を推し進めた。 具体的な方策として、

第1は、江戸幕府と密接に結びついていた仏教の各宗団を排撃すること。 第2は、神道国教政策を強力に押し進めるため、神仏の分離を具体的な方針として掲げること。

 日本人の信仰生活において、過去千年余りにわたり神と仏を混同してあやしまなかったので、この方針は、全国の至る所で混乱を巻き起こした。

 この神仏の分離は、立法の趣旨からいっても、次の段階として廃仏棄釈の運動を展開することになった。 明治元年(1868)の当初から、京都においても日吉、石清水の有名大社を始め、つぎつぎに神仏分離とそれにともなう破棄焼却が行われはじめた。 また地方の諸藩にあっては、必要以上に廃仏政策をとる傾向があった。

明治元年3月13日明治政府布告

一 祭政一致の制度のもとに神祇官を再興し、全国の神社・神主・禰宜(ねぎ)・祝(はふり)はすべてこれに付属する。

一 別当あるいは社僧など僧形で神社に奉仕することを厳禁。

一 仏体を神体とすることや、社前の仏像・鍔口(わにぐち)・梵鐘などいっさいの仏具類の排除。


院宣【いんぜん】 院司が上皇または法皇の命令を受けて出す公文書。

王子社【おうじしゃ】 王子の姿で現れた神をまつる社。 神は老人、あるいは童子の姿をとって現れる。

回禄【かいろく】 火の神。 転じて、火事で焼けること。

加持【かじ】 災いを除き願いをかなえるため、仏の加護を祈ること。 印を結び真言を唱える。

神奈備【かんなび】 神の鎮座する山や森。神社の森。みもろ。

几帳【きちょう】 (几オシマズキに帳トバリをかけたところからの名) 屏障具の一。 室内に立てて隔てとし、また座側に立ててさえぎるための具。 台に二本の柱を立て、柱の上に一本の長い横木をわたし、その横木にとばりを掛けたもの。 御帳台、壁代、御簾のつら、女性の座側などに立てる。 冬は練絹に朽木形、夏は生絹(スズシ)に花鳥など。 また裾濃(スソゴ)・香染・綾・白・鈍色(ニビイロ)などがあり、四尺・三尺の几帳、枕几帳・寄几帳・指几帳など、種々ある。

御宇
【ぎょう】 天子の治め給う御世(ミヨ)。

饗応【きょうおう】 酒食を供して、もてなすこと。

薨去【こうきょ】 皇族または三位以上の人の死去。

合祀【ごうし】 二柱以上の神を一社に合せまつること。

式内【しきない】 延喜式の神名帳に記載されている神社。

朱印状【しゅいんじょう】 花押(カオウ)の代りに朱印を押した公文書。 江戸時代は将軍に限って発行した。

宸筆【しんぴつ】 天子の筆跡。 天子の直筆。 勅筆。

遷座【せんざ】 天皇または神仏の座を他所へうつすこと。

潜龍【せんりゅう】 (センリョウとも。 池や淵にひそんでいて、まだ天に昇らない竜の意)  しばらく帝位に登らず、これを避けている人。

蹲踞【そんきょ】 敬礼の一。 貴人の通行に出会った時、両膝を折ってうずくまり頭を垂れて行なったもの。 また、後世、貴人の面前を通る時、膝と手とを座につけて会釈すること。

檀紙【だんし】 和紙の一種。 厚手で白く縮緬(チリメン)のような皺のある紙。 古いのは皺がない。 檀(マユミ)の繊維を原料としたともいわれるが、楮(コウゾ)で漉かれる。 その大きさによって、大高・中高・小高の別がある。 古くは詩歌などを書くのに用いられ、包装用・文書用・表具用となる。 平安時代には陸奥から多く産出されたので陸奥紙(ミチノクガミ)ともいわれた。

鎮子【ちんし】 (チンジとも) 室内の敷物・帷帳(イチヨウ)などがあおられないように、おさえるおもし 。軸物の風鎮もその一。 ちんす。

勅命【ちょくめい】 天皇の命令。

儲弐【ちょじ】 君主の世継ぎ。 世子。

鳥の子紙【とりのこがみ】(「鳥の子色の紙」の意)  和紙の一種。 雁皮(ガンピ)を主原料として漉(ス)いた優良紙。 平滑・緻密で光沢がある。 中古から用いられ、福井県今立町および兵庫県西宮市名塩産出のものが有名。
 「越前鳥の子、これを以て紙の最となす」と、貞享元年(1684)黒川道祐をしていわしめた。

【ぬさ】 麻・木綿・帛または紙などでつくって、神に祈る時に供え、または祓(ハラエ)にささげ持つもの。 みてぐら。 にぎて。 幣束。

禰宜【ねぎ】 神主の下、祝(ハフリ)の上に位する神職。伊勢神宮では、少宮司の次、宮掌の上位。宮司の命を受け祭祀に奉仕し、事務をつかさどった。

【はふり】 神に仕えるのを職とする者。普通には禰宜の次位で祭祀などに従った人。

幣帛【へいはく】 神に奉献する物の総称。

奉書【ほうしょ】 上意を奉じて侍臣・右筆らが下す命令の文書。 綸旨・院宣・御教書(ミギヨウシヨ)・下知状の類。

【み‐てぐら】   神に奉る物の総称。(古くは清音。「御手座」の意) ぬさ。 御幣。 幣帛。 天武紀下「〜を土左大神に奉る」

六畜【ろくちく】 馬・牛・羊・犬・豕(イノコ)・鶏の称。

鍔口・鰐口【わにぐち】 社殿・仏堂正面の軒下に吊す金属製の音響具。扁円・中空で、下方に横長い口がある。参詣者は布で編んだ綱を振り動かして打ち鳴らす。


帰雁記【1712年 (正徳二年)】)
 松波伝蔵によって、越前国遠近の名所を紹介したものである。 「大君のそのかみより世々を経てしろしめす国の事しらずしもやとおもひ、遠きをも近きをも、見聞しに任せて聊書記しぬ」 と冒頭にあって、一つ書に越前国の社寺や古跡について記したもの。 古歌や地誌を引いて、記述は詳しく明瞭である。 書名は末尾の歌 「君が住越路の春を人問ば田の面もわかず帰る雁金」 による。 正徳二年の奥書あり。 更に、安永二年に帰橋子、寛政十年に藤井五十足が写した奥書がある。

越前国名勝志【1738年 (文久三年)】
越前国名蹟考【1816年 (文化十三年)】

越前国地理指南【1685年 (貞享二年)】
和名類聚鈔(和名抄)【十世紀初頭】

参考文献

古事記    日本書紀    風土記    福井県神社誌(福井県神社庁)    今立郡誌(福井県郷土誌叢刊)    今立郡神社誌(福井県神職会今立郡支部)    敦賀郡神社誌(福井県神職会敦賀郡支部)    延喜式神祇巻(宮内省掌典)    式内社調査報告(皇學館大学)    白山の歴史(下出積與)    弘法大師の法華経(大倉隆浄)    日本「神道」総覧(歴史読本)    歴代天皇100話(林睦朗)    武生古文書覚(古文書の基礎学習会)    歴史街道(上杉喜寿)    山々のルーツ(上杉喜寿)    卑弥呼の木像が出た(神門酔生)    継体天皇とうすずみ桜(小倉一葉)    轆轤師と落人伝説(平野治和)    古代出雲史(関和彦)    佐太神社(鹿島町立歴史民俗資料館)    出羽三山史(出羽三山神社)    多賀信仰(編纂委員会)    多賀大社と胡宮神社(敏満寺史跡文化保存会)    近畿郵便    日本の野草(小学館)    高山植物(山と渓谷社)    夏の花(山と渓谷社)    日本の山(山と渓谷社)    ・・・・・他 


  神社  話題  登山  今立町