「伊萬太千(いまたち)」のいわれ

 北陸五カ国を、単に「高志乃久仁(こしのくに)」といった頃は郡の設けはなく、大彦命北国将軍として巡察の時「高志乃美知乃久知(こしのみちのくち)」「高志乃美知乃奈加(こしのみちのなか)」「高志乃美知乃志利(こしのみちのしり)」の三国に分け、本郡は「高志乃美知乃久知」に属していたが、郡というものではなかった。

その後、男大迹皇子味真野に住せし頃は、丹生乃郷と言われていたが、嵯峨天皇弘仁十四年(813)三月三日、越前の国を坂井、大野、足羽、丹生、敦賀の五群に分けられしも、丹生郡は土地も広く人口も多いので、同年六月、更に丹生郡の中から九郷一駅をさきて、伊萬太千(今立)とする。 これが本郡のできた初めである。

 その後、朝倉氏越前国を十二郡に改めた時、本郡は南東、南西、北東の三郡に分かれたが、寛文四年(1664)再び三郡を合一して今立郡に復帰する。

 「和名抄」(938)によれば越前国は、敦賀郡六郷、丹生郡九郷、今立郡九郷、足羽郡十五郷、大野郡六郷、坂井郡十二郷である。 今立郡九郷とは次の諸郷である。

 芹川世里加波大屋於保也酒井佐加井味真阿知未勝戸加都戸服部波戸利中山奈加豆也未舟津布奈都曾博曾波久

 この中で、大屋郷は現武生市大屋付近、酒井郷はその南で現武生市日野山麓一帯の地、味真郷は現武生市味真野から今立町岡本付近まで、勝戸郷は現池田町、服部郷は今立町服部谷・水間谷一帯、中山郷は今立町国中・中津山付近、舟津郷は現鯖江市鯖江・水落一帯の地にそれぞれ比定されるが、芹川郷曾博郷のみ明らかにすることができない。 今立郡域に於いて比定郷域の空白地は鯖江市河田地区と磯部付近であるから、おそらくこのいずれかに両郷の故地を求めることが出来よう。 

 以上の如く、今立郡九郷の中で、現今立町域に比定し得る郷は服部郷、中山郷、味真郷(部分)の三郷のみである。

(今立郡誌)


『 2005年10月 約1200年の長きに渡って続いてきた「伊萬太千」の名前も、武生市との合併によりついに消え去ることとなりました。
行政というものは歴史を一体どうとらえているのでしょうか。 私には、”後先を考えずただ今があるだけ”としか見えません。

愚痴を言ってもしようがありませんが、「今立」の名を私なりに残していきたいと考えております。 』
  

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