数学教育におけるネットワーク学習環境の構築と指導法に関する研究

要旨

1 目的

 現在数学教育は,数学の学習指導に対するとらえ直しを構成主義的な数学認識論のもとで進め,新しい学習指導のあり方を模索している状態にある。 しかし,現実的にはさまざまな制約をうけ,実践的には従来の姿をとどめざるを得ない状況にある。 数学の学習のとらえ方についての,客観主義から構成主義への転換の方向は,学習を個人的で客観的な営みとしてとらえることから,社会的で構成的な営みとしてとらえることへと向いている。 しかし,実際に中学校では,教師は生徒をどのくらい正解できるかによって評価し,その評価者である教師は生徒をどこまでできるようにしたかで管理者から評価され,管理者はどこにどのくらい進学したかで社会から評価を受けている。 それはそのように評価せざるを得ない制度的,歴史的,社会的制約によるものであり,教師や管理者あるいは社会の学校を見る見方に問題があるとばかりはいえない。 社会の一般通念としては,基本的に学習は個人的で客観的なものであるという考え方が根強い。 しかし,数学を学ぶことの文化的価値や社会的価値に注目すると,数学的コミュニケーションの重要性が浮かび上がってくる。 本研究では,生徒が相互にコミュニケーションを交わす中で協力してひとつの課題解決に取り組み,解答を自分たちの作品として制作するような授業の実現をめざす。 中学校数学科での社会的で構成的な営みを授業として具現化するには,理論と現実との整合をはかりながら,しかも現実に埋没しない実践的試みが必要だと考える。 本研究は,コンピュータ・ネットワークを利用したコミュニケーション学習の学習環境の構築と,その際のよりよい指導の在り方を考察するものである。

2 内容

 本研究では,基本的には仮説を立て,それを検証する方法を採る。 しかし,研究の目的が実践的な授業の実現をめざしていることと,統計的手法が難しい内容である。 そこで,問題意識から仮説としての授業設計に至る過程は理論演繹的に進めるが,実際の授業で生起していた事象をとらえる過程は,理論産出型アプローチとして,グラウンデッド・セオリーの手法を用いる。 これによって産出された理論が,問題として掲げることがらの解決になっていれば仮説としての授業が検証されたものと見なす。 この手法を逆翻訳型アプローチと称する。
 第1章では,戦後の数学教育の変遷を振り返り,今日の数学教育が背負っている課題を検討する。 さらに,その解決のために指導要領に盛り込まれるようになった「課題学習」の指導に焦点を当て,その理想的な指導方法の追究の必要性に言及する。 ここにおいて,本研究の問題意識として,すべての学習者が学ぶに値する数学の授業の実現をとりあげる。 第2章は,第1章で明らかにした本研究の問題部分を解決するための仮説部分に相当する。 まず,数学認識論としての協定的構成主義の考え方を導入する。 その上で数学的なコミュニケーションの重要さに注目し,学習者中心に相互にコミュニケーションを交わしながら共同的に学習を進めるような学習の形態として,コミュニケーション学習を定義する。 さらに,学習を社会的で構成的な営みであるととらえると,個々の学習者の個人的学習活動と共同的学習活動のバランスが重要になることに留意し,コミュニケーション学習を組み込んだ授業のためのネットワーク学習環境を設計する。 第3章は,本研究における仮説を具現化する授業「わいわい数学」の実践について紹介する。
 第4章からは実際の授業の分析と理論産出になる。 第4章は「わいわい数学」の授業で実際におこなわれていた学習活動を,通常の授業でコミュニケーションに参加することが困難な生徒を抽出し,それぞれの抽出生徒の事例をもとに,「わいわい数学」の授業の効果と解決すべき点を明らかにする。 さらに,第5章では,授業における生徒のコミュニケーションの様子を学級別課題別のグループを単位にして比較分析し,コミュニケーションの3層理論を導く。 この理論によって,コミュニケーション学習を考察するための枠組みが明らかになる。 第6章では,実践した授業の現実と本研究の問題意識との比較により,数学科課題学習としての学習環境のあり方を考察し,さらに,中学校数学科の学習指導のあり方に言及する。

3 結果

 本研究の結果,コミュニケーション学習を組み入れた数学の授業が,とりつきやすく,おもしろく,ためになるというこれからの数学の授業のあり方に合致するものであることが明らかになる。 また,学習者中心としたコミュニケーション学習では,課題を取り巻くコミュニケーションの層に課題中心的コミュニケーション,課題周辺的コミュニケーション,外課題コミュニケーションの3つがあるとみる理論が産出される。 この中で,最も外側に位置する外課題コミュニケーションの層は,通常の授業では,学習に関係ないものとして排除されるものである。 しかし,コミュニケーションに参加することが困難な生徒の中には,外課題コミュニケーションからでしか参加できないものが少なくなく,通常の授業で外課題コミュニケーションを排除することはこういった生徒の参加の機会を奪う行為であるともとらえられることが分かった。 さらには,外課題コミュニケーションの層には,課題指向的な活動を包み込む作用があり,これによって参加者間の好ましい関係の醸成が進められることが分かった。
 中学校数学科の授業に今すぐにコミュニケーション学習を取り入れることは,問題がないわけではない。 しかし,情報化社会において数学的コミュニケーション能力の育成は重要な課題である。 この数学的コミュニケーション能力に培う環境として,本研究の提案する環境は効果的である。 数学的コミュニケーション能力を適切に評価することの必要性が浸透することによって,通常の授業でのコミュニケーション学習が日常化することと思われる。
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