MY履歴

本来コレクターです。プレーヤーは夢です。

材木屋の長男として生まれる。(福井県は日本のど真ん中です。)

小学校時代チコとサメのテーマ音楽にひかれる。

中学時代、映画音楽やアメリカ音楽に興味を持つ。弁当代と称して100円ずつ毎日もらって学校へ行き、昼は一週間の半分は何も食べないで,シングルレコードを買い集めていた。

高校時代当時の少年達と同様ベンチャーズに憧れる、しかしビートルズには対抗意識を持つ。なぜならアメリカの音楽が大好きだったから。
初めてガットギターを買い、高校の中ごろにはプレザントというメーカーのエレクトリックギターを買う。しかしバンドは組まなかった。引っ込み思案が災いしていた。今となって悔やまれる。皆さん若い時に思ったことはその時実行しておきましょう。
小学、中学と音楽の授業は大嫌いだった。高校時代はそのため音楽の授業は選択しなかった。でも少しはやっておくべきだったかな。

名古屋商科大学に入り、4年間を名古屋で過ごす。その間の仕送り、アルバイト代はほとんどレコード代に消える。
写真部とバンドの部室の前まで行ったが、自分にはとてもあんなにうまく出来ないと思い、あきらめる。大学時代タバコはやらず、喫茶店にもほとんど行かなかった。それらがレコードに見えた。
12弦アコースティックギターを東京より買って帰る。確か荒井貿易のシリアル003だった。

社会人になり、大阪で3年間暮らす。かの有名なディランにも何度か行った。バンジョーも習おうと思ったけれど、また年を気にして習わずしまい。
2年目妹の友人の銀座ヤマハの鱸氏よりマーティンD−28の出物があるということで、大阪までもって来てもらって、それが最初のアメリカ製のギターを手に入れたこととなった。当時として半値以下だった。その鱸氏より1年間フェンダーのワイルドウッドというアコースティックギターを借りていたけれど、指板が極端に丸く非常に弾きにくいギターだった、しかし今でもピックガードが金色のあの形は大好きだ。

福井へ帰ってから、食っていくのに心配は無いので、今まで以上にギター、レコードを集める。横浜までオレンジカウンティブラザースでペダルスティールを弾いていた人のところへナショナルスチールボックスを買いに行ったり、梅田ナカイ楽器より非常に重いエモンズダブルネックペダルスチールを買って引きずりながら持ち帰ったり、福井県青年の船でソ連に行った時など、バラライカ2台にギターにウオッカと人があきれる物を買って帰ったのを昨日のように思い出す。
また10数年前、友達数人とでアメリカのグルーンよりギターを10台ほど買った時、検査小屋で税関申告の時、保険のこともあったので、正直に価格を書いておいたら、検査官からこんな中古の古い物がそんなに高いのかと言われた時は、しまった10分の1くらいの申告にすれば良かったと思ったものです。

30も半ばを過ぎてから初めてバンドを組み、当時ブルーグラスでマンドリンとギター担当でやっていたのですが、バンジョーが抜けたため、他のメンバーに何が出来ると尋ねたら。ベンチャーズの曲ならドラムが出来るという人やら、リードギターなら練習すれば何とかなる、というメンバー達により、95年よりベンチャーズに衣替えしました。しかししょせんおじんバンドで、練習と称しては談話会になったり、ビデオ鑑賞になったりで一向に腕は上がりません。
なんて無節操なと思われるかも知れませんが、ベンチャーズのノーキーにしてもジェリーにしてもカントリーが大得意ですので、プラグドになっただけと思っています。
ここ10年間ほどは楽器をあまり買わなかったのですが、1年半ほど前からまた虫がうずき始めました。

最初に述べましたように、若い時から趣味には本腰を入れてやりましょう、そうすれば私みたいに指が動かなかったり、間違えるとごまかしが効かなかったりといったことは少ないでしょう。