デュエリストの間で評価の別れる“コピーデッキ”に関して、新しいアプローチ手法の提案をしてみます。
昔から音楽界では“カバー”という曲が良く作られます。あるアーティストが自分の好きな(憧れの)別のアーティストが作ったオリジナル楽曲をそっくりそのまま演奏したり、自分なりにアレンジしたりして演奏する物です。アマチュアのアーティストが「憧れのあの人にちょっとでも近づきたい。」と自らの技術向上のために作る事もありますし、自分に影響を与えたアーティストに敬意を表して「自分もこれだけの演奏ができるようになりました。」という集大成的に作る物もあるようです。我々はこういったカバー曲を聴いても、例えば我々がいわゆる“楽曲のパクリ”に対して抱くような嫌悪感みたいな物は感じないはずです。むしろ「ああ、こういう表現もあるのか。」「この人がこんな曲をやるのか!」という驚きと共感を持って迎え入れられるケースが多いのです。コピーに抱く嫌悪感や罪悪感がカバーにはない、つまりそこには間違いなく何か“違い”があるのです。
この発想を Magic にも持ち込もう、それが今回の私の提案です。つまり“コピーデッキ”を作るのを止めて、代わりに“カバーデッキ”を作ろうという事なのです。カバーという行為がこれだけ世間で認知され評価されている、これが Magic でもできれば例え自分ではオリジナルが作れないデュエリストも自分のデッキで周囲から高い評価を得て、大手を振ってトーナメント等に臨める可能性が高いのです。
では、このカバーデッキとコピーデッキはどこがどう違うのでしょうか?。そして我々がカバーデッキを作るためには何が必要なのでしょうか?。それに関する私見をこの後書いていきます。
私流に解釈したカバーデッキとコピーデッキの違いは、概ね以下のようになります。
カバーデッキ コピーデッキ オリジナルが自分にない事を公言している。(オリジナルを作った人に敬意を表している部分がある。) オリジナルの制作者に敬意が払われていない。(下手すりゃ自分がオリジナルだと言い張る人すらいる。) 使用者がデッキを回すためのスキルを自らあらかじめ鍛えた上で使っている。 使用者にデッキを回すだけのスキルがない場合が多い。 「いずれは自分もオリジナルを!」という志を持って使っている。またそのためのステップアップの一環として作られる(使われる)事が多い。 自分でオリジナルを生み出そうという志がない。作ったら作りっぱなし、使ったら使いっぱなし。 使用者の個性が盛り込まれる事が多い。あるいはプレイングまで含めて100%忠実なコピーになっている。(複製としての質が高い。) デッキレシピの見たまんまである事が多い。しかしプレイングと言った部分まではコピーできていない。(複製としての質が低い。) 上の表のカバーデッキの部分を読んで頂くと分かるのですが、一般に使われるコピーデッキがここまでちゃんとした物ばかりなら、世間でコピーデッキ(使い)がこれだけの批判を浴びる事は無いのではないでしょうか?。言い換えると世間のデュエリストの多くはコピーデッキ使いにカバーデッキを求め、コピーデッキ使いは自分はカバーデッキ使いのつもりなんだけど実際にはそう評価されていない、まあそんな感じなのです。
ここに私なりの解釈を更に付け加えるならば「デッキレシピを真似るのはコピー、デッキの発想を真似るのがカバー。」という事になるかと思います。コピーデッキ使いの多くがデッキの構造(発想)を理解しないままデッキを真似る。だから自分なりのアレンジが加えられない。また真似たデッキを回すだけのプレイング等のスキルがない。だから周囲から見られる印象が悪くて批判を浴びる。そんな感じだと思います。
ちなみにこのカバーデッキとコピーデッキは簡単に見分ける方法があります。あるデッキが明らかに他の人(デッキ)のアイディアを取り入れた物だと思われる時に、そのユーザーに「それカバーデッキ?」と聞きます。それで「うん、そうだよ。」と返事が返ってくればカバーデッキだし、そうでなければコピーデッキです(笑)。コピーデッキ使いは自分が真似たデッキが強かった場合、それがコピーだとばれていない限り自分がそのデッキを作ったと自慢しようという余地を残す(=自分からはコピーだと決して認めない)からです。
さて、ではデュエリストがカバーデッキ使いになるメリットは何か?、そしてそうなるためにはどうすればいいのか?、その辺を次に書いていきます。
カバーデッキの最大のメリット、それは何よりも“他人のデッキの複製を堂々と使える”という事です。元々自分が使っているデッキが誰かのデッキの複製品である事を認めてしまっている訳ですから、別にそれで勝ったからと言ってとやかく言われる筋合いの話はありません。またこれによりコピーデッキ使いが嫌われる最大の要因(=勝つと自分の手柄のように自慢したがる)を自ら封印し、そのデッキによる戦果を謙虚に受け止める事もできるようになります。またカバーデッキ使いはデッキ構築(アイディアの発想)の部分を他の人に任せている訳ですから、その分プレイングを鍛えるとか他のデッキを研究するといった部分に自らの体力を割けます。カバー曲を演奏するにも一定レベルの演奏テクニックが必要だし、それは自分で鍛えて修得するしかないのです。しかし自力でデッキを発想してプレイングまでこなすデュエリストに比べるとカバーデッキ使いはかなり楽ができるはずなので、その分プレイングの修得やデッキの研究は進めやすいのです。
ただ、本当の意味でカバーを演奏して尊敬されるプレイヤーは、自分でもオリジナルを作れるだけのスキルを持っている事が当然です。またアマチュアバンドが有名アーティストをカバーするにしても、いずれ自分もそうなりたいという願望を叶えるために(テクニック等の修得も兼ねて)カバーするのが一般的です。つまり Magic のカバーデッキ使いもそういう発想でカバーデッキを使うべきです。いずれは自らのオリジナルを生み出し誰かに自分のデッキをカバーしてもらいたい、そういう意識のないカバーは単なるコピーでしかありません。
誰でも最初から強いデッキや奇抜なデッキを作れる訳ではありません。今は大きな大会で大活躍しているあのデュエリストも、最初はカバーから始めているのです。ただ欧米のデュエリストの多くが自然にカバーデッキ使いになっていると思われるのに対し、日本人デュエリストの決して少なくない割合がコピーデッキ使いに甘んじている。それが欧米と日本の Magic レベルの差にそのまま反映されている、私はそう感じています。カバーデッキ使いは将来に明確なビジョンを持って Magic に取り組んでいます。でもコピーデッキ使いにはそれがありません。「取りあえずちゃっちゃとデッキ作って大会で勝てればいいや。」そんなデュエリストが周囲の尊敬を集める訳もないのです。
では、我々デュエリストはどうすればカバーデッキ使いになれるのでしょうか?。まず何よりも「いずれは自分でも人にカバーしてもらえる優秀なオリジナルを生み出すんだ!」という姿勢をいつも忘れない事だと思います。そしてそれに向けた修練を欠かさない事でしょう。例えば新しいカードセットが発売されたら、やはりその収録カードを一通りデッキで使ってみる位の心がけは必要なのです。例えばあるデッキが強いという情報が流れたとして、そのデッキでの使用カードの関係が理解できていなければカバーはできないのです。良い曲があってそれをカバーしたくても、自分には弾けないコードがあったり自分では歌えない音域があったらカバーはできない、これと理屈は同じです。まあその部分をアレンジできればまだいいんだけど、それにしたって一定のスキルは必要だし。
また同じデッキをカバーするにしても、頭から全部真似するよりも“自分が過去に作った同様のデッキと比較してカバーする”方が、かなり質の良いカバーが作れます。自分のオリジナルとはどこがどう違っていて、特に自分の物より優れている点はどこなのか?。そこに着眼できるか否かがかなり重要になります。またそういう積み重ねが、いずれはより優秀なオリジナルが作れるだけのスキルを身に付けさせてくれます。要は“最終目標として見ている目線の高さ”が問題なのです。
私が伺っている限りでは、あのジョン・フィンケル氏は“世界最強のカバーデッキ使い”だという気が私はしています。同時にあの方は雑誌の連載で他の方のデッキをこき下ろしたりしていますが(笑)、私に言わせるとあれにしても“カバーデッキ使いとしての修練の1つ”だと思われます。要するに素人のデッキをカバーして演奏して見せているのです。あれが日本のコピーデッキ使いにはできないんですよね。大体他人のデッキを診断すると、その時点で流行っている“あのデッキ”になっちゃう。診断前には多色のウィニーデッキだった物が、診断後には白単の補充デッキになってたりとか(爆)。
日本にも有名アーティストの作品のカバーで勝負しているアーティストがいますが、そのカバーの質の高さから高い評価を得ている方もいらっしゃいます。要するに“コピーをコピーであると認めて質の高い物を追求する”事でコピーも市民権を得る事ができるのです。ただ日本でコピーデッキ(使い)がそうなっていない・・・それはすなわち日本のコピーデッキがそういう意識を持っていないという事なのです。私に言わせると、日本のコピーデッキが抱える最大の問題は「コピーデッキ使いが自分がコピーデッキを使っている事を認めようとしない。」事だと感じています。一部のコピーデッキ使いはちょっと大会で好成績を収めると、それこそそのデッキが自分が思い付いた完全オリジナルな物だと吹聴しているのです。中身を見るとまんまDOJOやGAMEぎゃざに載ってた“あのデッキ”なのにね。 :-Pこれに対してカバーデッキは、まず“オリジナルのデッキに敬意を表してアイディアを使わせてもらう”という発想からスタートします。従ってそのデッキによる戦果に対して謙虚な気持ちになれますし、またその様子を見ている方も「ああ、あのデッキならちょっと参考にしてみよう。という事で、カバーしたあの人に聞いた情報源をアクセスしてみるか。」になるのです。またカバーデッキ使いが自分のデッキを素晴らしいテクニックで回してみせれば、その事だけでも周囲の注目や尊敬を集める事はできるのです。
ただデュエリストがカバー奏者としての尊敬を集めるには、最終的にはオリジナルの奏者と変わらないだけの努力とスキルが求められます。その1つの完成型がジョン・フィンケル氏であると言っても間違いではないでしょう。私個人は「カバー奏者は一流にはなれても超一流にはなれない。」と思っていたのですが、それは少なくとも Magic の世界では間違いだったみたいですね。ただどうもそういう事実を日本人は「なんだ、コピーデッキでOKじゃん。」と短絡的に考えているみたいなんだけど、そうじゃないんだって(笑)。
ある1つの楽曲をカバーするには、そこに集約されているポリシーやテクニックをきっちり再現して見せる必要があります。それができないカバーは粗悪なコピーでしかないのです。つまり“オリジナルが作れる位のスキルがないプレイヤーに良いカバーはできない”という事です。私は日本人デュエリストが安易なコピーデッキで Magic を楽しむ事には反対です。でも例え下手でもいいからカバーデッキを志して Magic に取り組まれるのであれば、それを心から応援したいです。