最近DIABLOIIに費やす時間が増えています。このゲームは1人プレーでキャラクタを育て、そのキャラクタをネット上に持ち込んで他の(見ず知らずの)方々と一緒に様々なクエストに挑む事ができます。私のキャラクタは現在それなりに強いようで、クエスト攻略の傭兵としてはかなり重宝されるようになっています。私はこの手のRPGを始めるとかなりのめり込む質です。かつてPSの“ブレイズ&ブレイド(B&B)”というRPGを遊んでいた時も、自分の持ちキャラをとことんまで鍛える&強力なアイテムを見つけて強化する事に没頭していました。ところがB&Bにはシステム的な(ある意味致命的な)問題点がありました。それは「パーティの中に特別強いキャラクタが1人でもいると、他のパーティのメンバーが何もできなくなる。」という事です。私が使っていたシーフは走るのは速いわダメージを与えると体力をドレインするわで、他のメンバーの助けを全くと言っていい程借りないのです。他のメンバーは私のシーフが敵を倒した後を付いて歩き、経験値とアイテムのおこぼれをもらう・・・こんなパーティ・プレーが盛り上がるはず無いでしょう?(笑)。
そういうパーティ・プレーの不満点がDIABLOIIには全くない・・・と言えば、多分嘘になるでしょう。ただ少なくともパーティ人数が増えればそれ相応に敵が強くなり、そして苦労したなりの報酬が得られます。またキャラクタ毎の役割が明確な上に、同じ職業のキャラでも成長のさせ方によって違う役割を果たせたりします。実際私も何度かパーティ・プレーを経験しましたが、その度に参加者全員がそれぞれの役割を雰囲気で理解し、共通の目標(全員が生き残ってクエストをクリアする)に向かって精一杯のプレーをします。
「それが M:tG とどう関係があるんだ!」と思われる方も少ないでしょうから、これ以降はその話を書きます。一般に M:tG や囲碁・将棋は、単に対戦相手と対戦するだけのゲームだと思われています。しかし実際にこの手のゲームを極めるには“対戦相手との協力”が必要不可欠になります。例えば将棋の定跡(囲碁の定石)をいくら覚えても、それを実戦で活かす機会が無ければ役には立ちません。そして高度な定跡(定石)を実戦で役立てようと思うと、どうしても“対戦相手もその定跡を理解している”事が必要不可欠になるのです。特に過去に生み出された定跡を打ち破って新しい定跡を生み出すには、そういったハイレベルなプレイヤーがより大勢現れる必要があります。
これはこういったゲーム以外でも、例えばF1等のレースでも同じ事が言えます。レース中にライバルを追い抜こうとする場合、いくら追い抜く側のドライバーのテクニックが優れていても、追い抜かれる側のテクニックが未熟だと大事故につながる可能性があります。今追い抜こうとしている相手の技量をある程度信頼できるからこそ、追い抜く側はそれなりに無理な追い越しをかける事ができるのです。
人と人との“対戦”を本当の意味でレベルの高い物に昇華させようと思った場合、実は全てのプレイヤーに「自分は他のプレイヤーと協力してこのゲームを完成させるんだ。」という意識が必要なのです。そういう意識を持っていないプレイヤーがその場に1人でもいると、そのゲームのレベルは決して高い物にはなりません。平均時速200km/hで競うF1の中に1台だけ40km/hでトロトロ走る車がいると、多分見た側は興ざめするし何より危なくてしょうがないのです。
最近日本の M:tG 関連のHPを見ていると、「どれだけ短いターンで対戦相手を倒すか?」に多くの関心が集まっています。しかしその論議の大部分が“対戦相手が何も抵抗しない”事を大前提に話を進めています。はっきり言いますが、そんなに対戦相手に何もしてもらいたくないなら、対戦相手なんか要らないじゃないですか(笑)。自分が作ったデッキを1人で回して「わ〜い、(仮想の)対戦相手に3ターンで20ダメージ与え切ったぞ!」と悦に入って、それで満足すればいい話です。でもそれでは“対戦”をする意味も無ければ必要性も無いだろう、私はそう思っています。
私が使うデッキも比較的速攻系のデッキが多いのですが、私が過去の対戦で今でも自慢できるのは、少なくとも対戦相手が事故を起こして何もできない間に3ターンキルを決めた対戦ではありません。でも対戦相手のデッキの勝ち筋や防衛手段を全て封印しつつ4ターンで勝負を決めたデュエルは今でも記憶に残っていますし、大手を振って人に自慢できます。そしてそのデュエルは決して私1人の手柄でできた物ではなく、対戦相手との協力によって生み出された“良い思い出”である、それが私の感想です。まあその対戦相手が今あのデュエルをどう思っているかは分かりませんが(爆)。
あと私個人は“そのデュエルに至るまでのプロセス”って結構大事ではないかと思っています。例えば前から何度か話題にしているコピーデッキ(使い)の事を今回ここでとやかく言う気はないですが、そのプレイヤーがそのデッキを手に入れるまでのプロセスで手を抜いていると、やはりプレイングに出るのです。というか、デッキ構築で手抜きをしたプレイヤーとそうでないプレイヤーがデュエルをしても、そのデュエルを2人が協力して最高の物にするのは不可能でしょう。デュエルが面白ければ勝敗にはあまり執着しなくなるのです。でもデュエルが面白くない(デュエルをする事そのものに楽しみを見出せない)から、人は対戦成績という物(=勝ったというフラグ)を欲しがるのです。そうでもしないとデュエルをした結果、何も残らないからです。
DIABLOIIの世界では、自分が出来うる限りの手間暇をかけてキャラクタを育て、それを心おきなく多人数プレーに持ち込む事ができます。強いキャラクタは(自分の力を誇示するために場違いなゲームに登場しない限り)英雄になる事はあっても、その存在を人から疎まれる事はないのです。でも M:tG の世界で強いデッキ&強いプレイヤーが英雄になる事はかなり困難です。それは「多くのプレイヤーに『対戦相手と一緒にゲームを楽しみ、その対戦をより高い次元にまで昇華させた上で勝利を掴もう。』という姿勢がない。」からではないかと思います。対戦相手の土地事故を「ラッキー!これなら楽勝だ。」と思うようでは多分駄目なのです。
“対戦”という言葉は確かに人を煽るのですが、しかし目の前の相手を敵だと思い込む意識を生み出し、結果的に不毛な結果を生み出す事が少なくありません。対戦型のゲームを本当の意味でレベルの高い有意義な物にするには、全てのプレイヤーに“協力”という意識が必要なのだというのが私の意見です。そしてそのためには全てのプレイヤーが、目の前の勝敗の遙か先にある“ゲームがうまくなる”という意識を持つべきだとも思うのです。例えば同じ負けるにしても、F1に安全かつレースを盛り上げるための抜かれ方があるように M:tG にも“ゲームが盛り上がる負け方”があるのです。囲碁や将棋と M:tG が、同じ対戦型ゲームなのに世間での認知にこれだけの違いがあるのは、多分そういう事なんだと思います。
例えば M:tG でコンボデッキを使ってデュエルをした時に、対戦相手が土地事故で何もできない時に決まった3ターンキルよりも、対戦相手がカウンターや解呪等で抵抗しまくった挙げ句に決まった6ターンキルの方が記憶に残っていたりしませんか?。あと対戦相手が置いたエンチャントでなぜかコンボが決まってしまったとか。そういうのって対戦者同士が知らない間に協力して結果を作り上げているのです。でも最近の M:tG ってそういう偶発性が薄れてきた気が私はしています。特に Standard なんかは、2〜3ターン動きを見るとデッキの中身が分かっちゃうようなご時世です。私個人は「そりゃ『最近の M:tG はつまらない。』と言われても無理はない。」という気がしてしょうがないのです。少なくとも昔の M:tG って“対戦相手のデッキの意外性”を楽しむTCGじゃなかったでしたっけ?。