野球や囲碁・将棋の世界には“プロ”が存在します。私は彼らの最大の存在意義は“プレー人口の増加に貢献する事”だと思っています。例えばプロ野球選手の場合、特に一軍選手となるとそのほとんどがスポーツ用品メーカーと提携しています。(これは例えばスキーやテニス等も同じです。)彼らが活躍すればそのスポーツの競技人口が増えて用具が売れる、そういう計算が成り立つからこそメーカーはプロに投資するのです。つまり逆に言えば“プロには競技人口を増やす事がノルマとして課せられている”という事です。プロの一挙手一投足が人々の注目を集め、その活躍が新たなファンを生み、やがては競技人口の増加にも貢献する。そうさせる義務が彼らにはあるのです。
では“その世界のプロが競技人口の増加に全く貢献しない”としたらどうでしょう。そんなプロには誰も投資しようとは思わないはずです。というか、元々そんな選手は“プロ”と呼ばれる資格すら無いのです。そしてプロのいる(=プロという仕組みを確立する事ができた)スポーツやゲームとそうでない物の間には、間違いなく一般世間での知名度やプレー人口の間に格差があるのです。あるスポーツやゲームをメジャーにして盛り上げて行くには、プロの存在は必要不可欠なのです。またサッカー(Jリーグ)やバレーボール(Vリーグ)がプロ化した背景には、そういった意識をプレイヤー全員に持ってもらうという意図もあったようです。
プロは誰にでもなれる訳ではありません。プロの選手には間違いなく一定の“素養”が求められます。単にその競技がうまい人間ならゴロゴロしています。でもプロになれる人間はその中で見てもごく一握りなのです。ましてや人気と実力を兼ね備え、多くの人達の興味をその競技へ導く事ができるプロとなると更に限られます。またプロが誕生するには“環境”も必要です。どんなに選手として素晴らしいプレイヤーが現れても、プロという仕組みが営利目的の企業によって支えられている以上、企業がその競技に投資するだけの魅力が無ければプロも現れない訳です。
プロがスポンサーを生むのかスポンサーがプロを生むのか、これは難しい問題です。ただ1つのゲームがプロ化のためのスポンサーを得るには、間違いなく“投資するだけの魅力”がそのゲームに無ければ駄目なのです。将来性はもちろんの事、主催団体の取り組みとかプレイヤーの個人的な魅力、そういった物がプロ化する前からある程度揃っていなければ駄目なのです。ましてやプロ化の話なんて物は長くやっていれば自然に舞い込んでくる物じゃないですし、口を開けて待っていれば向こうから飛び込んでくる物でもありません。プレイヤーと運営団体が一緒になって汗水垂らして競技のレベルアップに取り組み、その上で様々なチャンネルを通じて自分達を売り込んで、始めてやってくる物なのです。
そういう志が無いスポーツやゲームって、すぐにちょっと強いプレイヤーが“セミプロ”気取りで大きな顔をし始めます。でも苦労してプロになった人達って、本当ファンには優しい低姿勢な方が多いです。(中には例外もいますが。 (^^; )上に立つ者(あるいは立っていると思いこんでいる者)を見ると、そのスポーツなりゲームなりの行く末っておおよそ分かる気がします。実際対戦格闘ゲームで“鉄人”を名乗ってデカい顔をしている連中を見た瞬間「あ、こりゃ格ゲーは駄目だ。」と思ったもんね(笑)。
という事で、今回ここでは M:tG に関しては触れない事にします。理由は・・・分かりますよね(爆)。ただ1つだけ言いたいのは「プロなんて物は『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』的に生まれる物ではない。」という事です。そんな基本的な事を勘違いしたまま日本の M:tG のレベル向上を口にする企業やプレイヤーが存在し、しかも彼らが日本の M:tG を引っ張ろうとしている。これは M:tG に取ってはかなり不幸な事だと私は感じています。