どうも“コピーデッキ”の話題がかつてない盛り上がりを見せているので、今回はこれに絞った考察記事を書いてみます。
M:tG のルールブックやDCI公認大会のフロアルールのあらゆる箇所を読み返してみても、そこに「 M:tG ではコピーデッキは使ってはいけない。」とは書いてありません。実際世界選手権でも他の方が編み出したデッキやコンボのアイディアを自分の物にして上位入賞あるいは優勝される方が今は当たり前ですので、それは基本的には何ら問題のない行為なのです。ただ、私を含む一部のデュエリスト達は“自分のポリシー”に基づいてコピーデッキの使用を自ら封印しています。また一部の方はその考え方を他の人達にも理解して追従して欲しいと願っていて、そのためそれが「コピーデッキなんか使うなよ!」という呼びかけになる訳です。ただ実際問題として(この手の趣味の世界で)精神論で物事が解決した事例は残念ながら日本では皆無と思われ (^^; 事実コピーデッキは今日も多くが使われ続けているのです。
私はこの手の話題を扱う時、よく囲碁・将棋の事を引き合いに出します。この世界は既に趣味の世界としては“競技”として成熟しており、その世界のトップの人達は尊敬の対象にすらなっているからです。やはり私個人は M:tG もここまで至るのが理想だと思っているのですが。さてこの囲碁・将棋の世界ですが、実はここは M:tG の比じゃない位“コピー”によって成立しています。いわゆる“定石(将棋では定跡という用語を使いますが、これ以降は定石に統一します。)”という物ですが、特にトップクラスで凌ぎを削る方々はこれを覚えているのが当たり前なのです。過去に登場した指し手の中で有効だった物がそれこそ膨大な数に渡って定石として存在し、それを覚える事がプロとしての条件になるのです。実は私も一応将棋は指すのですが、私も当然将棋は定石をある程度覚えるところからスタートしました。それを覚えていないと本当何もさせてもらえないのです(笑)。
囲碁・将棋の基本的な遊び方は「定石を覚えている範囲はその通りに進み、覚えていない局面が出てきたら自分で考える。」という形になるのでしょうか。また今トップを目指して凌ぎを削っている方々は、その定石を覆すべく日々研究を積んでいらっしゃる訳です。
なんかこれだけ読んじゃうと「なんだ、囲碁・将棋って M:tG と同じじゃん。」と思うのですが、でも囲碁・将棋では定石を覚える事が美徳とされるのに M:tG はそうじゃない、それはなぜなのでしょう?。私はこれの最大の理由は「プレイヤーの取り組み方に決定的な違いがあるから。」だと感じています。囲碁・将棋ってプレイヤーは“うまくなる”ために定石を勉強し、そして対局でそれを自分の物にしていきます。対局で勝った/負けたは単なる結果であり、またその対局後も反省戦等でお互いのレベル向上を図る機会があるのです。また囲碁・将棋には厳格な段位認定制度があり、自分自身のレベルを客観的に評価できます。そしてそういう段や級を持った人に挑んで勝てるようになれば、自分の現在のレベルもおおよそ分かるのです。
でも今の M:tG って、基本的には“対戦相手に勝つ”事を目指してやっているし、それしかないのです。DCIのランキングにしたって私に言わせれば(囲碁・将棋のそれと比べると)極めてお粗末な仕組みでしかなく、従ってデュエリストの多くがそれを目標に真剣に取り組むという事ができない、あるいはそれに取り組む事が結果的にそのデュエリストを駄目にする可能性すらあるだろうと感じています。今デュエリスト達が自分の M:tG のレベルを評価する基準は「対戦相手を何人負かしたか?」しかないのです。それが世界規模で行われている訳で、この状況は対戦格闘ゲームの末路を知る人間としては非常に憂慮すべき事態なのです。あ、ちなみに私が思っている“DCI公認のランキング制度のお粗末さ”ですが、「プロとアマチュアが同一基準でレーティングされている。」「公認大会で対戦相手からポイントを奪い取るという仕組みがお寒いデュエルを助長している(“対戦相手は敵である”という意識を定着させてしまう)。」「何より日本では集計している機関がいい加減(爆)。」等が挙げられます。
要は「コピーした情報を“自分がうまくなるために活用している”のか“他人を負かすために悪用している”のかの違いがある。」という事です。この違いはかなり決定的な物です。特に日本の M:tG での情報活用はそのかなりの部分が後者に甘んじていて、前者のような情報の活用がほとんどできていないと思われる訳です。これではコピーデッキ使いに対する批判意見が出るのは当然の事で、従って私個人は「日本の M:tG のレベルは低い。」と公言して憚らないのです。
どうもDCIは M:tG という物を囲碁・将棋あるいはチェスに匹敵するレベルの高い競技に昇華させたがっているようです。ただ私に言わせると、それにしては公認大会の仕組みがあまりにお粗末なのです。やはりランキングしか見ていない現在の制度を段位認定制度に改めるべきではないでしょうか?。“誰かに勝って上を目指す”のではなく“自分がうまくなって上を目指す”のです。そうして M:tG を競技として極める事に深い意義が生じれば、自然とデュエリスト達の取り組み方も変わってくるでしょう。あと私個人が思っている事としては、日本には“競技者気取り”な方があまりに多いのです。 M:tG なんて日本じゃ競技としては全然認知されていないのに自分だけ競技 M:tG (もどき)をやっている、だから“浮く”のです(爆)。ましてやそのデッキでやってる事は初心者狩りでしょう?。それじゃあ流石に・・・ねぇ。 (^^; これも何度か書いているけれど、あなたがそんなに競技 M:tG をやりたいのであれば、そういう競技 M:tG をそれなりにやっている大都市圏に遠征するか、そうでなければ自分の地域に競技 M:tG を定着させてみなさいよ。話はそれからだって。
あとどうせコピーするなら「その時点で有効なデッキ・レシピとその対策を完全に丸暗記している。」位の事は最低限やって欲しいかな。そこまで M:tG を極めようと努力しているのなら、多分誰からも文句は言われないのです。でも今は“デッキはコピーしているのにプレイングがコピーできていない”人すらいます。 (^^; だからコピーデッキ使いに対してこれだけ不満が出てくるのだと思いますよ。
ただ今回の件で私からもう1つ“提案”があります。それは今他人のデッキのコピーを封印している方々に、あえて「コピーをしてみませんか?」という事なのです。最初の方に書いたように、囲碁・将棋の世界は他人の戦術のコピーを頭に叩き込む所からスタートします。そして実はそれは M:tG にしても同じなのです。あなただって M:tG を始めていきなりデッキが組めて、それをいきなり回せた訳じゃないでしょう?。 (^^; 多分誰かの力を借りた(=誰かの知恵をコピーした)はずなのです。要はそうやって M:tG を勉強した過程をこれからも続けてみましょうよ、という事なのです。自分1人で考える事なんて、間違いなく限界がある訳だし(ぉ。
実際世界選手権等で上位入賞を果たすデッキは、勉強する対象としては素晴らしい素材です。それを自ら見ないようにしちゃうのはもったいないですし、結果的に自分自身のデュエリストとしてのレベルを頭打ちにしてしまいかねないのです。私は日本の選手権のデッキは面白くないので見ないのですが(笑)、先日の全米選手権の上位8人のデッキは非常に興味深く拝見しました。その辺のデッキ研究に熱心な方々に取ってもあれは非常に良い教材になったようです。そういう情報を自分の物にしないのは、やっぱりもったいないっすよ。
皆さんおっしゃるように“情報は使い方次第”なのです。でも今はその情報を持っていない事がその人に対して様々なデメリットを与えます。ですから勉強しておくに越した事はないのです。将来自分が「これだ!」と思ったカードと巡り会った時に、その時学んでおいた知識が役に立つ時が来るかも知れないのですから。