少し前から某代理店が“カジュアル・プレー(普段着の M:tG という意味合いでいいのかな?)”なる物を推奨しています。しかし私個人には今の日本でこんな物を推奨する必要性というか理由を見出せないのです。私に言わせると「今の日本でカジュアル・プレーを推奨するのは、日本の M:tG の現状が見えていないからなんじゃないの?」という気さえします。
私は最近、某代理店の出版物は DECK EXPRESS 位しか読んでいないのでアレなのですが (^^; 私が言葉の響きから感ずる“カジュアル・プレー”という物の意味合いは、「公認大会で使われるようなデッキやプレイングを一時忘れて、自分なりのデッキやプレイングで楽しい M:tG をやろう!」ではないかと思っています。ただ最初にはっきり言ってしまいますが、私はこのカジュアル・プレーという言葉が最近大嫌いになりつつあります(苦笑)。それは最近この“カジュアル・プレー”という言葉が、本来の意味とは全く異なる使われ方をしているような印象を私が受けているからです。
最近一部のデュエリストに「カジュアル・プレーを推奨している自分は、他のデュエリスト達とは違うんだ。」という変な意識が芽生えている気がします。「カジュアル・プレーを口にする事が格好いい。」みたいな感覚もあるのかな?。ですが、じゃあ実体がそれに伴っているかというとそうでもなくて、デッキもプレイングも全く変わっていないのに口先だけでカジュアル・プレーを連呼している人が少なくないという感じです。ですから私は誰かが口にする「カジュアル・プレーをやろう!」という言葉に、たまらない“胡散臭さ”を感じてしまうのです(笑)。なんか自分のルール上のプレーミスを防ごうとする配慮もなく、そのすべてを「カジュアル・プレーなんだからいいじゃん!」とか誤魔化しそうで。でもそういう人に限って、対戦相手がプレーミスすると「ちゃんとマナバーンしろよ!」とか言いそうで嫌なのですが。 (^^;;;またかなり以前の選手権で、自分がジャッジから注意を受けた事に関して「もうちょっと手加減してよ。それじゃあ M:tG が楽しめないじゃないか。」みたいな事を言っておきながら、別の選手権ではジャッジを呼びまくって対戦相手を反則負けに追い込んだ、という方の事例を私は記憶しています。 (^^; それと同じ事を“カジュアル・プレー”を口先だけで推奨している一部の方がデュエルルーム等でやっている、という印象も私にはあります。言っちゃうと“俺だけカジュアル・プレー”という感じかな。でもそれって単に“ルーズ(あるいは身勝手)”なだけであって、それを“カジュアル”とは呼ばないでしょう?。 (^^;
あと私が一番許せないのが、今“カジュアル・プレー”を推奨している某代理店のやり方です。我々が日本語版4Eから M:tG を始めた頃、ほとんどのデュエリスト達は自然にカジュアル・プレーをしていました。それをあなた達が(日本の実状には到底合っていると思えない)DCI公認大会で焚き付け、結果的にカジュアル・プレーができない体質にしちゃった訳です。そして M:tG の売り上げが好調な時はそういう流れを黙認しておいて、プレイヤー離れが進み始めた途端にカジュアル・プレーを推奨し始めたって、誰が付いて来るって言うのですか?。そんなの単なる“ご都合主義”以外の何物でもないでしょう?。
普通、囲碁や将棋を“プロの段位をもらうため”あるいは“賞金を稼ぐため”に始める人はほとんどいません。大抵の人達は“面白そうだから”始めて(ごく一部の人達が)そこまでに至るのです。昔日本でも M:tG はそうやってある意味自然な形で広まっていったのです。私に言わせれば「そういう循環を自分達で崩壊させておきながら、何を今更・・・。」という事です。しかもそういう物を最終的にはすべて自社の売り上げに結び付けようとする、それじゃあ流石に駄目な(本当の意味での対策になっていない)事にそろそろ気が付いて頂きたい物です。ちなみに言うと、あんな高額な利用料を取られる渋谷のトーナメントセンターがカジュアル・プレー向きだとは私には到底思えませんし。 :-P
あと今の日本で本当に“カジュアル・プレー”を推奨する必要があるのか?、というのも私に言わせればかなり疑問です。多分“カジュアル”の反意語は“フォーマル(この場合は「正式な・・・」という意味になるかな?)”だと思うのですが、今某代理店がカジュアル・プレーを推奨しているという事は、逆に言うと「今の日本ではフォーマル・プレーが主流になっていて、それにはそれなりに問題があると認識している。」という事ですよね?。でも“フォーマル・プレー”って一体日本のどこでされていますか?。DCI公認大会ですか?。あんな野良試合の延長でしかない物(ぉぃ)をフォーマルとは呼ばないでしょう?。多分今の日本でフォーマル・プレーと呼べる M:tG って、世界選手権等の外国人プレイヤーやジャッジが参加するイベントにしかないですよ。実際日本のDCI公認大会では“参加者のマナーの悪さやモラル/スキルの低さ”がやたら目立ってるじゃないですか。私に言わせれば「そんな状況下でカジュアル・プレーなんか推奨して、更にデュエリストの質を下げてどうするの?」という事です。 (^^; だから言うんだって、「某代理店は日本の M:tG の実状が分かっていない。」って。
私に言わせれば「むしろ今の日本では“フォーマル・プレー”の推奨こそ必要である。」という気がするのですが。その中で“対戦相手と接する時のマナーやモラル”あるいは“大会に参加する者の心得や常識”等の躾を身に付けさせてこそ、始めてカジュアル・プレーが面白い物になるんじゃないの?。前々から書いているけど“デュエリストとしてのバックボーンがないプレイヤーとのデュエルは面白くない”んだって。最近の M:tG が面白くないと言われている理由って、案外プレイヤー自身の質の低下が招いている事態なんじゃないですかね?。あ、だからと言って私はDCI公認大会の無計画な乱発に賛成した訳ではありません。この後書きますが、フォーマル・プレーはDCI公認大会なんか開かなくても十分浸透させる事は可能なので。
福井のイベントは基本的に“面白ければ何でもあり”でやっているのですが、ただ やまけん さんも私も参加者のマナーやモラルに関してはかなり厳しい意見を言います。(私は2度程イベント参加者に対してキレた事がありますし。 (^^; )何しろ やまけん さんは“そういう厳しい意見を言える立場になるためにレベル2ジャッジになった人”なので。 (^^; これは福井でのイベント経験から我々の中では通説になっているのですが、やはり「イベント主催者が参加者に“躾をする”という認識は必要だ。」という事です。参加者自身の自発的なマナーやモラルの向上には期待できない以上、やはり何らかのペナルティを受けてもらってでも改善する方向で動かなければ話が進まない、そういう事です。これはそのイベントがDCI公認か否かなんて関係ありません。「そのイベントに相応しくない方には、最悪の場合は退場して頂く。」たったこれだけの事です。そしてこの考え方は、例えば“デュエルルームの運営”とか“共に M:tG を遊ぶ仲間内での約束事”においても重要なのです。「下手すると自分はこの中から追い出されるかも知れないし、そうでなくてもトレード等で様々なデメリットを受けるかも知れない。」そういう事実を突きつけられれば、普通は誰でも気を付けるのです(笑)。そしてそうやって多くの人達と M:tG を楽しむための“基礎”を身に付ける事ができたら、そこで改めて“応用(=カジュアル・プレー)”に進むべきなのではないでしょうか?。基礎のしっかりしていない人間は応用が効きませんし、やはりそういう人と接していても面白くないのです。
ただね・・・こんな事って私がこういう記事で今更書かなければいけない内容なのですかねぇ?。こんな事人間として集団生活を営む中では必要不可欠な躾だし、基本的には皆さん分かっている事のはずなのですが?。最近のデュエリストの低年齢化という問題もありますが、やはり最近何かおかしいですよ。
今回の記事は、特にカジュアル・プレーを心から推奨し、実践されている方々に対してはかなり挑戦的な内容になってしまったと思っております。 m(__)m ただ「私のこの記事を読んで怒りを覚えるカジュアル・プレー推進派の方々は、逆に言うと私が危惧しているような“えせカジュアル・プレイヤー”ではない。」と考えております。やはり私の持論としては「日本でカジュアル・プレーを広く推奨するには時期尚早ではないか?」という事です。私個人は「もうちょっとデュエリスト個人のスキルを高めてから始めても良さそうだし、そうするべきなんじゃないかなぁ?」と考えております。あと私個人の事を書いておくと、私自身はカジュアル・プレイヤーもフォーマル・プレイヤーも目指していません。ただ「 あいせん とのデュエルは面白い。」そう言われるようになりたいと思っているだけです。それが例えDCI公認大会の場であろうが何気ないデュエルルームでの野良試合であろうが同じです。最近つくづく思うのですが、なぜ皆さん「つまらなくなった。」等と言いながら M:tG にしがみつき続けるのでしょうか?(笑)。私は昔も今も M:tG そのものがつまらないと思った事は1度としてありません。そう思ったらとっくの昔にやめてますよ。