SNKに学ぶ

 私は現在「日本の Magic は対戦格闘ゲームの後追い自殺をしようとしている。」という印象を持っています。最近になってこの兆候はやや回避されつつある印象もあるのですが、まだまだ油断できない状況は続いているとも感じています。これに関して「何故私がそう考えるのか?」をご紹介するために、対戦格闘ゲームの大手メーカーの1つであるSNKの事例をご紹介しようかと思います。ちなみにこの話はかなりマニアックなので、この手の話題に興味がない方は決して読み進めないようにご忠告申し上げます。 (^^;

● SNKの変遷(概略)

 SNKはNEO・GEOという自社ハードで各種ゲームソフトを供給しているメーカーです。(注:ひょっとすると“供給していた”と書かないといけないかも知れないのですが。)NEO・GEOはアーケードゲーム用と家庭用で全く同じゲームが動くという画期的なハードで、16bitCPU搭載でありながら現在見ても遜色のないゲームを実現できます。

 NEO・GEOの登場は1990年ですが、このハードが世に広く知られるようになるには91年11月リリースのアクションゲーム“餓狼伝説”の登場を待つ必要があります。更に92年12月にリリースされた“餓狼伝説2”で格闘ゲームメーカーとしてのSNKがゲーマー達に認知される事になります。

 SNKの最盛期は93年〜95年頃に訪れます。93年に相次いでリリースした“サムライスピリッツ(7月)”と“餓狼伝説SPECLAL(9月)”が立て続けに大ヒットを飛ばします。サムライスピリッツの家庭用ROMの出荷本数は、多分現在でもNEO・GEOゲーム中最高ではないかと思います。また翌年にはその後のSNKの顔となるザ・キング・オブ・ファイターズシリーズの第1作である“ザ・キング・オブ・ファイターズ '94”がリリースされます。現在ではある意味でSNKゲームの象徴となっている【ナコルル】あるいはその後のザ・キング・オブ・ファイターズシリーズや CAPCOM vs SNK シリーズにも登場する主な人気キャラクタ達が世に出たのはこの頃です。

 しかしその後SNKゲームの人気は徐々に下降線を辿る事になります。以前のような爆発的なヒット作には恵まれず、結局2000年1月にSNKはパチンコ/パチスロメーカーであるアルゼの出資を受けて特定子会社となります。しかし業績の方は芳しくなかったようで、ついには2001年の3月に特定調停の申し立てをするに至りました。なおSNK自身が開発したゲームソフトは、この雑文を書いた時点では2000年7月にリリースされた“ザ・キング・オブ・ファイターズ2000”が最後となっています。

 なお、これ以降のゲーム名表記に関して、一部ゲーマーの間では一般的に使われている略称を使います。餓狼伝説は“餓狼”龍虎の拳は“龍虎”サムライスピリッツは“侍魂”そしてザ・キング・オブ・ファイターズは“KOF”と略します。

● なぜ全盛期は訪れたのか?

 SNKの全盛期に製作された対戦格闘ゲームは今遊んでも十分楽しめます。それは発売から8年も経った今でさえ他の追随を許さないだけの“ゲームの作り込み”がなされていたからだと私は考えています。

 初代餓狼から餓狼2がリリースされるまでには約1年間の期間があります。実はこの期間はSNKゲームの発売間隔としては極めて一般的ですし、その間もSNKはジャンルの異なる数本のゲームをリリースしています。しかしSNKには餓狼2を“100メガショック(ちなみに単位はバイトではなくビットですが (^^; )の凄いゲーム”として世に送り出すという明確な目的意識がありました。しかも初代餓狼リリースから4ヶ月後の91年3月にはCAPCOMから“ストリートファイターII(通称:ストII)”が発売されて一大ブームになっています。後発であるSNKとしては巻き返しに躍起になっていたはずで、そのため「ストIIの女性キャラクタ人気を受けて当初男性の忍者として開発中だったキャラクタを急きょ女性に差し替えた(【不知火舞】の誕生)。」という事もあったそうです。なお100メガショックの第1弾は餓狼2ではなく龍虎(92年9月リリース)です。

 餓狼2で一定の成功と手応えを得たSNKは、更にNEO・GEOを格闘ゲーム用ハードとして定着させるべく次なる手を打ちます。SNKは当初餓狼2の続編である餓狼伝説SPECIAL(通称:餓狼SP)を主力に据えていたようですが、しかしここでうれしい誤算が起こります。当初餓狼SP発売までのつなぎと言われていた“サムライスピリッツ”が空前のヒットを記録し、一気にNEO・GEOハードの販売台数を飛躍的に伸ばしたのです。当然その勢いは餓狼SPにも及び、この時点でSNKはCAPCOMと並び称される対戦格闘ゲームメーカーへと成長します。

 ただ当然ここまで来る間が順風満帆だった訳ではありません。餓狼2に先駆けて発売された“龍虎の拳”は、そのゲームシステムのマニアック性の高さからあまり一般受けはしなかったようです。また餓狼SPから5ヶ月後(94年2月)に龍虎の続編である“龍虎の拳2”が発売されるのですが、これもセールス的には今一つだったようです。(龍虎のゲームシステムのマニアックさが相変わらずだったのに加え、【ユリ・サカザキ】の登場でその世界観が崩壊して龍虎ファンの一部も見放した事が主な理由だと言われています。)これにより龍虎シリーズは、その後約2年間世に出る事はありませんでした。

 しかしそういう穴を埋めるに余りある出来事が94年の夏に起こります。この年の8月にSNKキャラ夢のオールスターバトルという意味合いの強い対戦格闘ゲーム“ザ・キング・オブ・ファイターズ '94”がリリースされたのです。我々がSNK往年の名作ゲームを挙げるとまず“侍魂”“餓狼SP”“KOF94”が挙がるのですが、要するにそういう名作がわずか1年ちょっとの間に立て続けに発売された事になります。

● 狂いだした歯車

 SNKに明確に転機が訪れたのは94年の秋です。この年の9月にSNKは“NEO・GEO CD”というハードを発売します。それまでのNEO・GEOはゲームソフトをROMで提供していたのですが、ソフトが高価になるという事でCDでゲームを提供する廉価版を作った訳です。この発想自体は決して間違ってはいなかったのですが、しかしSNKは結果的にこのハードで大失敗をします。何よりもこのハードには発売時点でNEO・GEOにゲームを供給していたゲームメーカー以外の参入がほとんどありませんでした。このためSNKは基本的には自社1社でNEO・GEO CDの話題性を維持しなければならなくなり、結果的にゲームソフトの乱発(=練り込み不足のままゲームを見切り発車で発売する)を始めたのです。

 その傾向はNEO・GEO CD発売直後から現れ始めます。同年10月に発売された“真サムライスピリッツ(略称:真侍魂)”は根強い侍魂ファンからかなりの反感を買い、セールス的にはそれなりだったものの一部ファンのSNK離れを促す結果を招きます。そしてこの傾向が95年3月リリースの“餓狼伝説3”で決定的となります。「こんなの侍魂じゃない。」「こんなの餓狼じゃない。」という批判意見は随分と聞かれ、一時期この手の話題を扱う掲示板(当時は商用ネットの会議室と言われたボードでした)が騒然となりました。真侍魂は1度アーケード版の発売が延期になったのですが、しかしCD版の発売時期が94年12月から結局動かなかったという曰く付きの代物です。(しかも真侍魂の発売スケジュールで最初に発表されたのもCD版の発売時期でした。)要するに“NEO・GEO CDの販促を考えると遅らせられなかった”のです。あと餓狼3は今でも語りぐさになっている“永パ(1度ある連続技を始めると、始めた側が失敗しない限り永久パターンが続き100%勝てるというバグ)”を作り込んでしまい、これにより対戦熱は一気に冷え込みました。

 更に悪い事は重なる物で、95年7月にリリースされた“ザ・キング・オブ・ファイターズ '95”は、そのゲームバランスの不親切さから一部ファンの不評を買います。しかしこのKOF95は【草薙京】【八神庵】という2大スターをこの世に送り出し、ゲーム自体をあまり遊ばない同人ファンの絶大な支持を得る事になります。(草薙京はKOF94からいるキャラクタなのですが、キャラクタとしての人気が定着したのは95になってからです。)しかも真侍魂はゲームシステムがどうあれ相変わらずキャラクタ人気でそれなりに売れている。この時点でSNKが「ああ、こういうゲームが受けるんだ(こういう作り方をすると売れるんだ)。」という勘違いをしてしまった、この事も後々の悲劇を招く1つの引き金になってしまう訳ですが。

 SNKは当時“餓狼”“龍虎”“侍魂”を3本柱に据え、KOFをその補助と考えていたようです。しかし真侍魂に対する酷評と餓狼3による対戦熱の冷却化は目を覆う物がありました。そこでSNKはこの汚名を返上すべく、95年の11月に“サムライスピリッツ斬紅郎無双剣(通称:斬侍魂)”を、同年12月に“リアルバウト餓狼伝説(通称:RB餓狼)”を相次いでリリースします。しかしこれがねえ・・・。RB餓狼の方はゲーム自体の出来はそれなりだったのかも知れないのですが、いかんせん餓狼SPを見て目が肥えてしまったゲーマーには不満の多い物だった訳です。(まあそれでも餓狼3よりはまし、という意見が多数派だったと思いますが。)要するにこの時点で龍虎だけでなく餓狼というシリーズにもケチが付いた訳です。そして何よりも斬侍魂が最悪でした。あれで侍魂ファンの相当数が侍魂というシリーズを見放したのではないかと思われます。ちなみに斬侍魂にはナコルルで可能な永パがあるのですが、今やれと言われてもできる位のお手軽さです(爆)。

 侍魂→真侍魂が1年3ヶ月に対して真侍魂→斬侍魂が1年1ヶ月。確かに見た目の開発期間はあまり変わらないようにも見えます。(侍魂の開発期間は正式には発表されていませんが、それまでの慣例通りだとすると1年程度だと想像されます。)しかし実際には侍魂に比べて真侍魂や斬侍魂はキャラクタが増えたりゲームシステムが複雑化しており、同じだけの期間で十分なデバッグができる訳もないのです。(侍魂が12人なのに対して真侍魂は15人。更に斬侍魂は13人×2モード×3タイプで78タイプあります。 (^^; )あるインタビュー記事によると、侍魂は6ヶ月間もキャラクタ同士の当たり判定のチェックに費やしていたという話が出ています。それだけの手間が続編に費やされたとは到底思えない訳ですが。

 そして96年になってSNKの“勘違い”は決定的な物になります。当時94年11月にリリースされたSEGAの“バーチャファイター2”が2.1にバージョンアップしてロングヒットを記録しており、要するにSNKはその2番煎じを画策した訳です。そしてやっちまいました。2D格闘で3D格闘を目指して大失敗した作品“龍虎の拳外伝(96年3月)”を発売してSNKファンから大ひんしゅくを買うのです。このゲームのゲームセンターでの実働期間は多分1ヶ月無かったと思います。この作品でついに龍虎シリーズは実質的な幕を下ろす事になり、それ以降龍虎シリーズの作品はリリースされていません。なお、この失敗をSNKは同年7月リリースの“ザ・キング・オブ・ファイターズ '96”で多少リカバリしますが、その年の10月にリリースした“サムライスピリッツ天草光臨”が賛否両論真っ二つに分かれ、要するに否定派が更に侍魂から逃げ出した訳です。ちなみに私が侍魂シリーズを完全に見限ったのはこの頃です(汗)。ちなみに餓狼は既に餓狼3で嫌になっていましたが(核爆)。

 この時点でSNKは自社ゲームの3本柱すべてを失い、残るはKOFシリーズだけとなっていた訳です。しかしこの事にSNKが反省して動きを起こす気配は無く、この後SNKは文字通り“昔の栄光を飯の種に細々と食いつなぐ”生活に入ります。

● 新しい動きを起こすも・・・

 97年のSNKは話題に乏しい状態がずっと続いていました。1月に“リアルバウト餓狼伝説SPECIAL”をリリースしたのですが、人気作品である餓狼SPではなくRB餓狼を焼き直してのリリースではゲーマーは飛び付かなかったのです。話題作といえるのは7月リリースの“ザ・キング・オブ・ファイターズ '97”位なのですが、これも過去のKOF人気から見るとちょっと見劣りする印象が拭い切れません。そう言えば新しいゲームに登場する新キャラクタがあまり話題に登らなくなるのもこの頃からかな。KOF96で登場したレオナはかなり良い感じだったのですが、あれも結局は“綾波のパクリ”だったりするので。 (^^;

 この年SNKはNEO・GEO以外の自社ハードの開発を発表します。ハイパーネオジオ64を名付けられた新ハードで発売された最初のゲーム、それは“侍魂64(97年12月)”でした。要するにハードは新しくなっても相変わらずナコルル人気(とまで言い切るのは語弊があるかも知れませんが)に頼らざるを得なかったのです。また同じ月にNEO・GEOで新シリーズ“月華の剣士”がリリースされます。この2作は同人方面ではかなりの人気を博したのですが、それでもSNKの台所事情を改善させるまでには至らなかったと思われます。

 この部分は私個人の推測なのですが、多分SNKはこの時期に“NEO・GEOからの決別”をしたかったのだと思われます。ハイパーネオジオ64を主力機種にする事でNEO・GEOへのソフト供給を停止し、同時に「ROM版もCD版も含めて家庭用ゲームは出しません(その他のメーカーが出している家庭用ゲーム機で出します)。」とやりたかったのではないかと思っています。特にCD機が与えたSNKへの負荷は相当な物だったと思われます。しかもCD機は表向きNEO・GEOと100%互換を売りにしていたのですが、実際はそうではなかったのです。(この話をご存知の方は決して多くないのではないかと思うのですが。)だから一部のゲーム(例えば“わくわく7”)はCD機では出なかったし、また密かに焼き直しをして発売された物(具体的に言うと龍虎の拳外伝)もあるのです。

 98年以降のSNKは、完全にターゲットを同人に絞ってゲームを開発していた印象があります。しかもハイパーネオジオ64はソフトの不足からゲームセンターでの稼働率が悪く、ゲーム自体の面白さという点でもどんどん疑問符が増えていく有様です。そしてSNKは現在、自社の大きな資産であるゲームキャラクタをCAPCOMに切り売り(!?)してまで生き残りを図っている訳です。

 ・・・という事で、以上で本題に入る前の予備知識編を終わります(汗)。ごめんなさいね長くて。 (^^;;; でもこれでも言いたい事の半分も書けてないのですが(嫌爆)。

● 何が悪かったか、皆で考えてみよう(ぉ

 私自身上記の振り返りを書きながら、今更ながら「ああ、そうだったのか!」と気が付かされた事が幾つかあります。

 まずSNKの最初の失敗は「自社ゲームのファンを続編でつなぎ止められなかった。」という事です。これは侍魂シリーズの変遷に一番良く現れています。初代侍魂はかなり画期的なゲームで、これでSNKのファンになったゲーマーは相当数います。ところがSNKは“侍魂の何がゲーマーに受けたのか?”を分析しないまま続編である真侍魂を作ってしまいました。我々は侍魂の持つ必殺技に依存しない大斬りの一撃必殺の緊迫感、突き詰めれば突き詰める程奥が深いゲームバランス、そして負けたキャラが真っ二つになって果てていく無情さが良かったのです。ところが真侍魂では派手な演出付きの必殺技の応酬が始まり、相手の武器を壊してみたり自分がぬいぐるみになってみたりと「お前ら同人か!」と叫びたくなるような仕掛けが次々と入りました。(流石に背景の月に“NEO・GEO”と書かれているのを見た時にはデザイナーに殺意すら抱きましたが。)しかもストーリー上で人気キャラであるナコルルをあっさり生け贄にして殺しておきながら、その次作(斬侍魂)に何事も無かったかのように登場させているのです。要するに「真侍魂でナコルルを消してみたけれど、ナコルルに取って代われるだけのキャラクタが作れなかったので現状維持。」という事らしいです。なお、この話の裏に“アイヌの方々とのゴタゴタ”があるという噂もあるのですが、今や真相は闇の中です。(別にアイヌの方々がナコルルの使用に直接抗議したという訳ではないのですが。この話は語り出すと更に長くなるので今回は割愛します。 (^^; )

 それと「自社ゲームで掴むべきターゲットの客層を途中で変えてしまった。」というのもあります。最初にSNKがターゲットにしたのは、それこそ毎日のように対戦に没頭するコアゲーマーだったはずです。だからそういう突き詰めた対戦にも耐えられるだけのゲームシステムを構築したし、実際初期のSNKにはそれができたのです。それがどういう訳か途中からターゲットがナコルル目当てに集まって来たヲタクゲーマーに変わり、ついには同人関連のファンしか見なくなった。私にはそういう風にしか思えません。しかしこれでは侍魂や餓狼SPでSNKのファンになったゲーマーは残らずSNKを見放すでしょう。要するにSNKという会社は、企業として最も大事にすべき顧客という資産を一旦すべて白紙に戻しているのです。それで会社が傾かない方が普通はどうかしています。

 また振り返りの章には書かなかったのですが、SNKを始めとする各ゲームメーカーがある雑誌出版社(具体的に言うと今は無き新声社という駄目出版社)と結託して実施した“勝敗至上主義を煽る宣伝”も、結果的には自分で自分の首を絞めました。「対戦に勝つには待て or ハメろ!」というのは、要するに“対戦相手には何もさせずに自分が好きなだけ暴れて勝つ”事を推奨した表現です。そんな対戦が面白いはずがないでしょう?。どんなにそのゲームが面白くても、人間が作ったプログラムである以上必ず穴は存在します。SNKを始めとするゲームメーカーはそういう穴を無くす努力をせず、あまつさえ「このゲームにはこういう穴がある。つまりこのキャラを使ってこう戦えばほぼ10割勝てる。さあ皆で実践しよう!」とやってくれた訳です。しかもそれを真に受けて対戦ではなく“勝つための作業”をしにやって来るプレイヤーで対戦台は今日も盛況。そんなプレイヤーしかいないゲームセンターで誰が対戦なんかしますかって!。

 まあこれだけ自社ゲームの寿命を短くする(&自社の風評を叩き落とす)おバカな行為を積み重ねれば、一時期SNKという会社がどれだけ多くのファンを獲得したにせよ皆逃げ出しますって。実は私はそういう意見をそれこそ格闘ゲーム全盛の時代に声を大にして発言してきた経歴があるのですが、結局は誰も聞き入れちゃくれなかった訳です。それで格闘ゲームというジャンルが以前よりも賑やかになっているならまだしも、実際にはもう今にも火が消えそうじゃないですか。これはSNKファンに怒られるかも知れないですが、私個人は今のSNKにかける言葉って「ざまあみろ!」以外の物が思い付きません。どこをどう考えてもSNKの現状は“自業自得”なのですから。

● SNKの事例から Magic を考える

 以上の内容から、なぜ私が Magic の将来を憂いているかお分かり頂けたのではないでしょうか。続編が旧来のファンをつなぎ止められなかった。メーカーが途中で顧客ターゲット層を変えた事で昔からのファンが見限ってしまった。そして何よりもバランスの悪いゲームで勝敗至上主義を煽った事で息が詰まって逃げ出したプレイヤーが続出した。要するに今の Magic と全く同じ事が昔格闘ゲームでは起きていたのです。

 そしてこの話は同時に「なぜ我々が『勝敗に拘らずに Magic を楽しもう!』と口を酸っぱくして繰り返すのか?」そして「なぜその手段としてヴィンテージを薦めるのか?」という部分にも通じるのです。勝敗至上主義は最終的にはその遊びを衰退させてしまう、そういう歴史があるからです。そして本当に面白かった時代の Magic を遊ばないと Magic の真の面白さは分からないからなのです。私は別に構築戦や限定戦による競技 Magic の推進そのものを否定する訳ではありません。いや、むしろ格闘ゲームが“競技化”できずに衰退した歴史を知っているからそれを歓迎しているのです。ただ競技だけでは皆間違いなく息が詰まってしまうし、面白くないから結局止めちゃうのです。だから同時に“ Magic を楽しむ”事を常に考えて欲しいし、そのためにヴィンテージを遊ぶ事を私はお勧めしたいのです。

 多分侍魂や餓狼SPを現役で遊んでいた方々は、まさかたった7〜8年でSNKがこうなってしまうなんて誰1人想像しなかったと思います。私だって「このままでは格闘ゲームというジャンルが遊ばれなくなってしまう!」という危機感はありましたが、まさかSNKという会社自体がああなる程深刻な事態に陥るとは夢にも思いませんでした。でも実際問題として、我々がこういう話題を話す時に槍玉に挙がる“戦犯”達は残らず苦境に立たされています。格闘ゲームの主なメーカーは揃って何らかの形で経営の刷新を求められており、当時対戦での勝利至上主義を煽って雑誌の売り上げを伸ばした新声社はもうこの世にありません。そして何よりも我々格闘ゲーマーは、最近では昔のゲームの焼き直しを定期的に渡され、それを遊ばされているだけです。しかし昔植え付けられた“勝利至上主義”から誰も脱しようとしない。だから私はゲームセンターには行かなくなってしまったのですが。

 先日久しぶりにゲームセンターに行ってきました。ゲーセンでの主役は今ではすっかり音ゲーと大型筐体で遊ぶ派手な演出の物に奪われ、結局私がゲーセンにいた間には1度として対戦を見る事はありませんでした。侍魂や餓狼SPを喜々として遊んでいた頃にタイムスリップして、当時のゲーマー達に「ねえねえ、2001年はこうなってるんだけど、どう思う?」と聞いたら、彼らはどういう顔をするでしょうか?。それでも彼らは“待ってもハメてもいいから勝つ!”なんて台詞を堂々と口にできるでしょうか?。格闘ゲームはメーカーと商業誌、そしてゲーマーがこぞって潰してしまった業界です。その二の舞を Magic には決して踏んで欲しくない。それが私の心からの祈りです。

参考文献:ネオジオフリークサポートページ(非公認)
http://www.rikkyo.ne.jp/esd/yoshikun/index.html


   
なお、このページの内容に関する文責はすべて私 あいせん にあります。