アンチ巨人のお話 
 
 最近ずっと気になっている素朴な疑問を書いてみます。

 ここ数年、日本のプロ野球の人気低迷が話題になっています。特に今年はヤンキース入りした松井選手の話題に押されたのもあってか、巨人の開幕戦の視聴率が過去最低レベルだったそうです。噂では巨人の系列企業である日本テレビすら巨人戦の人気低迷に半ば匙を投げたという話も出ている位です。(実際に少し前から、それまで独占していた東京ドームでの巨人戦のTV中継権を他局に渡していますし。)で、私の素朴な疑問というのは「こういう状況をいわゆる“アンチ巨人”と呼ばれる人達は一体どう思ってるのだろうか?」という事なんです。

 実を言うと私自身もアンチ巨人だったりします。しかも昔は巨人ファンだったけど色々あったゴタゴタで巨人が嫌いになり、他のチームを応援する訳でもなくとにかく巨人が嫌いという、本当に極めて典型的なアンチ巨人です。というか、正確に言うと私個人は“某新聞社のトップが死ぬほど大嫌い”なのですが(爆)。私自身は実を言うと「巨人なんて球団はなくなればいい。」という発想を持っています。だから自発的に野球中継は見ませんし、巨人の事を自分から話題にする事もありません。それが自分に取っての最善手だと思っているからです。ですから私個人は現状をある意味で歓迎していたりします。だってこの時期になると野球中継で面白かったレギュラー番組が放送されなくなったりするじゃないですか。私はあれも嫌いなのです。

 じゃあ世の多くのアンチ巨人も同じ発想なのでしょうか。どうも私はそうじゃないんじゃないかという気がしているのです。巨人戦の視聴率が落ちている。それって実はアンチ巨人と言われる人達も減っている事の現れなんじゃないか。そんな気がするのです。もっと言ってしまうと“巨人というか日本のプロ野球が世の関心事ではなくなってしまった”という事になるでしょうか。そしてそういう状況を実は残ったアンチ巨人は決して好ましい事だとは思ってない。そんな気もするんです。巨人は強いし人気もある。だから悪口の言い甲斐があるし負けるのを見るとスカッとする。言い方は悪いかもしれませんがそんな感じです。しかし今の巨人の悪口を言ってもひょっとすると弱い者いじめにしかならないとしたら、さすがに多くのアンチ巨人の口が重くなっちゃうのではないでしょうか。

 アンチ巨人な人達って自分達が飛ばした野次とか批判に対するリアクションって期待してないですよね(笑)。だって例えば某匿名板に巨人を野次るスレッドができたとして、そこに毎日のように原監督や選手がやってきてコメントしたりとか、巨人のWebサイトに発言に対する遠隔レスが書かれるなんて考えられないじゃないですか。 (^^; 結局のところそういう野次って別にそれで巨人をどうこうしようとか、それこそ日本のプロ野球を変えたいとか、そういう意図はほとんど全くないんですよ。ただ何となく野次りたい。それで自分自身の実生活での鬱憤とか憂さを晴らしたい。その不満をぶつける相手としてたまたま巨人を選んだ。そういう事なんじゃないでしょうか。じゃあそういうファン(!?)に対して巨人はどういう球団であるべきなのか。その答えは単純明快です。それこそ周囲からの野次にはびくともしない、というかそもそも聞く耳すら持つ必要はないはずです。しかしアンチ巨人の不満を受け止めて結果として日本のプロ野球を盛り上げるためには、やはり彼らは強くなければいけないのです。他球団を寄せ付けない強さを持って、なおかつ人気もある。だからこそアンチ巨人は野次り甲斐があるのです。そしてこれは一部プロ野球ファンに怒られるかも知れませんが、だから“アンチ阪神”というファンは話題にならないのです(爆)。

 アンチ巨人も巨人ファンのうち。アンチがいるのは巨人が強い証拠。こういう話は昔から言われているのですが、それはやはりそんなに間違ってはいないのだと思います。ただちょっと考えてみたのですが、少なくともある人がアンチ巨人という立場でいる限り、その巨人がどれだけ強くなろうが人気が出ようがその人自身には何1つメリットがないはずです。だってアンチ巨人を名乗る人間がノコノコと巨人の優勝記念セールに行けますか?。 (^^; 私だったら絶対に行きませんね。それだったら巨人のライバル球団を精一杯応援して、その球団の優勝記念セールに堂々と出かけた方が気分がいいと思うのです。結局のところアンチってネガティブな意味での執着なんですよ。なんか私個人は自分のエネルギーをムダに費やしてるみたいで嫌ですね。ましてや巨人を野次るために全選手の顔と背番号を覚え、すべてのTV中継を見て新聞まで読む。そんなのムダだと思いませんか。だから私はアンチ巨人としての活動を一切やめました。

 人間が生きていくためには“こだわり”は大事だと思います。でもこだわった結果がより自分にポジティブに返ってくる、そういうこだわり方を私はしたいと思っています。私はよくK−M氏辺りとゲームの話をするのですが、これも基本的な発想はそんな感じです。自分が本当に好きで、笑って取り組めるゲームや話題を得たい。私は特に最近はそういう視点を常に持つようにしています。ちなみにですから最近、私は自分の部屋のTVを切っている時間が増えましたし、巡回するWebサイトも随分と減りました。本当に自分に取って必要な情報なんて、吟味してみると実はかなり限定されるのですよ。