ゲームという人格とその人生 
 
 今回は、ある住職さんから伺ったお話を元に、人の人生と照らし合わせてゲームの生涯を考えてみよう、というお話です。

 我々は一般に、人の一生を「この世に生を受けてから命が終わるまで」と考えていると思います。もっと厳密に言うと「へその緒を切られてから心停止か脳死するまで」となるでしょうか。実際それは一般的な定義としては正しいはずなのですが、しかし別の見方をすると100点満点とも言えないようです。まず人の生涯の始まりというのは、父親と母親が○×△□な事をして (^^; いわゆる受胎という形で人が形成され始める、実はそれ以前のところから既に始まっていたりします。両親が「子供をもうけよう」という明確な意志の元に授かった子供もいるでしょうし、中には「あ、できちゃった!」な子供もいるはずです。 (^^; そしてその多くが、生まれる前から「こんな子に育ってくれるといいなあ」的な期待を持たれてこの世に生まれてきます。じゃあ終わりはどうなのか。ある個人の心臓の鼓動が止まり脳死状態になり、そして荼毘に付されて骨になってお墓に入る。法律的にはそこで終わりなのですが、実際はそうでもありません。少なくともその親族や知人がその故人の思い出を抱き続けている限り、その人は没後も様々な形でこの世に影響を与え続けます。ましてや有名な著作物を残した人などは、それこそ数百年とか数千年の間、多くの人々に多大な影響を与え続けるのです。これで本当にその個人が亡くなり、完全にこの世から消え去ったと言えるのか、我々はちょっと疑ってみてもいい気がします。

 また我々は自分が生まれた時、誰一人として「自分は将来こういう人間になろう」という明確な意志を持って生まれてはいないと思います。つまり我々は自分という人間の設計図を持たないままこの世に生まれてきています。ところが我々の周囲はそうは思っていません。「素直な子に育ってくれれば・・・」「将来は絶対にサッカー選手にしよう」など、様々な形の設計図を用意している場合がほとんどのはずです。そして我々はどう足掻いても、その周囲が用意した設計図から完全に逃れることはできないのです。少なくとも国は「ちゃんと国民の義務として、子供の時は教育を受け、大人になったら仕事に就いて税金を納めなさい。」とか言いますし、親や親族だって我々がやる事に何がなんでも賛成するわけでもないでしょう。それは周囲が我々個人に対して用意した設計図に対して、それにそぐわない行動に出ようとしたからなのです。ちなみに、これが実を言うと“因縁”と言われる物の正体なんだそうですが。

 例えばあなたが何かのきっかけで「世界一有名なプロ野球選手になってやる」という夢を持ったとしましょう。そうするとあなたには「自分の周辺の人達をその夢で説得する」という行為が必要になります。でも周囲の人達はあなたに対して全く違った夢や期待を持っていて、そういう設計図を既にあなたに当てはめてしまっているかもしれません。周囲が一旦用意してしまったその設計図を訂正をしてもらって、今後はあなたの夢の実現を応援するか、最低でも黙認してもらう。そういうプロセスをいつかは経ないと、あなたはその夢の実現に安心して歩み出せないのです。そしてその説得作業が一通り終了したか、あるいはできなくても見切り発車が可能な状況になるかしたら、いよいよ夢の実現に向けて具体的な行動に出ます。しかしここでも周囲から色々言われるでしょう。あなたが夢の実現のために描いた自分自身の設計図とは別に、周囲の人達は「こうすればこいつはより早く&確実に夢に近づけるに違いない」という新たな設計図を勝手に書き起こしてしまっているからです(笑)。だからあなたがその設計図に当てはまらない行動をすると色々言ってくる。実はスタートの時点と状況はあまり変わっていないのです。そしてこういう状況は半ば半永久的に続くので、あなたはそれに関しては半ば諦めるしかありません。 (^^; 

 こういう周囲とのやり取り、あるいは葛藤と言ってもいいかも知れませんが、これを我々はそれこそ生まれる前から死んだ後まで延々と繰り返し、そして自分の人生を構築していると思われます。周囲の期待が大きかった子供は、それこそ生まれる前から周囲の人達が自分に対して勝手に思い描かれた数々の設計図との葛藤を余儀なくされます。また生前にこの世に多大な影響を残した人は、その死後にすら「こいつの思想は間違っている」とか「この作品は駄作だ!」等といった周囲からの批評と戦わなければいけないのです。そしてそれが続く限り、ある個人の人生が終わったとは言えない状況は延々と続くのです。時には故人が意図しないところで、後世の人達が勝手にある人の言動や評価を書き換えてしまったりもします。 (^^; でもそれはまさに、その人がまだ現世で生きていた頃と同様の人生を送り続けている、まさにその証明なのです。

 さて、イントロが長くなりすぎたので (^^; そろそろ本題に入りましょうか。では我々人間は自身の人生をどう設計し、その設計をどう実現させているでしょうか。これは良く人生における一般論として言われる話ですが、人間は自分1人では存在し得ません。少なくとも両親がいてこそ生まれてきている訳ですし、その両親もそれこそ多くの人達の縁によって生まれてきています。これは人生の継続においても同じです。働いて自分でお金を稼ぐようになるまでは、親や親族の様々な支援を受けて生き長らえていますし、働き始めてからも実に多くの人達の支援を受けているはずです。つまり人間というのは人生において“誰かの支援を受けるのが当たり前”ですし、同時に“誰かの支援をするのも当たり前”なのです。ただだからといって、支援を受ける事だけを当然だと考え、それに何らの感謝も持たない。そういう人間は恐らく十分な支援を受けられずに人生を送ることになると思います。支援への感謝無き者に新たな支援はしたくない。それはあなた自身にだって身に覚えがあるでしょう?

 ところがゲームという人格は、どういう訳かある日突然、この周囲の存在をきれいサッパリ忘れ去る、あるいはリセットをしたがる傾向にあります。あの某TCGにある“ Standard 落ち”なんて発想はその典型になるでしょうか。2年前に君達から受けた恩恵には感謝している。でも僕たちは新たな金儲けがしたいので、2年前に君達と結んだ縁はバッサリと切ります。もし私とそれでも縁を結び続けたいのであれば、もう一度あの時と同程度かそれ以上の金を私によこしなさい。まさに発想としてはそんな感じでしょう。しかもあの会社は、その理由として「ユーザーがこのゲームを新鮮な感覚で遊び続けられるように」なんて寝言をいけしゃあしゃあと言いやがるのです。 (^^; じゃあ実際問題として、そんな身勝手な言い草しかしない人間に周囲はどれだけ継続的な支援をしてくれるでしょうか。多分恐らくはその2年という期間、あるいはそれ以前に支援が打ち切られるのが自然です。だから売れなくなる。こうやって考えてみると当たり前なんですよ。

 それとあるゲームがこの世に出てある程度の成功を収めるには、間違いなくユーザーという周囲の人達の支援が絶対に必要です。しかしそういう人達は何も無償で、あるいは完全な善意でそのゲームを支援しているわけでもありません。お金を出す以上その人達にも“意図するところ”があるのです。もっと言うと、ユーザーはそのゲームに自分なりの希望あるいは設計図的な物を描き、その実現を期待するから資金や時間を提供してくれるのです。ですから実際のゲームがその設計図通りにならなければ当然のように文句を言うし、場合によっては見限って支援を打ち切ってしまう。これって人間同士の関係と何ら変わるところがないのです。でもゲームという人格は、時として1年前とか半年前に世に示した自身の計画とか、あるいは設計図的な物を、意図も簡単に変更してしまったりします。それも単なる自身の維持・継続のためとか、短絡的な金儲けのためにそうしている例も少なくありません。そんな人間に誰が継続的な支援をしたがるでしょうか。普通ならそんな人間は周囲から総すかんを食らって干されるのが当然なのです。

 我々はある特定の個人と、それこそ10年とかそれ以上の長い付き合いをしている人が大多数だろうと思います。しかしどういう訳かゲームとはそれができない。そりゃあそうなのです。何しろゲームという人格は自身の金儲けにしか意識が向いていなくて、しかも半年単位で言うことがコロコロ変わったり、2年も経つとこちらが与えた支援を忘れちゃったりするのですから。 (^^; これじゃあある意味飼い犬の方が数倍ましな気すらしますよ(笑)。要するに世に出ている多くのゲームが、人格的に言うと“身勝手”“利己主義”そして“優柔不断”だったりします。“薄情”なんかも当てはまるかな。そんな人間と継続的な付き合いをしたり、ましてや金銭面での支援をしようなんて人はそんなに現れない。だから売れなくなる。結果としては当然なのです。こんな人間に付き合うだけの魅力があるとは思えないですし、またそれに魅力を感じる人はちょっと自身の眼鏡の曇りに気が付くべきでしょう。別にあなたがそういう人間と付き合うことをとやかく言う気はないですが、少なくとも「こいつはいいやつだ」とか言って、周囲にまでその人との付き合いを勧めちゃうのはどうかと思います。そして実際に多くのお店が付き合いをやめてしまったゲームが過去には星の数ほどあって、要するに“売ってもらえなくなってこの世から消えた”という結果になっているのです。ユーザーに比べるとお店は付き合う相手の吟味がシビアですので。

 あるゲームを売って長く儲けを出そうと思うのであれば、そのゲームを1つの人格と考え、どうすれば魅力があって末永く付き合ってもらえるか、それを考えて一連の施策を打ち出す。本来はそういう発想や工夫がメーカーには必要なはずなのです。しかし現実のゲームは、その大部分が耐久消費財的な発想でしか売られていません。数年とかそれ以上付き合うつもりでゲームを買ったのに、メーカー側の意図で数ヶ月しか寿命を持たない物を掴まされてしまった。こんな経験を何回か積めば、誰だってゲームという商品そのものに不信感を抱いて買わなくなりますって。最近特に思うのですが、現在ゲームを作っているクリエイター達って、自分が作っているゲームを自身がお金を出して遊ぶ立場になったとして、そのゲームにお金を使おうという気に本当になるのでしょうか。もしそういう発想が少しでもメーカー側にあれば、例えば売り方とか価格設定なんかにもうちょっと工夫が見られても良さそうな気がします。現実には「俺を儲けさせてくれるヤツだけ付き合わせてやろう」という高慢なゲームが世の中には少なくなくて、案の定そういうゲームは付き合ってくれる人が少なくて淋しい状況になっている。私個人はそんな気がしてしょうがないのですが。こういう発想が改まらない限り、ゲームという業界全体がいずれ滅んだって何ら不思議ではないでしょう。

あいせんの“本音の部分”

 いわゆる“ガンダム”という業界が成功している最大の理由として、やはり「自分が好きな世界が半永久的に維持されている」というのがある気がします。私はガンダムの最新作は全く見ていないですが、しかしガンダムという世界には今もお金を出し続けています。言ってしまうと私にとって、ガンダムという人格はある意味不偏であり、なおかつ私が本当に好きだった頃の様子を今も維持し続けてくれています。しかもガンダムという世界感そのものには何の私利私欲もなく (^^; その一方で発売される商品は今も成長や進化を続けています。つまり我々ユーザーは極めて自発的にガンダムにお金を使っているわけです。ところがその一方で、言ってしまうと「ファースト〜ZZは今年一杯で絶版とし、今後新商品は一切出しません。」と言い出す業界も世の中にはあります。じゃあそれでうまく行っているのか・・・あまりそうは見受けられません。これだけ創生期にクリエイター達が心血を注いで生み出した魅力的な人格が存在したならば、なんで後世のメーカーはそれを大事に活かして商売をしようという発想にならないのでしょうか。

 多分皆さんにも経験があるかと思うのですが、私個人も何例か「あの商品が無くなった、あるいはあの店員さんがいなくなったのなら、あの店に行く理由はもう無いな。」と言って、馴染みの店に行かなくなったケースがあります。魅力のある商品や覇気のある店員さんがなくなった店というのは、明らかにその対外的な人格が変貌しています。その変貌した後の人格に魅力を感じられるか否か。我々はそれによってその店とのその後の付き合い方を決めているだろうと思います。これはゲームにしても基本は同じはずです。つまり逆に言えば、年月を経てもゲームという人格の変貌が少なければ、昔獲得したファンを失うというリスクはかなりの部分防げるはずです。ちなみに飽きる/飽きないはそれとは別の問題であり、それは工夫次第でどうにでもなるのです。少なくとも「お客さんに飽きられるのが怖いので、うちは来年早々に店のスタッフを一新します。」なんて店はこの世に存在しないでしょう。 (^^; その点コンビニは商品やスタッフの入れ替わりが激しいですが、それ故馴染み客の獲得には難儀しているはずなのです。

 例えばジブリの最新作が劇場公開される前に、過去の名作がTVで放映される。こういうやり方がうまく行くからそうしている。これは間違いないだろうと思います。そして我々はどういう訳か、それこそ名場面ではセリフを暗唱できるまで見倒した作品を、しかしそれでもTVの前に張り付いて見てしまう。 (^^; 人の嗜好なんてそういうものなのです。あと皆さんにも数年前に買って今でも遊んでいるゲームという物があるだろうと思います。もしそのゲームが何らかの理由で壊れてしまい、しかも同じゲームが昔よりも格安に購入できるとしたら、多くの人がその同じゲームを再購入するのではないでしょうか。実際にガンプラなんて業界はある意味そういう部分で維持されているのです。そういう成功事例がある反面で「もう過去の作品は売りません」とか言っちゃうゲームもある。これはあまりももったいなさ過ぎるし、何よりもゲームという人格の豹変に多くのファンが付いていけなくなる要因になり得るのです。しかも現実にはそれでうまく行っていない事例の方が多いわけですし。

 例えばTCGが「昔のカードも継続的に販売され、最新のカードと混ぜずに遊べる仕組みが整えられている。」なんてシステムで売られれば、もうちょっと賑やかな市場が維持されて継続的な発展が期待できそうな気がするのですが。人間だって日々進歩しているわけですが、でもだからと言って自身の昔の人格や存在を否定したりはしないでしょう。むしろ昔からの蓄積があってこそ今の自分がいるわけですし。もうちょっとゲームは、自身が過去に積み重ねてきた歴史を大事にして欲しいと思います。過去に学ばない物に未来はないし、結局は過去と同じ失敗を繰り返して滅ぶ運命にあるのですから。

   

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