神河物語を考える 
 
 今回は“神河物語を成功させるために”というお話を。

○  Magic の作られ方・売られ方

  Magic というゲームは、それこそ1993年の発売以来、基本的には「俺達開発スタッフが好きで作った物を遊びなさい! > ユーザー」という姿勢でカードを発売してきたと思われます。そしてそういう姿勢は少なくとも Mirage サイクルの頃までは、ほぼすべてのユーザーに受け入れられてきた印象があります。ところがその後はそういうWoCのやり方を好ましく思わないユーザーが少なからず現れ、現在ではそういう Magic に嫌気が差して多くのユーザーが Magic を去るに至っています。本来創生期にあってユーザーを獲得する立場にあるゲームと、円熟期に入ってユーザーを維持する立場にあるゲームでは、間違いなく新製品に対する発想やアプローチは違ってくるはずです。しかしそれにしても Magic は、創生期になぜ Magic がある程度成功したのか、あるいは人気を得たのかという視点があまりにも欠落しすぎている気がします。

 私が知る Mirage が出る以前の Magic は、1つのエキスパンションがデッキに劇的な変化を与えるケースは少なかったはずです。いわゆる“5大デッキ”に入るパーツに変更があったり、その他のカテゴリーのデッキが若干強くなったり弱くなったりする。その程度の影響で済んでいたのです。ですから私のような「ウィニーしか見てません。」なんてデュエリストでもちゃんと戦えたし、続けるための負担もさほど大きくはなかったのです。ところが Magic がエキスパンション・ブロックという思想を採用し、1年周期で新しいカードを発売する中で、どういう訳かそれまで活躍していた(正確に言うと活躍できていた)デッキ・カテゴリーが次々に使えなくなるという現象が起こり始めます。それこそ1年前のデッキの知識が時代遅れになる。今はそんな感じですよね。それはすなわち“デュエリスト個人の資産や時間あるいは知識までをも使い捨てさせる”訳で、少なくとも創生期の Magic にはなかった思想なのです。

 これが私に言わせると“ Magic が変わった”事の1つの大きな論拠となると思います。もっとはっきり言っちゃいましょうか。やはり昔に比べて Magic は“商業主義に傾きすぎた”と言えるだろうと思うのです。新しいカードをどんどんオーバーパワーに、あるいは昔では到底考えられない能力のカードを作り込むことで、特に勝利に固執したデュエリストに次々と新しいカードを買わせようとした訳です。しかしそれで成功してくれればまだ良かったのですが、結果は皆様ご存知の通りのまさに“惨敗”です。昔のカードが好きだったデュエリストは Magic を離れ、その損失を補うだけの新規プレイヤーを獲得できなかった。もうその時点で Magic の負けは事実上決まっていたと思われます。

 それと特に最近の Magic において、カードイラストの無個性化は多くの方々の目に現実の物として映っていると思います。一応データによる比較をしてみると、例えば Mirrodin と Arabian Nights においてイラストレーター1人当たりが担当する平均のカード枚数はほぼ同じ(約3.9枚/人)だったりします。でもそのラインナップというかバラエティの豊富さという点で、恐らく Mirrodin は Arabian Nights の足元にも及ばないでしょう。(これは単に私1人の主観ではなく、複数の方にカードイラストを見ていただいて得た感想でも裏付けられています。)あと私個人が伺っている限り Mirrodin には Amy Weber 級の人気イラストレーターというのは現れていないと思います。これにしてもWoCは人気が出てきたイラストレーターから順番に首を切ったり仕事を干したりしている訳で、むしろそれでも過去に人気イラストレーターを獲得できている事が奇跡だとすら思われますが。

 別にイラストを画一化する事、それそのものはさほど問題ではないのです。それで Pok?mon みたいに多くのファンを獲得できるという裏付けや自信があるのならね。ただ少なくとも創生期から Mirage サイクルの頃の Magic というのは、カードイラストを多様化させる事で結果として多くのファンを獲得できていたはずなのです。そして私みたいな白というかお姉ちゃんカードにしか興味がない人間と (^^; 黒や青一本やりの人達とのトレードが頻繁に成立した。あるいは“デュエリスト間の利害関係が一致しやすかった”と言い換えてもいいかな。そういう状態だったのです。しかし昨今の Magic はそうなっていません。それに加えて昔よりも遙かに勝利至上主義が進み、それこそサイカトグや親和といった流行のデッキパーツ以外のカードに全く興味が及ばない。これはもはや“トレーディング”カードゲームとは呼べない状態なのです。TCGがトレードという魅力や楽しみを失った。これで売れなくなるのは当たり前でしょう。

○ 大いなる挑戦か、無謀な賭けか。

 さて、そういう形で Magic が既に“トレーディング”カードゲームとしての機能あるいは人気を半ば失っている、そんな中で神河物語は発売されようとしています。さすがに私みたいな現状に批判的な人間でなくても「こりゃあ簡単にはうまく行かなさそうだな。」という感想を持たざるを得ないだろうと思うのです。 (^^; 競技で使える強いカードが出れば売れるだろうし、そうでなければ売れない。そういうここ最近の Magic の歴史を同じように繰り返して終わる。そう考えるのが普通は自然だろうと思います。

 神河物語は、恐らくは従来の Magic に無かったコンセプトのカードイラストで埋め尽くされるのだろうと思います。問題はこれが Magic の拡販にとってプラスになるのかマイナスになるのか、という事です。で、実際問題として今の Magic は“最近のイラストがそれなりに気に入っている人達”と“イラストになんか興味が無く Magic と付き合っている人達”という2種類の人種がメインになるだろうと思います。昔はここに“熱狂的な Magic イラストのファン”というカテゴリーがあって、それこそ Magic というゲームをかなり強力に買い支えていたはずなのですが。ですから“神河テイストのカードイラストを好む人種”というのは、現時点ではあまりいないと考えていいだろうと思いますし、ましてや“神河テイストのイラスト目当てに猛烈に Magic を買いまくる人達”というのは皆無だと思って間違いないです。少なくともWoCがそういうユーザーの有無を過去にマーケティング・リサーチしたという歴史はないはずです。ですから私に言わせると、これはどこをどう考えても“無謀な賭け”以外の何物でもないです。

 じゃあWoCが神河物語を「これはいける!」と判断して発売を決めた根拠は何なのか。それはやはり「ラストサムライや千と千尋が欧米で大ヒットした。」という事実がそのバックボーンになっている、そう考えざるを得ません。つまり結局のところ“欧米人の趣味や趣向”を最優先にして決められた話なのです。ただそれでも、そういった超大作のヒット原因をきちんと分析して製品に反映させれば、それらと同じ理由で神河物語がヒットできる可能性はあります。ただし、それには幾つかの前提条件が必要になるでしょう。まず Magic が未経験者にも気軽に手を出せる敷居の低いゲームに生まれ変わること。更に Magic というゲームの存在をより多くの人達に認知してもらうこと。要するに“外部から多くのファンを獲得する”事が、神河物語やひいては Magic そのものの成功につながるのです。現在既に Magic に関わっている内部の人間が例え神河物語を100%支持しても、それで市場規模や売上は現状維持にしかなりませんし、現実問題としてそれは不可能です。そしてこの際なのではっきり言いますが、この程度の規模の市場を“現状維持”してもしょうがないです(笑)。

 ゲームというのは、発売当初の勢いである程度のファンを得て、それ以降は基本的にそのファンをゲームにつなぎ止めて食いつなぐというやり方で続く物だろうと思います。しかし Magic の場合、残念な事に少なくとも日本ではWoCやHJの販促手法のまずさからそんなに多くのファンを獲得できず、しかも残ったファンも多くが Magic を去りつつあります。それに加えて並行輸入の安いカードと、その購入を促進するかのような競技への偏重で、今や流通もユーザーも青息吐息なのです。そういう現状を打開しようと思ったら、まあこの位思い切った物を出してみる“大いなる挑戦”は必要なのかもしれません。ただ Mirrodin サイクルがそうであったように、どうも私にはWoCが何らかの勝算を持ってこの手の賭けに臨んでいるとは到底思えないのですが。

○ じゃあ、どうしましょうか?

 実は巷では、神河物語の発売を受けて「こういう Magic はそれこそ別ゲームとして出すべきだ。」というご意見が少なからず出ています。私はそれこそそういう意見を Mirrodin にこそ言いたいと思っているのですが (^^; 今後そういう意見が Magic プレイヤーの多数派を占める状況になる可能性はあるだろうと思います。ただどうでしょう、私個人は「それをシステム的に実現してしまったらどうだ?」という意見を持っています。具体的にどうするのかというと、要は“神河物語を半永久的に再販し続け、これをある部分で Magic のスタンダードにしてしまう。”という発想です。もっと平たく言うと“神河ブロック構築を再来年以降もずっと遊ばせたらどうだ”という事です。

 例えば私みたいなデュエリストがなんで最近の Magic に批判的かというと、自分が好きだった昔のカードが最近の構築戦ではほとんど出番がないからです。ですから福井のデュエリストは DarkMagic なんてフォーマットを自分で作ってまで、そういう自分が好きなカードを遊びたいと欲しているのです。例えば神河物語の雰囲気なりコンセプトが受けて、多くのファンが Magic に入ってきたとしましょうか。そういうプレイヤーが Mirrodin のような機械文明を同じように好むとはあまり考えにくいです。ところが間違いなく今年の11月以降には、その両者を混ぜて Standard を遊ぶ時代がやって来るのです。これじゃあ神河物語の世界観が好きな人達が、その雰囲気を十分に楽しめない可能性がかなりあるのです。そういうファンにまで問答無用に Standard を勧めるというのはさすがに野暮ですし愚策でしょう。(でもあの会社はあまり賢くないから、結局やっちゃうんだけどね。 (^^; )

 そして更に問題はその翌年以降です。WoCが世のヒット映画を1年ほど後追いでエキスパンションを作っているとすると、来年辺りWoCは唐突に西洋ファンタシーに先祖帰りする可能性が高いです(爆)。私個人としては Rebecca Guay 氏復帰の可能性が高まるので喜ばしいことなのですが、でも神河物語を好きで Magic を始めた人が、果たしてそれに飛び付くのか・・・という事です。ただ来年以降も神河物語のコンセプトで新製品を出し続けると、今度は旧来の Magic が好きだったプレイヤーが黙っていないとも考えられます。じゃあどうするのか。そこで従来の Magic にはなかった発想、すなわち“神河が好きで Magic に入ったなら、そのまま今後も神河を思う存分楽しんで下さい。”という売り方をすればいいのです。

 ただし・・・という事です。じゃあ例えば「そういう事ならいっそ Odyssey サイクルや Onslaught サイクルも同様の措置を取りましょう。」として、果たして実際にそれらのブロック構築が遊ばれるのか、という話です。私個人は多分そんなに遊ばれないだろうと思います。ぶっちゃけた話“それ程の魅力が両ブロックにあるとは思えない”からです。特に Odyssey サイクルの場合、結局“カエルが大暴れして終わり”になるのが目に見えていますし。 (^^; 私に言わせると、結局のところ Odyssey サイクルにしても Onslaught サイクルにしても、それこそ“賞味期限=2年”を前提にした商品でしかなかった気がします。それは多分 Mirrodin サイクルも同じでしょう。じゃあ神河物語はどうなのか・・・現状ではやはり同じである、あるいは同じになってしまう可能性がかなり高いのです。そうなると、そこまでして神河物語を遊ばせても意味がない気がします。元々2年しか遊ばせる気のないゲームを無理やり延命して遊ぶ。これ程ユーザーにとって淋しい話はないですので。

 我々古参デュエリストが数年前のカードを有り難がり、「絶版カードを遊ばせろ!」と言ってイベントまで開いてしまう。それと同じ事がなんで Odyssey や Onslaught のブロック構築で起こらないのか。私はそれが不思議でならんのですよ。つまりそれこそが“ Magic のクオリティが昔に比べて落ちている”事の決定的な根拠になると私は考えています。そんな状況で目先の真新しさだけを追い求めて神河物語を出したところで、九分九厘成功するはずはないでしょう。 Magic が多くのゲームのジンクスを打ち破って10年以上遊ばれ続けた。それは少なくとも創生期の Magic は10年あるいはそれ以上遊ばせ続ける気があったからでしょう。しかし最近の Magic にはどうもそういう覇気が感じられない。だから想定している2年すら待たずに寿命が来てしまう。そういう現状を本気で打破すべく、カード能力にしろイラストにしろとことん拘って神河物語を出すのであれば、現在批判的な多くの Magic プレイヤーにも最終的には支持されるでしょう。ただし私個人は「まあ今のWoCには無理だろうけどね。」と思っているのも事実なんですが。 (^^; 

あいせんの“本音の部分”

 かつて Magic でも“映画化”という噂が囁かれたことがありました。

 現在の Magic は、言ってしまうと“流行り物を追いかけてる”という状況にあると思われます。 (^^; 少なくとも創生期のようにゲーム自体が独自の個性を発して輝いている、なんて状況ではなさそうですし、これだけユーザー数や市場規模が落ち込んでいると、それ自体が流行を生み出す事は不可能になっていると思われるからです。しかも創生期の頃から一貫して変わらず・・・という訳でもなく、なんか初号機だの綾波だの登場させたりといったパロディでお茶を濁し、今やかなり見境無くやってますよね。しかしそれが Magic というゲームの人気回復には結び付いていない。これはある意味当然だろうと思います。これだけ昔からのファンを大事にしない、あまつさえ切り捨てを前提で新製品を作っちゃう。こんな企業の商売がうまく行ってたまるもんですか(ぉ。

 しかしそんなWoCも、今やデュエル・マスターズという日本国内においてある意味成功したタイトルを持つに至っています。これはまあ間違いなくタカラの功績が大きいのですが、実は先程述べた“流行り物”という視点で見ても Magic とデュエル・マスターズには大きな違いがあります。少なくともデュエル・マスターズは、それそのものが“流行り物”なのです。 Magic が今や世の流行を真似て追いかけているのに対し、デュエル・マスターズは他が流行として自分を追いかけてきている立場にあります。あまつさえ Magic すら今やデュエル・マスターズの後追いをしようとしている素振りが見られますし(笑・・・えない)。時代を先駆けている流行り物というのは、それだけで多くの人達にインパクトを与えて購買意欲をそそるのです。そりゃあ流行っていると言われれば、あの朝日奈さんですら美術館に行っちゃう位ですから間違いありません(ぉ。

 では Magic が時代の最先端を行く流行り物になるにはどうすればいいのか。その1つの答えがマンガやアニメによる話題性の確保な訳です。しかしそんな幼稚なやり方は世のデュエリストの多くが好まない。それならこのまま何もせずにじり貧になって Magic 衰退に何も手を下さないのか。それもなんか嫌だ。「じゃあどうするの?」と考えたときに、実は Magic の映画製作というのはかなり現実味のある打開策になり得るのです。ただ、別に Magic そのものを映画化する必要はないんですよ。例えば Magic に極めて近い世界観を持つ原作の映画化にWoCが資金提供をしてスポンサーとなる。こうすればWoCは堂々とその映画によって Magic を宣伝できますし、またその映画がヒットすれば“時代の最先端を行く流行のゲーム”として Magic が取り上げられる可能性は十分にあります。しかもWoCはその映画の内容を事前に知り得る訳で、それこそ映画公開と同時にそれをコンセプトにしたカードセットを世に送り出せるのです。

 賞金総額5万ドルという日本選手権が、もはや“ Magic 現状維持のための数少ない販促手段”という位置付けでしか世のデュエリストに見られていない。だとすれば、この辺で別の思い切った手を打つ必要はやはりあるだろうと思います。例えば神河物語にしても、短編のアニメを製作して全世界で放映する、そんな選択肢だってあるのです。というか、はっきり言いますが、本来“ Magic 10周年記念”の事業としてWoCがやるべきは、こういう内容だったはずなのですが。まあ事前の予想通り、現実の Magic 10周年はなんとも盛り上がりに欠けるまま終わっちゃいましたからねえ。さすがに元祖TCGが10周年を記念して開催した世界戦が、後発組の遊戯王OCGの世界戦より話題にされていない。こういう状況はさすがに終わってるでしょう。もうちょっと Magic 関係者は危機感を持っていいと思いますよ。

   

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