総論賛成・各論反対 
 
 別に政治の話をしようという訳ではありません。 (^^; ここはゲームの話を書く場なので、今回も言うまでもなくそういう話題です。

○ これじゃ政治家をとやかく言えない

 現在TVゲーム業界は“長き冬の時代”と言われています。特にここ1〜2年は「ハードが売れるのにソフトが売れない。」という状況だそうで、その市場規模はどんどん目減りしています。あるコラムではその原因をゲームのクリア時間の増加/ゲームの複雑化/ゲーム機の多機能化&娯楽の多様化などを主な要因としたユーザーのTVゲーム離れと分析していて、その内容は今まで私がゲームについて書いてきた内容と一致する部分が多々あります。更にこの問題はTCGなど他の多くのゲームにもそのまま当てはまると思われます。ルールの複雑化や競技化でゲームを遊ぶための敷居を高くした。市場の維持だけを目論んで十分な吟味もしないまま新製品を乱発した。そして趣味の多様化の中でもユーザーに選ばれるだけの魅力を維持できなかった。こういった理由の積み重ねから多くのゲームはその売上や市場規模を大きく落とし込んだのです。

 かつて対戦格闘ゲームは(大成と言える程ではなかったにしろ)1つの時代を築きました。しかし現在ではすっかり淋しい状況です。全盛期に“格ゲー3大メーカー”と言われたSEGA/CAPCOM/SNKは、今や揃って経営上の危機を迎えており、SNKに至っては実際に会社が倒産してしまいました。 (^^; 多くの人達はそういう状況を見て「なんだ、格ゲーは今や全然ダメじゃねえか。」と感じるだろうと思います。ところが今現在でも、そういう格ゲーを「いや、今でも全然いけてる!」と豪語される方が少なからずいるようです。今や3大メーカーに代わってサミーがギルティギアを出している。3大メーカーにしても人気タイトルの続編を出し続けている。インターネット上を見てもこの話題を扱うWebサイトは少なくないし、自分の周りでは対戦が盛り上がっている。だから何ら問題ないし衰退を口にする必要はない。理論としてはそういう事のようです。

 更にその一方で、そうやって格ゲーの衰退を明言する方が、その意見への反応として「そういうお前らが遊んでいるTCGも今やダメじゃねえか!」とか言われると、これが途端に「いや、俺が遊んでいるTCGは全然いけてる。格ゲーと一緒にするな!」とか言い始めるのです。 (^^; 確かに多くのTCGタイトルは売上や人気が落ち込んでいるが、それでもデュエル・マスターズといったヒット・タイトルが出てきている。遊戯王OCGは欧米では飛ぶ鳥を落とす勢いだ。そして何よりも“俺が遊んでいるTCGは面白さではナンバーワン”であり、それが理解されないから子供向けに売れないだけだ。そういう理論がネット上でも実際に出てきてますよね。しかし実際問題として、この“面白さナンバーワン”なんて完全に個人の主観でしょう。そもそもTCGが本当に売れてヒットしていれば、そんな主観論を振りかざすまでもなく(具体的な売上データや市場調査の結果で)相手を言いくるめる事はできるはずです。それができないのにそれでもTCGを擁護しようというのは、ご自身がTCGを擁護できる客観的なデータを持っていない不利を、主観論を振りかざして強引に乗り切ろうとされているだけなのです。

 この両者の主張を並べて冷静に見てみると、まさに“どっちもどっち”ですよね。 (^^; 1つ言えるのは、格ゲーの擁護派は多くが格ゲーの現実を見ていないし、TCGの擁護派も多くがTCGの現実を見ていません。しかも逆に自分が遊んでいない他のゲームの様子はやたら冷静に見ていて、隙あらば自分が遊んでいるゲームと比べて劣る点を列挙して「やっぱり俺が好きなこのゲームはいけてるんだ。」で持論を完結させようとするのです。ただそういう持論をお持ちの皆さんも、少なくとも日本国内におけるゲーム業界全体の落ち込み振りは認識していて、どうにかしなければいけないという危機感も持たれていると思うのです。ところがこれが自分が遊ぶゲームの話になると、途端に肯定派に回って現状維持を主張し始める。ゲーム業界は勢いが落ちているから何とかしなければいけない。でも俺が遊んでいるゲームは全然OKだから現状を変える必要はない。これはまさに永田町辺りで良く話題になる“総論賛成・各論反対”の様子そのものでしょう。

○ 誰に向けてゲームを作るのか

 皆さんは多分、このエッセイをパソコンを使って読まれているかと思います。(何しろうちはi−modeなどに対応できるほどコンテンツが短くないもので。 (^^; )昔のパソコンにはUNIXとかMS−DOSなんて旧式のOSしかなくて、プロンプトからコマンドを一字一句間違うことなく入力しないと何もしてくれませんでした。ただ私個人はMS−DOSもUNIXもある程度使えましたし、あと一部CPUの機械語/BASIC/FORTRAN/COBOL/C言語の読み書きができました。(ここ数年やってないので、MS−DOSとBASIC以外は結構忘れましたけど。まあ最近は必要に迫られてperlを勉強していますが。)ですから別に自分が使うパソコンがMacやWindowsのようなGUI(グラフィカルユーザーインターフェースの略)にならなくても全く問題はなかったと思います。しかしどうでしょう、もしもWindowsが昔のようなコマンドプロンプト方式の不親切な代物のままだったとしたら、現在パソコンを使われていらっしゃる方々の何割位が今みたいにパソコンを使えていたでしょうか。もしパソコンという道具が一部研究者やマニアの意向だけを受けて、そんなマニアックなユーザーインターフェースしか持たないままだったら、現在のこのインターネットの劇的な普及は多分あり得なかったのです。

 これはゲームにしても理屈は同じです。ゲームには確かに“進化”が求められています。ただどうも一部のゲーマーの方々が“進化=ゲームシステムの巨大化あるいは複雑化”という強烈な思い込みをされている気が私はしています。言い換えると「こんなに複雑なコマンドを操ってパソコンを使いこなしている俺様は凄い。だからこれが使いこなせない&これの良さが分からないお前らは俺様よりも劣る存在だ。」という、ある種の妄想にとらわれてしまっているという感じです。しかし実際は果たしてそうでしょうか。例えば囲碁で使うのは白と黒というたった2種類の石ですし、将棋にしても駒の種類は現在8種類しかありません。(昔は王将の上に飛車+角行の動きをする駒があったそうですが。)そして両者は石や駒が置ける盤面が限られています。でもそれらのゲームはそれこそ何十年あるいは何百年と遊び続けられ、しかし未だに最強の定跡(定石)の発見には至っていません。ところがどうでしょう。最近のゲームはそれこそ“面白くて奥が深い対戦”を売り文句に唱う物ですら、わずか数週間〜数ヶ月の研究でいわゆる“最強のパターン(キャラクタ/戦術/デッキ etc. )”が見つかっていませんか。最近のゲームの多くは単にゲームの販売を延命させるためにシステムを巨大化&複雑化させているだけで、実のところゲームの奥なんて全然深くなっちゃいないのです。

 それと最近のゲームの多くは、製品として発売するために必要な100の機能を盛り込むために、開発者が思い浮かんだ50か60程のアイディアを無理やり水で薄めて100にしている。私はそういう印象も受けています。しかし本当に面白いゲームを作りたいと思ったら、むしろやるべきは“アイディアの絞り込み”なのです。100の機能のゲームを作るために、開発者が思い浮かんだ200あるいは300のアイディアの一部を泣く泣く切り捨てる。これこそがゲームが成功する秘訣だったはずなのです。実際にヒットしたゲームの大部分が、そういうプロセスを経て世に出ているのです。でも最近ではゲームの多くが、いわゆる“人気作の続編や焼き直し”ですよね。しかもゲームシステムが前作に比べて複雑怪奇になっているのに、前作に比べてデバッグの時間が同じか下手すると少ない。こんな満足に洗練もされていない商品が売れるはずがないのです。

 いわゆる“マニア”を満足させるための方向性と、ゲームがより多くのユーザーを得て大成する方向性、その2つはまあほぼ180度と言っていい位逆方向を向いています。中・上級者が「こんなの物足りないよ!」と言ってあくびをしちゃう位のゲームが、実は初心者に取っては取っつきやすく面白かったりするのです。常にゲームがニューカマーを獲得し続けて、本当の意味での成功を収めたいと思うのであれば、やはりメーカーや開発者は常に初心者あるいは未経験者の視点からゲームを作る必要があるだろうと思います。必要以上に難しくない。必要以上にお金がかからない。そしてゲームを遊ぶための初期投資がすぐに報われる実感があって、何よりもとにかく遊んで面白い。そういうゲームが世に数多く出ない限り、ユーザーのゲーム離れに歯止めがかかる事は多分あり得ないのです。

○ 捨てる神あれど拾う神無し

 私が上に書いたこんな意見は極めて当たり前の話で、恐らくゲームという世界の総論として多くの方々にご賛同頂けるだろうと思います。ところがこれが各論に言及した途端に侃々諤々揉め始めるのです。 (^^; 結局のところゲームのユーザーは“自分が遊びたいゲーム”を出して欲しい訳で、それはある意味仕方ない事ではあるのです。ただ1つ勘違いしてはいけないのは、まあ間違いなくゲームという商品は“続編を出す毎にデグレード(あるいはダウングレード)を起こす”という事です。これは以前SQUAREの開発者がインタビューで言っていたコメントなのですが、ゲームの続編という物は前作の200%アップを狙わないと、本当の意味でユーザーには満足してもらえないんだそうです。SQUAREというメーカーは、まあさすがに全作品とは言いませんが、多くのゲームでそれを実践できていただろうと思います。しかし世の中には単なる“現状維持”を目論んだだけの続編が少なくなくて、でも実際問題としてそういう続編は現状維持ができていません。人気があった前作のネームバリューにおんぶにだっこで、ろくな練り込みやバランス調整もしないまま続編を出しちゃうのですから、そうなるのは極めて当然の流れなのです。

 ただどうでしょう。実は我々があるゲームに長く&深く関わり続けると、どうしてもその口から出てくる意見がゲームを初心者から遠ざける物になりがちになるのです。もっと刺激のある物を。もっと難しい事ができる物を。そして前以上に楽しめる物を。そうなるとおのずとゲームはシステムが巨大化&複雑化せざるを得なくなります。例えば最近ですとビートマニアといった音ゲーがその典型例になるだろうと思います。今のビーマニを極めた人達を満足させるために、より複雑なテクニックが必要になるようにしてやろう。現状のDDRで最高難易度の曲が踊れる人でも四苦八苦するような曲を入れよう。そういう方向性に進むのです。でもよく頭を冷やして冷静に考えてみれば「こんなゲームはそれこそ前作すら難しくて匙を投げちゃった人達には全くと言っていい程遊べない。」という事に気が付くはずです。我々はそういう“落伍者”の存在を今までは軽く扱ってきました。しかし今や多くのゲームで、そのゲームを遊べない落伍者がゲーム人口はおろか全人口の圧倒的多数を占めつつあります。ゲームが大きくなりすぎた、あるいは難しくなりすぎたからです。それでゲームが賑わってヒットするのか。まず無理でしょうね。

 そして今の世の中、なんか見てるとそんなゲームしかないんですよ。だって最近世の中で比較的ヒットしているゲームって、かなりの割合が過去のヒット作品の焼き直しじゃないですか。そうなると前作に比べてまあ間違いなくゲームは巨大化&複雑化している訳です。私が先程「ゲームという商品は続編を出す毎にデグレードを起こす」と言ったのは、そういう意味も含んでいます。つまり回を重ねる毎にユーザーをどんどん振り落としているのです。新しく取り入れた機能やスペック、あるいはイラストみたいな物で新規のファンを獲得できているならともかく、実際には“前作のユーザーに適当に買ってもらえればいいや”的なゲームが世のかなりの部分を占めていると思われます。さすがにそれでゲーム市場が拡大する事はあり得ないでしょう。つまりゲームは“滅びるべくして滅んだ”という事なのです。まあゲーム業界全体を滅んだと断言してしまうにはかなり早いかと思いますが、実際に一部のカテゴリーのゲームは滅んだと断言してしまう事にあまり違和感を感じない気はします。

 何かの弾みで生まれてきた名作と言われるゲームが、続編を出した事でその評価を落としてしまっている。これが昨今のゲームの現実なのです。ゲームメーカーはゲームを売って会社を維持している訳で、安定した売上が見込める人気ゲームの続編は必要である。それは分かります。しかし「このゲームは売れたから続編も売れるに違いない。だったら開発とかデバッグなんて適当でいいや。」あるいは「前作でボツにしたこのアイディアを入れちゃおう。この位ゲームが複雑になれば前作を遊んでいた人間も騙されるだろう。」なんて続編の作り方を続けてきた。そしてユーザーもそういう風潮に乗って安易に続編を買い続けた。だから日本のゲーム業界はこうなっちゃったのだろうと私は思います。やはりもうちょっと1つ1つのゲームを吟味して作るべきだし買うべきなのです。ただ某TCGみたいに“最新作を買い続けないと満足に遊べない”なんてシステムを定着させちゃうと、その続編が秀作であればともかくクソだった時に (^^; 業界の失速は一気に進むでしょう。そして実際にTCGは駄作な新作カードを乱発しすぎた。これじゃあ一時期の全盛期から市場規模が一気に1/3程になっちゃうのも無理はありません。やはりゲーム業界の今の姿は“なるべくしてなった物”だと私は思うのですが。

あいせんの“本音の部分”

 前にも書いている話ですが、そういう点で格ゲーは“1つのゲームが完全に独立した物である”という点でまだ救いがあった気がします。某部室に集まる元 Magic プレイヤーは、最近特に初代侍魂での対戦の機会が増えています。横でFFXIといった最新のゲームが稼働する中で、大学生や社会人が9年も前のゲームで一喜一憂している。端から見てるとかなり異様な光景だろうと思われますが。 (^^; 

 ゲームという物を吟味してみると、実は“じゃんけん”こそが究極のゲームである事に辿り着きます。道具は一切要らない。極端に言えば両手を失った人ですら(何を出したかという意思表示ができる手段さえあれば)参加できる。しかも対戦のバランス取りは最高ですよね(笑)。ですがじゃんけんはそのゲームシステムがあまりにも単純なため、まあ間違いなく遊んでいて飽きます。 (^^; ただ結局のところ対戦型ゲームというのは、突き詰めるとゲームバランスがじゃんけんである事が求められるし、それを成し得たゲームはそれこそ半永久的に楽しめるのです。だって実際問題の話、我々は誰かと雌雄を決する時に、多くの場面でじゃんけんをその手段に採用しているはずです。

 でも最近のゲームって、複雑な割にじゃんけん程やってる事がフェアじゃないんですよ。例えば素手で戦う空手の試合に、1人だけ完全防備&飛び道具持参でやってきた。そんな相手に勝てるのは、まあ範馬勇次郎か江田島平八くらいでしょう(爆)。少なくとも観客はそんな試合を観たって面白い訳がなく、これが現実の試合ならブーイングの嵐を受けるのは確実です。ところが実際問題として最近の対戦型ゲームの多くには、どういう訳かこの完全武装キャラが当たり前のようにいて、しかもそれが暴れて試合に勝つ事にほとんど誰も文句を言わないのです。あまつさえゲームメーカーまでが「おお、ここに完全武装キャラがいる事によく気が付きましたね。じゃあなたもこれを操って連勝街道をばく進して下さい!」とか言い始めるのです。ただそんな対戦は既にやる前に結果が分かってますよね。だから一瞬は盛り上がっても長くは遊ばれない。そういう事なのです。

 しかも困ったことに、TCG辺りではその最強キャラを手に入れるのにかなりの投資を要求されます。つまり「あえてゲームバランスを壊して、最強キャラ好きなユーザーに金を出させようとしている。」と受け取られても仕方がない状況なのです。というか、最近の様子を見てると「実際狙ってるんじゃないの?」とか言いたくなるのですが。おまけに一部のユーザーは、そんなゲームバランスもへったくれもないゲームでの勝利を有り難がり、あまつさえ“競技”とまで名乗って真剣に取り組んでいる。せめてそういう取り組みがゲームの市場を拡大して賑やかにする事に貢献してくれているならまだしも、現実は・・・な訳でしょう。もうそろそろ“もっと大事なこと”に気が付くべきじゃないか。私はそう思わずにはいられないのですがねえ。

 我々だってゲームに勝つ事に拘りがない訳じゃありません。ただ我々は“勝って自分や周りの人達に誇れるゲーム”で勝ちたいのです。少なくとも対戦での勝利をお金で買うようなゲームには魅力は感じないし、キャラやカードの能力差で勝ってもうれしくないのです。そしてそういう本当に遊んで面白い対戦型ゲームを作ろうと思ったら、まあ間違いなくゲームシステムは単純な方がいいのです。そうすれば開発の過程でデバッグやバランス取りの時間が十分に取れますから。初代侍魂はキャラクタ同士の当たり判定のチェックに実に半年もかけたそうです。今時ここまで拘って作られた対戦型ゲームなんてあるんでしょうか。我々はそういうゲームに最近とんとお目にかかれないから、未だに初代侍魂を遊んでいるだけです。そして今後そういう過去の秀作に匹敵するゲームを世に送り出さない限り、ゲーム業界の復興なんて事は多分あり得ないのです。

 別にあなた個人が最近のゲームを面白いと感じている。その事を私は否定する気はありません。ただそうやってあなたが好きで遊んでいるゲームが、今現在一般世間でどういう評価を得ているのか。それはやはり冷静に見極めて将来に役立てる必要があるだろうと私は思っています。ゲームのクオリティが低下してユーザー離れが起きている。それにはまあ間違いなく既存ユーザーの“五感の麻痺”が1つの大きな元凶になっているのですから。

   

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