楽しく負けるために 
 

○ なぜ楽しく負ける事ができないのか

 一般的に対戦型のゲームでは、2人あるいは3人以上のプレイヤーの中から現れるゲームの勝者は通常1人です。ですからゲームを遊ぶ目的やメリットが“ゲームの勝利”のみであるとすると、ゲームを遊ぶプレイヤーの少なくとも半数が本来の目的を果たせずにゲームを終える事になります。それ故多くのゲーム(デザイナー)はゲームにおいて、勝敗が決まるまでの課程を大事に考えてシステムを設計します。誰が勝っても負けても接戦になりやすい。ゲームに負けたプレイヤーでも途中で見せ場を作れる。プレイヤーが意図して“試合には負けたけど勝負には勝った”的な盛り上がりすら生み出せる。そういうゲームシステムを工夫していますし、そういうゲームこそが普通は秀作として評価されるのです。ところがメーカーがいわゆる勝利至上主義を煽ったゲームにはどうも傾向としてそういう配慮が欠けているようで、それ故ユーザー離れが起こって大抵が衰退の憂き目にあっています。つまり成功するゲームと失敗するゲームの違いとは、そのままズバリ“ゲームに勝利以外の喜びや価値が多いか否か”の違いなんじゃないか。それが私個人の意見です。そういう楽しみ方が多いゲームですと、実は対戦に負ける事も意外と楽しかったりするのです。

 これはゲーム界ではよく言われる話なのですが、ゲームとは結局のところ“コミュニケーション・ツール”なのです。しかも対戦型ゲームは対戦相手、もっと言ってしまうと同じゲームを楽しむ同志がいないとゲームシステムそのものが成立しません。一般にプレイヤーはあるゲームを遊ぶためにそのゲームを買い、ルールを覚え、そして対戦相手を見つけてゲームを楽しみます。ところが対戦型ゲームの失敗例である対戦格闘ゲームやトレーディング・カードゲームの場合、その“ゲームを一通り遊べるようになるまでの課程”にかなり大きな投資が必要で、しかもメーカーがそこにしか注目していないという事実があります。プレイヤーにどれだけインカムをつぎ込ませるか。あるいはどれだけカードを買わせるか。そこしか見ていないのです。

 ところが実際問題として、そういうゲームが“対戦相手がいなくなった”とか“遊べる場所が無くなった”といった理由から衰退を迎えているという現実があります。対戦型ゲームを遊ぶ上で本当に必要な要素はゲーム仲間であり、本当はゲームの成否にとって“ゲームを本格的に遊び始めた後の課程”こそが重要なのです。でも果たして対戦型ゲームを推進するメーカーがその課程を大事に考え、ゲーム仲間を増やしてゲームが盛り上がるための工夫や施策を行っているでしょうか。それをちゃんとやっていれば、そもそも業界がそんなに急速に衰退する事はなかっただろうと思います。はっきり言ってしまいますが、遊んでみて勝敗以外の要素を楽しめないゲームに投資を続ける人は少ないのですよ。じゃあ具体的に一部のゲーム業界は何を間違えたのか。その1つの例がまさに“勝利至上主義の助長”なのです。ゲームに負けるプレイヤーなど存在価値はない。だから強くなれ、そのために金を使え。要するにそういう発想です。しかし実際には販売サイドがそういう煽り方をしたために、単に強くなるためだけにゲームに取り組む事に疑問を感じた多くのプレイヤーがゲームから離れたのです。

 そしてそういうゲームの売られ方を、どういう訳か決して少なくないプレイヤーが支持した。これも結果としてゲームの衰退を加速しました。ゲームは勝てるプレイヤーこそが正義なんだから、その課程やゲームに取り組む姿勢は問題ではない。ゲームに勝てないプレイヤーは勝てるプレイヤーより格下であり嘲笑されて当然。弱い奴はそもそもゲーム界に存在する価値すらない。そういう思想に文句を言うのは負け犬の遠吠えだ。実際そんな感じですよね。そういう主義を主張するプレイヤーは、それこそメーカーや販売サイドの「ゲームに勝って楽しみたければ金を出せ!」理論そのものを肯定してしまっているのです。ところがそれで自分が取り組んでいるゲームが廃れた途端に「勝敗抜きに楽しむ方法を考えよう。」とか「お金がかからない楽しみ方を工夫すべきだ。」とか言い出す人が現れる。でも本来そんな事は自分がそのゲームに手を出したその瞬間から取り組むべきだし、ましてや人にそのゲームを勧める時には真っ先に持つべき視点です。少なくともメーカーがそういう勝利至上主義で製品の販売を伸ばそうとしている限り、ユーザーがその意志に反する動きを起こさないとバランスが取れないはずなのですが。

 なぜ日本人がゲームを遊ぶと楽しく負ける事ができないのか。それは日本の多くのゲームメーカーが勝利至上主義でユーザーを煽って商品を拡販する術を覚え、そして少なくないユーザーがその煽りに乗ってしまったからだ。そう断言してもあながち間違ってはいないでしょう。しかし負けて楽しめないゲームというのは、まあ間違いなく負けても楽しめるゲームに比べてクオリティが大きく劣ります。そして何よりも“勝ってもさほど楽しめない”のです。だから売れない。話は簡単なんです。言い方を変えると「負けても楽しめないゲームで試合に勝ったところで何の自慢にもならない。」という事です。そんなクソゲーを極めたところで誰にも誉められるものではないのです。

○ やはり無理なのか?

 じゃあ、具体的にどうすればいいのか。その理屈そのものはそんなに難しくはありません。簡単に言うと“ゲームを楽しむ上での勝敗に対する比重を少なくする”という事です。私は以前から「 Magic は以前のようなコレクション性の高いゲームに復刻すべきだ。」と言っていますが、これもそういう発想、言い換えると自分が Magic というゲームにのめり込んだ経験から出た意見です。ところがどうも Magic の世界にはデュエリストを1人残らず競技(プレイヤー)に注目させたい輩が少なからずいらっしゃるようで、そういう意見は様々な形で批判(あるいは中傷)を受けて次元の彼方に消え去っています。競技プレイヤー以外がちょっと目立ったら、それを口実に発言者がそれこそ無関係なプライベートの部分にまで踏み込んで攻撃される。やってる事はまるで「俺より目立つ奴は拷問だ!」とかのたまう、どこかの旧政権の大統領子息みたいですが(爆)。

 しかし実際問題としてそういう施策はうまく行っていません。そしてそれ故格ゲーも Magic も廃れました。それはなぜなのか。元々対戦型ゲームを遊ぶプレイヤーの多くが勝負事が好きで、しかも“自分が勝った”というフラグを立てる事に最も趣を置いているのだろうと思います。あまつさえそういう風潮をメーカーや販売サイドが賞賛し利用し助長する。これで個人や少人数のグループが「勝敗以外の要素も楽しもう。」と言っても無理なんですよ。実際に格ゲーにおける待ちやハメの存在、それで対戦に勝ててしまうというのは明らかにゲームソフトの不具合(バグ)なんです。ただそういうバグを利用してでも勝ちたい人は勝つし、それで勝てば「それの何が悪い!」と主張する。TCGでもありますよね。デッキの積み込みとか、駆け引きと称した対戦相手への口撃とか遅延行為、あと必要なカードを入手するためのシャーク行為とか。しかし一部の人達にとってはゲームで勝利する事こそが唯一絶対の正義な訳で、それ故勝ててしまえば正義は自分にあるんですよ。(だからTCGには「シャークはされる方も悪い。」とか訳の分からない論理が実際にまかり通っている訳ですし。)前から書いているのですが、本来ゲームメーカーや販売サイドがやるべきは、そういう勝利に固執するプレイヤーに、いかにして勝利以外のゲームを楽しむ要素に気が付かせるかだったのです。でもそういう施策はすぐにはゲームの売り上げには結び付かないからしない。元々短期間で使い捨てる予定のゲームにそこまで手をかける気はない。そういう事ですよね。これじゃあゲームが廃れるのは当然でしょう。

 じゃあ、それでもそのゲームを盛り上げたいと願う人達はどうすればいいのか。メーカーや販売サイドにやる気がないのであれば、志ある販売店やユーザーが自らの手でやるしかない。言ってしまうとそういう事になります。しかし現実にはそういう啓蒙活動の明確な成功例というのは過去にほとんど見られません。そしてその理由はそんなに難しくはありません。元々ゲームプレイヤーには潜在的に勝利指向があって、それ故その思想を変える事は難しいのです。しかもメーカーは自社製品で勝利至上主義を煽った方が儲かると思い込んでるし、一部ユーザーも自分達がそのゲームで強い事をより多くの人達に自慢したいと思っている訳で、そういう人達にとってそのゲームでの勝利指向が弱められるのは好ましくないのです。だから手を変え品を変え勝利指向を維持しようとする。こんな中でそれでも・・・というのはさすがに無理でしょう。ただあるゲームでの勝利指向の維持が、残念ながらそのゲームの市場の維持には結び付いていない。これは既に歴史が証明しています。そこに気が付いただけでも取るべき施策は大きく変わってくるのですが。

 じゃあ実際にTCGは今どうなっているのか。これは言ってしまうと「競技指向に賛同した主流派が集まるイベントやデュエルルームと、競技指向に興味がない多くの少人数グループに細分化された。」という状況です。そしてだから今や大きな競技イベントがギャラリーもいない閑散とした状態で盛り上がりに欠けている。実際そうですよね。これでゲームが更に盛り上がってブームになる事は到底期待できないでしょうし、それ以前に市場規模や盛り上がりを従来通り維持する事すらままならないでしょう。そういう過去の失敗例はそれこそ数え切れない位あるのに、しかし相変わらず多くのゲームがそういう失敗事例の後追いをしている。これでそのゲームの将来に希望を持てる人は、まあ余程おめでたい人なんじゃないかという気がしちゃいます。 (^^; ある意味そういう楽観主義が最近はむしろうらやましいとも思うんですけど。

○ じゃあ・・・どうしよう?

 例えば私のように、自分が遊ぶゲームに勝敗以外の喜びとか面白さを見出せたプレイヤーは幸せです。しかし実際にはそういう喜びを見出せないプレイヤーは決して少数派ではないと思われます。ただしメーカーや販売サイド、あるいはプレイヤーの多くが勝利至上主義を賞賛あるいは迎合する以上、そうなってしまうのはある意味仕方ないという気もします。そして根本的な話として、ゲームを遊ぶ以上誰だって勝ちたいのです。ただ最近のゲームメーカーはプレイヤーにより大きな投資を求めます。それでそのゲームに勝敗以外の要素が乏しいとすれば、当然プレイヤーの勝敗への執着は大きな物になるのです。それとゲームがそういう売り方をされると、そのゲームに後から入ったニューカマーが先人に追いつくために、言うまでもなく先人並かそれ以上の投資が必要になります。だから初心者の敷居が高くなる、ニューカマーの供給が止まってゲームが窒息死する。そういう歴史があるのです。ゲームの世界やプレイヤーが勝敗にのみ執着して殺伐とし、なおかつニューカマーの供給が止まる。これでゲームが廃れない方が普通はどうかしています。

 じゃあ、具体的にどうすればそういう勝利至上主義の弊害を緩和できるのか。今回のテーマに沿って言うと「プレイヤーが自分がゲームに負ける事にも喜びや価値を見出せるのか?」という事になるでしょうか。それにはそもそも根本的な話として“ゲームのクオリティを上げてそういう遊ばれ方に耐えうるゲームにするしかない”と私は考えています。例えば格ゲーやTCGは傾向として、新作を出せば出す程ゲームバランスの崩壊やクオリティの低下が指摘されます。そういうゲームを引き続き売ろうと思ったら、それこそ勝利至上主義でも煽ってプレイヤーを騙すしかないんですよ。能力が突出したキャラクタやカードがあったら「良く気が付いたね、おめでとう。さあ君もこれで大暴れして連勝街道ばく進だ!」とか言えますから。 (^^; しかし実際問題として、そんなゲームバランスのクソもないゲームで勝ったところで、誰に自慢できるという物でもないんですよ(笑)。でもその事に気が付かずにメーカーの意のままに操られてしまうプレイヤーのなんと多い事か、という感じでしょうか。

 しかも最近の様子を見ていると、どうもメーカーにはそこまで質の高いゲームを生み出そうという意気込みやモティベイションはほとんど消え去っているという感じです。数年に渡る研究で拘りのラーメンを生み出したけど、味覚がぶっ壊れた客が雑誌の記事を読んで店にやってきて、いきなり香辛料を大量にぶち込んでオリジナルの味が分からない状態のラーメンを食べてその味を賞賛する。これじゃあ作ってる方は張り合いがないのです。それと基本的に理屈は同じです。まあ「今までみたいなゲームの売り方でそれなりに売れちゃうんですから、そんなに頑張らなくてもいいよなあ。」と思っちゃうのも分からない事はないんですけど。となると、この問題に関してはユーザーが自衛する以外に手段はなくなっているのです。これについてよく言われる方法に「すべてのプレイヤーをイコール・コンディションにして、プレイヤー全員にゲームに勝つ喜びを得られる可能性を作り出す。」という物があります。しかし実際には例えば Magic の限定戦などを見れば明らかなように、こういう遊び方はある種の夢物語でしかありません。何よりもそういう遊び方をメーカーが金儲けの材料に使うのが困りものです。メーカー自身がそういう遊び方でも工夫しないと遊べないクソゲーを出しておいて、それをなんとか工夫して遊ぶユーザーが現れたらその遊び方をパクって更なる金儲けを企む。はっきり言いますがこんなメーカーとはとっとと縁を切るのが多分正解です(爆)。少なくともメーカーが言う通りに新品を買って遊ぶ必要はどこにもないと思います。金を出してほしけりゃそうしたくなる商品を出せ。こんなのユーザーから見れば極めて当たり前の要求なのです。

 要するに“良いゲームが売れる”“質が落ちたゲームは淘汰される”という、本来極めて当たり前の環境をゲーム業界に生み出すしか、この問題を根本的に解決する術はないのです。うまいラーメンを食べたければ自分の舌を肥やし、うまい物はうまい、まずい物はまずいと自分で判断できる感覚を身につけるしかないんですよ。ただ実際問題として多くのユーザーが質の低下を嘆いている格ゲーや Magic は現に売り上げを落としています。そういう意味でユーザーは実はそんなにバカじゃないし舌が麻痺しているわけでもない。それは間違いないだろうと思います。でも相変わらずメーカーはユーザーがバカだと思い込んでいて、自分達が一時代築いた頃と同じ売り方というか煽り方で、昔よりもクオリティが落ちた新作が相変わらず売れると思い込んでいる。これじゃあゲームが廃れるのはある意味当たり前でしょう。はっきり言ってこの問題をユーザ自身が解決するのは不可能だと思います。メーカーを動かして自分が好きなゲームを大いに盛り上げようと思うならば、時には自分で買わないあるいは遊ばないと判断して実践する事も大事なのです。もしあなたが今遊んでいるゲームで、それこそ試合に勝った瞬間にしか喜びを感じられない、ましてやその喜びですら今は本物かどうか疑わしい。そう感じているならば、あなた自身そのゲームとの付き合い方を考え直してもいいんじゃないでしょうか。

あいせんの“本音の部分”

 最近ちょっと思うのですが、どうも Magic プレイヤーって(今となっては)全体がある1つの目的に向かって進むという事はもはや不可能なんじゃないでしょうか。

  Magic には様々な目的を持って取り組むデュエリストがいます。しかしWoCは少し前から、主に競技プレイヤーの意見だけを聞いて Magic の方針を決めている節が多々見られます。だから昔のような美麗なカードイラストは消え、人気イラストレーターの首が意図も簡単に飛びそうになる。またユーザーサポートも競技 Magic という本流に則した物しかない。実際そんな感じですよね。そして Magic はそういう販促の影響からか、間違いなく以前のような勢いや輝きを失っています。ところがそういうWoCのやり方を肯定するデュエリストは少なからずいます。そういう人達と私のような人間が、果たして同じ趣味を遊ぶデュエリストとして同じ時間を共有できるのか。さすがにこれは無理なんじゃないか。最近私はそういう結論に辿り着きました。

 どうもそういう方々と私(あるいは私の書く意見に比較的肯定的な方々)って、そもそも住んでいる世界が違うんじゃないかという気がするんです。確かに一見すると同じ Magic という趣味を楽しんでいるのですが、実を言うと両者は全く別の次元に住んでいるのです。同じ地球という惑星上にキリスト教徒とイスラム教徒が暮らしている、言ってしまうとそんな感じです。以前は私もどういう訳か Magic にはそれなりに思い入れがあって、それ故いわば宗教戦争的な論争にも首を突っ込んだりしてきました。しかし最近私の方はすっかり Magic への熱が冷めきっていて、昔の私の言動を「あの頃は若かったんだねえ。」とか思い返している日々ですが。 (^^; 

 最近の Magic の様子を見ていると、そういう形で個々のデュエリストやグループがてんでばらばらな動きをして、それこそデュエリストが一丸となって“ Magic の復刻”に向けて動くという状況にない。そういう印象を強く感じます。しかし実際問題として無理ですよね。少なくとも私個人は、今の Magic のどこをどう見れば昔のようなモティベイションを維持して普及や発展に取り組めるのか、全く見当も付きません。そして同じような意見を持って Magic をやめた人達、そして絶版カードのみを楽しみ続けるデュエリストやコレクターも大勢いるようです。そもそも Magic という同じ趣味を楽しむデュエリストの中に、新商品に否定的な意見を持って購入を控える人が少なからず現れる。私に言わせるとそれだけで Magic というゲームは“負け”だとすら思われます。 Magic がニューカマー獲得のための工夫や施策をほとんどせず、そして旧来のユーザーを確実に減らしている。それはつまり Magic という遊びの世界が間違いなく減退しているという事なのですから。

 じゃあ、私はそういう世の情勢をどうしようと思っていて、具体的にどう動いているのか。それは過去に私が書いた記事なりエッセイを一通り読んでいただけると分かるかと思います。ただ少なくとも今現在の私は Magic というゲームに“諦めムード”を感じていて、それ故改めて自分から積極的に何かしようという気はほとんどありません。そして私個人はそういう諦めムードこそが、少なくとも日本の Magic では今や多数派であり主流派だろうとも思っています。そんな状況でユーザーが一致団結して Magic 復刻に動くのか、あるいは動けるのか。さすがに無理だとしか言い様がありません。まあこういう意見を読むと間違いなく異議を唱えたり不快感を露わにされる方は現れると思うのですが、実際そういう人達自身も今や日本の Magic に付ける薬は持ち合わせていないだろうと思います。というか「それでも効く薬を俺は持ってるぞ!」という方がいらっしゃったら、是非とも今すぐ出し惜しみせずに Magic に塗りたくっていただきたいのですが。あ、ちなみにこの話って例えば対戦格闘ゲームなんかにもほとんどそのまま当てはまるだろうと思います。私としてはこんな話が遊戯王OCGやデュエル・マスターズ辺りで語られない事を切に祈るばかりなのですが。 (^^; 

   

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