“斬り捨て御免”許すまじ 
 
 最近日本では Magic や遊戯王OCGといった、かつてTCG業界を支えてきたであろうブランドに行き詰まり感というか衰退感が漂っている印象があります。日本のTCG業界を支えてきた遊戯王OCGは、既に日本ではその覇者の座をデュエル・マスターズに明け渡したとも言われています。ただその日本で廃れた遊戯王OCGは今や欧米でその勢いを増し、その煽りもあって Magic はご存じのような体たらく振りです(笑・・・えない)。どうも Magic 関係者はその理由を不景気といった外部要因に求めているようなのですが、しかしそういう中でも別ブランドのTCGが確実にシェアを伸ばしているのは事実なのです。なぜそうなってしまったのか。私は過去にもその原因とか対策を自分なりに色々と書いてきた訳ですが、今回もそういうお話になると思います。

 TCGよりも一足早く栄枯盛衰の歴史を刻んできた対戦格闘ゲームのうち、ここでは“サムライスピリッツ(以下「侍魂」と略す)”というゲームのお話を取り上げてみます。この侍魂というゲーム、特に1993年7月に発売された初代侍魂の人気はそれこそ絶大な物で、当時1台数万円もしたNEO・GEOというゲーム機が、このゲームのおかげで販売台数を飛躍的に伸ばしました。NEO・GEOゲームの知名度は一般的に、その後発売された餓狼伝説SPECIALの方が高いのですが、実は家庭用ROMの売上本数で見ると初代侍魂の方が売れているのです。しかしその侍魂の続編として発売された真・サムライスピリッツは、様々な理由から一部の侍魂ファンにはかなり不評でした。自分が好きなキャラクタがあっさりと斬り捨てられて真っ二つになる無常観。必殺技に頼らずリスキーな大斬りを決めるために神経をすり減らす精神戦。それが初代侍魂の大きな売りだったはずでした。ところが真侍魂ではそういう魅力が大きく失われてしまった。それで不評が出ない方が普通はどうかしているとすら思われます。そして更にその後発売された斬紅郎や天草降臨、そして3D格ゲーに生まれ変わった侍魂と、SNKは次々と本来侍魂が持っていたポリシーや思想を忘れ去ったかのような続編を世に送り出していきました。確かにそういう続編が好きだったプレイヤーも多くいましたし、そういう新作から侍魂の世界に入ったゲーマーも少なからずいたはずです。でも実際にはやっぱり初代が好きだったけど続編が好きになれず、結局は侍魂から離れていったファンの方が恐らくは多数派だったと思います。少なくとも家庭用機のROMの売り上げだけを見る限り、侍魂は間違いなく初代が全盛期だったのですから。

 じゃあSNKというメーカーは一体何を間違えたのか。それを突き詰めて考えてみると、今にして思うと“そもそも続編を出した事そのものが間違っていたのでは?”という極論すら出てくるのです。 (^^; 例えばの話、SNKが侍魂の人気を利用してゲーム以外での商売をもっと考えたとしたらどうだったのか。実際に侍魂関連のプライズ商品は、それこそクレーン用のぬいぐるみを筆頭に大ヒットしています。あと某出版社が発売した侍魂のグッズもかなりの売り上げを記録したはずです。そういう侍魂人気でもっと賢く儲ける術を考えれば慌てて明らかに調整不足の真侍魂を世に出す必要はなかったはずで、ひょっとするとその後SNKが韓国に身売りされるなんて事はなかったかも知れません(笑・・・えない)。あと続編を出すにしても、もうちょっとやり方があっただろうとも思います。侍魂というゲームの大ヒットは、間違いなくSNK自身にとっても予期せぬ出来事だったようです。だからこそ開発スタッフですら気が付かなかった大ヒットの要因と、それでも存在したであろうユーザーの不満や問題点をしっかりと分析し、ユーザーの期待を裏切らないそれこそ初代侍魂に匹敵する位末永く遊ばれる続編を出す。最低限メーカーとしてそういう姿勢は必要だったのです。つまり見方を変えると、結局SNKはある時点において“ユーザー(ファン)の切り捨て”をやっているのです。真侍魂や斬紅郎のような新作を好まない(買わない&遊ばない)ユーザーはうちの顧客としては必要ない。極端に言えばそういう発想です。実際にはSNKはそれどころか「開発スタッフの遊び心が理解できないファンは要らない。」とか「勝利至上主義で凝り固まった対戦に着いて来られない対戦ゲーマーは去れ。」という発想で次々とユーザーを切り捨て、でもそれと同時にその切り捨てた数以上の新規侍魂ファンを獲得する事ができなかった(正確にはやろうともしなかった)。だから業界というか市場が尻窄みした。よくよく考えてみると話は簡単なんです。

 こういう話はTCGについてもほとんどそのまま当てはまります。例えば創生期の Magic は、それこそ西洋ファンタシーのファンから知的ゲームのファンに至るまで、幅広い客層を相手に売れていたはずです。でもその後発売される新たなカードを見て「これって俺が好きだった Magic じゃないぞ。」と疑問を持つ。好きなイラストレーターの解雇を知って Magic に見切りを付ける。そしてユーザーはおろかメーカーまでもが競技への偏重に走るのを見て愛想を尽かす。そういうユーザー離反の積み重ねで昔のような賑わいや勢いを失ってしまったのです。じゃあ Magic は最近のような競技偏重やイラストの画一化で、そうやって切り捨てた Magic ファンを越える新規ユーザーを開拓できたのでしょうか。実際問題としてそれができてないから Magic は世界的にも人気が衰えたと言われ、世界的に値下げを実施せざるを得なくなったんでしょう。つまり誰が何と言おうが事実上“失敗してる”のです。現在 Magic の世界にも、現状の Magic のあり方を肯定される方が少なからずいらっしゃいます。その事自体を悪い事だとは思いません。しかしじゃあ実際問題として今の Magic はうまく行っているのでしょうか。そういうユーザーやファンの切り捨てを続けて、それでも昔と変わらないゲームの面白さや賑やかさを維持できているのでしょうか。あなたの周りではそれなりにどうにかなっているのかも知れません。ですが世の多くの人達は今やそうは思っていないはずです。

 しかも、そういうユーザーの切り捨てを何と我々はユーザー同士でもやってきている訳です。ただ実際問題として、競技指向の人達に「萌えが好きなだけのヲタクは Magic には要らない。」なんて今さら言われなくても、既に最近の Magic からコレクターなんて人種はほぼいなくなっています。それは「競技に着いて来られない緩いプレイヤーは去れ。」とか「最近のカードや競技指向に文句のある奴は Magic には不要だ。」という意見にしても同じです。そういうユーザーはその多くが今や、それこそ一部の競技一辺倒で盲目的なプレイヤー諸氏のご希望通りに Magic から去っているのです。(私を含めてね。)はっきり言いますが、これでゲームが衰退しない道理なんかないと思います。新規ユーザーを獲得するための視点や工夫を全く忘れ、メーカーやユーザーが自分の思想に合わないユーザーを切り捨てる。これでその遊びに未来の発展があると誰が思うでしょうか。そしてそういう現状を外の世界の人達は極めて冷静に眺めています。例えば Magic ですと、もし自分が Standard による Magic に手を出せば、毎年10月になるとブロック落ちを控えて悶絶しているデュエリストと2年後には間違いなく同じ立場になる事は分かっている訳です。しかもそういうデュエリストにかけられる言葉が「我々は競技しか見ていない。最新のカードを買って競技に追いつく意志のないデュエリストは Magic から去れ!」でしょう。こんな不毛で将来性のない遊びには誰も投資なんかしないのです。そしてそれは多分消費者というか人間として正しい判断だと思います(爆)。

 じゃあ Magic というゲームは一体何を間違えたのか。それは先ほどのSNKの事例と全く同じ事が言えます。そもそも続編を作った事そのものが間違いだった。全盛期の人気を別方面に利用した商売も考えるべきだった。続編を出すなら出すで、なぜ前作がヒットしたのかを綿密に分析して、その結果を十分に活かしたゲームを出すべきだった。要はそういう事です。そして更にもう1つ。 Magic がどれだけ最新のカードセットを発売してそれで競技を推進しても、その事で古いカードで Magic を楽しむ古参プレイヤーが切り捨てられない配慮が必要だったとも思います。格ゲーはその点まだ良かったのです。だって真侍魂や斬紅郎がどういう作品であろうが、それが初代侍魂を遊ぶのに何か影響する事はなかった訳ですから。ところが Magic は古いカードと新しいカードを混ぜて遊ぶゲームなので、新しいカードがゲーム的に崩壊していると古いカードも遊べなくなってしまうのです。だから古いカードが好きなデュエリストもどんどん Magic から逃げ出している。古参デュエリストが Magic から離れているのはそういう理由なんですよ。せめて同時に“古いカードだけで遊べるフォーマット”でも推奨されていれば、それこそ一部の格ゲーファンのようにある時点での自分が好きだった Magic に留まって、 Magic との関係を維持し続けるデュエリストもいたんでしょうけど。

 利益確保のために古いゲームの使い捨てをユーザーに強要し、一方で何かあるとゲームシリーズとしての歴史を口にする。そしてメーカーによるユーザー切り捨てを一部のユーザーまでもが容認して後押ししてしまう。実は多くのゲームはそういうユーザーの切り捨てによって廃れたのです。確かに飽きられて遊ばれなくなるゲームもあるのですが、でも多くの格ゲーやTCGのプレイヤーが言う「新作が出ないと飽きる。だから新作は必要なんだ。」という意見って、結局そのゲームが新作の話題性のみで維持されているクソゲーである事を自ら認める発言だとも思いませんか。 (^^; 少なくとも私個人は侍魂の新タイトルも Magic の新エキスパンションも要りませんし、それが無くても今後も両者を遊び続けるだろうと思います。販売店の利益確保にしても、別に格ゲーやTCGを専門に売る必要はないはずです。販売の維持なんて方法はいくらでもあるのです。少なくとも格ゲーやTCGがそれ単独で販売店を養えるだけの覇気を失った以上、メーカーが行うユーザー切り捨てにユーザー自身が手を貸すという姿勢くらいは改められる必要があるのではないでしょうか。ゲームがユーザーを切り捨てる事には、メーカーにもユーザーにも何1つとしてメリットはないはずなのですが。

【追記】 なお本編で取り上げた侍魂シリーズですが、真侍魂についてはその次の斬紅郎が発売された時点で再評価されていて、発売当初には不満が多かったユーザーの中にも「初代と比較するとやっぱりあれだけど、単独の作品として見ればこれはこれで良かったんだ。」という意見が多く出ています。また実際問題として真侍魂も家庭用ROMの売り上げはかなり良かったはずです。真侍魂が侍魂シリーズの第1作目として世に出ていたら、多分格闘ゲーマーの真侍魂への評価は全然違った物になったのではないかと思っています。

あいせんの“本音の部分”

 ゲームの世界って、結局のところ昔ながらの“手こぎ船”なんですよ。基本的にはユーザーというこぎ手の数が多ければ多いほど前に進むための推進力が大きくなります。そして逆にこぎ手の数がある一定レベル以下になると、残ったこぎ手がどれだけ必死にこいでも船はピタリと前に進まなくなります。私に言わせると格ゲーは既にこの前に進まなくなった状態になっていて、そして Magic も限りなくこれに近い状況になろうとしていると思います。

 ただ実際問題としてこぎ手が多くて余っているような状況ですと、まあ当然ながらこぐのをサボるこぎ手も現れますし、こぎ手同士の喧嘩なんかも始まる訳です。あと船長の方針とか与えられる待遇に不満を持つこぎ手も当然いるはずで、その手の不穏分子は言うまでもなくこぎ手の数に比例して増える訳です。そういう時に普通はどうするかというと、簡単に言うと“こぎ手の精鋭化”を図る訳です。船長の意志や指示に従って正確に船を進め、ある程度の過酷な重労働にも不満を口にしない。船長としては当然そういうこぎ手が理想な訳で、従って当然そういうこぎ手は他よりも優遇されるはずです。大きな大会を開いて上位入賞者を優遇する。これは格ゲーでもTCGでも当たり前のようにやっている事で、その事自体が悪いとは思えません。ただそこで問題なのは、そこで選ばれた一部のこぎ手達の中に特権階級意識が芽生え、そこに入らなかったこぎ手を「この役立たずが!」と罵倒したり、時には集団で船から追い出し始めるのです。実際に格ゲーでもTCGでもそういう光景は少なからず見られますよね。

 じゃあいわば精鋭部隊に入れなかったそれ以外のこぎ手は本当に不要なんでしょうか。実はそんな事はないのです。最近ある研究で、1つの巣にいる働き蟻の中には、常に何割かの割合で仕事をさぼる個体がいる事が分かってきました。しかもその怠ける個体を選んで除去すると、不思議な事に残った蟻の中からまた前と同じ一定の比率で仕事をさぼる蟻が現れるんだそうです。 (^^; これは逆に良く働く働き蟻についても言えるそうです。これって人間にもそっくりそのまま当てはまりそうですよね。船長にとって都合がいい精鋭部隊を一定数揃えたいと思ったら、まあ間違いなくそれに見合うだけの有象無象のこぎ手を揃えるしかないんです。一見すると使えなさそうなこぎ手でもとにかく相当数を揃えれば、その中から精鋭部隊に匹敵する働きをするこぎ手は間違いなく現れるのです。ただしそれで残った(=精鋭部隊に入らなかった)こぎ手を船外に振り落とせば、間違いなく残った精鋭部隊の中から落伍者が相当数現れるのです。つまり船長や精鋭部隊には本来“有象無象のこぎ手を自分達が養うんだ”という発想こそが必要だったのです。実際にプロスポーツとして成功している業界は、ほぼすべてがこれをやってきています。そして成功できなかった業界はやっぱりやっていないのです。

 自分達に都合のいいユーザーを増やすには、自分達のゲームを遊んでくれるユーザーの母数を増やさなければいけない。そういう発想がどういう訳か多くの格ゲーやTCGのメーカーには見られないんですよね。しかもそれで開発者のマスターベイションをユーザーに押し付け、それに異議を唱えるユーザーは「あ、じゃあ君もう遊んでくれなくていいよ。」と切り捨てる。だから結局はゲーム普及や拡販の戦力となるスーパーユーザーも現れないのです。日本で遊戯王OCGやデュエルマスターズがなぜ成功したか。それはマンガやアニメの話題性でユーザーやファンというゲームのこぎ手を大量に確保できたからに過ぎないのです。そしてそれができなかった、あるいは1度はできたけど色々あって多くのこぎ手を船から振り落としたゲームはやっぱり衰退しているのです。じゃあ、それを踏まえて我々ユーザーはどう振る舞えばいいのか。賢明な皆様に私ごときが改めて申し上げるまでもないでしょう。

   

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