| “プロ”という名の営業マン | ||
この Echizen ぎゃざるというWebサイトができて以来、私は事ある毎に“プロ”と呼ばれる人種について書いてきました。英語の Pro(fessional) には元々「職業人/専門家」あるいは「玄人」という意味があるそうです。ただ我々が特に遊びの世界で“プロ”という言葉を使う場合、どうもこの“職業的な意味合い”についてはあまり深く考えていない気がします。感覚的には「その道で収入を得ていればプロだし、逆に収入を得ていなければプロじゃない。」そんな感じです。でも果たしてそれで合っているのでしょうか?。例えば世には多くのパチプロが存在しますが、彼らを心から“プロ”と呼んでいる(=彼らに職業意識を感じる)人は少数派だと思います。そして逆に例えば世界規模の大会で常に好成績を収めている陸上選手を、我々はプロと呼ぶ事にあまり違和感が無いはずです。しかし特に日本では実際に彼らが陸上で直接収入を得ているケースは極めて希です。つまり“プロ”という言葉を語るには、どうも「1つのスポーツや遊びに『職業的に取り組む』とはどういう事なのか?」を考えてみる必要がある気がします。
例えば今サラリーマンをしている人で、自分の会社が潰れてくれる事を心から願っている人は(皆無とは言いませんが (^^; )極めて希だと思います。それはなぜかと言えば、何よりもそうなると自分自身が路頭に迷うからです(笑)。そして更に「どうせ同じ会社で同じ仕事をするなら、より高い給料をもらって上の地位に就きたい。」と願う、これも人として極めて当然の発想です。じゃあそうなるためにどうするかと言うと、多くのサラリーマンが他人よりも仕事を頑張って業績を上げ、上司等から認められるように努める訳です。しかし実際には、仕事以外の形で会社に貢献する人だっています。例えばマラソンの高橋尚子選手の活躍は、結果的に彼女が勤めている企業の知名度を飛躍的に高める結果となりました。見方を変えると彼女はマラソンで企業に利益をもたらした、つまり企業から見ると“仕事をした”訳です。しかも下手すると普通のサラリーマンが10人や20人束になってもかなわない位の利益を、彼女はマラソンを走る事で企業にもたらしたのです。それで企業が高橋選手の給与を上げたり特別ボーナスを出したとすれば、これはサラリーマンが仕事を頑張って自分の評価を上げ、給与や昇進で優遇される事とさほど違いはありません。(ただし明らかに“ベクトルが向かっている先”は違っていますが。)
じゃあこういう話はどうでしょう。例えばトレーディング・カードゲームといった遊びの世界を1つの企業と考えた場合に「果たして企業に取ってどういう社員が必要なのか?」という事です。何と言っても欲しいのは“営業の巧い人”でしょう。色々な場所で様々な人達に自社商品を売り込み、口八丁手八丁で買わせて売り上げを上げてくる。そういう社員が何よりも欲しいのです。更に“会社の将来について明確なビジョンと提案ができる人”あるいは“他には無い斬新なアイディアで新商品を開発してくれる人”も必要です。そしてそういう社員が実際に現れたら、それこそ企業は他の社員の給料を減らしてでもその社員を優遇すべきです。会社という組織はそういう人達によって支えられているのですから。
あるスポーツや遊びの世界で活躍するプロという人種は、要するにそういう“できる社員”の集合体だし、そうあるべき存在なのです。自分のプレーで多くのファンを引きつけ、その遊びに興味を持たせたり物を買わせてしまう。またその遊びの来るべき将来像を明確に示して実現に自ら汗を流したり、あるいは新たなテクニックやプレースタイルを編み出して遊びの幅を広げる。それがプロに求められる資質であり仕事なのです。そしてそういう凄いプロ達を他のプレイヤーとは区別して優遇する。それが“プロ競技”という仕組みなのです。だから企業はプロ(競技)に金を出す。これは極めて自然な流れです。じゃあ例えばTCGの現状はどうなっているかと言うと、要するに「吐いて捨てる程セミプロはいるのにプロがほとんどいない。」という状況になっています。会社として見ると「見習い営業マンがウヨウヨしているのに、いつまで経っても“見習い”の肩書きが取れない。」という感じでしょうか。更に悪く言っちゃうと「人件費がもったいない&優秀な人材が集まらないという理由で、アルバイトだけで営業部門を回そうとしている。」という有様なのです。それで企業という仕組みがうまく機能するのか・・・まあ無理でしょう。
TCGのプロ・プレイヤーを営業マンと考えた場合、彼らに企業が求める何よりの仕事は“そのTCGを売り込む”事です。じゃあどうすれば売れるのか、この答はそれこそ単純明快で“そのTCGが面白いと多くの人達に認めさせる”事が必要になります。実際に他の世界で活躍する多くのプロ達、例えば野球やサッカーの選手はそれをやってきています。しかしTCGプレイヤーはどうでしょう。なんか事ある毎に「プレイヤーは試合で勝つ事がすべて。過程なんか二の次だ。」「TCGで勝とうとするプレイヤーがTCGを楽しもうなんて馬鹿げている。」とか言い出す。しかも使うデッキはそれこそ判で押したように、どこかに情報が流れた“どこかの大きな大会で勝ったデッキ・レシピ”そのまんま。これでTCGという商品が売れるはずもありません。だってこの様子のどうをどう見れば「うわあ、このTCG面白そう!」とか思えますか?。 (^^;;; 要するに自社商品の良さを満足にアピールできない見習い営業マンが目の前にやってきて「このTCG面白いですよ、買ってみませんか?」とか言ってくる。今はそんな状態なのです。少なくとも私だったら「お前バカか?」って言って塩撒きますよ(爆)。単にたまたま売り込みに来た営業マンがダメだったのか、それともそもそも売っている商品そのものがダメなのか、これじゃあ私には判断が付きませんもん。まあ恐らくは“両方ダメ”なんでしょうが(核爆)。
これは多くのプロが口を揃えて言う台詞なのですが、プロは自分のプレーを人に“見せる”のではなく“魅せる”必要があるのです。単に勝つだけなら多くのセミプロにだってできるし、下手すりゃアマチュアだってちょっと頑張ればできるのです。しかしプロとセミプロが決定的に違うのは、その試合の魅せ方なのです。それは要するに「プロには自分が営業マンであるという自覚があるけれど、セミプロにはそれが無い。」という事です。セミプロはプロが戦う姿を見て「もっと戦績を上げればプロになれる。」と思い込むのですが、それは完全な勘違いです。私に言わせると、たとえ戦績が百戦百勝であっても「こいつのプレーつまんねえ!」と言われた瞬間に、そのプレイヤーはプロたる資格を失ってしまうのです。そんな営業マンがいくらいたって売り上げは伸びないし、下手すりゃそいつのせいで会社全体の風評が低下して潰れかねないからです。確かに“強い”のはプロになるための最低条件の1つです。でもそれがすべてではないし、何よりも強い事はプレイヤーがプロになるための最重要項目ではないのです。一般社会では“営業マンは会社の顔”と言われています。つまり営業マンの様子を見れば、その会社の勢いとか中の様子はある程度伺い知れてしまうのです。その営業マンが冴えない顔つきで自社商品であるゲームに取り組んでいる。そんな会社の商品を買う人間は普通いませんよ。
あとこれも良く言われる話ですが、プロのプレーというのは人に真似をされる物です。それだけその人のプレーに魅力があって、その一挙手一投足が注目されている。だから真似されるのです。つまりプロは“人に真似されるべき存在”であって、決して人を真似してなれる物ではないです。確かに他のプレイヤーの技術を盗む事は必要でしょうが、それと真似をする事は根本的に次元が違うのです。だって他の営業マンと同じ事だけしていて、それで多くの営業マンの中から自分を差別化して顧客に選んでもらうなんて不可能でしょう。人の真似しかしない営業マンなんてそもそも存在価値が無いのです。そしてこれを今まで我々は、表現を変えて「コピーデッキで勝つプレイヤーの対戦は見てもつまらない。(=君みたいなプレイヤーが増えてもこのTCGは盛り上がらないだろうなあ。)」と言ってきただけです。どうもその辺を激しく勘違いしているセミプロ諸氏が、特にTCGや以前の格ゲーの世界にはかなりいるようです。強い人のデッキやプレイスタイルを真似したら勝てちゃった。これなら大した汗もかかずに楽に勝てるし、皆同じようにやってるからこれでいいや。そういう短絡的な発想しか持っていないプレイヤーが少なくないのです。この際なのではっきり言いましょう。だから君らはプロになれないんです(笑)。そういうやり方から脱却して自らの個性を主張し始めない、要するに自分1人で顧客先に飛び込んで営業成績を上げられるようにならない限り、多分あなた達は永久にプロにはなれません。このまま一生“見習い営業マン”で終わるのです。
TCGの世界にもそういう事が分かっていて、実際にもの凄く頑張っている営業マンがいらっしゃいます。でも残念な事にその他多くの社員のヘッポコさが足を引っ張ったり (^^; 何よりもその営業マンを育てるべき会社の上層部が揃いも揃ってヘッポコな奴ばかりで(爆)、せっかくの営業マンの能力を活かし切れていないのが現状です。ただはっきり言っちゃいますが、優秀な営業マンには“自分に付いた顧客を抱えて独立しちゃう”という選択肢もあるのですがねえ(嫌爆)。例えば自分が監修していたTCG漫画のファンを、根こそぎ引き連れて別のTCGへ鞍替え・・・(爆死)
|
本編で少し触れた“コピーデッキ”についてもう少し書いてみます。 我々は今まで、事ある毎にコピーデッキの是非を問題にして議論をしてきました。そして私の現状認識が正しければ、現時点で「是か非か?」の結論は出ていないはずです。ただよくよく考えてみると、実は「コピーデッキは善か悪か?」という議論は、TCGという世界を語る上で的を射ていない気がします。最近思うのですが、実は我々が本当に考えるべきだった問題は“そんなコピーデッキでフリー対戦どころか大きな大会ですら勝ててしまうTCGそのものの存在意義”であり、また“そんな欠陥商品で堂々と競技イベントを開いてしまう販売サイドの姿勢の是非”ではないか、これが私個人の認識です。 ある環境下において特定のデッキを持ち出されると、例え対戦相手がそのデッキを使って来る事が分かっていても手が出せない。そのデッキに勝つには自分も同じデッキを使って、あとは引きといった運頼みしかない。こんなゲームを「欠陥ゲームだ」と断言してしまう事に、私個人には微塵の迷いも躊躇いもありません。ただTCGの販売サイドが開く大会の大部分は、それを「我々が作ったTCGには欠陥があります。ですからそのあらを探して『最強のデッキ』を見つけ出して下さい。それができた方の中から抽選で(=大会当日最も運が良かった方に)豪華な賞品を差し上げます。」とやってきて、あまつさえそれを“競技”だと言い張る物まで現れたのです。私に言わせるとそれこそ「片腹痛いぜ、わっはっは!」という感じです。 (^^;;; だって結局はプレイヤー個人のパズルを解く能力と運の強さしか見ていないじゃないですか。そんなのどう考えたって“競技”として成立していませんよ。 「このレギュレーションで勝つにはこのデッキしかない。」という事が分かっていて、それでも他のデッキを持ち込んで優勝を目指す。そういうプレイヤーはある意味で誉められるのでしょうが、でも競技プレイヤーとしては決して賢いとは言えない気がします。 (^^; ただ「俺はこのTCGで日本一になった。どうだ凄いだろう!?」と言われた時に、実際にはそのTCGに致命的な欠陥があって、そのプレイヤーは単にその欠陥を悪用して勝っただけ。あまつさえその欠陥は他の人が見つけた物で、自分はその情報を利用したに過ぎない。それで本当に自慢できるかどうか私には甚だ疑問です。というか、私だったら絶対に自慢はしないです。それはそのプレイヤーがコピーデッキを使ったから云々ではありません。「そういうコピーデッキで勝てちゃう位出来の悪いTCGで日本一になった事がそれ程自慢できる事なのか?。少なくとも僕はそうは思わんぞ。」そう言っているだけです。実はコピーデッキに否定的な立場を取る決して少なくないプレイヤー達も、内心では同じ印象を持っていたのではないでしょうか。ただこれを口にしちゃうと、それこそ自分が今まで遊んできたTCGの存在自体を否定する事になる。だから言えなかった。そういう事なんじゃないですかね。 あるTCGである時期特定のデッキが猛威を振るい、他のデッキでは本気でどうしようもない状態になった。そういう場合に競技プレイヤーが取るべき態度として「それでも別のデッキを創って勝ってしまう」が理想である事は言うまでもありません。しかし実際には「そのデッキを喜々として作って大会に臨む」プレイヤーがあまりにも多く、あまつさえ“最強のデッキ”“最強のカード”を有り難がって使ってしまう。だからいつまで経ってもTCGという遊びは良くならないし、TCGのプロ選手も育たない。私はそんな気がします。一つの遊びに競技として臨むなら、どうせなら自分が試合に勝った事、その遊びが巧い事を心から自慢できる遊びで取り組みたい。私はそう思います。要するに「営業マンとして自分が売り込む商品には絶対の自信を持ちたい」という事です。そしてそうなるためには、時として自分の上司や商品開発部、場合によっては上層部にまで掛け合って「このゲームをもっと面白くしてくれ。そうしたら俺達が今の倍は売ってやるぜ!」位気骨のある台詞を吐けるようにならなければ駄目なのです。ましてや自分が売り込んでいる商品に致命的な欠陥を見つけたとしたら・・・本当に自分の会社そして自分の商品を愛しているならば、あなたが取るべき行動は自ずと決まるはずなのです。 |