プレイヤーとゲームの関わり 
 
 唐突ですが ↑ という話を書いてみます。

 ○ 対戦型ゲームでの人との関わり

 昔の遊びには1人で遊ぶ物も確かにありましたが、2人以上のプレイヤーが顔突き合わせて遊ぶ物が主流でした。それがTVゲーム等の登場で1人で遊ぶ物が広く普及したのですが、しばらくして今度は対戦型のアーケードゲームや家庭用ゲームが出て凄まじい勢いで普及しました。そして現在はインターネット等でパソコンやTVゲームをつなぎ、複数のプレイヤーが同じゲームを遊ぶ物も相当数出ています。

 しかしかつての遊びでの対戦と最近のそれとは、その内容にかなりの違いがある気がします。何よりも決定的に違うのは“不特定多数を相手にする(せざるを得ない)事が少なくない”という事です。これをもっと分かりやすく言うと「自分に取って不本意な相手とも対戦をしないと行けなくなる場面が出てくる。」となるでしょう。昔の子供がメンコやベーゴマで遊んでいた頃に、見ず知らずの子供や自分が嫌いな子供が来て「仲間に入れて!」と言ってきたらどうするでしょうか。選択としては“受け入れる”“嫌だと言う”“自分が抜ける”等と色々あるでしょうが、とにかく選択肢は自分で決められます。しかし最近はそうならない物が少なくありません。例えば格ゲーを遊んでいる最中に嫌な奴に乱入された。でもあなたには何よりも「お前は入って来るなよ。」と拒否する権利が与えられていません。かといって100円を無駄にしてまで席を立つのも馬鹿馬鹿しい。となると、あなたには「嫌々ながら対戦する。」以外の選択肢は残されていないのです。これはTCGにしても同じです。特に大会中のプレイヤーには、自分に割り振られた対戦相手を「嫌だ!」と拒否する権利が与えられないのです。そしてそれでもあえて自己主張をしたプレイヤーに待っているのは「あなたはこのゲームに負けました。」という冷たい裁定です。

 最近世の中には対戦型のゲームが溢れています。それは一見すると多くのゲームメーカーが「対戦は面白いから盛り上がる。」と考えているからだ。そう我々プレイヤーは解釈してきました。しかし最近私は「実際は違うんじゃないか?」と考えるようになりました。そろそろ我々は過去の経験から「実は対戦って思っていた程面白くない」という事実に気が付き始めたはずです。でもそれでも対戦型のゲームは出続けている。これって実は「対戦型のゲームはプレイヤーに“自分に取って嫌な対戦”を強要する事ができる。そうすればゲーム本来の面白さとかバランス等をさほど考慮しなくても適当にゲームが作れてしまう。だからメーカーは対戦型のゲームを作りたがるし人に勧めたがるのだ。」そういう事なのではないでしょうか。だって実際問題の話、どれだけゲームシステムに欠陥があっても、これが対戦だと「そういう欠陥を逆手に取って利用しないお前が悪い。だから負けるんだ。さあお前もこの欠陥を利用して強くなれ!」とか言われるのです。 (^^; しかしプレイヤーの中には「そんな欠陥ゲームで勝っても自慢できんぞ。」と考えているプレイヤーは少なからずいるのですが、でも世で多数派を占める“勝つ事しか頭にないプレイヤー”の声にそういう意見がかき消されてしまい、結局「僕の意見って間違っているのかなあ?」になっているのです。はっきり言いましょう、あなたは決して間違ってはいません。ただ“世の多数派とは意見が違っている”だけです。 (^^;

 対戦に勝てるようにゲームに取り組む。そういう姿勢は1つのゲームを上達するためには多分最短コースになるのでしょう。しかも誰も負けるためにゲームを遊んだりはしないし、遊ぶからには勝ちたいのです。でもこれは前から書いている話ですが、今はゲームメーカーもプレイヤーも“自分が関わっているゲームで挙げた一勝の価値を上げる努力”を怠り、ただただ「プロセスなんかどうでもいいから勝て!」で終始している。そういう流れに自分が飲み込まれてしまったとしたら、何よりも自分自身が対戦相手に“こいつとは対戦したくない”と言われるプレイヤーに成り下がってしまいます。言い方を変えるとあなた自身がそのゲームを衰退に導く一因になってしまうのです。もしそれを嫌だと思うなら、我々はゲームに取り組む姿勢を見つめ直すべきなのです。ただしそのポイントは案外簡単です。「自分みたいなプレイヤーが目の前に現れたら、自分はそいつと心から対戦したいと思うか?」これを常に自分自身に問いかけてみればいいのです。これは競技としてゲームに関わる場合にも全く同じ事が言えます。ちなみに私個人は将棋のプロ棋士とは対局してみたいと思いますが・・・(様々な思惑により以下省略 (^^; )。

 ○ 更なる“不特定多数”との関わりに向けて

 さて、そういう中で更に世のゲーム業界は「プレイヤーを更に多くの不特定多数と関わらせよう。」という動きに出ています。言うまでもないですが“ネットゲーム化”の流れがそれです。

 ただ私の周囲で意見を伺っても、このネットゲーム化に不安を感じる人は少なくありません。というか、むしろ今は不安を抱いている方が多数派でしょう。我々は格ゲーやTCGといった、プレイヤー同士が直接顔を見合わせる対戦ゲームにおいてすら、対戦相手を中傷したり罵声を浴びせるといった醜い事例を幾度も目の当たりにしています。ましてやネットゲームでは個人が匿名でゲームに参加できます。少なくとも我々は、日本人がネット上で匿名になった途端にどんなもの凄い事を始めるか良く知ってますからねえ(笑・・・えない)。そうなると「そもそもゲームとして成立するのか?」という不安すら相当あるだろうと思います。

 しかも色々と話を伺っていると、日本人はこういう場においても“勝利至上主義”なのだそうです。 (^^; 例えばネットゲームのCRPGでは“PK(プレイヤー・キラー)”と呼ばれるプレイヤーを倒す事に情熱を持った(!?)プレイヤーが現れます。欧米辺りのPKというのは、それこそ「 I am PK ! Hahaha... 」みたいな感じで (^^; 遥か遠くから「XXXX!」とか叫びながら斬りかかってくる方が主流のようです。 (^^;;; すると受ける側にはある程度心の準備ができますから、逃げるなり迎え撃つなりの十分な対応ができます。ところがこれが日本人になると途端に陰湿になるそうです。一度は「僕は君の味方だ。君の攻略の手助けをしてあげよう。」とか言ってフィールドに誘い出し、そのプレイヤー1人ではどうにもならない場所に入った途端に敵対して斬り殺す。しかもPKが使うキャラクタは判で押したように“世の攻略情報に《最強》と紹介された物”ばかり。本来ネットゲームのスパイス的な存在となっているPKという仕組みが、日本人の手に掛かると“確実にプレイヤーを殺して自らのマスターベイションを完結させるための手段”にしかならないのです。

 このまま日本にネットゲームが更なる普及を果たすと、要するに格ゲーやTCGで起こった様々な問題点がそのまま輸入されるのです。しかもネットゲームにはネットの匿名性といった更なる問題を起こす要因まで含まれている。おまけに日本のゲームメーカーにはそういう問題点を解消するためのノウハウも無ければやる気もない(笑)。何よりも日本のプレイヤーのゲームに対するモティベイションの低さといったら・・・。これじゃあ日本でネットゲームが成功するはずはないでしょう。ただ「じゃあ、どうすればいいの?」という段になると、これが極めて難しい話になります。要するにゲームを売る側も遊ぶ側も意識を変えないといけない。それには本来なら「過去に作った(遊んだ)ゲームの問題点をその場で順次解決し、ゲームの世界全体(メーカー&プレイヤー)が頑丈なバックボーンを持つべく努力すべきだった」のです。そういう手間を惜しんだしわ寄せが今来ている。言ってしまうと「今更どうしようもないのでは?」という事になるのですが(爆)。

 ○ “平和主義”を説く気はないけれど・・・

 最近ゲームは、技術革新とかメーカーの野心といった物が相まって、もの凄いスピードで変化を続けています。ただ残念な事にその“変化”は“進化”ではなかったようです。“進化”というのは“変化”を受け入れながら、その過程で発生した問題を随時解決しながら前に進む物です。言い換えると進化とは“より時代に適合できる仕組みを作る行動”なのです。しかし今のゲーム業界は様々な問題に蓋をして、何事も無かったかのように先に進もうとしています。だから某銀行のシステムみたいに後になって様々な問題が一気に噴出してくる。そして結局は頓挫するのです。

 そしてその“日本のゲーム業界が蓋をして見て見ぬ振りをしてきた問題”のうち、最も大きな物の1つがこの“不特定多数のプレイヤー同士の関わり”なのです。しかも日本ではこれに関して、多くのメーカーやプレイヤーが「ゲームは勝敗が唯一絶対の物。勝ってこそゲームは楽しめる。」とやってきた訳です。それは“勝利至上主義”という言葉の前では、ゲームバランスとか対戦マナーといったその他多くの問題に、意図も簡単に蓋ができるからです。ゲームバランスの悪さは“勝利のための手段”に置き換わり、対戦マナーの悪さは「文句があるなら俺に勝ってから言え。」あるいは「そんなの負け犬の遠吠えだ。」で片付いてしまう。というか、無理矢理片付けてきたのです。それは見方を変えると「“ゲームに強い奴”イコール“周囲の模範となるような良いプレイヤー”ではないため、物事をすべて強さで片付ける手段しか知らなかった。また売る側もその方が都合が良かった。」という事です。だからメーカーやマスコミもそういうプレイヤーを助長してきたのです。「こいつらの素性や素行がどうか俺達は知らん。しかしこいつらはバカみたいに俺達に金をつぎ込んでくれる。だから強い。これこそプレイヤーの鏡だ。みんな真似しろ!」要はそういう事です(爆)。

 残念な事に、この問題は1人のプレイヤーの意識改革で解決する物ではありません。どんなに自分が対戦して面白いプレイヤーを目指したとしても、その周囲に数人の対戦したくないプレイヤーがいれば、その努力は無に帰すからです。皆さんにも経験がないでしょうか。ある友達を自分の趣味であるTCGに招いて一緒に遊んでいたら、ある日シャーク被害に遭ったり対戦で罵声を浴びせられてやめてしまった。世の中そんな物です。そして私は「いや、それでも頑張ろう。1人が変われば皆変わるはずだ。」なんて精神論を語る気はありません。もしそういう精神論が成立するとすれば、少なくとも日本の Magic は現状よりも何倍も良くなっていたはずですので(笑)。

 日本のゲームに纏わる環境に改善が期待できない。それどころか今後更に悪化しそうな気配すらある。そうなった時に我々が取れる施策って、実は“自衛”以外に無いのかも知れません。できるだけ良い常連がいるゲーセンやTCGショップを選ぶ。知らない人とはトレードはおろか会話すらしない。ネットゲームのフィールドやデュエルルームで襲われそうになったらとにかく逃げる(ぉ。一見すると今の世の流れに逆らっているようにも見えますが、しかし現時点でゲーム自体の進歩にゲームシステムやプレイヤーの意識が追い付いていない以上、我々はそういう物からある意味自分を隔離するしかないのです。この意見は自分で言ってて「後ろ向きだなあ。」と情けなくなる物ではあるのです。ただそこで自分が逆に“力による応酬”をしてしまったとしたら、自分もその目の前にいる“対戦どころか同じ空気を吸う事すら嫌なプレイヤー”と同類になってしまうのです。

あいせんの“本音の部分”

 音ゲーに関するエッセイで、私は「初心者と上級者との隔離が必要だ。」という意見を書きました。これは言い方を変えると「自分に取って都合の良い人達だけ身近にいる事を認め、そうでない人達には自分に近づく事を遠慮してもらう。」という発想でもあるのです。一見するとそういう発想は我が儘のように見えますし、何よりもゲームのネット化という時代に逆行している気もします。しかしどうでしょう、昔皆さんが子供の頃に友達と直接顔を見合わせて遊んでいた時、「俺はあいつは大嫌いだったが、そういう発想はその遊びの衰退を招くと考え我慢していた。」なんて人います?(笑)。もしいたら教えて下さい。そんな子供は“修正”してあげますから(嫌爆)。

 はっきり言ってしまいますが、やはり自分がゲームという物を心底楽しみたいと思うのであれば、どう考えても“付き合う相手は選ばざるを得ない”のです。そしてそれは今まで我々プレイヤーが自然に行ってきた事でもあるのです。そういう自由度が昨今のゲームに無くなっている。だから格ゲーにしろTCGにしろ心底楽しめないし、何か言い様のない窮屈さを感じる。そんな気が私はしています。(ちなみにこの話は、そのまま例えばこういうWebサイトの運営にも当てはまります。)確かに新しい出会いで人は色々な物を得ます。でもそういう良い出会いを得るためのコストというかリスクが、今はあまりにも高すぎるのです。

 こういう話を書くとそれこそ判で押したように返ってくる反応があります。最も良く聞かれる「仲間内だけで遊んでもプレイヤーのレベルが向上しない。」という意見ですが、これには「じゃあ外の世界と交わる事にデメリットの方が多いと感じられる、現状の環境に対する打開策をあなたは何か考えて実行した事があるの?」という質問を返してみたいです。また「例えばゲーセンでの回しプレーといった“知り合いがたむろする事の弊害”をどうするの?」という指摘に対しては、私としては「見知らぬ人の家の庭に無断で入り込んで糞尿を垂れ流して帰っていく人もいますが?」という返事を返すでしょう。 (^^; 確かに私自身も仲間内で集まってチンマリ盛り上がるという風潮その物はあまり好きではありませんし、実際にそういうグループからひどい目に遭ったりもしています。ただそうでもして自衛せざるを得ない位、私に言わせると現状のゲームに纏わる環境は最悪なのです。例えばインターネット上を見渡してみても、不特定多数の利用者を何の自衛手段も無しに受け入れる事にどれだけのデメリットがあるか分かると思います。しかもそれで得られるメリットは極めて微少か下手すると皆無。流石にこれでは・・・という感じです。

 もはやこの問題は、プレイヤーのモラルといった精神論では到底解決できないでしょう。今回のエッセイの最後に書く私からの提案は「世のTVゲームをすべてネットゲームにするのであれば、申し訳ないが自分以外のプレイヤーをすべて無視できる機能を付けてくれ。」という事になるでしょう。ただ私個人はそれは到底期待できない気がします。だってそんな事をしたら世のプレイヤーの多くがそのゲームにじっくり取り組んでしまい、あっと言う間に作り込みの浅さや甘さが露呈してユーザーが逃げちゃいますから。 :-P

   

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